黒衣の将軍と竜神の花嫁

ほづみ

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46.アイリーンの秘密 1

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 一方その頃、父たる皇帝に呼ばれたジェラルドは宮殿内部、謁見の間に向かって歩いていた。
 すぐ来いと呼びつけたくせに、待たされること数時間。謁見の間に呼び出されたのは夕刻が近づく時間だった。

 ――ふざけているのか。試しているのか。

 案内の若い兵士に続いて歩く。たどり着いた謁見の間の扉を衛兵が重々しく開く。作法に則り剣を外して預け、ジェラルドは謁見の間に踏み込んだ。
 実の父子であっても皇帝はジェラルドを息子ではなく一将軍として扱う。皇帝には何十人と皇子皇女がいるが、ほとんどが部下のような扱いだった。そして皇帝の子どもたちは全員、皇帝の駒だ。

 お気に入りの数人を除けば意思など関係なく、都合よく扱われる。それがいやなら実力で居場所を勝ち取り、皇帝が無視できない何者かになるしかない。……ジェラルドの場合は、やや失敗したと言えるかもしれない。警戒されてしまっているから。
 ジェラルドは皇帝より一段低い場所で片膝をつき頭を垂れて、皇帝が現れるのを待つ。これが謁見の形式だからだ。
 謁見までは待たされたが、謁見の間に通されてからはしばらくもしないうちに荒々しい足音が近づいてくる。

「竜族のあの娘。検査した女官たちは問題があるので余の側に上げるべきではないと言い、おまえもそれに同意し、身柄を預かったんだったな」

 謁見の間に姿を現すなり挨拶もなしに、父である皇帝はジェラルドにそう問うた。

「おまえは知っていたのか。あの娘が竜神の花嫁であると」
「竜神の花嫁?」

 ジェラルドは頭を上げて思わず聞き返す。どこかで聞いた言葉だ。どこで聞いた言葉だったか。
 皇帝はギラギラと光る目でジェラルドを睨みつけた。
 この国の最高権力者。皇帝の座に就く前から目障りな存在を消し続け、周囲を命令に全く逆らわない人間で固めている男。胸に一物ある人間は多いが誰も何も言い出せないのは、粛清が本人だけでなく親類縁者にまで及ぶからだ。それも見せしめのために公開処刑される。

 この男に逆らうためには、この男が無視できないような大きな力を手に入れるしかない。
 今はまだ早い。その時期ではない。
 しかしどう動くべきなのか、ジェラルドも考えあぐねていた。
 逆らわなければ生活は保障される。守るべき人々のことを考えれば従順にしているほうがいい……だが。

「少し前に竜族の使者がのこのこ余のもとにやってきて、娘が病を得ている可能性があるから国に戻して療養させたいと言う。おまえが連れていったと知ったら慌てておった。そこでピンときたのだ。あの娘はただの出来損ないなどではない。おまえたちは余に何か隠している、とな」

 皇帝が油断のならない目付きでジェラルドを見る。
 六十が近いが髪は黒く眼光も鋭く、堂々とした体躯で見る者を威圧する。客観的に見ても、自分は父と似ている、と思う。そして亡き伯父と父の見た目は、よく似ていたらしい。年も近かったので、常に比べられ続けてきたという話だった。

 厄介なのは、父の目にジェラルドは、息子ではなく謀略の果てに葬った兄――その亡霊に見えているらしいことである。
 伯父を謀殺して以降、伯父を知る廷臣たちが「ウォルド様が皇帝の座に就いておられたなら」と思っていることに父は気づいている。ゆえに、父の前で伯父ウォルドの名は禁忌でもある。

 顔は似ていても、伯父と父は正反対の性格をしていたようだ。
 ジェラルド自身も、見たこともない伯父が皇帝の座に就いていればこの国はもう少し違っていたのではないかと思う。どう違っていたかはわからないが、少なくとも多くの人が証拠もない反逆罪の名のもとに公開処刑されることはなかっただろう。

「少々痛めつけたら、いろいろ吐きおったわ。現在、竜の国を守る竜神の力が弱まっており、その竜神に力を取り戻せるのが竜神の花嫁という特別な娘である、と。あの娘が余に献上されたあと、特別な存在だとわかったので取り返したいと。つがいがいない者は二十歳までしか生きられないから、早めに連れ帰りたいと。代わりに女王を差し出すと言い出しおったが、であれば最初から女王を差し出しておればいいものを。まったく舐めた真似をしてくれる」

