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2話
しおりを挟むその場の誰もが圧倒された雄叫びと同時に、店内は椅子や机が飛び交った。
店主はカウンターの下に潜り込み、カズユキは椅子を避けながら飛んできた方向を見る。
黒い毛に覆われた、三つ目の獣がテーブルの上で唸り声をあげて周囲を牽制していた。
魔獣だ。
大きさとしては小型犬程度であるが、見た目よりも力が強く加えて魔力もある。
その近くには小型魔獣捕獲用の檻だったものが、見るも無残な姿で散らばっている。
その魔獣はテーブルの下で尻餅をついている男を睨みつけたかと思うと、恐怖を覚える前に飛びかかった。
「ああぁああ!!」
男は恥も外聞もなく、悲鳴を上げた。本能のままに身体を丸め、腕で顔を庇い目を瞑る。
「まぁ、待て待て」
あわや、人がひとり死ぬかもしれない切迫した場面で。その場にそぐわぬ暢気な声が聞こえる。
カズユキだ。
事態を察知した誰もが身をすくめている中、たったひとりカズユキだけが男を背に庇い立っていた。真っ黒のロングコートが翻る。
腰にあったはずの剣を横向きに突き出し、魔獣に噛み付かせていた。そのまま魔獣と押し合いの力比べをしながら、尻餅をついたまま動けない男に話しかける。
「なぁ、この魔獣は殺っていいのか?」
「い、依頼は捕獲だ……!」
命の危機に直面して腰が抜けている男は慌てて口を動かす。
傷が少なければ少ないほど、報酬が高くなる。最も高い報酬を得るために計画を練り、道具を準備し、罠を仕掛け、何日も魔物の蔓延る山の中に身を隠していた。
そしてようやく、無傷で捕らえることに成功したのだ。
殺されてしまっては全てが水の泡だった。
カズユキは口端を上げた。
「なるほど。8割でどうだ?」
「5割……!」
ただで助ける気はないことをすぐに理解した男は頭の中で譲れる範囲を計算する。
カズユキは淡々とした声を出しながら、首だけ男に向けた。
「このまま放すぞ」
「クソ! 6割!」
「殺すのもありか?」
「7! 7割でどうだ!」
これ以上は赤字だ、と男は奥歯を噛み締めた。
紅い目が細められ、形の良い唇からは白い歯が覗いた。
「おお、ラッキー! 6割5分くらいのつもりだったぜ。毎度あり~!」
弾けるような声の後、カズユキは片手のひらを魔獣に向ける。人を魅了する赤い唇から、歌うように呪文が流れ出した。
即座に危険を察知した魔獣は剣から口を離し、後ろの机へ飛び退く。
「残念、もう遅い」
光り輝く魔法陣が逃げた先のテーブルを中心に広がっていく。その場からさらに動こうともがき鳴く黒い魔獣だったが、だんだんと動きが鈍くなる。
最後はその陣の中心で横たわった。
「おやすみ~」
カズユキの言葉と共に光が消える。
「とりあえず店にいる間は寝てるぜ。依頼人に早く引き渡した方がいいんじゃねぇか?」
ずっと座り込んでいた男は、慌てて立ち上がると魔獣の方へ転がるように駆け寄っていった。
息をひそめて成り行きを伺っていた客たちから歓声が上がる。
(ほんと、最近は魔獣のトラブル多いな…)
「魔獣」とは通常の動物とは違い、魔力量を多く体内に宿した異形の生き物である。呪文などは必要なく炎を操ったり雷を放出したり姿を消したりと、各々が違う能力を生まれながらに持っている。
普段は人間の居住区へ降りてくることはないが、ここ数年は魔獣の能力を生活に取り入れる動きが出ている。
つまり、家畜として働かせようと言うわけだ。実際、実用化を成功させた例もある。
研究のための魔獣捕獲の依頼が増えたのだが、上手く制御できないと今回のようなことになるのだ。
カズユキのようにきちんと対処できる人間としては収入源が増えて良いことだったが、すぐに解決出来なかった場合の被害は計り知れない。
国や領主に対応が求められている多くの問題の内のひとつだった。
「ついでに店内も片付けてくれよ」
ドヤ顔で手を振り、歓声に答えていたカズユキに店主が声を掛けた。
赤い瞳が店全体を確認するために動く。
「あー? いくら?」
魔獣がいた場所を中心として、縁を描くようにテーブルや椅子が散乱している。檻から逃げるために全力で魔力を発したことが窺えた。
人力で元に戻すのは骨が折れそうである。
しかし、カズユキであれば魔術で元に戻せてしまう。多少時間が掛かるが簡単であろう。そう判断した店主はニカリと笑う。
「さっきまでの食事代でどうだ?」
「安すぎだろ! ま、たまにはいいか。」
一瞬だけ眉を寄せたカズユキであったが、店主とは古くからの付き合いだ。常々、世話にもなっている。
(お互いさま、だな。)
口角を上げ、再び魔術を発動させようと手を掲げた。
しかし、呪文が唱えられることはなかった。
けたたましい音と共に、店のドアが勢いよく開いたからだ。
カズユキも店長もその他の客も。今度はなんだと、一斉に出入り口へと顔を向けた。
そこに立っていたのは、何かを肩に担いだ褐色肌の大男。
身の丈は2メートルほどあるだろうか。
背中を覆うほどの黒く長い髪は頸より少し高いところで束ねられている。
襟のないベージュのシャツを着た男の足は、まさに扉を蹴った後だというように上がっている。担いでいるものと大きな皮袋の荷物で両手が塞がっていたため、蹴り開けたらしい。
切長の澄んだ青い瞳は、荒れに荒れた店内を見渡した。
それから真っ直ぐカズユキへと視線を向ける。
「もう終わったか?」
「ああ、ついさっきな」
「そうか、怪我は?」
「誰に口きいてんだよ」
「なら良い」
カズユキと淡々と会話をしながら大股で店内に入ってくる。
持っていた皮袋をカウンターの内側にいる店主に差し出す。その中には野菜や肉などの食材が詰まっていた。店主は扉の開け方を咎めることもなく、依頼した荷物を受け取り中身を確認する。
そのやりとりの間に部屋を元通りにするための呪文を唱えたカズユキは、魔術を発動させながら顎で大男の肩を指す。
「で、それは?」
「拾った」
「元の場所に捨ててこいっつーわけには、いかなそうだな」
子どもが石でも拾って来た時のような軽い口調で告げられた言葉にため息を吐く。
せめて動物だったらよかったというのに。
担がれているものは、どう見ても人の形をしていた。
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