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10.仮面の男 2
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アロイスの案内で仮装用の衣装を取り扱っている店に行き(露店ではなくきちんと建物の中にある仕立て屋だった)、私はなんと、ピンク色の妖精のかっこうにさせられた。
「俺が金を出すんだし俺が連れ歩くんだから、俺好みのかっこうをしてくれてもいいだろう」
というのが彼の弁だが、もともと私は大柄であることに加え、普段から乗馬や剣などをたしなんでいるため、かわいらしいかっこうというのが苦手だった。こういう、明るくて優しい色のふわふわとした服装はしたことがない。
「似合わないわ。こんなの私じゃない」
試着室で着替えた姿を見せつつ呟けば、
「それでいいんだよ、今日はいつもの自分から一番遠い人物になりきる日だから。それに、よく似合っている」
私を見つめながらしみじみとアロイスが言う。
まあ、仮面をつけているので似合っているかどうかはわからないような気もするし、男性としては「似合っている」以外の言葉のかけようがないような気もする。
「こちらになさいますか、旦那様」
仮面をつけた年齢不詳のマダムが聞いてくる。この店の店主だ。
「ああ、こちらをいただこう」
「ではこちらの伝票にサインを」
「伝票は彼女の着替えた服ごと、指示した場所に持っていってくれるか?」
慣れた手つきでアロイスが差し出された伝票にサインをする。
このかっこうで決定らしい。
私は急いでコリンナとおそろいの髪飾りを取り、ポケットに突っ込んだ。アロイスと行動中、コリンナや護衛に見つかるわけにはいかないもの。
「さあ、行こう」
アロイスに促され、ふわふわの妖精姿のまま店の外へ出る。
「どこへ行くの?」
「まずは中央広場だな。それから、古い時代の遺跡が残っているから、そこを見に行こう。祭りでなければ港のほうまで足を伸ばしたいところだが」
「ここを離れるわけにはいかないわ。あなたと二人っきりはさすがに」
「君は、世間知らずだけど警戒心は強いなぁ。よく躾けられている。かなりいいところのお嬢様とみた。違う?」
私の言葉を受け、アロイスが聞いてくる。
「いいえ。ただの町娘よ。だって、仮面をつけている間は、本当のことは言わない決まりでしょ?」
まぜっかえした私に、アロイスが声を上げて笑う。
「そうだな。君はただの町娘だ。でも育ちの良さは隠せていない。貴族ではない俺が、貴族の令嬢かもしれない女の子を連れて歩けるなんて、仮面祭りならではだろう? でなければ君が一人であんなところに突っ立っていたりしない」
「それは、そうね」
私が頷くと、アロイスが笑ながら恭しく手を差し出した。
「お手をどうぞ、お嬢様」
「ありがとう。あなたはマールバラの仮面祭りにお詳しいようね? 私を案内してくださるかしら」
アロイスが慇懃な態度を取るので、私もいつもの、というべきだろうか。侯爵令嬢の口調で答える。
「喜んで」
アロイスの気取った口調に思わず噴き出す。
「マールバラはきれいな街だよ。君も気に入る。また遊びにきて、この街に金を落としてくれ。そうすればこの街の人間が潤う」
「この次は家族みんなを引き連れて遊びにくるわ」
アロイスはこの街の人間なのだろう。貴族でもなさそうだ。
私は彼が差し出した腕に自分の手を絡め、仮面祭りでにぎわうマールバラに踏み出した。
季節は初夏。
空は青く、日差しは強い。
そして私は仮面をつけ、いつもなら着ない雰囲気の服を着て、知らない人と知らない街を歩いている。
仮面をつけている間、私はエレオノーラ・ウェストリーではない。私はエレイン。エレオノーラの心は王都に置いてきた。
時々休みを入れながら、華やかなマールバラの中心街を見て歩く。
アロイスは王都出身の二十五歳。今は仕事でマールバラに来ているのだという。でもどこまで本当なのかわからない。だから私も、王都出身の二十歳、普段はお屋敷勤めをしていて、今日は同僚とマールバラに遊びにきた、ということにした。
私がアロイスの自己紹介を真に受けていないように、アロイスも私の話を真に受けてはいない。仮面祭りはそれが前提。でもそれでいい。
何を言っても、何をやっても、かまわない。アロイスがどこの誰なのかわからないから、逆に気が楽だ。
仮面をつけているほうが楽だなんて、なんだかおかしな感じがする。
自分を偽る方が疲れそうなものなのにね。
アロイスがマールバラの説明をしてくれる。その歴史から、街の中にある古い建物、大きな建物の説明、広場にある大きな柱の話、さっき私が見とれた大きな人や道化師、魔女、そんな仮装の人がいる理由。
二人で歩き回り、昼にはおすすめだというマールバラ名物を頬張るころには私たちはすっかり打ち解けていた。
