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12.悪女になれなかった私は、どうすればいいの? 2
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「ここ、勝手に入ってもいいの?」
「いいに決まってる。親戚の家だからな」
アロイスが連れてきてくれたのは、中央広場からそこまで離れていない場所に建っている大きな邸宅だった。正面ではなく裏の通用門から勝手に入り込むのでびっくりした次第だ。
通用門を入るときれいな庭が広がっていた。その向こうに邸宅が建っている。
「親戚……って言っても、許可はいただいているの?」
「今日は花火だ。さっきの川があっただろう? あそこから打ち上げる。年に一度のことだから、屋敷勤めの人間も休みを取って出払っている」
「許可はいただいていないのね!?」
「シッ。あまり大きな声を出すと、さすがにまずい。人が少ないだけで、無人じゃないからな」
アロイスに言われ、私は口をつぐんだ。
「一時間程度だろう? だったら人込みの中をうろつくより、人の少ないところでやりすごしたほうがいいと思ってね」
アロイスはそう言って芝生の上に座ったかと思うと、寝転んだ。
日がかげり、庭木の影が伸びて私たちのいるあたりは日陰になっている。
「エレインも寝転んでごらん。空がよく見える」
「……」
頭の下に腕を組み、気持ちよさそうにしているアロイスを見ていると、自分だけ突っ立っているのもおかしい気がして、言われるがままアロイスの傍らに腰を下ろし、同じように寝っ転がった。
芝生がふかふかしていて気持ちいい。
見上げた空はわずかに金色に染まり始めている。もう少ししたら、茜色に染まっていくだろう。
「それで、お嬢様のゴタゴタって? 君の事情に付き合っているんだから、理由くらい教えてくれてもいいと思うが。お互い仮面をつけているから少しくらいは話せるだろう?」
寝っ転がったまま、アロイスが聞いてくる。
「……私、婚約しているの。その婚約を壊すためにマールバラへ来たのよ」
仮面のせいで横を向けないから、私は空を見上げたまま答えた。
それにしても、アロイスの声は本当にアルトウィン様そっくりだわ。口調が違うから他人だとわかるけれど、これで同じ口調なら区別がつかないかもしれない。
「へえ……? 婚約を壊すのと、マールバラと、どういう関係が?」
「手っ取り早く婚約を壊すには、私に悪評が立つのが一番だと教えてくれた人がいたの。婚約しているのに見知らぬ男性と遊んでしまうような悪評がいい、と。そのためにマールバラの仮面祭りを利用しようと思ったの」
「ふうん……じゃあ俺は、その悪評の相手にされるのか?」
「……ごめんなさい。でも本当のあなたのことは何ひとつ知らないから、あなたの名誉は守られるわ。累も及ばないと思う」
「責めてるわけじゃない。君にも事情があるんだろう。……だけど、いいところのお嬢様にしては大胆すぎる作戦だな」
「……守りたい人がいるの。どうしても。そのためなら私の人生なんて安いものよ」
金色から茜色に変わっていく空を見つめながら、私は王都にいるアルトウィン様を思い浮かべた。
今は何をされているのかしら。
土産話を楽しみにしているとおっしゃってたけれど、私がアルトウィン様にマールバラでの話をすることはないだろう。
「誰を守りたいんだ?」
「もちろん、私の婚約者よ」
「婚約者を守るために婚約を壊すのか?」
「親が決めた結婚なの。そして、婚約者には好きな人がいるのよ。婚約者とその人は相思相愛なの。私が、あの二人を邪魔しているの……」
笑いあう二人の姿を思い出す。
コリンナが見せる、アルトウィン様との絆の強さを思い出す。
私がいなければあの二人は結ばれる。きっと幸せに満ちた家族になっていくに違いない。
「……君は、その婚約者のことをどう思っているんだ……?」
「好きよ」
ためらうような声音で問うアロイスに、私は即答した。
「その人のために、自分が悪者になるつもりなのか? 取り返しがつかないほど自分の名誉を傷つけることになっても?」
「……そのくらい徹底しなければ、この結婚は壊せないから……」
「つまり、君は、それくらい、婚約者を愛している、と?」
アロイスが慎重に聞いてくる。
「……ええ」
暮れていく空を見つめているうちに、涙がこみあげてきた。
この時間が過ぎれば私は「婚約者がいるのに見知らぬ男性と二人きりで過ごした」という既成事実が手に入り、ふしだらな娘という烙印を押される。アルトウィン様とは永遠にお別れだ。
アルトウィン様だけじゃない。コリンナとも永遠にお別れだ……。
「愛しているわ。私は、あの方も……あの方が好きな女性も、二人とも、とても大切なの。……もちろん全部作り話よ! 真に受けないでね」
思いがけずしんみりしてしまったため、私は慌てて明るい声で言い訳をつけた。
「婚約者は本当に、その娘のことが好きなのか? 婚約者からそういう話が出てきたのか?」
アロイスがさらに慎重な声音で聞いてくる。
いやだわ、真に受けてしまったみたい……。
「……そういう話は出てきていないけれど、見ていればわかるもの」
「ふうん……」
アロイスが呟いて、体を起こす気配がした。
なんだろうと思って目を向けると、アロイスの手が伸びてきて私の仮面を剥ぎ取る。
「な……何を……!?」
「君の本音を聞けて嬉しいよ。でも君の派手な勘違いには腹が立つ」
「は……?」
驚いて声をあげる私の前で、アロイスもまた仮面を取って、芝生に投げ捨てる。
彼の素顔に私は絶句した。
アルトウィン様だった。
でも髪の毛は黒い癖毛で、ずっと短い。
どういうことなの!? 国王ともあろうお方がこんなところにいるはずがない。髪の毛はどうしたの。本当にご本人なの?
