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第四章 暗雲
第32話 教会にて
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シスター・ティナは多くのアラービヤ国民同様、黒い髪の毛と瞳、そして褐色の肌をしていた。整った顔立ちをした彼女は笑ったときの物静かな雰囲気がピエールに似ているとアリスは思った。
「応接室へご案内いたします。どうぞこちらへ」
「はい、ありがとうございます」
アリスはシスターに続いてやや薄暗い廊下を歩いた。廊下に調度品などの飾り気は全くなくずいぶん質素に感じる。結婚式を挙げた寺院とは大違いだった。
「こちらが応接室です。お入りください」
「「失礼いたします」」
シスターが木製の扉を開き一礼した。アリスはピエールと室内に入り、黒い革製のソファに並んで座った。すると、入り口のドアをノックする軽快な音が聞こえる。シスターは「どうぞ」と言って内側からドアを開く。そこにはティーセットを乗せたトレーを持った少年が立っていた。
「シスター、お茶をお持ちしました」
「アラン、ありがとう。さあ、お客様にご挨拶を」
「はい。こんにちは!」
少年はシスターにトレーを渡すとアリスたちに向かって弾けるような明るい笑顔を見せた。故郷で療養している弟リュカと同じくらいの年齢だろう。少しは元気になっただろうか? そう思いながらアリスはアランに優しい笑顔を向けた。
「こんにちは、アラン。私はアリス・サウード。お茶をありがとう」
さらにアリスは立ち上がると、はにかむアランの手を取り、菓子を渡した。
「これは……?」
「これはキャラメル。ミルクとお砂糖で作った甘いお菓子よ。食べてみて」
アランは茶色い瞳をまんまるに開き、キャラメルを口に入れた。途端に彼の目尻がとろりと下がる。そしてめいっぱい鼻から息を吸い、甘い香りを堪能しているようだった。
「私の故郷で昔からあるお菓子なの。気に入ったかしら?」
「はい、とっても! こんな美味しいものを食べたのは初めてです。ありがとうございます!」
満面の笑みで頷くアランに、アリスはキャラメルが入った紙袋を手渡す。
「よかったら他のみんなにも分けてあげて。また来るときに持ってくるわ」
「きっとみんな喜びます! ありがとうございます!」
アランは深々と礼をすると、「ごゆっくり」と言い、紙袋を大事そうに抱えて部屋を出て行った。
「伯爵夫人、ありがとうございます」
「いいえ、喜んでもらえてよかったです」
礼を言うシスターに笑顔で返事をするアリス。しかし向かい立つ彼女は笑ってはいなかった。シスターはアリスがソファに座り直してからお茶を差し出し、自分も向かいの席に腰を下ろし改めて頭を下げた。
「どうかお気を悪くされないでください。お気持ちは嬉しいのですが、今後このようなことはお控えください」
「勝手なことをしてごめんなさい。けれど、なぜいけないのですか?」
食料が不足している状況であれば、差し入れは手放しで喜んでもらえるものと思っていた。アリスの問いかけに、シスターは静かに口を開いた。
「今のサウードであのような菓子は手に入らないからです」
「ええ、ですからまた来るときにお持ちしますよ」
「……略奪、ですか」
アリスとシスターの間に、黙って話を聞いていたピエールがいつもよりやや低い声で言った。その言葉に、シスターが頷く。
「おっしゃる通りです。窓の外の切り株は見えますか?」
アリスは窓の外に視線を移した。そこは中庭になっており、子供たちが数名遊んでいる。その奥に、数本木を切り倒した形跡がある。
「あれは、一体?」
「りんごの木です。五本ありました」
窓の外、遠くを見つめながらシスターは当時のことを語り始めた。
「前の領主夫妻が亡くなったあと、サウードは一気に貧しくなりました。他の領地は助けてはくれず、領民のほとんどがこの地に閉じ込められているような生活です。特に新鮮な野菜や果物は貴重になりました。そしてりんごの実がなり始めた頃、窓を割って中庭に泥棒が入ったのです。まだ実が小さかったので結局被害はほぼなかったのですが、『きっとりんごが食べごろになればまたやってくる』そう思った私は寺院の皆さんに協力をお願いし、りんごの木を全て切りました。万が一のことから子供たちを守るために」
切り株を見つめるシスターの目は寂しげだった。苦渋の決断だったのだろう。アリスはここまで領民たちが苦しんでいたのかと、いたたまれない気持ちになった。シスターが話を続ける。
「ですから、今教会の子たちが美味しいお菓子を食べているなどと知られたら、何をされるかわかりません。ただでさえ私たちは信仰の自由のもと教会を存続させてもらっていますが、実際は肩身も狭いのです」