 二十歳。
 皇帝の言葉に、ジェラルドの中で何かがかちりとはまった。

 ――アイリーンも二十歳まで時間がないと言っていた。

 アイリーンがジェラルドに明かしていない憂い。おそらくこのことだろう。あの若さで余命を宣告されたのなら、誰でも心が荒れるに違いない。
 竜族は、つがいを得て大人になる。だがアイリーンにはつがいがいない。誰にも必要とされない寂しさに加え、二十歳までしか生きられない運命なんて。アイリーンが何をしたというのだ。どうして神は、あの美しい少女にそんな悲しい運命を与える?
 そしてアイリーンの憂いを帯びた瞳を見ればわかる。

 ――アイリーンは自分の運命をすべて知っている。

 アイリーンは十九歳。二十歳までどんなに多く見積もっても一年しかない。人質になれば故郷に戻ることなど望めない。女王である姉は、国を離れることはできない。
 アイリーンに初めて会った時、彼女は姉を守るために飛び出してきた。その様子から、姉妹仲がいいことがわかる。アイリーンがエルヴィラの代わりに帝国に嫁ぐことにしたのは、姉を守りたい一心からだろう。
 生きて帰れないとわかっていながら、アイリーンは姉の身代わりになることを選んだのだ。
 彼女の運命の重さ、彼女の覚悟のほどを、わかっていなかった。
 知っていたら……。

 ――知っていたら? 俺に何ができるというのだろう。

 ジェラルドは拳を握り締めた。一刻も早く帰って、アイリーンに会いたい。

「竜の国の女王猊下は、祭祀をつかさどる存在ゆえに、国から離れることができないのです。ゆえに女王猊下の妹を代わりに連れて来ることになったのです」

 ジェラルドの説明に、皇帝がフンと鼻を鳴らす。

「竜神の花嫁とは、竜神のつがいとなる娘のことだ。竜族はつがいを見つけて初めて大人になるそうだが、まれにつがいが見つからない者が現れる。竜神の力が弱まっている時に現れるつがいのいない娘……これが竜神の花嫁だ。女官に確認したところ、あの娘の体つきが幼いということだった」
「……それは、知りませんでした」

 ジェラルドは視線を下げ、呻くように答えを返した。

「そうであろうか? まあ、あの娘が竜神の花嫁とわかったのは、確かに竜の国を出たあとのようだが、竜族の血に不思議な力が宿るという噂くらいは聞いたことがあるであろう」

 竜の国を手に入れる際、人質として女王を指名したのは理由がある。女王は大切な存在だ、嫌がるようならそれを理由に竜の国に侵攻する。差し出すようなら、竜族の不思議な血を手に入れる。ここでいう「血を手に入れる」とは、女王に子どもを生ませることを指す。婚姻をもっていったん友好関係を築き、竜の国に帝国の人間を送り込んで言いなりにしていく。

 ジェラルドは戦場で過ごしたきた経験から、目に見えないものは信用しないことにしている。迷信などあてにしたら、戦況を見誤る。ジェラルドの判断に大勢の人の命がかかっているのだ。だから、竜の国との交渉の際、竜族に宿る不思議な力などは、あてにしなかった。

「女王がかの地を離れられないと知り、おまえはわざと出来損ないの妹を連れてきた。そして身体検査で不適合だと報告させ、余に不興を買わせ、おまえが身柄を預かる。あの時、おまえは必死にあの娘の命乞いをしていたな。竜の国など、我が帝国の前には塵に等しい。人質の娘一人を打ち首にした程度でどうということはないのに、だ。おまえは初めから出来損ないの竜族の娘を手に入れるつもりでいた。なぜか。余を出し抜くためであろう」
「……なぜ、陛下のお側にはふさわしくないとされた娘を引き取ることが、陛下を出し抜くことにつながるのです? 暁の帝国と竜の国の同盟のため、王族同士の婚姻が必要だから私が手を挙げただけ。竜の国の女王エルヴィラ猊下より、妹を頼むと申し付かっておりましたゆえ」
「その説明で余が納得するとでも? ヴァイスも同じ意見であったぞ。竜の国は、我が帝国と風の王国のちょうど中間地点にあり、あの場所を手に入れれば両国に睨みを利かせることができるな。ヴァイスの娘との縁談を頑なに拒んでいるところからしても、おまえの考えがわかるというもの」

 皇帝がジェラルドの考えなどお見通しだとばかりに、嘲りの色を浮かべる。アイリーンを引き取った際にヴァイス公爵からそう指摘されていた。
 今まで疑われないように従順に過ごしてきたというのに、皇帝の中でのジェラルドの評価はやはりそんなものか。今まで一度だって皇帝に意見などしたことはない。言われるがままに戦場に身を置いてきた。
 国のために尽くしてきた部分はまるで無視されていることに、憤りを覚える。

「……縁談に関しては、たまたま私とレティシア嬢の都合が合わなかっただけで、拒んでいるわけでは」
「ジェラルドよ、余はおまえを疑っている。おまえが余に対し不満を持っていることも知っている。そしておまえは、力を持ちすぎた」
「……」


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