R18『千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~』

緑野かえる

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単話『ハロウィーンのその前に』

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 夜中、やっと帰って来た司は間接照明だけがついているリビングに明りを灯す。その先の書斎兼寝室に向かって鞄だけ置いてくるとクリーニングに出して欲しいと千代子が分かるようにスーツのジャケットとスラックスをパウダールームで剥ぐように脱いで、洗って欲しい物を入れておくカゴの横に掛けて置く。
 千代子が分かりやすいように、二人で決めた生活の小さな約束。

 ただ、そのスーツには香水が染みている。
 自分がエチケット程度に薄く付けている男性物の匂いではない。

 溜め息にアルコールが混じっている。
 懇意にしている年上に連れて行かれた場所で染みついてしまった濃い匂い。これも仕事の内だと割り切って飲んでいたけれど、いざ自宅に戻ってくれば優しい千代子の生活の気配が静かにある事に少し気分が沈む。

 今日は出来立ての夕飯が食べたかったな……とシャワーを浴びてリビングダイニングへ向かう。髪の毛をちゃんと乾かさないと怒る千代子を思い出しながら、でも今日は食べた気のしない夕食で……多少の濡れ髪のままタオルを首に掛けた司。冷蔵庫を開ければ自分が好きなように見繕えるよう、おかずの入った保存容器が並んでいた。

 いつもと変わらない光景。
 きちんと並んでいる千代子からの愛情。

 そして……司の目に入ったのは食べかけでラップがされたままになっているホットケーキの皿。今まで絶対に好物を残すなんて事をしなかった千代子なのにきっと――おやつの時間からもうしまわれていた。

 どこか具合が悪いのだろうか。
 デートをした時にでさえホットケーキを食べに行きたいと言うような千代子が半分もそれを残している。大きく焼いた物でもない。

(ちよちゃん……)

 心配になる。
 以前、千代子から「オーバーワーク気味です」と心配された事があった。
 正直に伝えてくれた彼女のお陰でその時の週末は仲良く過ごせたけれどそれから千代子とは。

 ぞくり、と背筋が寒くなってしまった。
 髪が濡れているからじゃなくて、そう言えば千代子と最後に体を重ねたのはいつだったのか――酒のせいもあるが記憶が曖昧になっている。

 司はさらに深い溜め息をつく。
 自分は何をやっているんだか。千代子が言い出せるような事じゃない。
 体調の心配もあるが、仲良く過ごす事の方も気が付いてみれば全然。
 あの温かくて柔らかな体を抱き締め、重ねた時に得られる安心感と滲み出るような幸福感はいつだって欲しかったのに。
 この穏やかで健康的な生活が出来ているのは当たり前じゃない……千代子の優しさが、小さな気遣いの積み重ねがあってこそなのに。

 翌朝、あまり眠れなかった司は同じようにあまり眠れなかった千代子と早朝にパウダールームでばったりと出会す。先に顔を洗っていたのか髪の毛がくしゃくしゃの千代子が慌てて跳ねている髪を撫でつけて恥ずかしそうに取り繕う。司にも同じく寝ぐせがある。千代子の言う通りにちゃんと乾かさなかったからだ。

「おはよう、ちよちゃん」
「おはようございます、昨日は遅かったでしょう……?まだもう少し寝ていても」

 心配する千代子だったがそれよりも、と司は向き合う。

「ちよちゃん、どこか具合が悪いとかない?」
「え……」
「私の帰りはいつも遅くて、気づいてあげられない事の方がきっと多いから」

 頭一つ分、背の低い千代子。
 見上げてから、まだ水滴が残っているフェイスラインを押さえるようにタオルで口もとが隠れたままで囁くような「大丈夫です」の言葉に言いたいことを少し隠している気がした。

「そっか、それなら良いんだ」

 司もまた、本心を聞き出したい思いを堪えてちょっと早いけどせっかくだからと「飲み物はコーヒーにする?」と朝の支度の話に話題を切り替える。


 暫くして、二人は少しゆっくりとした朝食の為にダイニングテーブルで向かい合って他愛もない話をしていた。

「それでね、急な話で申し訳ないんだけど」

 さくさくと焼き立てのトーストを食べていた千代子の心臓がどきりと跳ねる。また司は仕事で遅くなるのかな、と。

「金曜日の夜に懇親会があって、ちよちゃんも是非、と先方が」
「私が、ですか」
「うん……どうやらこの指輪の存在にやっと気づいてくれたみたいでね。なぜもっと早く言ってくれなかったんだ、と言われてしまったけれど言いふらすのもどうかと思うし」

 左手の薬指にきらりと光る金色のお揃いの丸い形。

「どうかな。たまには私の仕事を覗いてみない?」
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