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56.運命 1
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昔々、神々の末裔である一匹の竜が人間の娘に恋をした。
やがて二人の間に子どもが生まれる。竜の一族にも、人間にも歓迎されず、どちらの種族にも属することができない子どもたちが。
大人になるにはつがいが必要で、竜の血を持つ者以外には猛毒になってしまう血を持つ子どもたちが。
母となった人間の娘は、その子たちの未来を案じた。
父となった竜は「それならば」と、竜にも人にも見つからない山深い場所に子どもたちを住まわせ、時々迷い込む人間に竜の血を与えて子どもたちの「仲間」を増やしていった。
竜の血は猛毒だが、血以外の体液の毒性は弱い。血を与える前に、涙や、唾液など、血以外の体液を与えられて竜の血の毒に耐性を作っておけば、竜の血の力を受け取ることができる。ただむやみに竜の血に耐性がある者を作ってはいけないから、このことは始まりの二人以外は知らない事実。
時を経て、子どもたちのために作った里は大変賑やかになった。
『これでいいか』
その様子を見ながら、竜が妻に問う。
『今はよくても、ここは閉じられた場所。人の世で生きていけるようにしてあげることが、親の務めというもの』
妻が答える。
『私の血を受け継ぐ子はともかく、私が血を与えただけの者にはそれほど竜の力は宿ってはいない。時代を経ていけば竜の血は少しずつ薄まり、人に近づいていく。それまでは、私が子どもたちを見守ろう。すべての子たちに私の力を分け与え、子たちが暮らすこの場所を守り続けよう。人の世で生きていけるほど大人になるまで。だが大人になったと誰が判断する? 私にはその判断が難しい……人の世のことはわからぬ』
竜が言う。
『では私が、それを判断しましょう。子どもたちが人の世で生きていけるかどうか、あなたの見守りが必要か不要か。私が死んだあと、私の魂を転生させてください。百年に一度、私の目で見て確認してからあなたに報告しに行くわ』
妻が微笑む。
『私の力が必要かどうか判断するのは、別におまえでなくてもいいのではないか? 人の魂を転生させると、記憶を失う。私は、おまえがほかの男とつがうところは見たくない』
『あら、それは大丈夫よ。私の魂のつがいはあなただもの、私をつがいにできる男なんて現れないわ』
『百年に一度か。百年に一度、おまえは生まれ変わって私に会いにくるということだな? その時に子どもたちへの見守りが必要かどうか、教えてくれるというのだな?』
『子どもを見守るのが親の役目ですもの。そんなに長い時間ではないわ……子どもたちが大人になるまでの間のことよ』
妻の言葉に、竜が項垂れる。
『子どもたちのためとはいえ、一人で待つのはつらい。それに私の見守りがあることに慣れた子どもたちが、見守り不要かどうかなど、どうやって判断する?』
『そうね、では、百年に一度、あなたに会いに行く頃に、あなたの力を弱めてくださるかしら? あなたの力がない状態で子どもたちがどうするか、それを見て判断するわ。大人になっていれば、何が起きても立派に対応できるでしょう』
そう言って妻は項垂れた夫である竜を抱きしめる。
『私たちの気持ちが子どもたちを縛る呪いに変わる前に、私たちは子どもたちの手を離すべきよ。子どもたちの強さを信じましょう。きっと親の助けなどなくても、みんな生きていけるわ。大切なものを見つけて、大切なもののために、ね』
美しい湖のほとりにたたずむ一組の男女を、アイリーンはなぜか湖の上にぷかぷかと浮かびながら見つめていた。アイリーンの体が半透明なので、これが現実ではないということはわかる。
美しい湖、その向こうに見える急峻な峰々。ここはまぎれもなく竜の国だが、アイリーンの知る竜の国はもっと建物があるし、畑も人も多い。だからこれは、竜神の古い古い記憶。竜の国の始まりの記憶。
――竜神が言ってた血の祝福って、こういうことだったのか……。
アイリーンは竜神の記憶を眺めながら、一人納得していた。
