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時価1000万

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 ずっと考えて、同じくらい考えないようにしていたことがある。

 アイドルとして、ファンとの線引きはしっかりしてきたつもりだった。アイドルに徹するから好かれるのだと理解していた。
 けれど、ここは花街でアオイは男娼だ。アイドル時代とは違い直接手渡される贈り物と、すぐそばにはベッドがあり、耳を澄ませば嬌声が聞こえるような空間で、アオイが引いていた境界線は徐々に曖昧になってしまった。

 歌や踊りを披露するたびに目を輝かせて「素晴らしい」「最高です」「アオイ以上に私の心を震わせる人はいません」と褒め称える男に絆されている自分がいた。信じられないことに、気づいたら、男を心待ちにさえしていた。
 借金のこともある。一晩でいい。あの男に抱かれさえすれば。 
 そんなことを考えるうち、いつの間にか、そう、彼になら――。そんなことすら思っている浅ましい自分がいることに、アオイは気づいていた。

 それなのに、男は決してアオイを抱こうとしないのである。回を重ねるたびにただでさえ薄かった性の匂いはどんどん薄れていき、最近の男からは一切そのような欲は感じられない。自身に向けられる感情に敏感なアオイは、当然性的なそれに対しても敏感だ。そのアオイがどうやっても感じられないと言うことは、つまり、男は正真正銘、純粋なアオイのファンなのだった。

 元の世界で会いたかったな、とアオイは思った。そしたら、こんなに悲しくなかった。善良な1ファンとして、n=1の存在にできた。自宅の玄関の扉を開けて、鍵を閉めてしまえば忘れられる、そんな存在。
 あんなに理想的なファン、元の世界でもそう居なかったのに。アオイは独り、そうと自分では気づかないまま戸惑っていた。
 だから、せめて嫌悪していて欲しいと思うのだ。アオイのことが抱けないのではなく、興味がないだけだと思いたかった。

 ノヴァの何か言いたげな視線に気づいたアオイは、話題を変えるように「違うんです!」と大きな声を出した。
 
「あの人のことは今どうでもよくって! とにかく、僕はこういう貢物で借金を返済してく必要があるんです! ちなみにこの柘榴石の流行りっていつまで続きそうとか分かりますか?」

 深みに嵌っていこうとする思考を遮るように首を振り、わざとらしいほど明るい声を出した。
 無理やり変えた話題にノヴァはひとりとした目でアオイを見たが、アオイが笑いかけると「流行ね」と小さなため息を吐いた。ノヴァの優しさにほっと胸を撫で下ろす。ちらりとエトを見ると、彼は面白そうに目を細めるだけで何も言わなかった。どこまで気づかれているんだろう、とアオイは思った。ただの客の1人にこんなにも揺さぶられているアオイを、傾国とさえ渾名されている彼はどう思っているのか。

「宝石類の流行り廃りは誰が何を付けるかによるからな……柘榴石が高騰してるのは空の君のお気に入りだからだし」

 こっそりエトを伺いながら思索に耽っていたアオイは、ノヴァの言葉に首を傾げた。

「空の君?」
「この国の神様」
「へー」
「…………」

 ノヴァは噛みきれない肉でも詰め込まれたかのような、なんとも言えない顔でアオイを見た。ノヴァの真意がつかめずきょとんとしていると、彼は大きなため息を吐いて頭を抱えた。

「時々アンタの無知加減が恐ろしくなる」
「そういうとこも可愛いでしょ」
「オレ、こんなこともアンタに教えなきゃいけないの? 教育係の範疇超えてるよね?」
「いうてノヴァさんから教えてもらったことってそうないですけど」
「は? それはアンタが客と寝ないからだろ」
「で、空の君?が神様なんですか?」
「雑理解やめろ。神様のような尊い御方なんだから竜神様だよ。……ほんとに知らない? アンタの故郷未開の地?」
「ええ~いや結構拓けてたと思うんですけどお」
「類基準で話してる?」
「失礼すぎる」

 アオイのかつての生活拠点は大都会東京である。GDP世界3位の日本は決して未開の地ではないが、異世界は日本とブラジルよりも距離があるので比較は無意味だろう。よって、アオイは未開の地評価を甘んじて受け入れた。

「まあ、少なくともこんなに魔法は身近じゃありませんでした」
「ああ、アンタいまだに魔道具見てびっくりしてるもんな」

 アオイは曖昧に頷いた。科学よりも魔法が発達したこの世界の主な資源は化石燃料ではなく魔石である。髪を乾かそうとする度にコンセントを探してしまうアオイは、この世界に完全に馴染めたかというと実はそうでもなかったりするのである。

「……あれ、ということは、竜人って実在するんですか?!」
「…………アンタ、実在しないと思ってたモン要求してたわけ?」
「蓬莱の玉の枝のようなものかと」
「ほうらい? 何それ」 
「珍しくて手に入らないものの代名詞」
「間違っちゃないな……」
「ん、そしたら天使や悪魔もいるってことですか?」
「はあ? 魔力があるんだから当然悪魔も天使もいるに決まってるじゃん」

 何が当然なのかはさっぱり分からなかったが、アオイは賢明にも沈黙を選択した。ノヴァの話は淡々と続いていく。

「悪魔とか天使とか、竜人もそうだけど、たくさん魔力を持つ生き物の周りには魔石ができやすいわけ。で、普通は竜の人って書いて竜人って言うけど、この国を守って、魔石を作ってくれる竜人は竜の神様って書いて竜神様って呼んでんの」
「それはあまりにも人間に都合が良すぎませんか?」
「意外とそうでもなくて竜人側にも色々メリットがあったはずだよ。ほら、まあ、忘れたけど」
「やっぱ僕そこまで非常識じゃないとおもうんですけど」
「いやエトさん基準にされてもな」
「……ちなみに、竜神様ってたくさんいるんですか?」
「さあ、神様なんだし1人なんじゃない?」
「なんで疑問系?」
「俺がそんなお上のことなんか知るわけないだろ。人より長いたって竜人の寿命も有限で、だからなんか気づいたら変わってたりするらしいし」
「自由だな」
「まあ人間は魔石が得られればいいわけだから何人いたってどうでも……。ただ、今の竜神様は結構長いんじゃなかったっけ。100年前から変わってなかったはずだし……。名前は……なんだっけ、エトさん」
「ジスラン様」
「そうジスラン。ジスラン様」
「ふうん……」

 当たり前だが聞き馴染みのない名前だ。ジスラン。何度か口の中で転がしてみる。やっぱり、しっくりはこなかった。
 アオイは手元の柘榴石を照明に反射させた。――あの美しい男が初めてアオイに贈った宝石も、柘榴石だった。

「ノヴァさん」
「なに」
「その、竜神様って――」
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