1 / 1
本文
しおりを挟む
(1)「傘さしてたのに何で濡れてるの?」
僕が小学三年生の時、二学期の中途半端な時期に転校生がやって来た。
背が高くて髪の毛が茶色っぽい、大人びた女の子だった。彼女を仮にAさんと呼ぶことにする。
クラス替えでその後すぐに離れてしまったし、Aさんは私立の中学校に進学したから、僕には彼女と喋った記憶が全くない。
にも関わらずAさんの事を二十年以上経った今でも覚えているのは、ある雨の日の出来事のせいだ。
その日は朝から土砂降りの雨で、僕は傘を両手でなんとか支えながら登校した。
大粒の上に横殴りの雨だったから、約二十分かけて学校についた頃には肩より下がずぶ濡れだった。もちろんクラスの他の子達も同じような状態だ。
「ヤバい、びしょびしょだー」
「靴の中が気持ち悪い」
学校の靴ぬぎ場で傘を畳んで、丁度居合わせた友人と愚痴をこぼしていたらAさんが通りかかった。
Aさんの服には水滴一つ付いていない。彼女は濡れ鼠の僕たちを見て、非常に不思議そうな顔をして呟いた。
「傘さしてたのに何で濡れてるの?」
そしてさっさと教室の方へ歩いて行った。僕らはボケッと突っ立ってその後ろ姿を見送った。
Aさんは毎日親に車で送り迎えをしてもらっていたらしい。雨の日も、曇りの日も、晴れの日もだ。
校舎から伸びた屋根付きの渡り廊下へ横付けされた車から、彼女が降りて来るのを見たことがある。転校の理由は忘れてしまったが、お金持ちの家の箱入り娘だという噂を後から耳にした。
Aさんの一言は大きな衝撃を伴って僕の脳内へ流入して来た。彼女と僕とは住む世界が違う、決してわかり合うことは無いだろう。
そんな異なる世界の住人との隔絶を一撃で僕に知らしめるには充分な一言だった。
大人になってからも時々あのセリフと共に首をかしげるAさんの丸い目を思い出すのだ。
例えば住宅街を歩いていて、ピカピカの外壁の大きな家の車庫にクラウンやらベンツやらの、車に興味の無い僕でも知っている高級車が並んでいるのを見た時なんかに。
(2)「うずらの卵って、何の卵かなぁ……」
僕が就職して四年目の、二泊三日の出張で長崎に行った時のことだ。
出張には僕とB君の二人で行く事になった。
B君と僕とは同期だけれど別の部署に配属されたので、あまり話したことは無かった。でも彼はコミュニケーション能力が高かったから、口下手な僕でも一緒にいて気詰まりじゃなかった。
初日の仕事が終わった後で、自然と二人で夕食を食べる流れになった。
B君も僕も特にグルメでは無かったのでホテルの側の小さな定食屋を適当に選んで入り、僕はちゃんぽんセット、B君は皿うどんセットを注文した。
B君は食事の間も上司の失敗談や他の同期の噂話を雄弁に語って僕を笑わせてくれた。
途中、彼は箸で器用に餡の絡まったうずらの卵をつかんでまじまじと数秒見つめ、言った。
「うずらの卵って、何の卵かなぁ……」
何の卵って、今君が言った通り、うずらの卵に決まっているじゃないか。
僕は当然そう思ったけれど、B君がどういうつもりで発言したのか理解しかねてそのセリフを流してしまった。
もしかしたらB君はあの瞬間僕のツッコミを待っていたのかも知れないし、僕のうずらの卵に対する造詣の深さを試していたのかも知れない。
いずれにせよ僕は彼に対して悪い事をしてしまったと後悔している。
最近になってやっと、彼が「ウズラ」という生物を知らなかったのだと結論付けた。彼の顔は、演技というにはあまりにもしみじみとした様子であったから。
B君はその後持ち前のコミュニケーション能力であらゆる上司に気に入られた事もあり、あれよあれよという間に出世し本社に栄転してしまった。
この一連の出来事から僕は、鳥類に関する知識と出世速度には何の関連性も無いという事実を学んだ。
B君、その後元気にしているだろうか。
僕が小学三年生の時、二学期の中途半端な時期に転校生がやって来た。
背が高くて髪の毛が茶色っぽい、大人びた女の子だった。彼女を仮にAさんと呼ぶことにする。
クラス替えでその後すぐに離れてしまったし、Aさんは私立の中学校に進学したから、僕には彼女と喋った記憶が全くない。
にも関わらずAさんの事を二十年以上経った今でも覚えているのは、ある雨の日の出来事のせいだ。
その日は朝から土砂降りの雨で、僕は傘を両手でなんとか支えながら登校した。
