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美しい人
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その男はスカートの裾を踏まないように気をつけながらカウンターの椅子に座った。
メニュー表を開いて料金とシステムを説明しているマスターの話を聞きながらオーダーして小さなバッグを背中と椅子の間にはさむ。
ほかの連中は騒いでいて利休が店に入ってきたことにまだ気がついていない。
ひとり杏里だけが「あれってもしかして…」と言って隣の藤堂に囁いた。
その間、魂が抜かれたように藤堂は利休の動きを眺めていた。
カウンターの照明に照らされた横顔は画質の悪い写メと比べるとまるで別人で美しく映える。
「藤堂さん、話しかけて足止めしてよ。情報拡散するから」
スマホを操作しながら杏里が無理な注文をしてくる。
断りきれず、自分の水割りグラスを持って利休の座るカウンターに向かっていった。
後から思えば、この時すでに利休に心を奪われていたのかもしれない。
杏里に頼まれたというのを口実に話しかけるチャンスをもらった。
自分に近づいてくる人間に気がついて利休が藤堂に視線を向けた。
「隣、いい?」
困った顔をしながらおずおずと聞いてみる。
「…どうぞ」
綺麗な形の眉をゆがめながら、それでも追い払うことはなく利休は隣に座ることを許してくれた。
そのあたりでほかの客たちも利休がいることに気がついて店内がざわつく。
何よりいつもおとなしい藤堂が積極的に動いたことに中野は驚いていた。
マスターは利休の前にブランデーのロックとチェイサーを置いて、藤堂にはコースターと新しいおしぼりを出して離れていく。
「今ちょうど君のことが話題になっていたんだ」
何を話していいかわからずとりあえず本当のことを言うと、利休は小さく舌打ちした。
「田舎の煩わしさから逃げてきたのに東京もなんや狭い社会やな、あほらし」
噂通り関西出身のようだが、テレビで耳にするお笑い芸人のイントネーションよりは弱い感じに聞こえた。
美しい顔から悪態をつかれてイメージのアンバランスに戸惑う。
「あんたら何の集団なん?」
後ろのボックス席をちらりと見て利休のほうから話しかけてきた。
「何だろう、俺もよくわからない」
「あの真ん中の偉そうな男は?」
「リーダーの中野考だ。俺は藤堂信二」
「ふうん」
後ろに視線を向けることはないが、利休の興味は自分ではなく中野のほうらしい。
まあいきなり隣に座って話しかけてきたら女の一人飲みと勘違いした馬鹿な男としか思われないだろう。
「あんた落ち着いてるね」
会話が続かずどうしようと動揺していた藤堂に利休は的はずれなことを言ってきた。
「緊張してる」
「顔に出ないのは損やな」
そう言いながら利休はさりげない仕草で曲がっていた藤堂のネクタイの位置を直す。
藤堂は全身の鼓動が跳ねた。
酒が入ったせいか利休の表情が少し柔らかくなった気がする。
「…ありがとう」
硬直して動けない藤堂を横目に、利休は柔らかそうな唇をグラスに当てて琥珀色の酒を口に含んだ。
「今日は何軒はしごするの?」
「なんで?」
「みんな君を探すゲームを楽しんでる。次はどこに現れるかって」
「いま2軒目。今月はこのビルを上から制覇していこっかな。普段はガールズバー出没率高いよ」
そうだった。忘れていたが利休は男だった。
女の子のいる店に飲みに行くのは変なことじゃない。
「可愛い女の子いる?」
誰か目当ての女がいるのか藤堂は妙に気になった。
利休は藤堂のほうに身を乗り出してにやりと意地悪い笑顔を作る。
「僕が一番カワイイ」
そう言って藤堂の腕に頭を擦り付けて低い声で笑っていた。
杏里が情報を拡散してから随分時間が経ったと思うが、誰も店を訪れない。
さすがにここは治安が悪いから一般人は近寄らないかと思っていると、藤堂はこつん、と足を軽く蹴られた。
「下まで送ってよ」
密着した利休から甘ったるい酒と香水の匂いが漂った。
藤堂が差し出す手に指を乗せて椅子から降りると1万円を一枚カウンターに置いて鞄を斜めにかける。
ロック1杯にそんな値段しないだろと驚いていると案の定マスターが慌てて走ってきて階段の前で捕まった。
「細かいの持ってないから」
利休は固辞するがマスターはお釣りを持ってきて利休の手に握らせた。
「ごちそうさま」
律儀な主人に驚いたのか、利休は困ったような笑顔を浮かべて階段を降り始めた。
「エレベーターじゃないのか?」
「待てへん」
カツカツとヒールの音を響かせて狭い階段を降りていく。
藤堂が追いつくと利休はするりと腕を絡ませてきた。
あざといのか自然とやっているのか藤堂にはわからない。
女にこんなことをされるのは嬉しいが見た目が美人だからといっても彼は男性で反応に困る。
どうもこの男はうろたえる様子を楽しんでわざとやっているようだった。だから目立つように動いて、噂をばらまかれても面白がっている。
「気をつけてな」
「男だもん、平気。みんな僕のこと知ってるから逆に安全や。またね藤堂さん」
ふわりと手をふって利休は去っていく。
名前をおぼえてくれていたことに驚いた。
