海に抱かれる

希京

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謎の人物

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『女のような顔の男』

最近その人物の話で持ちきりだった。
話題には出るのになかなか本人に出会わない。
ひとつには彼は店に姿を現してもすぐ次の店に移動するので、噂を聞きつけて駆け込んだ時にはすでにいない。
いつしか彼を見つけるとLINEやメールで情報がめぐるようになった。

「今来てるよ!」
「さっきすれ違った。今夜は民族衣装っぽい格好してた」
「黒のアオザイ着てた。あれはずるいわ美人すぎる」
「利休って声かけたけど無視された。いっつも機嫌悪い。でも綺麗な顔ね」

利休、もちろん本名ではないが、彼が来るとひとめ見たさに客が殺到するので重宝がられて余計に情報が飛び交う。
女の子の情報網はプロ並みだ。すぐに拡散される。でも見つけるのは難しい。
確実なのは関西人ということ。それは利休のイントネーションでわかったらしい。

顔は写メで拡散された。盗撮なので人違いもあったが、本人と言われる画像は黒髪で後ろが短く、前に向かって長くそろえたボブカットで、不機嫌そうな表情に鋭い目つきの青年。

もうひとつの噂は物騒だった。

「韓国マフィアのボスの甥」

これは真実かどうかわからないが、コリアンタウンを背の高い男連中と歩いていたのを見たという話もある。
そして利休というあだ名も、本名が「リ」から始まってだんだん変化していったとか、母親がお茶の先生をしているなど、夜の街にいると彼の噂話がどこからか聞こえてくる。

「そんなに美人なら一度会ってみたいな」
ボックス席の中心に陣取って仲間を侍らせて座る中野考は興味深げに言った。

六本木の雑居ビルにある店でいつも集まっている不良集団のリーダーにも『利休』の噂が届いていた。
猛書の夜、街にはまだむっとする暑さが残り、ジャケットを脱いで黒いシャツにスラックス姿の中野を中心に、同じような格好のスーツ組と、タトゥーや入れ墨を露出させているアングラな男たちがまわりを囲む。
どう考えても混ざり合わない色の男達だが、20代で社会からドロップアウトした『元』という肩書を持つ者と、最初からアンダーグラウンドに生息していた連中をつなぐものは「金」だった。

「この近くのガールズバーに現れたみたい」
長い白髪の紅一点の女が自分のスマホを見ている。
横に座っている男、スーツ姿の藤堂信二が画面を覗き込んだ。
藤堂もまた、過酷な仕事量の会社で心を病み社会から転がり落ちた人物で、その色はまだ抜けきっていない。
普通のサラリーマンが着るような安物のスーツに、最近少し明るめに染めた髪をゆるく後ろに流している程度には垢抜けた、おとなしい男だった。
「怒ってるのかな…。怖い顔だ」
長い前髪から見える視線が厳しい写真の青年を見て、まるで自分が睨まれているような錯覚になる。
裏社会の関係者という噂はあながち嘘ではないのかもしれない。

「美人といっても男だからな。愛嬌なんかないだろう」
そう言う中野のとなりには、こちらも女のような顔の男が寄り添って座っている。
女に飽きて男に手を出してその快楽にふけっている中野の、恋人というのかパートナーというか、どう呼んでいいのかわからない後藤実玖。
利休が美人ならこちらは可愛いと表現できるタイプが違う女顔。

「藤堂、そんなに関心あるの?」
じっと画面を見ていた藤堂に中野がからかいの声をかけた。
小さく頷きながらゆっくり画面から目をそらす。
「もし見かけたら話しかけてみようぜ。杏里、今どこにいるかわかるか?」
「もう移動してる。でもどこに行くのかしら」
白髪の女が自身のスマホ画面を見ながら首をかしげる。

ほかの席の客たちも酒が回ってやかましくなってきた。
芸能人も訪れる店で、後々犯罪者と一緒に写る写真が暴露されてスキャンダルになる事になる人間もいるがそれはまだ先の話で、今は無法地帯の街、店、そして人間たちが欲望の渦を作り出していびつな世界を造っていた。

それは砂の城だ。すぐに消えるとわかっているから青年たちは刹那的に快楽を貪る。
そんな中にひとつ、利休という謎の人間の噂が投下された。

SNSで情報が走る。

本人はどう思っているのだろう。
自分がそんな扱いを受けていることを知っているのだろうか。
ボックスの隅の席で、氷が溶けて薄くなっていくウイスキーの水割りを眺めながら藤堂はいろんな事を考えた。

「いらっしゃいませ」
カウンターの中にいたマスターの声になんとなく顔を上げる。
重たいドアを押して黒い巻きスカートに肩から小さな鞄をかけた人間が入ってきた。
噂の利休だった。
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