その彼が私に覆いかぶさってきた。彼の四肢に囚われ、私は身動きができない。見下ろしてくるアルトウィン様の表情は冷たくて……こんなアルトウィン様、見たことがない。この人は本当にアルトウィン様なの?
その証拠を求めるように、私はアルトウィン様のシャツの襟もとに目を向けた。本物のアルトウィン様なら、喉ぼとけの付け根にほくろがあるはず。普段は詰めた襟の服を着ていることが多いから見えないけれど、私は知っている。
……ほくろがある……。
目の前にいるこの男性は、本物だ……。
「エレオノーラのそんな顔は初めて見るね」
くっくっと喉の奥でアルトウィン様が笑う。
なぜ!? どうして!?
私は混乱したまま、再びアルトウィン様を見上げた。いつの間にか茜色に染まった空を背景に、アルトウィン様は凍るような眼差しで私を見つめる。
コリンナに比べ私とは義務的に付き合っている気配があったため、私に関心がないのかな、と思うことはあっても、こんなふうに冷たい感情を向けられたことがないから、どうしたらいいのかわからない。口調もいつもと違うし、ただただ、アルトウィン様が怖い。目の前にいるのはアルトウィン様だけど、私の知っているアルトウィン様ではない。
「君に嫌われたくなくて遠慮していたことがよくなかったみたいだ。コリンナとの仲を勘違いさせたのも俺の遠慮のせいだが、俺は君に気持ちは伝えたはずだ。伴侶として一緒に生きていくのならエレオノーラのほうがいい。君を選んだのは、君の方をコリンナより好ましく思うからだ、と」
「……!」
「なのに君は、勝手に勘違いをして婚約破棄の画策まで始めた。それってつまり、俺のことを信用していないということだよな?」
「そ、そういうわけでは……」
「ではどういうわけなんだ?」
アルトウィン様が目を細める。彼の放つ剣呑な雰囲気に、身動きができない。
「だ……だって、アルトウィン様はコリンナとばかり仲良くされていたではありませんか……っ! あんなに親しげな様子を見せられたら、勘違いもしてしまいます!」
黙っているとさらになじられそうで、私は勇気をかき集めて叫んだ。
「ああ、そうだな。俺が君に勘違いをさせ、もう一歩で君に取り返しのつかない真似をさせるところだった。君の父上や兄上の助言を真に受けるんじゃなかった。そんな自分に腹も立つが、俺の気持ちを一方的に決めつけて切り捨てにかかった君にも腹が立つ」
私の言い訳はアルトウィン様の怒りを鎮めることはできなかったらしい。
「それは……!」
「俺を愛しているだと? ならなぜ俺からの求婚を破談に持ち込もうとする?」
「だ……だって、それは、アルトウィン様が私を見てくださらないから!」
「ずっと見ていたさ。でも伝わっていなかった。俺たちのすれ違いの原因はここだな。だからもう遠慮しない」
アルトウィン様が胸元のポケットに手をやり、何かを引っ張り出す。ハンカチのようだ。
「悪いな、エレオノーラ」
アルトウィン様がそのハンカチで私の鼻と口を覆う。いや、と抵抗する間もなく私はその布に染み込んだ甘い匂いを思い切り吸い込んでしまった。
この匂いには覚えがある。占い師の部屋で焚かれていたお香……それに昨日も匂いが漂ってきた……もしかして、アルトウィン様の胸ポケットにしまわれていたこの布から……?
そんなことを思ううちに、ふわっと意識が遠のいていった。
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