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第四章 暗雲

第33話 課題

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「一体どうやって?」

 アリスの真剣な眼差しに、シスター・ティナは困惑の表情を見せた。それも仕方ないだろう。今まで二年間、サウード領の民には助けなど来なかったのだから。力無くすり抜けていきそうな彼女の手をアリスはしっかりと握った。

「まずは配給の食料の質を上げます。今日はお菓子のほかに白パンや果物も持ってきています。教会の分はもちろん、領民たちにも後ほど広場で配ります。みな平等であればわざわざ教会まで奪いには来ないでしょう」
「ですがそれだけでは……」

 首を横に振るシスター。アリスは彼女の言葉に頷き、話を続けた。

「ええ。あとは現在職を失っている領民に、新たな仕事をしてもらうつもりです。そこで給料を得れば少しずつ生活が潤うでしょう。さらに他領からの食糧や物品の流通を再開します。人の行き来はすぐには難しいでしょうが、この領地で領民が不自由しないよう取り計います」
「そんなことが、可能なのですか?」
「はい。夫の資産や人脈を使えば可能です。彼は人見知りで表に立つことは難しいので、代理で私が動きます。故郷では実家が商売をしていたので勝手はわかっています。どうか信じてください」

 アリスはなかなか視線が合わなかったがシスターをまっすぐに見つめ、話し続けた。その甲斐あってかやっと彼女の黒い瞳にアリスの顔が映る。

「では、私は何をしたらよろしいいでしょうか?」

 シスターはアリスの顔を覗き込み問いかけた。

 再び互いにソファに座ったシスターとアリス。まずは前回の視察で気になったことを確認してみる。

「シスター、実は数日前に市街地に来て気になったことがあります。この地には男性がほとんどいなかったように見えたのですが、実際はどうなのでしょうか?」
「はい。おっしゃる通りです。以前あった内戦で働き盛りの年頃の男性は皆領地を出て軍に入りました。その後、戻る前に例の事件があり、ほとんどの男性がサウードに戻れなくなったのです。軍に残った者や妻子を捨て他国に逃げた者もいるとか……」
「なんということなの……」

 シスターの返事に、アリスは愕然とした。内戦が原因で男性がいないのは予想していたが、まさか妻子を置いて国外に逃げた者までいたとは。どうりで領民たちの表情が暗いわけだ。彼女たちはこの地に閉じ込められただけではなく、愛する人の裏切りにもあっていたのだ。元はと言えば王家のお家騒動だというのに、国民が被害を被っていることに憤りを感じる。

「では、男性はいないと考えて、女性が中心に働ける仕事が必要ですね。実はそのことで教会にはお願いがあったのです」
「はい。どういったことでしょうか?」

 アリスは首を傾げるシスターに小さく頷いてから話の本題に入った。

「ええ、働き盛りの女性の多くは幼い子供がいるようでした。そこで彼女たちが働きに出ている間、教会で子供たちを預かって欲しいのです。食事や必要な道具などはサウード家が用意いたします」

 ここでは身寄りのない子供たちが数名おり、一緒に遊ばせてくれればいい。必要であればサウード家から使用人も派遣しよう。そう思っていた。しかし、アリスの考えとは裏腹に、シスターは眉根を寄せ申し訳なさそうに首を振った。

「伯爵夫人、申し訳ありません。お断りさせていただきます」

 その場で深く頭を下げるシスター。アリスは「なぜですか?」と問いかけた。その声に反応し、彼女はゆっくりと顔を上げた。

「ここにいるのは皆、身寄りのない子供たちです。他の子供たちを預かれば、仕事を終えた母親が迎えに来るでしょう? 教会の子供には迎えは来ません。その光景を彼らに見せたくない。ですからどんなに良い条件でもそれだけはできません。本当に申し訳ありません」

 ああ、そうか。自分はなんて浅慮だったのだろう。アリスは再び頭を下げ詫びるシスターに申し訳なくなった。自分の願いは、さっきお茶を出してくれた少年の朗らかな笑顔に、寂しさや悲しみを滲ませてしまうものだったのだ。

「シスターどうか頭を上げてください」
「伯爵夫人……」
「私の考えが浅はかでした。嫌な思いをさせてしまって申し訳ありません」
「いいえ、そんな。せっかく領地を立て直すと言ってくださったのに、お力になれず心苦しいです」

 アリスは再び謝るシスターに「いいんです」と言って首を横に振った。なんて優しく思慮深い人なんだ。この人が教会にいてくれてよかった。

「シスター、正直にいろいろお話いただいてありがとうございます。今回のお願いは忘れてください。私ももう一度、子供の預け先などについて考えてみます。そのときはできる範囲で構いませんのでお力添えいただけると嬉しいです」
「はい、もちろんです」

 話を終えたアリスは、帰り際シスターに深々と礼をして教会をあとにした。そして市街地で配給を頼んでおいた使用人たちと合流。それぞれ馬車に乗ってサウード家に向かった。

「いろいろと難題が増えましたね、アリス奥様」

 アリスが窓の外を眺めながら唸り声を上げていると、正面に座るピエールが涼しげに笑んでいた。そう、問題は山積みだった。まずは市街地の保育施設について。教会がダメなら一から考え直さなくてはいけない。さらに食料問題や領民の仕事の問題だ。こういったことには人を頼りにしなくてはいけない。けれど異国から嫁いできたばかりのアリスにその人脈はない。どうしたものか。俯いて再び顔を上げる。そして、アリスはパッとエメラルドの瞳を見開いた。
「そうだ、ピエールさん! あなたよ!」
「は?」

 アリスの勢いに圧倒され、ピエールは思いきり顎を引いた。それでもお構いなしにアリスは身を乗り出し彼の顔を覗き込んだ。

「私に、人を紹介してください。お願いします!」

 第二王子付きの優秀な従者は、馬車の揺れでバランスを崩しかけたアリスを席につかせ「なるほど」と呟いた。彼の口の端が、先ほどよりわずかに上がっている。

「かしこまりました。各分野に精通している人物をご紹介しましょう」


>>続く
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