アリスは席を立ちシスターの前にひざまづいた。そして彼女の震える手をそっと握った。
「大丈夫です。私と夫が、必ずこの領地と領民の生活を立て直します!」
>>続く
「応接室へご案内いたします。どうぞこちらへ」
「はい、ありがとうございます」
アリスはシスターに続いてやや薄暗い廊下を歩いた。廊下に調度品などの飾り気は全くなくずいぶん質素に感じる。結婚式を挙げた寺院とは大違いだった。
「こちらが応接室です。お入りください」
「「失礼いたします」」
シスターが木製の扉を開き一礼した。アリスはピエールと室内に入り、黒い革製のソファに並んで座った。すると、入り口のドアをノックする軽快な音が聞こえる。シスターは「どうぞ」と言って内側からドアを開く。そこにはティーセットを乗せたトレーを持った少年が立っていた。
「シスター、お茶をお持ちしました」
「アラン、ありがとう。さあ、お客様にご挨拶を」
「はい。こんにちは!」
少年はシスターにトレーを渡すとアリスたちに向かって弾けるような明るい笑顔を見せた。故郷で療養している弟リュカと同じくらいの年齢だろう。少しは元気になっただろうか? そう思いながらアリスはアランに優しい笑顔を向けた。
「こんにちは、アラン。私はアリス・サウード。お茶をありがとう」
さらにアリスは立ち上がると、はにかむアランの手を取り、菓子を渡した。
「これは……?」
「これはキャラメル。ミルクとお砂糖で作った甘いお菓子よ。食べてみて」
アランは茶色い瞳をまんまるに開き、キャラメルを口に入れた。途端に彼の目尻がとろりと下がる。そしてめいっぱい鼻から息を吸い、甘い香りを堪能しているようだった。
「私の故郷で昔からあるお菓子なの。気に入ったかしら?」
「はい、とっても! こんな美味しいものを食べたのは初めてです。ありがとうございます!」
満面の笑みで頷くアランに、アリスはキャラメルが入った紙袋を手渡す。
「よかったら他のみんなにも分けてあげて。また来るときに持ってくるわ」
「きっとみんな喜びます! ありがとうございます!」
アランは深々と礼をすると、「ごゆっくり」と言い、紙袋を大事そうに抱えて部屋を出て行った。
「伯爵夫人、ありがとうございます」
「いいえ、喜んでもらえてよかったです」
礼を言うシスターに笑顔で返事をするアリス。しかし向かい立つ彼女は笑ってはいなかった。シスターはアリスがソファに座り直してからお茶を差し出し、自分も向かいの席に腰を下ろし改めて頭を下げた。
「どうかお気を悪くされないでください。お気持ちは嬉しいのですが、今後このようなことはお控えください」
「勝手なことをしてごめんなさい。けれど、なぜいけないのですか?」
食料が不足している状況であれば、差し入れは手放しで喜んでもらえるものと思っていた。アリスの問いかけに、シスターは静かに口を開いた。
「今のサウードであのような菓子は手に入らないからです」
「ええ、ですからまた来るときにお持ちしますよ」
「……略奪、ですか」
アリスとシスターの間に、黙って話を聞いていたピエールがいつもよりやや低い声で言った。その言葉に、シスターが頷く。
「おっしゃる通りです。窓の外の切り株は見えますか?」
アリスは窓の外に視線を移した。そこは中庭になっており、子供たちが数名遊んでいる。その奥に、数本木を切り倒した形跡がある。
「あれは、一体?」
「りんごの木です。五本ありました」
窓の外、遠くを見つめながらシスターは当時のことを語り始めた。
「前の領主夫妻が亡くなったあと、サウードは一気に貧しくなりました。他の領地は助けてはくれず、領民のほとんどがこの地に閉じ込められているような生活です。特に新鮮な野菜や果物は貴重になりました。そしてりんごの実がなり始めた頃、窓を割って中庭に泥棒が入ったのです。まだ実が小さかったので結局被害はほぼなかったのですが、『きっとりんごが食べごろになればまたやってくる』そう思った私は寺院の皆さんに協力をお願いし、りんごの木を全て切りました。万が一のことから子供たちを守るために」
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「ですから、今教会の子たちが美味しいお菓子を食べているなどと知られたら、何をされるかわかりません。ただでさえ私たちは信仰の自由のもと教会を存続させてもらっていますが、実際は肩身も狭いのです」
アリスは席を立ちシスターの前にひざまづいた。そして彼女の震える手をそっと握った。
「大丈夫です。私と夫が、必ずこの領地と領民の生活を立て直します!」
>>続く
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