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08.祭りの街
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「仮面祭りか、噂には聞いている。年々、規模が大きくなっている祭りだね」
許可が下りた翌日、私はお礼を言いにアルトウィン様のもとを訪れた。
いつもなら王宮にたくさんある面会用の応接室のどこかに通されるのだが、その日はよっぽどお忙しかったのか、私は国王執務室へと通された。
大きな机の向こう側でたくさんの本や書類に囲まれているアルトウィン様を見たのは、初めてだ。
本当に仕事の最中らしく、右手には羽ペンを持ったまま私に対応してくださる。
「許可をくださり、ありがとうございます」
「長年、妃候補として我慢を強いられてきたコリンナの願いだから、聞かないわけにはいかない。楽しんでおいで。羽目は外さないように」
言うだけ言うと、アルトウィン様は机の上の書類に目をお戻しになって、ペンを走らせ始めた。
「……」
なんだか今日は少し、機嫌がよろしくないような気がする。
「……どうした? まだ何かあるのか?」
アルトウィン様を気遣う言葉をかけるべきなのかどうか悩んでその場から動いていない私に気付き、アルトウィン様が目だけ上げてたずねる。
「いいえ。お忙しそうだなと思いまして」
「そうだな。ちょっといろいろあって、仕事が詰まっている。土産話を楽しみにしているよ」
そう言って再びアルトウィン様は書類へと目を戻された。
どういえばいいのだろう。
前はもう少し私に関心を持ってくださっていたのに、今日はそれもない。
なぜ、なんて、考えたくなかった。その理由を明らかにして何になるというの。私の心が余計に傷つくだけだわ。
この方から離れると決めた。これ以上の傷はいらない。
私は静かに礼をすると、アルトウィン様の執務室をあとにした。
***
コリンナの誘いを受けた二週間後、私たちは独身の身軽さでマールバラに向かった。
古い時代から交易の中心地として栄えてきたマールバラには、独特で美しい景観と文化が花開いている。
仮面祭りは夏の夜、暗闇に紛れて忍び寄ってくる悪い精霊に仮面をつけて「私たちは仲間、あなたたちに連れていかれる存在ではない」とごまかしたことが起源とされている。衛生環境が今よりも悪かった時代、夏場に病気が流行りやすかったためだろう。
今は、仮面をつければ身分も立場も関係ない「誰か」になることができる祭りになっている。
不思議な祭りだと思う。
「基本的には、仮面をかぶって非日常を楽しむお祭りなの。見知らぬ人と火遊びを楽しみましょう、という趣旨のお祭りではないのよ。でもそういう人もいるのは確かだから、そこは気を付けてね」
道中、コリンナがマールバラの仮面祭りについて教えてくれた。
「娘二人で歩いていたら危険なんじゃない?」
「人通りの多いところは大丈夫よ、警邏隊が巡回しているから。あとは、一人にならないことね。私と一緒に歩きましょう。変な人に声をかけられても基本的には無視。人の少ない場所にも行ってはだめよ。暗がりに連れ込まれたら大変だもの」
「コリンナ、詳しいのね。マールバラに行ったことがあったかしら?」
私が聞くと、コリンナはふふっと笑って、
「行ったことがある侍女にいろいろ聞いたの。いつか行ってやろうと思っていたから」
そう答えた。
「そうなの!?」
「そうなの。いつになるかわからないけど、いつかね。だって、コリンナ・チェスターでい続けるのって、大変だもの」
「……コリンナでもそう思ったりするのね?」
そつのない優等生なのに。
「しょっちゅう思っているわ。そうは見えない?」
「見えない……まったく」
「それはよかったわ。一番近くにあなたを騙せているのなら、ほとんどの人は騙せているということだものね」
コリンナが微笑む。
なんだろう、最近一気にコリンナの知らない一面が見えるようになってきた。これは、コリンナが妃候補時代には隠してきたものを晒し始めた、ということだろうか? おとなしい優等生のふりをする必要がなくなった、ってこと?
それって、妃に選ばれなかったことに対する自暴自棄の兆し、なのかしら……。
滞在先はコリンナの親戚である伯爵家の屋敷。
伯爵夫人は「一人にならない」「何かあったら警邏隊に助けを求める」「日暮れまでには戻る」と、コリンナと同じことを言って私たちを祭りに送り出してくれた。
夜も美しいらしいが、夜はさすがに娘たちだけで出歩かせるわけにはいかないという。夜も見たいのなら、伯爵や伯爵夫人も同行するとのことだった。
今日の私は町娘の設定。大きな仮面をつけて、祭りらしく華やかだけど貴族の娘には見えないワンピース姿。人込みの中ではぐれた場合の目印になるようにと、髪の毛にはおそろいの大きな飾りをつけた。
「たくさんの露店が出ているし、パレードもあるのよ。いろんな店を覗いてお気に入りを見つけて、片っ端から買っちゃいましょ。今日一日、私たちはただの町娘よ! 仮面をつけている間は淑女らしくなんてしないんだから」
コリンナもまた大きな仮面をつけたまま元気よく言い放った。
そうはいっても私たちだけで歩くのはダメだということで、それぞれに護衛がつくことになった。これは、アルトウィン様の指示らしい。
羽目を外すなということね。でもそのおかげで、私の計画はアルトウィン様に伝わりそうではある。
さて、今日の段どりだけれど、まず、コリンナとはぐれる。護衛もまく。
コリンナとはぐれるのはできると思う。問題は護衛だ。
うまくまけるだろうか。この計画で一番難しいのはここかもしれない。
そのあとはどこかで時間を潰しながら、若い女性に声をかける男性たちを観察しようと思っている。嘘をつくなら、少しはまともな嘘をつかなくてはならないものね。
適当なところで切り上げて、伯爵邸に戻る。屋敷の名前は覚えているから、辻馬車を使えば帰ることができると思う。
自分の立てた計画が穴だらけで、こんなものでうまくいくわけがないとも思うけれど、怯んで何もしなければ、不幸な結婚が待っている。
とにかくコリンナや護衛とはぐれて、しばらく一人になれることができさえすればいいのだ。
許可が下りた翌日、私はお礼を言いにアルトウィン様のもとを訪れた。
いつもなら王宮にたくさんある面会用の応接室のどこかに通されるのだが、その日はよっぽどお忙しかったのか、私は国王執務室へと通された。
大きな机の向こう側でたくさんの本や書類に囲まれているアルトウィン様を見たのは、初めてだ。
本当に仕事の最中らしく、右手には羽ペンを持ったまま私に対応してくださる。
「許可をくださり、ありがとうございます」
「長年、妃候補として我慢を強いられてきたコリンナの願いだから、聞かないわけにはいかない。楽しんでおいで。羽目は外さないように」
言うだけ言うと、アルトウィン様は机の上の書類に目をお戻しになって、ペンを走らせ始めた。
「……」
なんだか今日は少し、機嫌がよろしくないような気がする。
「……どうした? まだ何かあるのか?」
アルトウィン様を気遣う言葉をかけるべきなのかどうか悩んでその場から動いていない私に気付き、アルトウィン様が目だけ上げてたずねる。
「いいえ。お忙しそうだなと思いまして」
「そうだな。ちょっといろいろあって、仕事が詰まっている。土産話を楽しみにしているよ」
そう言って再びアルトウィン様は書類へと目を戻された。
どういえばいいのだろう。
前はもう少し私に関心を持ってくださっていたのに、今日はそれもない。
なぜ、なんて、考えたくなかった。その理由を明らかにして何になるというの。私の心が余計に傷つくだけだわ。
この方から離れると決めた。これ以上の傷はいらない。
私は静かに礼をすると、アルトウィン様の執務室をあとにした。
***
コリンナの誘いを受けた二週間後、私たちは独身の身軽さでマールバラに向かった。
古い時代から交易の中心地として栄えてきたマールバラには、独特で美しい景観と文化が花開いている。
