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第三話 貧弱王子と剛健王女

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 他国の城の中を入ったのは彼にとって初めてのことである。

 高い天井とそこにぶら下がる眩い光を放つシャンデリア。
 さぞ高名な人物が描いたのであろう大きな絵画が壁に並び、自身の姿が映り込むほどの透明感のある床が敷き詰められている。
 ポリーの居城とは似ても似つかない環境に、メイジは目を奪われた。
 その周囲には一定間隔で衛兵が数名控えている。

 しばらく進んだ後、女性は一際分厚い扉の前で立ち止まる。
 そして室内へ向けて声をかけた。

「陛下、ポリーよりメイジ殿下がお目見えです。いかがなさいますか?」

「ポリー……直接まみえるのは初めてか。良かろう、通せ」

 扉の向こうから、ややハスキーな声色をした女性の声が返ってくる。

「かしこまりました」

 使用人の女性は頭を下げ、メイジの方を振り向く。

「お待たせいたしました、メイジ殿下。それではこちらへ」

 彼女が扉をゆっくり開くと、そこには分厚く美しい氷に一面覆われた王の間が目に飛び込んできた。

 そして視線を正面へ向けると、玉座に腰かけていてもわかるほど高身長な女性と目が合う。
 恐らく、一般的なスティールヴァンプの民よりも頭一つ分ほど大きいだろう。

 ドレスを着飾っているのではなく、衛兵たちと同じように甲冑を着込んでおり、目鼻がハッキリとした美しい顔立ちに、さながら吸血鬼のような切れ長の紅い眼が光る。
 髪は深い黒に染まっており、鈍い金の髪をしたポリーの者からすれば珍しい色合いである。
 よわいは恐らくメイジと同じぐらいのはずであるが、王としての風格は圧倒的に上であり、虫一匹の呼吸も許さないような張り詰めた空気を漂わせていた。

 メイジは呼吸を整え、一歩前へ出てひざまずく。

「お初にお目にかかります、メティス女王陛下。私は南国ポリーの第一王子、メイジ・ミストレーヴェルと申します。以後お見知りおきを」

 つつがなく挨拶は済ませたものの、彼の心臓の鼓動は今までに体験したことが無いぐらいに早まっていた。

 彼の言葉を聞くと、メティスは長い睫毛まつげを動かしてゆっくりと瞬きをする。

「遠方よりご苦労、メイジ殿下。さぁ、茶飲み話をしにきたわけでもなかろう、要件は何だ?」

「それは……」

 口ごもりそうになるのを堪え、メイジは続ける。

「我らポリーと貴国スティールヴァンプ帝国との同盟を提案しに参りました」

 言葉を言い終えると、彼はメティスの表情を確認する。
 彼女は特段、驚くこともなければ拒絶するような素振りも見せていなかった。

「同盟? 何故だ」

 メティスは小さく首を傾げる。
 彼女の反応から察するに、ポリーのことをよく知らないのかもしれない。
 スティールヴァンプからしてみれば、ポリーなど指先一つで潰してしまえるような小国。
 関心が無いのも無理はない。

「ポリーは非常に小さな国です。今まではどうにか凌いできましたが、周辺の列強国に食い潰されるのも時間の問題なのです。故に強国であるスティールヴァンプのお力添えをいただきたいのです。つきましては、私と貴国の王女との婚姻を以って同盟とさせてはいただけないかと参った次第です」

 一通り彼のお国事情を聴いた後、メティスは凍えるような視線をメイジに送った。

「そうか。それで、王女とは誰のことを言っている?」

「え……それは」

 言われてみれば、当の王女が見当たらない。
 眼前にいるのは女王であり、王子たるメイジが婚姻をするべき人物は王女であり姫なのだ。
 だが、メティスの周りには同じような王族の者らしき影が無い。
 勿論、他の部屋にいると考えた方が自然ではあるのだが、彼女の言葉を踏まえるとどうにもその可能性は低く感じられた。

