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最終話
周琳華、ここに極まれり (終)
しおりを挟むその夜の周家の庭はとても賑やかだった。琳華は手洗いに立つ素振りで少しだけ宴の席から抜け出す。皆は口に出さなかったが明らかに自分たちの事について祝ってくれていた。
(まだお返事はしていないし、今日の今日だし……)
少々お酒を飲んだせいもあり頬に指先を当てれば熱く、けれどそれは感冒のような嫌な熱感ではなかった。
後宮から屋敷に帰って来て部屋に飾っておいた白い組紐……そして簪など装身具を入れる箱の中。お気に入りの手巾に包んで大切にしまっていたこの紅玉の髪飾り。
一体何度、箱から取り出しては二つを並べて眺めたのだろうか。その二つともが偉明から贈られた大切なもの。
夜風に琳華の裳裾が揺れる。
そして人の気配に振り向いた彼女の視線の先にいたのは偉明だった。
「この後、東宮に戻られるのですか?」
「ああ……一応、その予定なのだが」
「父の無礼をどうかお許しください。けれど偉明様ならもう、あの性格をご存じですよね」
頷く麗人は琳華の目の前まで歩み寄ると何か言いたげに、言葉を探す仕草をする。完全無欠の冷徹な親衛隊長が人の前で悩んだりありのままの姿を見せるのはきっと、珍しい。
「偉明様」
「すまない、この場合には何か気の利いた言葉を」
「いいえ……ふふ、いいのです。わたくし“いつもの偉明様”の方をお慕いしていましたから」
「あの姿はだな」
「兵法、ですね。わたくしも父の持つ本で理解はしていましたがいざ実践となるとまるで違って。そうですね……偉明様は後宮ではあまりにも未熟なわたくしを守ってくださっていた、と都合よく捉えてもよろしいですか?」
上級貴族の娘が父親の駒として危険な目に遭わないよう、偉明なりに考えてくれていた末のあの冷たかった態度。最初は琳華も綿の詰まった肘置き相手に憂さ晴らしをしていたが彼の言っている事は全て、琳華の身を守る為のものだった。
「私は……いや、俺は本当に疎くてな。書物通りの対応しか出来ていなかったかもしれない。だから」
若い二人の問答はいつまでも終わりが見えないくらいに続き――。
それから更に幾ばくかの時が過ぎ、姫君を乗せるような輿が後宮の内部へと入って行った。その輿は進入の制限がされている所までたどり着く。
出迎えに来ていた濃紺の官服の麗人に手を差し伸ばされ、その手をしっかりと握る美しい女性の姿が目撃されると「親衛隊長がどこぞの女人の手を」と瞬く間に話が広がる。
「琳華」
手は握っているが中々出て来ない琳華に偉明は輿の中を覗き込んだ。
「いつもの威勢はどうした」
「やっぱり駄目です……皇子様とお茶など畏れ多くて」
「昨日まで楽しみにしていたではないか」
偉明の手で軽く外へと引きずり出される琳華は侍女、梢によって最大限に着飾られていた。それは宮殿側、皇子からの注文と言うことで本当にどこぞの領地の姫君のような姿をしている。
明るい日差しの下に降り立つ妻の美しさたるや。
光り輝く玉のような琳華の髪には偉明があの日に贈った紅玉の髪飾り。唇を彩る紅は彼女の母親が贈ったものではなく、新たに偉明がこの日のために選んだものが塗られていた。
「琳華、行こう」
この人はいつまで手を握っているつもりなのだろうか、と恥ずかしさに頬がお化粧よりも色づいてしまいそうになるが絢爛豪華な後宮の楼閣や宮を望む瞳は爛々と輝き、唇は小さく開く。
「周琳華、ここに極まれり……かしら?」
全てはこの後宮から始まった。
彼女の小さな呟きに偉明は「何か言ったか?」と問うがすらりと姿勢を正した美しき女傑はにっこりと笑顔を浮かべて首を横に振る。
「晴れの日に芋を引くようでは旦那様の妻ではありません。何事にも胸を張って強くあれ、とここで学びましたから」
「お前の場合は生まれ育ちが特殊……まあ、そう言うことにしておこうか」
「あら、それを手取り足取り教えて下さったのはどちらの殿方で」
「っ、な……待て、琳華。他の者に誤解を」
裳裾を揺らし、おかしそうに笑っている琳華は再び後宮へ――東宮へと向かう。正式に二人が婚姻を結ぶと言う目出度い報告を待ち望む皇子も正室に迎えたい思い人がいると言う言葉を発して若き夫妻を驚愕させたのはまた、別のお話。
おしまい。
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