街を歩きながら、見たものや街の歴史について話をしていたので、お互い自分の話はほとんどしていない。それでも楽しい時間だった。
だから日が傾き、夕方が近づく頃には寂しさを覚え始めていた。夜は危険だから、日暮れまでには戻りなさいと伯爵夫人にも念を押されている。
アロイスとの時間がもうすぐ終わる。
「あなたのおかげで、マールバラのことが好きになったわ」
街の真ん中を流れる川の橋の上に立ち、夕方になっても活気が衰えない仮面祭りの様子を眺めながら私がそう切り出すと、隣に立つアロイスが満足げに頷いてくれた。
「それはよかった。これからも末永くマールバラを頼むよ」
「それだけマールバラのことを売り込んでくるということは、あなた、本当はこの街の商人なのかしら。とても博識だから、学もありそうね」
マールバラはもともと交易で栄えた都市だから、貴族より商人の力のほうが強い。大勢の人が行き交う場所は文化も豊かだ。マールバラの商人たちは、学問や芸術の大切さをわかっていたのだろう。芸術家や学者を保護してきた歴史があるし、商人たちが出資して作った大きな大学もある。
「仮面をつけている人間の素性は詮索しない決まりだ」
アロイスが言う。
ちょうどその時、遠くで鐘の音が聞こえてきた。
十八時を知らせる音だ。昼が終わり、夜が始まる。
「今日が終わったら、もうあなたには会えないのかしら」
「そうだな」
「残念ね」
「俺もそう思う」
不意に、あの甘い香りが漂ってきた。
なんだろうと思って、まわりを見回してみる。
「どうした?」
「いえ……なんでもないの」
通りかかった誰かが服に焚き染めていたのかもしれない。
私は視線をアロイスに戻す。
私は本当のアロイスのことは知らない。名前も、年齢も、きっと作り話だ。ここで別れてしまったら、私は二度とこの人には会えないだろう。
それがわかっているから、なかなか別れの言葉を切り出せない。
でももう十八時。もうすぐ日が暮れる。そろそろお別れを言って、辻馬車を見つけなければ。
その第一歩として、私はポケットから髪飾りを取り出した。
「それ……」
アロイスが髪飾りに目をとめる。
「目印なの。私だっていう。屋敷に戻るのだから、つけておかないと」
「一人でつけられるのか? 貸してみろ、俺がつける」
私が何か言う前にアロイスが髪飾りを取って、私の後ろにまわり、まとめた髪の毛にそっとピンを差し込む。
「きれいな髪の毛だな。……エレイン、もし君にその気があるなら、明日のこの時間、ここでまた会おう。目印にこの髪飾りをつけてくれると助かる」
「……その気?」
髪飾りを留めてもらったので、私はアロイスに向き直って聞き返した。
「仮面を取って、素顔をさらす気があるなら、だよ」
「……それは、どういう意味なのかしら。もしかして……」
「俺は君のこと」
アロイスが何か言いかけた時だった。
ぐい、と強い力で誰かに肩をつかまれ、振り向かされた。
「……エレオノーラ!?」
そこにいたのは、コリンナだった。
コリンナのそばには、私がまいてきた二人の護衛もいる。
「エレオノーラでしょ? そのかっこう、どうしたの? ねえ、返事をして」
「え、ええ……私よ、エレオノーラよ」
私は体をひねって、すぐそばにいるアロイスに目をやった。
アロイスに本名を聞かれた。それがいたたまれなかったし、不安でもあった。
けれど、そこにはもう誰もいなかった。
はっとして橋の上に目を走らせる。
今日一日ですっかり見慣れた背中が遠ざかっていくのが見えた。
「……誰かと一緒だったの? あの人?」
私の視線に気付いてコリンナが言う。
「ええ……そう……」
「何もされなかった? 大丈夫だった? あなたについていた護衛もあなたの行方がわからなくなったというから、とても心配したのよ。服はどうしたの? 朝、着ていたものとは違うじゃない」
「転んだ時に破れてしまったので、新しく買ったの」
買ってもらったの、とは言えなかった。
「あの人に何かされたというわけじゃないのね!?」
「それは大丈夫。そういうわけでは……」
素直にコリンナに答えて、私ははっとなった。
しまった。
私、あの人とイケナイことをしたことにするはずだったのに。そしてそのことをコリンナや護衛に知られなければならなかったのに。
そうしなければ、アルトウィン様に愛想を尽かされて婚約破棄してもらえない。
あああああ……どうしよう……。
「そう? それならよかった!」
あからさまにほっとしたコリンナを見ると、「実はあの人とね♡」なんて、言い直せるはずもない。
「あなたが無事だったから、明日また仕切り直しね。明日は伯爵夫妻と一緒に、夜、出かけましょ!」
明るく誘うコリンナに、私は頷くことしかできなかった。
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