色が少し抜けた茶髪を指でばさばさと崩すと、利休の香水の匂いが移っていることに気が付く。
本名を聞くのを忘れたが、また会えるだろうと思って店に戻った。
メニュー表を開いて料金とシステムを説明しているマスターの話を聞きながらオーダーして小さなバッグを背中と椅子の間にはさむ。
ほかの連中は騒いでいて利休が店に入ってきたことにまだ気がついていない。
ひとり杏里だけが「あれってもしかして…」と言って隣の藤堂に囁いた。
その間、魂が抜かれたように藤堂は利休の動きを眺めていた。
カウンターの照明に照らされた横顔は画質の悪い写メと比べるとまるで別人で美しく映える。
「藤堂さん、話しかけて足止めしてよ。情報拡散するから」
スマホを操作しながら杏里が無理な注文をしてくる。
断りきれず、自分の水割りグラスを持って利休の座るカウンターに向かっていった。
後から思えば、この時すでに利休に心を奪われていたのかもしれない。
杏里に頼まれたというのを口実に話しかけるチャンスをもらった。
自分に近づいてくる人間に気がついて利休が藤堂に視線を向けた。
「隣、いい?」
困った顔をしながらおずおずと聞いてみる。
「…どうぞ」
綺麗な形の眉をゆがめながら、それでも追い払うことはなく利休は隣に座ることを許してくれた。
そのあたりでほかの客たちも利休がいることに気がついて店内がざわつく。
何よりいつもおとなしい藤堂が積極的に動いたことに中野は驚いていた。
マスターは利休の前にブランデーのロックとチェイサーを置いて、藤堂にはコースターと新しいおしぼりを出して離れていく。
「今ちょうど君のことが話題になっていたんだ」
何を話していいかわからずとりあえず本当のことを言うと、利休は小さく舌打ちした。
「田舎の煩わしさから逃げてきたのに東京もなんや狭い社会やな、あほらし」
噂通り関西出身のようだが、テレビで耳にするお笑い芸人のイントネーションよりは弱い感じに聞こえた。
美しい顔から悪態をつかれてイメージのアンバランスに戸惑う。
「あんたら何の集団なん?」
後ろのボックス席をちらりと見て利休のほうから話しかけてきた。
「何だろう、俺もよくわからない」
「あの真ん中の偉そうな男は?」
「リーダーの中野考だ。俺は藤堂信二」
「ふうん」
後ろに視線を向けることはないが、利休の興味は自分ではなく中野のほうらしい。
まあいきなり隣に座って話しかけてきたら女の一人飲みと勘違いした馬鹿な男としか思われないだろう。
「あんた落ち着いてるね」
会話が続かずどうしようと動揺していた藤堂に利休は的はずれなことを言ってきた。
「緊張してる」
「顔に出ないのは損やな」
そう言いながら利休はさりげない仕草で曲がっていた藤堂のネクタイの位置を直す。
藤堂は全身の鼓動が跳ねた。
酒が入ったせいか利休の表情が少し柔らかくなった気がする。
「…ありがとう」
硬直して動けない藤堂を横目に、利休は柔らかそうな唇をグラスに当てて琥珀色の酒を口に含んだ。
「今日は何軒はしごするの?」
「なんで?」
「みんな君を探すゲームを楽しんでる。次はどこに現れるかって」
「いま2軒目。今月はこのビルを上から制覇していこっかな。普段はガールズバー出没率高いよ」
そうだった。忘れていたが利休は男だった。
女の子のいる店に飲みに行くのは変なことじゃない。
「可愛い女の子いる?」
誰か目当ての女がいるのか藤堂は妙に気になった。
利休は藤堂のほうに身を乗り出してにやりと意地悪い笑顔を作る。
「僕が一番カワイイ」
そう言って藤堂の腕に頭を擦り付けて低い声で笑っていた。
杏里が情報を拡散してから随分時間が経ったと思うが、誰も店を訪れない。
さすがにここは治安が悪いから一般人は近寄らないかと思っていると、藤堂はこつん、と足を軽く蹴られた。
「下まで送ってよ」
密着した利休から甘ったるい酒と香水の匂いが漂った。
藤堂が差し出す手に指を乗せて椅子から降りると1万円を一枚カウンターに置いて鞄を斜めにかける。
ロック1杯にそんな値段しないだろと驚いていると案の定マスターが慌てて走ってきて階段の前で捕まった。
「細かいの持ってないから」
利休は固辞するがマスターはお釣りを持ってきて利休の手に握らせた。
「ごちそうさま」
律儀な主人に驚いたのか、利休は困ったような笑顔を浮かべて階段を降り始めた。
「エレベーターじゃないのか?」
「待てへん」
カツカツとヒールの音を響かせて狭い階段を降りていく。
藤堂が追いつくと利休はするりと腕を絡ませてきた。
あざといのか自然とやっているのか藤堂にはわからない。
女にこんなことをされるのは嬉しいが見た目が美人だからといっても彼は男性で反応に困る。
どうもこの男はうろたえる様子を楽しんでわざとやっているようだった。だから目立つように動いて、噂をばらまかれても面白がっている。
「気をつけてな」
「男だもん、平気。みんな僕のこと知ってるから逆に安全や。またね藤堂さん」
ふわりと手をふって利休は去っていく。
名前をおぼえてくれていたことに驚いた。
色が少し抜けた茶髪を指でばさばさと崩すと、利休の香水の匂いが移っていることに気が付く。
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