「よもや貴様、私が娘のいるような年齢の女に見えるのか?」

「あ、いえ! 滅相もございません……」

 少し不機嫌そうに問いただすメティスに気圧けおされる。
 無論、彼女に子がいるかどうかなど意識していなかった。
 しかし、あの瞳に睨まれると身体は自然と強張ってしまうのだ。
 メイジにはない王の畏怖のようなものである。

 メティスは小さく息を吐き、腕を軽く組む。

「この国に王女などおらん。父トーラ・スティールヴァンプと、母リタ・スティールヴァンプから生まれた私こそが唯一の娘であり女王だ」

 リタ・スティールヴァンプは先代の女王であり、その名はメイジも知る所であった。
 勇猛にして果敢、数々の国を征服し領土を拡大した将であり王。
 一方、夫のトーラは王族ではなく、征服先で出会った一般の医者だと聞き及んでいた。

 聞き覚えのある名を耳にし、頭を整理していくメイジ。
 その結果、この状況が彼にとってまずいものであることを確信する。

「つまり、貴様が婚姻を請うておる相手はこの私というわけだ」

「そんな、まさか……」

 自分から結婚を申し込んでおいて、中々に失礼な反応だとは彼も分かってはいたが、それ以上に予想だにしなかった事態に驚きを隠せないでいた。

「何、答えは決まっている。無理だ」

「そう、ですよね……」

 あっさりと薄っぺらい希望は打ち砕かれた。
 ここまでやってこられたことが既に奇跡みたいなもの。
 それ以上を望むのは欲張りすぎであったのかもしれない。

 彼の苦笑いを見て、メティスは言葉を補う。

「貴様のことが嫌いで言っているのではない。嫌いになるほど貴様のことをまだ知らん。そうだな……不可能だ、というべきか。これはスティールヴァンプの王家に代々受け継がれてきた誓約によるものだ、諦めろ」

「誓約……ですか?」

 他国の風習には疎くはないが、とりわけ詳しくわけでもない。
 スティールヴァンプに何らかの決まりごとがある事実を、メイジは知らなかった。

「あぁ。スティールヴァンプの王家より誕生した者は、より強い力を持つ者とのみ結ばれることを許可される。強き血は更に強力なものへと色濃く受け継がれていく。それがこの国が覇者である理由の一つだ」

 よく聞く話ではある。
 強靭な遺伝子を持つ両親から生まれる子が、同じかそれ以上に逞しく育ちやすいのは事実だ。

 しかしながら、同時に疑問が湧いた。
 彼女の母である先代、リタ・スティールヴァンプの夫は医者であるトーラだ。
 強力な他国を次々と打ち負かすほどの王に、一介の医者が力で勝てるようなものなのだろうか。
 可能性はゼロではないが、考えにくい。

 とはいえ、今それをここで問おうと思えるほど彼には度胸が無い。

 疑問はひとまず置いておくにしても、メティスから婚姻の条件を聞くことができたのは、メイジにとって大きな収穫であった。

 再び、彼の目に活力が戻る。
 そして真っすぐにメティスの顔を見て、口を開いた。

「つまり……私が陛下に勝てば婚姻を許可してくださるのですか?」

 とんでもない彼の言葉に、それまでは人形のように静止していた周囲の衛兵がざわつく。
 当のメティスも呆気に取られていたが、次第に状況を呑み込み大笑いした。

「フははッ! 何を言うかと思えば。それが無謀なことであると、誰よりもわかっているのは貴様であろうに」

 彼女はまだメイジの言葉を冗談だと捉えているのかもしれない。
 であればこそ、嘘偽りない本心であることを念押す必要がある。

「無謀なこと、愚かであること。よくわかっています。それでも私はポリーの王子として挑みます。ポリーの未来は私にかかっているのですから」

 彼の表情には一切の緩みがなかった。
 この王の間に入ってきて初めて見せる、本当の意味での真剣な表情。

 メティスも笑うのをやめ、玉座から腰を上げた。

「……そうか。ならばその意気を買おう」

 彼女は笑みを浮かべ、玉座の横に立て掛けてあった自身の背丈と同じかそれ以上の大きさの剣を掴み取る。
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