仮面祭りは夏の夜、暗闇に紛れて忍び寄ってくる悪い精霊に仮面をつけて「私たちは仲間、あなたたちに連れていかれる存在ではない」とごまかしたことが起源とされている。衛生環境が今よりも悪かった時代、夏場に病気が流行りやすかったためだろう。
今は、仮面をつければ身分も立場も関係ない「誰か」になることができる祭りになっている。
不思議な祭りだと思う。
「基本的には、仮面をかぶって非日常を楽しむお祭りなの。見知らぬ人と火遊びを楽しみましょう、という趣旨のお祭りではないのよ。でもそういう人もいるのは確かだから、そこは気を付けてね」
道中、コリンナがマールバラの仮面祭りについて教えてくれた。
「娘二人で歩いていたら危険なんじゃない?」
「人通りの多いところは大丈夫よ、警邏隊が巡回しているから。あとは、一人にならないことね。私と一緒に歩きましょう。変な人に声をかけられても基本的には無視。人の少ない場所にも行ってはだめよ。暗がりに連れ込まれたら大変だもの」
「コリンナ、詳しいのね。マールバラに行ったことがあったかしら?」
私が聞くと、コリンナはふふっと笑って、
「行ったことがある侍女にいろいろ聞いたの。いつか行ってやろうと思っていたから」
そう答えた。
「そうなの!?」
「そうなの。いつになるかわからないけど、いつかね。だって、コリンナ・チェスターでい続けるのって、大変だもの」
「……コリンナでもそう思ったりするのね?」
そつのない優等生なのに。
「しょっちゅう思っているわ。そうは見えない?」
「見えない……まったく」
「それはよかったわ。一番近くにあなたを騙せているのなら、ほとんどの人は騙せているということだものね」
コリンナが微笑む。
なんだろう、最近一気にコリンナの知らない一面が見えるようになってきた。これは、コリンナが妃候補時代には隠してきたものを晒し始めた、ということだろうか? おとなしい優等生のふりをする必要がなくなった、ってこと?
それって、妃に選ばれなかったことに対する自暴自棄の兆し、なのかしら……。
滞在先はコリンナの親戚である伯爵家の屋敷。
伯爵夫人は「一人にならない」「何かあったら警邏隊に助けを求める」「日暮れまでには戻る」と、コリンナと同じことを言って私たちを祭りに送り出してくれた。
夜も美しいらしいが、夜はさすがに娘たちだけで出歩かせるわけにはいかないという。夜も見たいのなら、伯爵や伯爵夫人も同行するとのことだった。
今日の私は町娘の設定。大きな仮面をつけて、祭りらしく華やかだけど貴族の娘には見えないワンピース姿。人込みの中ではぐれた場合の目印になるようにと、髪の毛にはおそろいの大きな飾りをつけた。
「たくさんの露店が出ているし、パレードもあるのよ。いろんな店を覗いてお気に入りを見つけて、片っ端から買っちゃいましょ。今日一日、私たちはただの町娘よ! 仮面をつけている間は淑女らしくなんてしないんだから」
コリンナもまた大きな仮面をつけたまま元気よく言い放った。
そうはいっても私たちだけで歩くのはダメだということで、それぞれに護衛がつくことになった。これは、アルトウィン様の指示らしい。
羽目を外すなということね。でもそのおかげで、私の計画はアルトウィン様に伝わりそうではある。
さて、今日の段どりだけれど、まず、コリンナとはぐれる。護衛もまく。
コリンナとはぐれるのはできると思う。問題は護衛だ。
うまくまけるだろうか。この計画で一番難しいのはここかもしれない。
そのあとはどこかで時間を潰しながら、若い女性に声をかける男性たちを観察しようと思っている。嘘をつくなら、少しはまともな嘘をつかなくてはならないものね。
適当なところで切り上げて、伯爵邸に戻る。屋敷の名前は覚えているから、辻馬車を使えば帰ることができると思う。
自分の立てた計画が穴だらけで、こんなものでうまくいくわけがないとも思うけれど、怯んで何もしなければ、不幸な結婚が待っている。
とにかくコリンナや護衛とはぐれて、しばらく一人になれることができさえすればいいのだ。
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