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話し合いは大事

そのままの君が好き

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 状況に似合わない、爽やかな香りが部屋を満たした。
 タイガに噛み付いていたアイトの顎から力が抜け、だんだんと目に光を取り戻していく。

「……っわ!」

 口が離れたのを見計らって、ラビはすかさずタイガをアイトの上から引き離す。勢いが良すぎてふたりで尻もちを着いた。

「……俺……」

 状況が理解できていないのだろうか。
 アイトは唖然としながら起き上がる。
 濡れた額に手を当てて座り込んだまま、服が破れ体に傷があるタイガの姿を見た。
 爪に血の付いた手を見下ろし、袖口で口元を拭う。
 そこに付いた赤色を目に入れた顔が、泣きそうに歪む。
 ラビに殴られて腫れ始めた頬が異様に痛々しく見えた。

 正気を取り戻したらしいアイトの様子を伺いながら、タイガは一歩近づこうとした。

「あ、アイト……?」
「タイガ……」

 縋るような視線を向けたアイトだったが、唇をかみしめそれ以上は何も言わず素早く立ち上がる。
 そして、くるりと背を向けて部屋から出て行った。

「おい……!」
「タイガ駄目だ!」

 追いかけようと立ち上がったタイガの手首をラビが掴む。
 玄関のドアが乱暴に開けられ、勢いよく閉まる大きな音が耳に届いた。
 ラビの手は構わずにタイガは焦って足を踏み出そうとする。
 アイトは足が速い。早くしないと見失ってしまう。

「でも謝らな!」
「今、外に出たらどうなるか想像しろ!」
「……! あ……」

 タイガの放つ匂いのせいでアイトが無理な発情をし、自我を保てない状態になったことを思い出す。自分の香りはいまいちよく分からず、無自覚になりがちだ。

 今、外に出たら。

 間違いなく道行く雄が群がってくることだろう。
 ここは牛の国。
 穏やかとはいえ、力が強く大きい牛獣人が住む国だ。

 部屋を出るわけにはいかないと思い至り、タイガは床にへたり込んだ。
 思いとどまったタイガを、ラビが強く抱きしめる。

「ら、ラビ……!」
「ごめん、タイガ。オレがあいつを煽ったせいだ。ごめん……!」

 悲痛な声が絞りだされた。
 昼間、ラビとアイトが何を話していたのかを知らないタイガは、戸惑い視線を泳がせる。
 謝られる覚えはない。
 薬を使った結果、どのような事態になるかよく考えもせず軽率な行動をとったのは自分だ。

 タイガにとってはラビもアイトも被害者だった。

「煽った? よ、ようわからんけど、どっちかいうたら俺のせい……未遂やし……」
「未遂!?」

 ラビは体を離すと、タイガの体を見る。
 パジャマはボタンが千切れており、露わになっている鎖骨、肩、腰には痛々しい噛み痕やひっかき傷がある。体全体が、引き摺ったような擦り傷で赤くなっていた。
 下半身など、何も纏っていない状態だ。

 形のいい眉が寄り、赤い瞳からは今にも涙が零れそうだった。

「こんなに怪我して……」

 ラビは鎖骨に顔を寄せると、柔らかく血のにじむ歯型を舐める。

「んっ……、ま、まぁ……」

 ピリッとした痛みに肩を震わせながら、タイガは宥めるように白い髪を撫でた。
 アイトが居たときは威嚇のためか怒りのためか、ピンと立っていた長い耳。今は力なく倒れている。
 まるで、襲われたのはタイガではなくラビだったかのようだ。

「怖かった、けど……ラビが来てくれたから、セーフ……」
「あんなのセーフじゃない!」
「ごめん」

 震えそうになる手を握り、気を楽にしてもらおうと笑顔を作って言ってみたが、全力で否定された。
 タイガは思わずうつむいた。
 感情表現にあまり波のないラビが声を荒げることは珍しい。
 本気で心配し、怒ってくれている。
 それが申し訳なかった。

「タイガは何も悪くない。発情したって、無理矢理襲うのは反則だ」

 強い言葉を吐いてしまった事に気づいたラビが、我に返った。
 改めてタイガを抱き寄せ額を合わせる。

(ほんま、優しいやつやなぁ……)

 愛しい人の息遣いを間近に感じると、体から力が抜けた。
 自然と口角が上がってきてしまう。

「ラビ、ありがとな? 怖かった、やろお前も」
「腹立ちすぎて怖くはなかった、けど。庇ってくれてありがとう。やっぱり、タイガはかっこいいな……」

 震えるラビの手元を見て恐怖を感じているのだとタイガは想像していたが、どうやら怒りで震えていただけらしいことが判明した。
 そのことにも安堵して、肩に顎を乗せラビに体重を乗せる。

「マウントとれたらまだましやったな」

 アイトに飛びかかった時のことを思い出す。
 押し倒されて服を剥がれた時には体が竦んでしまい、諦めていたというのに。
 ラビが助けてくれてからは、驚くほど体が動いた。
 短時間でも、自分より力の強い相手を抑えられたのは素直に嬉しかった。

「……オレも、もう少し鍛えようかなやっぱり……」

 逆にラビは、アイトに蹴られてから上手く動けなくなった時間が気になっている様子だ。
 あの状況では仕方のないことだったし、ラビは十分筋肉もついており腕力体力もあるのをタイガは知っている。
 だか、そんなことは関係なく。

「そのままでおって」

 もしもラビが小さくか弱い兎獣人だったとしてもタイガは同じことを言っただろう。

 ふたりは、どちらともなく唇を寄せ合った。
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