毒姫達の死行情動

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エピローグ

必ず届くと信じて

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 窓から差し込む陽の光が部屋内を照らす。ぶつぶつと何かを呟きながら、重い瞼をこすり意識を覚醒させた弥夜。昼寝をしてしまっていたことに気付いた彼女は布団を脱ぎ捨て、勢い良く上半身を起こして慌てて周囲を見回した。  

「やっと起きましたか。もうお昼を回っていますよ」

 弥夜が纏うのは灰色のフード付きパーカー。茉白がここでよく着ていたものであり、中央に描かれた蛇が舌を突き出して存在感を主張している。

「少し寝過ぎちゃった。夜羅こそ、ほとんど寝てないんじゃない?」

「そうですね。貴方によだれを垂らされ、抱き枕にされ、布団を独り占めされ、挙句の果てにはベッドから蹴り落とされましたから」

「えへへ、ごめんなさい」

 気まずそうに視線が右往左往する。ベッドの温もりに未練を抱きながら起き上がった弥夜は、テーブルを挟んだ夜羅の向かいに可愛らしく座り込んだ。

「冗談ですよ、気にしていません」

「……以後気を付けます」

 夜羅の膝の上には、茉白が何度か抱いていたひよこのぬいぐるみが座っている。つぶらな瞳が弥夜を映して愛くるしく煌めいていた。あれから二週間と少し。心に負った深い傷を癒す為に、二人は共に生活を営んでいた。

「コーヒーを淹れますが、要りますか?」

「要ります。とにかく甘いやつでお願いします」

「砂糖は切らしました」
 
「え、まじ!?」

 口元に手を当てて大袈裟に驚く動作。その際、明後日の方向を向いた寝癖がふわりと宙で遊ぶ。急に身体を動かしたことにより傷口が痛みを主張し、それを切っ掛けに二週間前の記憶が思い起こされた。無意識に潤む瞳。食い縛られた歯が、それ以上先の感情の決壊を堪えていることを代弁する。優しさから気付かない振りをした夜羅はひよこのぬいぐるみを弥夜に託し、コーヒーを淹れる為にキッチンへと向かう。悟られないよう僅かに鼻をすする夜羅もまた、背を向けて瞳を潤ませていた。

「一息ついたら外へ出ましょうか。傷に触らない程度に、少し歩いて身体を動かしましょう」

「うん……そうしよう」

 肯定と共に強く抱き締められたぬいぐるみが、腕の中で歪に形を変えた。

「タナトスの目的が世間に知られ、能力者達が至る所で私達に協力をしてくれた。救いの街へ乗り込んで来たり、特別警戒区域アリスでは援護をしてくれたり、彼等なくして私達に勝算は無かったでしょう」

「あれ以来、能力者による身勝手な暴動や殺人が嘘のように激減したもんね。人で在ることの大切さ、儚さ、弱さ、こんな世界でも命は一つであり尊いということ……解ってくれたような気がして嬉しかった。真偽は定かではないけれどね」

 夜羅の相槌と共にテーブルに運ばれて来た二つのマグカップ。淹れたてのコーヒーから香ばしい香りと湯気が立ち上る。お礼を言い口をつけた弥夜は、ブラックコーヒーの苦さに舌先を突き出す。対する夜羅は何食わぬ顔で深い苦味を堪能していた。強がった弥夜はバレているとも知らずに、あくまで苦いのは大好きだよと言わんばかりにすすり続けた。

「貴女が言っていたでしょう、“明けない夜はない”と。きっと……この国に夜明けが近付いているのですよ」

「茉白の居ない世界なんて綺麗けがれているけれどね」

「争いは激減。この国は平和で綺麗になりつつありますが、私達からすれば穢れている……本当に皮肉なものです」

 コーヒーを飲み終えて一息ついた頃、弥夜が何かを思い出したように両手を合わせる。

「夜羅、紙とペン貸してくれない?」

「それは構いませんが何に使うのです?」

「ちょっと、ね」

 不思議がりながらも夜羅が持ってきたのは、舌を突き出した紫色の蛇が隅っこに描かれた便箋びんせん。デザインを突っ込まれることを恐れたのか「これは私ではなく兄のセンスです」と先手が打たれた。

「ありがとう、可愛い便箋だね。この悪そうな顔の蛇、茉白みたい」

「言われてみれば。憎たらしさもそっくりですね」

 しばらく悩んだ後に一度だけ大きく頷いた弥夜は、さらさらとペン先を走らせる。羅列されていく文字、紙を隔てたペン先とテーブルがぶつかり合う小気味の良い音。五分ほどで何かを書き綴り終えたのか、静かにペンが置かれた。