ジェラルドがアイリーンの血に負けなかったのには、理由があった。体液ね。うん、そういや……うん、いろいろとね……覚えがありますね……。
ふと目をやると、竜とその妻の取り決めを聞いている者がいた。二人の子どもたちだ。
母が亡くなったあと、母の魂は百年ごとに生まれ変わる。そして父に見守りが必要か否かを伝えにいく。
竜の国は山岳地帯にあるとは思えないほど、穏やかで暖かな土地だ。辺鄙な場所にあるので大国に攻め込まれることもない。外との交流を制限しているので疫病も流行らない。もともと、この体は身体能力が高くて病気にもなりにくい。どれもこれもすべて、竜族の父たる竜神の血と加護のおかげ。加護の有無は死活問題。
目安は竜神の力が弱まる時。だからまれに生まれる竜神の声を聴きとれる娘を選び出し、「聞き取れない時期」を割り出すために使ってきた。そして竜神の声が聞き取れない時に生まれてきたつがいのいない娘を、ただちに湖に沈めてきた。
竜神に気づかれてはいけないから、その使命はごくごく限られた人だけに伝えられる。
女王と神官長だけが、残酷な使命を受け継いできた。
竜族を守るために。
――竜神は、千年の間、妻は会いに来なかったって言ってたな。声に気づいたのは僕だけだったって。こういうことだったんだなあ……。
竜神の花嫁は早々に見つけ出されて殺されてきたのだ。
ではなぜ、アイリーンは竜神の花嫁としてさっさと殺される運命から逃れられたのだろう?
やがて場面が転換する。
女王になりたてのエルヴィラが、神官長から「竜神の花嫁」について教えられている。ちょうど、エルヴィラがその百年に一度、竜神の花嫁が生まれる時期の女王に当たるから。
竜神の花嫁に関心を持ったエルヴィラが、古い時代の女王の記録を読み解いていく。
話を聞いた時は「そんなことがあるの」程度に思っていたようだ。そして神官長の話や古い記録通り、やがて竜神の声が聞こえなっていく。それだけなら女王の交代で終わるかもしれないが、時を置かずして現れるはずの次の女王が現れない。
ということは、これは自分の力が弱まったのではなく、竜神の声が弱まっているということ。
ああ、自分は竜神の花嫁を見送る女王なのだ。
そしてエルヴィラは、あることに気づく。
年頃になった自分のかわいい妹はまだ、つがいが見つかっていない。
まさか、そんな。
大丈夫よ。十八歳になるまでに見つかるはず。
でもアイリーンにはつがいが見つからない。もしこのまま見つからなかったら。そうなったら、エルヴィラの妹は、竜神の花嫁ということになってしまう。
だからエルヴィラは竜神の声が聞こえなくなっても、自分は聞こえると嘘をつきとおした。もし、そうだったらいけないから。もしそうなら、エルヴィラがアイリーンを湖に沈めなくてはいけないから。
――竜の国にいる時点で僕が竜神の花嫁だってわかっていたら、喜んで引き受けたと思うけどなぁ……。
アイリーンはそんなことを思ったが、エルヴィラはどうしてもいやだったのだろう。アイリーンは、エルヴィラに残された唯一の家族だから。
だがまあこれで、エルヴィラがアイリーンの運命に対して不安定になりやすい理由がわかった。
つがいがいない者はそれでなくても短命だ。
エルヴィラは竜神を相当に呪ったことだろう。
話の感じからして竜神は力が弱っているのではなく、わざと弱めているだけなので、案外エルヴィラの文句が全部聞こえていたのではないかという気もする。
ふと気づくと、景色が再び古い時代の湖に戻っている。
湖のほとりにいる女性が、アイリーンのほうを見ていた。藍色の髪の毛に藍色の瞳。エルヴィラによく似ているなあと、アイリーンは思った。一緒にいる男性は金色の髪の毛に赤い瞳をしているので、竜族の色は彼女から受け継がれたものらしい。そういえば夢で見た竜神は、赤い目に白銀のうろこをしていた。……人間の姿をしていても、わりとそのままなんだな……。
『私はそろそろ行くわ。夫とともに、夫の故郷である空の国へ。でもあなたは連れていかない。あなたは帰りなさい』
女性が空を指さす。釣られるように見上げたアイリーンの目に、太陽の光を受けて銀色にきらめく飛行艇が映った。
