ギルド受付嬢は今日も見送る~平凡な私がのんびりと暮らす街にやってきた、少し不思議な魔術師との日常~

弥生紗和

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第2章 魔術師アレイスの望み

第53話 教会

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 教会の周囲は背の高い木々に囲まれている。広場からそれほど離れていないのに、ここだけ喧騒から切り離されたようで、息をのむような静寂が辺りを包んでいた。
 建物はとても古い。全体的に灰色で、石造りの外壁にはところどころヒビが入っているのが見える。私が生まれるずっと前から、この建物はミルデンの街と共にあったのだ。
 ちらりと横に立つラウロの顔を見ると、慣れない場所に来たからか、彼の表情は緊張でこわばっていた。

「緊張しなくて大丈夫。さあ、行こうか」

 ラウロはこわばった顔のまま、小さく頷いた。

 勉強会は教会の図書室で行われている。重そうな扉は開け放たれていて、中から人の話し声が聞こえてきた。まだ勉強会は続いているようだ。
 ラウロを連れて図書室に入ると、想像していたよりも多くの人が机に向かっていた。子供がほとんどだけど、大人の姿もちらほらある。みんな真剣な顔で、小さな黒板に文字を書き込んだり消したりしていた。懐かしいなあ、私も子供の頃、あの黒板を持ち歩いて授業を受けたものだ。手や服の袖が白いチョークで汚れるんだよね。

 私たちに気づいた聖女が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。足元まで覆うゆったりとした灰色の聖女服をまとった彼女は、私と同じくらいの若い女性だ。

「ご見学ですか?」
「あ、はい。討伐者ギルド・ミルデン支団の受付嬢、エルナ・サンドラと申します。実はこの子を勉強会に参加させてもらいたくて……」

 そう言って私はラウロを前に出るよう促した。ラウロは戸惑いながら聖女を見上げる。

「我が教会は学びたい者をいつでも歓迎いたします。あなた、お名前を教えていただける?」
「……ラウロ」

 ラウロは恥ずかしそうに俯いた。聖女はとても綺麗な顔をしていて、同じ女性の私でも少し緊張してしまうくらいだ。少年のラウロが戸惑うのも無理はない。

「私は聖女ウィンドと申します。毎週、休息日にここで勉強会を開いて、皆さんに読み書きを教えています。ラウロ、早速だけど今日から参加できるかしら?」
「……う、うん」
「では、後ろの席に座ってくださいね」

 聖女ウィンドが微笑むと、ラウロは弾かれたように急いで席に着いた。よかった、この様子ならラウロは毎週真面目に教会へ通ってくれそうだ。

「では、ラウロはこちらでお預かりいたします。エルナさん、失礼ですが彼とはどういう……?」
「ええと、ちょっとした知り合いと言いますか……ラウロは将来討伐者になりたいみたいで、そのためには読み書きが必要だと思ったんです」
「なるほど、討伐者に……それでしたら、読み書きは必要なスキルですね。ラウロが夢を叶えるために、私も協力させていただきます」
「よろしくお願いします、ウィンドさん」

 ウィンドさんは胸に手を当てて微笑み、「お任せください」と私に返した。



 ラウロを残し教会を出た私は、灰色の大きな建物を見上げた。ラウロの夢を叶える手伝いができたのなら良かった。後は教会に任せよう。
 聖女は皆、癒しの力を持っていると言われる。といっても傷を直接治すというよりは、治らない痛みや心の悩みを癒してくれる人たちだ。彼女たちは普段教会から外に出ることがなく、街で見かけることはあまりない。どこか浮世離れしていて、謎が多い。ウィンドさんはお人形のように綺麗な顔立ちで、身のこなしも上品な人だった。彼女がラウロの力になってくれることを願う。

 私はギルドに戻ろうと歩き出す。気のせいか、足取りがいつもより軽い気がした。


 ♢♢♢


 ある日の朝のこと。大あくびをしながら私は自宅の裏庭へ向かう。

「お母さん? 私今から市場に行ってくるけど、何か欲しいものある?」

 私の家には小さいけれど温室がある。裏庭にガラス張りのキラキラした小屋があるのは、近所でも我が家くらいのものだ。この温室は、母が自分で植物を育てるために建てたもの。母はいつも朝起きると真っ先に温室へ向かう。水やりや植物の観察……夢中になると我を忘れてしまうので、放っておくといつまでも温室の中にいることもある。

「あら、市場に行くの?」

 温室中を埋め尽くすほどの植物の中から、母がひょっこりと顔を出した。

「うん、野菜とお肉を買いに行くの」
「気をつけてね。それより見てエルナ! 不可能だと思われていた『太陽の花』が咲いたのよ!」

 母は目を輝かせながら私を手招きした。

「太陽の花って?」
「南の大陸でしか育たないと言われている花なのよ。種を手に入れて、何度も失敗して、ようやく今日花が咲いたの。見て、この黄金色の花びら……とっても美しいと思わない?」

 太陽の花は見た目が小さいヒマワリのようだ。母が見せてくれた鉢植えには、太陽の花が一輪だけ咲いていた。

「綺麗な花……」
「この花の素晴らしいところは見た目だけじゃないの。太陽の花は生命力そのもの……つまり、討伐者向けの回復薬の原料になるわけなのよ」
「すごい! でも、お母さんが温室で育ててやっと一輪咲いただけでしょ? 量産化は難しいんじゃない?」
「そうなの、そこが問題なのよねえ。でもとにかく一輪は手に入ったから、これを早速ギルドに持って行って薬を作ってみるつもりよ」
「上手くいくといいね。とりあえず、私は市場に行ってくるね」
「ああ、そうね。行ってらっしゃい」

 私は母に「行ってきます」と声をかけて温室を出た。空を見上げると、どんよりと灰色の雲が広がっている。このあと雨になるかもしれない。早めに買い物を済ませた方が良さそうだ。

 アレイスさんとのことで少しぎくしゃくしたこともあったけど、私と母はすっかり元通りになっていた。母と二人暮らしの私は、母との日々をできるだけ楽しく過ごしたい。喧嘩はしたくないし、家の中は常に明るくしておきたいのだ。あれから母はアレイスさんのことを聞いてこないし、私も彼の話をしないようにしていた。

 どうか、このまま楽しく毎日が過ごせますように。
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