「よし、完璧」

 手を打ち鳴らしての自画自賛。三つ折りになった紙が懐にしまい込まれた。それから少しして外へと出掛けた二人は行く宛もなく街を歩く。人通りは以前に比べても多く、平和へと向き始めた国を代弁するようだった。

「人、増えたね」

「良い傾向では? 戦わないで済む世の中になるのなら、それに越したことはありません」

「出来れば能力者だという事実も隠したいのだけれど、さすがにそれは無理だよねえ」

「至る所で目撃されましたし、知っている人が多過ぎますからね」

 肌を撫でる冷たい風。冬の入口は間近であり、何度かくしゃみをした弥夜は鼻水を垂らす。夜羅により差し出されたポケットティッシュを受け取った彼女は、そのまま大きな音を立てて豪快に鼻をかんだ。

「夜葉に女の子らしくないとかよく怒っていた割には、女の子らしくない鼻のかみ方ですね」

「背に腹は代えられないからね」

「……よく解りませんが」

 辺りは戦闘により崩壊した建物や、逆に無傷の建物が不規則に並ぶ。別世界をくっつけ合わせたような歪な光景ではあるものの、このチグハグを皮切りにこれからは良くなる一方だろうと、二人は未来への想いを馳せた。

「タナトスの残党が現れたら、また戦うことになるのかな。二人とも顔も割れているしね」

「タナトスももう潮時でしょう。仮に出くわしたとして、彼等にはもう私達を襲撃する目的がない。東雲や蓮城や如月、そして桐華。幹部連中はみな死に、計画の核であった久遠 アリスももうこの世には存在しない」

「……そうだね。そう信じよう」

 二人が戦いにより負った傷は完治しておらず、声には出さないものの、互いが互いを気遣いながら歩幅を合わせる。大通りを越え細道へと差し掛かった頃、突如として夜羅が脚を止めた。

「……柊」

 消え入りそうな声での呼び掛け。弥夜が振り返った際に一際強い風が吹き、髪を押さえた彼女は小さく首を傾げる。微かに俯く夜羅を心配するような視線が向いた。

「夜羅? どうしたの?」

 葉の数を減らした木々が風にそよいで揺れる。寒空の元で奏でられる自然の調べ。顔を上げた夜羅は、真剣な表情で真っ直ぐに視線を合わせた。

「貴女に伝えたいことがあります」

 覚悟を決めた、落ち着き払った声だった。

「伝えたいこと?」

「特別警戒区域アリスにおいて……夜葉から貴女へ伝えるようにと預かった言葉です」

 短い声を漏らす弥夜。特別警報区域アリスでの記憶が即座に蘇り、固まった表情が期待と不安を代弁する。破滅の街へと至る前、引き裂かれるような想いで茉白と別れた場所。求めるように伸ばされかけた手が、理性と葛藤して力を失った。

「……茉白は何て言ったの?」

「たった一言、不器用な夜葉らしい言葉でした。そのままの言葉で伝えます」

 紡がれるまでの間がまるで永遠のよう。全ての音を失った世界に取り残された弥夜は、相方の言葉を一言一句聞き逃さない為に、周囲の雑踏でさえも遮断して全神経を集中させる。

「お前がうちの生きる理由だった。生きる理由を見付けてくれてありがとう……大好き、弥夜」

 刹那。しまい込んだはずの、圧し殺したはずの、何度も言い聞かせたはずの想いが音を立てて弾ける。全ての感情が毒のように全身を駆け巡り、それはやがて喉奥を突き抜けて瞳へと至る。曖昧になる理性。決して消えることの無い灼熱の炎に蝕まれたように、身体の奥底にへばり付いた本能が痛みを発した。跳ね上がる鼓動、想い出が揺り返す胸奥。力が抜けてその場に座り込んだ弥夜は、人目をはばからず慟哭した。

「柊……!!」

 震える声ですぐさま寄り添う夜羅。感情の底に堕ちてしまわないように名を呼びながら屈み込んだ彼女は、弥夜と目線の高さを合わせて力強く抱擁する。言葉などという野暮な手段は用いず、ただ静かに、それでいて涙を零しながら、己の全てを以てして抱き締めた。

 皮肉にも空は快晴で。

 通り行く者達は各々に二人を見ては通り過ぎる。立ち止まる者は誰一人として存在しない。二人の少女、世界へと夜明けを齎したはずのたった二人の少女。本来ならばもう一人居たはずのこの場所に、今はたった二人だけ。

「夜羅……私……私……取り返しのつかないことを……!!」 

 過呼吸のように乱れる吐息。付きっ切りで介抱した夜羅のおかげか、慟哭していた弥夜は次第に落ち着きを取り戻し始める。胸中の全てをさらけ出した弥夜は疲弊しており、夜羅の胸元に頭を預けていた。

「ねえ夜羅、私達……一体何の為に戦ったんだろうね」

「以前話した通りです。本当は解っているのでしょう?」

 夜羅の腕の中で大きく頷いた弥夜。

「私達を護りたいという茉白の願いを叶える為、私達に生きて欲しいと願う茉白の想いを踏み躙らない為」

「……相違ありません」

 囁くような優しい肯定だった。

「私がこの伝言を貴女に伝えたということは、夜葉が死ぬ選択をした際にそれを認めたということ。だから私は……貴女に謝らなければなりません」

「ううん、謝らないで。一番辛い役目をさせてごめん。死ぬと決めた茉白からの言葉。それを受け取り、認めることがどれほど辛いか。その気持ちが軽々しく解るとは言えないけれど、きっと夜羅も……張り裂けそうな想いの中、私の元へ来てくれたんだよね」

 夜羅の脳内に、特別警戒区域アリスで交わした茉白との会話がぎる。



『────と弥夜に伝えてくれ』

『嫌です、訊けません。それを了承してしまえば私は……貴女が死ぬのを認めることになる!!』

『うちの最初で最期の我儘だ』

『最期だなんて言わないで下さい。私達は死ぬ為に戦って来た。でも……こんなのあんまりでしょう!! 共に生きると約束しただろ!! 生きることから逃げるなよ……夜葉!!』

『……いいから聞けよ稀崎!! お前は以前、うちを失いたくないと言ってくれたな。それはうちも同じなんだよ!! お前等を死なせたくないんだよ……!!』



 ──ちゃんと伝えましたよ、夜葉。今回は貸しにしておいてあげます。必ず返してもらいますからね。



「そうですね。張り裂けそうな想いの中、貴女の元へと帰りました」

 零れ落ちる涙を拭うことすらせず、夜羅は感情に身を任せて胸中を晒す。仲間の死を認め伝言を持ち帰り、結末を知っていながら全てが終わるまでは胸の内に秘めておく。夜羅にとってそれはとても辛く、怖く、引き裂かれた胸の傷を灼かれ続けているような痛みだった。

「夜羅……ありがとう……ごめんね……」

 今度は弥夜が強く抱き締めた。絶対に離さまいと回される腕。すぐ近くに感じる肌の温もりが夜羅の心を幾らか鎮める。

「もしもあの時、無理矢理にでも夜葉を止めていたら……私達の未来は変わっていたのでしょうか」

 無気力に仰がれる虚空。荒む感情とは真逆の優しい陽射しが降り注ぐ。鳥達のさえずりを聞きながら視線を落とした弥夜は小さく首を横に振った。

「ううん……変わらなかった。解毒方法も無い、助ける方法も解らない。延命は時として残酷になる。私達の我儘でそれをしてしまえば……きっと茉白を苦しめた」
 
「確かに貴女の言う通りです。夜葉は、“うちがうちである内に……綺麗なままで逝かせてくれ”と言いました。これで良かったとは言えませんが、この国や世界にとっては最善の選択となったことでしょう」

 二人にとっては穢れた世界であっても、人々にとっては綺麗な世界。それは皮肉な現実。だがそれでも、世界は誰しもに等しくまわる。

「後は、柊のことを護ってやってくれと頼まれました」

「私も言われたよ。夜羅は絶対に裏切らないから、何があっても失うなと」

「全く……夜葉ときたら不器用なんですから」

 いがみ合っていた頃から現在まで、茉白との想い出が無意識に蘇る。口数の少なかった茉白がこうして想いを伝えること。本来なら考えられなかった良い意味での変化が、記憶を追体験していた夜羅の口元を緩ませた。

「私の最高の相方だもん。優しいし強いしかっこいいし可愛い」

「本人が聞いたらどう言うでしょうね」

「……うっざ。だろうね」

「でしょうね。ネイルをしてもらうという約束は破られてしまいました」

「同じく手料理を振舞ってもらう約束、破られちゃった。来世に持ち越しだってさ。夜羅の分も持ち越しだね」

 苦笑いしながら「だからね?」と続けた弥夜は静かに立ち上がり手を差し伸べる。色白の細い手を握り返した夜羅。確かに繋がれた手の温もりが荒んだ心に染み入る。倣って立ち上がった彼女は、歩き始めた弥夜の隣に並んで歩幅を合わせた。