ああ、あれはジェラルドの飛行艇だ。
迎えに来てくれたんだ……。
やがて二人の間に子どもが生まれる。竜の一族にも、人間にも歓迎されず、どちらの種族にも属することができない子どもたちが。
大人になるにはつがいが必要で、竜の血を持つ者以外には猛毒になってしまう血を持つ子どもたちが。
母となった人間の娘は、その子たちの未来を案じた。
父となった竜は「それならば」と、竜にも人にも見つからない山深い場所に子どもたちを住まわせ、時々迷い込む人間に竜の血を与えて子どもたちの「仲間」を増やしていった。
竜の血は猛毒だが、血以外の体液の毒性は弱い。血を与える前に、涙や、唾液など、血以外の体液を与えられて竜の血の毒に耐性を作っておけば、竜の血の力を受け取ることができる。ただむやみに竜の血に耐性がある者を作ってはいけないから、このことは始まりの二人以外は知らない事実。
時を経て、子どもたちのために作った里は大変賑やかになった。
『これでいいか』
その様子を見ながら、竜が妻に問う。
『今はよくても、ここは閉じられた場所。人の世で生きていけるようにしてあげることが、親の務めというもの』
妻が答える。
『私の血を受け継ぐ子はともかく、私が血を与えただけの者にはそれほど竜の力は宿ってはいない。時代を経ていけば竜の血は少しずつ薄まり、人に近づいていく。それまでは、私が子どもたちを見守ろう。すべての子たちに私の力を分け与え、子たちが暮らすこの場所を守り続けよう。人の世で生きていけるほど大人になるまで。だが大人になったと誰が判断する? 私にはその判断が難しい……人の世のことはわからぬ』
竜が言う。
『では私が、それを判断しましょう。子どもたちが人の世で生きていけるかどうか、あなたの見守りが必要か不要か。私が死んだあと、私の魂を転生させてください。百年に一度、私の目で見て確認してからあなたに報告しに行くわ』
妻が微笑む。
『私の力が必要かどうか判断するのは、別におまえでなくてもいいのではないか? 人の魂を転生させると、記憶を失う。私は、おまえがほかの男とつがうところは見たくない』
『あら、それは大丈夫よ。私の魂のつがいはあなただもの、私をつがいにできる男なんて現れないわ』
『百年に一度か。百年に一度、おまえは生まれ変わって私に会いにくるということだな? その時に子どもたちへの見守りが必要かどうか、教えてくれるというのだな?』
『子どもを見守るのが親の役目ですもの。そんなに長い時間ではないわ……子どもたちが大人になるまでの間のことよ』
妻の言葉に、竜が項垂れる。
『子どもたちのためとはいえ、一人で待つのはつらい。それに私の見守りがあることに慣れた子どもたちが、見守り不要かどうかなど、どうやって判断する?』
『そうね、では、百年に一度、あなたに会いに行く頃に、あなたの力を弱めてくださるかしら? あなたの力がない状態で子どもたちがどうするか、それを見て判断するわ。大人になっていれば、何が起きても立派に対応できるでしょう』
そう言って妻は項垂れた夫である竜を抱きしめる。
『私たちの気持ちが子どもたちを縛る呪いに変わる前に、私たちは子どもたちの手を離すべきよ。子どもたちの強さを信じましょう。きっと親の助けなどなくても、みんな生きていけるわ。大切なものを見つけて、大切なもののために、ね』
美しい湖のほとりにたたずむ一組の男女を、アイリーンはなぜか湖の上にぷかぷかと浮かびながら見つめていた。アイリーンの体が半透明なので、これが現実ではないということはわかる。
美しい湖、その向こうに見える急峻な峰々。ここはまぎれもなく竜の国だが、アイリーンの知る竜の国はもっと建物があるし、畑も人も多い。だからこれは、竜神の古い古い記憶。竜の国の始まりの記憶。
――竜神が言ってた血の祝福って、こういうことだったのか……。
アイリーンは竜神の記憶を眺めながら、一人納得していた。
ジェラルドがアイリーンの血に負けなかったのには、理由があった。体液ね。うん、そういや……うん、いろいろとね……覚えがありますね……。
ふと目をやると、竜とその妻の取り決めを聞いている者がいた。二人の子どもたちだ。
