BL短編集2

希京

文字の大きさ
3 / 7

上皇✕貞実(エブリスタ「桜と橘」)

しおりを挟む
人生で一度きりの恋をした。
その清算のために私は山奥深い叡山で出家をして、翻訳が未完成な経典を紐解く日々を過ごしている。
だが世の中から隔離されたこんな山の中にまで不穏な噂が届いている。
どかどかと大きな足音が近づいてきて、私は小さくため息をついた。
「貞実、いるか」
上を開け放ち、閉じている下の格子に手を置き、ひらりと飛び越えて上皇さまが部屋に入ってきた。
法名はいただいたが、上皇さまの中ではいつまでも私は『貞実』のままなのだろう。別にそれをどうこう言うわけでもないが、相変わらず自分中心の性格に心の中で苦笑する。
「そのままでいい」
私が文机から離れて座を譲ろうと立ち上がったが、止まられてまた座り直す。
「お久しゅうございます。ここまでは輿で?」
「馬だ。こんな険しい山道を輿では担ぐ奴らが途中で倒れると思ってな。立ち往生するのはごめんだから使いの者に混ざって来た。座主にお前の事を頼んでおいたぞ。布施もたっぷり持ってきた。それでもあいつは俺にはいい顔しないな」
顎に指を当ててくっくと笑う上皇さま。私は頭の中でざっと家系図を思い出す。
「あいつを引きずり下ろしてお前と交代させたいが、出家して日も浅いしさすがの俺でも難しい」
「またそんなわがままを…」
「いや」
少し眩しそうに私を見ていた目が、鋭利な刃物のような光を宿した。
「戯れではない」
「……」
「鎌倉と戦う」
ああ、ついにその日が来た。
戦は子どもの遊びではない。だが自信過剰なこの方に何を言っても聞き届けてはくださらない。
かつては『貞実どのの言う事だけは聞く』と宮中で噂されたが、そうでもなかった。
「全国に院宣を下した。だがここのえらいさんは本当に言う事聞かないな。だから直接話をしにきたが、俺でも論破できない。あいつ強いなあ」
「そうでしたか。てっきり私に会いに来てくださったものかと早とちりしました」
私は微笑を浮かべたままため息をついてみせた。
「お、言うようになったな。さっそく御仏の効果か?」
「さあ、どうでしょう」
「それとも新しい恋人でも出来たのか?」
「あなたと一緒にしないで下さい」
はたから聞けば喧嘩でもしているように見えるだろうが、昔からこれくらいの軽口はきいていた。
それが自分だけが特別だとだんだん思い上がるようになり、結果自分を苦しめる事になる。
多くの愛人を作りながら『貞実をいちばん愛している』と言う。私の願いはそうではない。
私だけを愛してほしかった。
それがかなわないから煮えたぎるような嫉妬心を鎮めるために仏の道に入ったのだ。
私が身じろぎするたび、衣擦れの音と、上皇さまからいただいた数珠がしゃらりと鳴る。上皇さまの視線が一瞬数珠に落ちてから、再び私を見上げた。
「戦は侍どもが戦うだけではない。情報収集や後方部隊の準備、万が一の退路の確保など根回しすることは山ほどある。ここの座主どのはどうあっても頭を縦にはふってくれぬようだ。俺に勝ち目はないと言ってな」
「さようでございますか」
「お前はどう思う?」
「じゅうぶん勝機はあります。朝廷の権威はまだ地に落ちてはいません。すでに天下に号令を出したならお味方につく者どもが都にあふれましょう」
「そうか、そう思うか」
私の嘘に、上皇さまの目が輝く。まるで遊びの延長のようだ。
時代が変わったことを、この方はわかっていない。
「なあ…貞実」
「はい」
「この戦が終わったら、戻ってきてくれないか」
私はゆっくり立ち上がり、上皇さまに近づいてその膝に体を預けた。
「こうしてあなたに全てをゆだねている時が、私の幸せでございました」
上皇さまの熱い手が、髪をおろした私の頭を優しく撫でる。
あなたに甘えるのはこれで最後。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...