「茉白と約束したんだ。生まれ変わった世界でまた会おうって。今度は戦いの無い世界で、普通の女の子としてね」

「とても素敵な約束ですね」

「えへへ。今度はうちの方が先輩だなって言ってた。夜羅とは未来でも同期がいいなあ」

「私達はともかく、夜葉が先輩だと色々と苦労しそうですね」

「大丈夫だよ、口や足癖は悪いけれど……内面はきっと優しいから」

 流れる優しい時間に顔を見合せて微笑み合う。背を追い掛けて来る想い出に縋っていた両者だが、淀みを無くした瞳が見据えているのは未来そのもの。自分達が選び取った世界で生きることを、二人は今一度心に決めた。

「ゆずにも、戦いの結末を伝えに行かなければなりませんね」

「タナトスが勝てば能力者は死に絶え、あの世で親友に会える。瑠璃はそう言っていたね」

「大丈夫ですよ。私達が勝った場合も恨まないでいてくれると、貴女と廃学校を訪れた際に約束してくれましたから」

「……そうだったね。助けに来てくれたのは驚いたけれど、改めてお礼も言いたいよ。瑠璃が居なければ私も死んでいたから」

 手を後ろで組む弥夜。虚空に向いた視線が自由気ままに流れる雲を追う。世界を目一杯に取り込んだ銀色の瞳が、空の青に負けないくらい綺麗な色をしていた。

「優來や貴女のお兄さんも報われたかな……」

「ええ、きっと」

「破滅の街を脱出する時に夜羅が言ってくれたもんね。きっとまた笑顔になれる日が来るって」

「はい。今は苦しくとも前を向いて歩いて行きましょう。私達は色んな人に助けられて此処に居る。その人達に恥じぬよう、一歩ずつ着実に。その先にきっと……笑顔になれる日が来ますから」

 優しく囁いた夜羅は何かを思い出したように足を止める。巡る季節は早いもので秋も終盤であり、立ち止まった際に踏み締められた落ち葉が小気味の良い音を奏でて割れた。

「そういえば、先ほどは何を書いていたのです?」

「……知りたい?」

「差し支えがなければ、訊いても?」

「笑わないでね」

 懐から取り出された三つ折りの紙。見せることに対する恥ずかしさが勝るのか、弥夜の頬がほんのりと紅潮する。

「私ね? さっきお昼寝している間に夢を見たの。茉白や夜羅、そして瑠璃。皆と一緒に戦いのない世界を生きていた。私達は……普通の女の子をしていた。現実逃避かもしれないけれど、ただの憧憬かもしれないけれど、何処か別の世界で会えていたらと願ってしまった」

「何もおかしくはありませんよ。争いを望まないのは人の本質ですから」

「……うん、ありがとう。だからね?」

 取り出した紙を手にして、夜羅の元に身を寄せる弥夜。頭がぴったりとくっつき艶のある髪同士が触れ合う。肉薄した柔肌に、二人はどちらからともなく優しく微笑んだ。

「必ず届くと信じてお手紙書いたの……茉白宛に」

 紙を丁寧に広げて中身が晒される。感情を落とし込むように書き綴られた文字の羅列。視線を落とした夜羅は内容を確認しようと試みる。瞬間、冬を告げる如く冷たい風が吹き抜けた。

「あっ……!!」
 
 風が手紙をさらう。落ち葉と共に優雅に舞い上がる手紙。追い掛けようと足を踏み出した弥夜は、何を思ったのか表情を緩めて立ち止まった。

「いいのですか? せっかく書いたお手紙でしょう」

「受け取ってくれたんだよ。この風が……きっと茉白の元へと運んでくれる」

「……素敵な解釈です」

「お返事……来るかな……? 私、いつまでも待つからさ……来るかな……?」

 僅かに震える声。胸中を察した夜羅は、空を見上げる弥夜の肩に優しく手を置く。手紙は遥か彼方へと舞い上がり既に目視すら叶わない。きっと茉白の元へと届きますようにと、瞑目した弥夜が強く願った。

「夜葉のことですから、恐らく気分次第でしょう」

「茉白らしいね」

「そういえば何て書いてあったのです? 中身を確認する前に風に飛ばされてしまいました」

 首を傾げる夜羅に対し、僅かに頬を赤らめた弥夜が小さく笑みを零す。優しい優しい微笑みに、これからの未来に対する希望を込めて。

「あのね? 手紙の中身は──」
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