母が亡くなったあと、母の魂は百年ごとに生まれ変わる。そして父に見守りが必要か否かを伝えにいく。
竜の国は山岳地帯にあるとは思えないほど、穏やかで暖かな土地だ。辺鄙な場所にあるので大国に攻め込まれることもない。外との交流を制限しているので疫病も流行らない。もともと、この体は身体能力が高くて病気にもなりにくい。どれもこれもすべて、竜族の父たる竜神の血と加護のおかげ。加護の有無は死活問題。
目安は竜神の力が弱まる時。だからまれに生まれる竜神の声を聴きとれる娘を選び出し、「聞き取れない時期」を割り出すために使ってきた。そして竜神の声が聞き取れない時に生まれてきたつがいのいない娘を、ただちに湖に沈めてきた。
竜神に気づかれてはいけないから、その使命はごくごく限られた人だけに伝えられる。
女王と神官長だけが、残酷な使命を受け継いできた。
竜族を守るために。
――竜神は、千年の間、妻は会いに来なかったって言ってたな。声に気づいたのは僕だけだったって。こういうことだったんだなあ……。
竜神の花嫁は早々に見つけ出されて殺されてきたのだ。
ではなぜ、アイリーンは竜神の花嫁としてさっさと殺される運命から逃れられたのだろう?
やがて場面が転換する。
女王になりたてのエルヴィラが、神官長から「竜神の花嫁」について教えられている。ちょうど、エルヴィラがその百年に一度、竜神の花嫁が生まれる時期の女王に当たるから。
竜神の花嫁に関心を持ったエルヴィラが、古い時代の女王の記録を読み解いていく。
話を聞いた時は「そんなことがあるの」程度に思っていたようだ。そして神官長の話や古い記録通り、やがて竜神の声が聞こえなっていく。それだけなら女王の交代で終わるかもしれないが、時を置かずして現れるはずの次の女王が現れない。
ということは、これは自分の力が弱まったのではなく、竜神の声が弱まっているということ。
ああ、自分は竜神の花嫁を見送る女王なのだ。
そしてエルヴィラは、あることに気づく。
年頃になった自分のかわいい妹はまだ、つがいが見つかっていない。
まさか、そんな。
大丈夫よ。十八歳になるまでに見つかるはず。
でもアイリーンにはつがいが見つからない。もしこのまま見つからなかったら。そうなったら、エルヴィラの妹は、竜神の花嫁ということになってしまう。
だからエルヴィラは竜神の声が聞こえなくなっても、自分は聞こえると嘘をつきとおした。もし、そうだったらいけないから。もしそうなら、エルヴィラがアイリーンを湖に沈めなくてはいけないから。
――竜の国にいる時点で僕が竜神の花嫁だってわかっていたら、喜んで引き受けたと思うけどなぁ……。
アイリーンはそんなことを思ったが、エルヴィラはどうしてもいやだったのだろう。アイリーンは、エルヴィラに残された唯一の家族だから。
だがまあこれで、エルヴィラがアイリーンの運命に対して不安定になりやすい理由がわかった。
つがいがいない者はそれでなくても短命だ。
エルヴィラは竜神を相当に呪ったことだろう。
話の感じからして竜神は力が弱っているのではなく、わざと弱めているだけなので、案外エルヴィラの文句が全部聞こえていたのではないかという気もする。
ふと気づくと、景色が再び古い時代の湖に戻っている。
湖のほとりにいる女性が、アイリーンのほうを見ていた。藍色の髪の毛に藍色の瞳。エルヴィラによく似ているなあと、アイリーンは思った。一緒にいる男性は金色の髪の毛に赤い瞳をしているので、竜族の色は彼女から受け継がれたものらしい。そういえば夢で見た竜神は、赤い目に白銀のうろこをしていた。……人間の姿をしていても、わりとそのままなんだな……。
『私はそろそろ行くわ。夫とともに、夫の故郷である空の国へ。でもあなたは連れていかない。あなたは帰りなさい』
女性が空を指さす。釣られるように見上げたアイリーンの目に、太陽の光を受けて銀色にきらめく飛行艇が映った。
ああ、あれはジェラルドの飛行艇だ。
迎えに来てくれたんだ……。
応援ありがとうございます!
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