大粒の上に横殴りの雨だったから、約二十分かけて学校についた頃には肩より下がずぶ濡れだった。もちろんクラスの他の子達も同じような状態だ。
「ヤバい、びしょびしょだー」
「靴の中が気持ち悪い」
学校の靴ぬぎ場で傘を畳んで、丁度居合わせた友人と愚痴をこぼしていたらAさんが通りかかった。
Aさんの服には水滴一つ付いていない。彼女は濡れ鼠の僕たちを見て、非常に不思議そうな顔をして呟いた。
「傘さしてたのに何で濡れてるの?」
そしてさっさと教室の方へ歩いて行った。僕らはボケッと突っ立ってその後ろ姿を見送った。
Aさんは毎日親に車で送り迎えをしてもらっていたらしい。雨の日も、曇りの日も、晴れの日もだ。
校舎から伸びた屋根付きの渡り廊下へ横付けされた車から、彼女が降りて来るのを見たことがある。転校の理由は忘れてしまったが、お金持ちの家の箱入り娘だという噂を後から耳にした。
Aさんの一言は大きな衝撃を伴って僕の脳内へ流入して来た。彼女と僕とは住む世界が違う、決してわかり合うことは無いだろう。
そんな異なる世界の住人との隔絶を一撃で僕に知らしめるには充分な一言だった。
大人になってからも時々あのセリフと共に首をかしげるAさんの丸い目を思い出すのだ。
例えば住宅街を歩いていて、ピカピカの外壁の大きな家の車庫にクラウンやらベンツやらの、車に興味の無い僕でも知っている高級車が並んでいるのを見た時なんかに。
(2)「うずらの卵って、何の卵かなぁ……」
僕が就職して四年目の、二泊三日の出張で長崎に行った時のことだ。
出張には僕とB君の二人で行く事になった。
B君と僕とは同期だけれど別の部署に配属されたので、あまり話したことは無かった。でも彼はコミュニケーション能力が高かったから、口下手な僕でも一緒にいて気詰まりじゃなかった。
初日の仕事が終わった後で、自然と二人で夕食を食べる流れになった。
B君も僕も特にグルメでは無かったのでホテルの側の小さな定食屋を適当に選んで入り、僕はちゃんぽんセット、B君は皿うどんセットを注文した。
B君は食事の間も上司の失敗談や他の同期の噂話を雄弁に語って僕を笑わせてくれた。
途中、彼は箸で器用に餡の絡まったうずらの卵をつかんでまじまじと数秒見つめ、言った。
「うずらの卵って、何の卵かなぁ……」
何の卵って、今君が言った通り、うずらの卵に決まっているじゃないか。
僕は当然そう思ったけれど、B君がどういうつもりで発言したのか理解しかねてそのセリフを流してしまった。
もしかしたらB君はあの瞬間僕のツッコミを待っていたのかも知れないし、僕のうずらの卵に対する造詣の深さを試していたのかも知れない。
いずれにせよ僕は彼に対して悪い事をしてしまったと後悔している。
最近になってやっと、彼が「ウズラ」という生物を知らなかったのだと結論付けた。彼の顔は、演技というにはあまりにもしみじみとした様子であったから。
B君はその後持ち前のコミュニケーション能力であらゆる上司に気に入られた事もあり、あれよあれよという間に出世し本社に栄転してしまった。
この一連の出来事から僕は、鳥類に関する知識と出世速度には何の関連性も無いという事実を学んだ。
B君、その後元気にしているだろうか。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
【完結】たぶん私本物の聖女じゃないと思うので王子もこの座もお任せしますね聖女様!
貝瀬汀
恋愛
ここ最近。教会に毎日のようにやってくる公爵令嬢に、いちゃもんをつけられて参っている聖女、フレイ・シャハレル。ついに彼女の我慢は限界に達し、それならばと一計を案じる……。ショートショート。※題名を少し変更いたしました。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話
家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。
高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。
全く勝ち目がないこの恋。
潔く諦めることにした。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる