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時価2000万
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しおりを挟む「アオイはきっと気づいているけど……私は何に対しても興味がありません」
「それは……うん」
アオイは躊躇いがちに頷いた。アオイの目が確かなら、ジスランは自分自身にさえ興味がないはずだった。
「他の竜人は概ね成人前に執着する対象を……私たちの間ではそれを運命とも呼びますけど――とにかく、80歳前後で見つけます」
ですが、とジスランは目を伏せた。
「私は、200を過ぎた今も、それを見つけることができなかった」
それはきっとジスランの心の柔らかい場所だった。アオイの唇が震える。慰めようと持ち上げた右手は中途半端な所で止まり、結局下ろしてしまった。慰め方なんか知らない。アオイは唇を噛んだ。
「それを劣っているとは思いません……ただまあ、変わってはいます。変わっているから、竜神として生きてきた面もありますけど」
「でも、でも、僕のことは好きでしょ?」
ジスランが顔を上げる。その顔は驚きに染まっていた。アオイは震える手でジスランの手を握った。
「アオイ?」
「僕はジスランの運命にはなれないけど――」
だってしょせん仮初の関係だ。鼻の奥がつんとして、アオイは慌てて俯いた。俯いたから、ジスランの顔が苦しそうに歪んだことに、アオイは気づかなかった。
「でも、ジスランの好きな僕でいることはできるよ」
「……ええ、そうですね」
ジスランはそう言って寂しそうに微笑んだ。本当の運命なら、ジスランにそんな顔させなかったのかと思うと、悔しくてたまらなかった。
アオイは一生懸命言葉を重ねた。
「だから、明日は僕を、僕だけを見てて」
「ええ、それは言われなくても……」
アオイは笑顔を作った。今度は完璧な笑顔だった。
「きっとジスランは僕を好きになるために生まれてきたんだよ」
ジスランが大きく目を見開く。その顔を見ながら、アオイはきっと本当は逆なんだろうな、と思った。本当は、僕はジスランを好きになるために生まれてきたのだ。
◇
「うーん完璧。自分の才能が怖い」
式典を終え、夜の舞踏会のための衣装に着替えたアオイは、鏡の中に映った自分をうっとりと眺めた。
「よくお似合いです」
「知ってる。ジスランは?」
「もうすぐお越しになるかと」
「アオイ、パーティーの前に私に会いたいと聞きましたけど……?」
「あ、ほんとだ。ジスラン! こっち!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねここにいることをアピールすると、すぐに気づいたジスランが眦を下げた。
「落ち着いて、アオイ。式典はどうでしたか? 疲れてない?」
「全然」
本当に式典は楽だった。ただ黙って存在していればいいだけなのでこれ以上に楽な仕事はない。
「というか半分寝てたから記憶がない」
昨夜遅くまでジスランと練習していたせいだ。牧師だか神父だか魔術師だかよく分からない白髪の老人に誓の言葉を求められた気がしたけどあれは果たして夢だったのか現実だったのか。
ハトリが驚いた顔で素っ頓狂な声を上げた。
「寝てたんですか?!」
ジスランは愉快そうに目を細めた。
「少し揺れてましたものね」
「やば。そんな分かりやすかった?」
「たぶん私以外は気づいてませんよ。ベール被ってましたし」
「あれよくないね。程よく薄暗くて眠くなる」
「ふふ、でしょうね。しかし本当に寝てたんですね。私にもたれかかってきた時は何か内緒話でもしたいのかと……」
「じゃあ終盤ジスランに支えられた気がしてたのは夢じゃなかったのか。……なんか、ごめんね?」
「全然。アオイは軽いから。でも君、意外と体温が高いんですね。私も眠くなりました」
「それは僕のせいだけじゃないと思うんだけどなあ。誰か知らないけどあの爺さんの話が長かったせいだろ」
と、口を尖らせると思いの外真剣な顔でジスランが同意を示した。
「時々、竜神様の権力を使って祝辞などは1分以内に納めるべきという慣習を作ってやろうかと思うことがあります」
「いいじゃん、作ってよ」
「お二人ともなんてこと話してるんですか……陛下の話をそんな簡単に……」
「あの人王様だったの?」
「さあ」
「竜神様……」
ついにハトリが頭を抱えた。アオイは肩をすくめ、「それより」と話題を変えることにした。
「ジスランを呼んだワケだけど」
「ああ、そう。どうしたんですか? 出たくないとかであれば対応しますよ」
「ここまで準備してどうしてそうなるのさ。そうじゃなくて、メイク! メイクの話!」
「メイク?」
「ジスラン、こっち」
アオイはそう言ってジスランの手を引き、ドレッサーの前に座らせた。ハトリに目配せをすると、彼は小さく一礼して部屋を出た。あらかじめ打ち合わせしていたことだった。
「今からメイクをします。ジスランだけじゃなくて僕もします」
「アオイの世界では男性もメイクを?」
「いやまだ珍しいよ。僕のいた業界では普通だったけど。ああでも、これからするメイクは珍しいかも。ガッツリ色乗せる予定だし」
「なるほど……?」
ジスランは不思議そうに瞬きを繰り返した。アオイはジスランの後ろに立つと「よし」と一つ気合を入れ、筆を手に取った。
「大丈夫だとは思うけど……いやでも先に言っとくね、肌荒れしたらごめん。ジスランの肌が強いことを祈っておくから許して」
ハトリに聞かれたら怒られそうだ。
「大丈夫だと思いますよ。竜人ですし」
しかし当の本人はどうでも良さそうである。
「……ジスラン、僕が勧めたら怪しい壺も買いそうでやだな……」
「アオイが欲しいなら買いますけど」
これからは不用意に物をねだるのは控えよう。心に誓うと、咳払いを一つして筆を握り直した。
「始めるから目、閉じて」
ジスランの瞳が閉じられる。まつ毛が長い。下地を塗ったら土台が完成したんだけどどういうこと? 陶器のような肌を自前で持つな。ニキビもないし。
「……なんかムカついてきたな」
「えっ」
「冗談。あまりに綺麗でちょっと嫉妬したというか……」
「アオイの方が綺麗ですよ」
「……それを本気で言っているのも分かるんだけどね?」
しかしジスランの持つ美貌は好みの範疇に収まるものでもないのだ。誰が見ても認める美貌である。10人中11人が振り向いてもおかしくない。顔だけで食っていけるなこれ、とアオイは思った。
「ファンデは塗らなくて良さそうだからアイシャドウ乗せるね」
「お任せします」
「んー、どうしようかな……」
迷ったがここは普通にブラウンでいいだろう。服に合わせて青でもいいだろうが、青はこの世のものではないような美貌が余計に際立ってしまう。元々彫りが深いから陰影は最小限でいい。アイラインはどうしよう? いや入れる。なんだか楽しくなってきた。
アオイは慎重にアイラインを引きながら、そっと口を開いた。
「……確かにさ、ジスランの言うようにたぶん僕はジスランよりも綺麗だと思わせることができるよ」
ジスランはスッと顎を引いた。何か考えているようだ。
「それは別に僕がジスランより綺麗とかじゃなくて、僕は見せ方を知っているし、ジスランは美しいだけだからだ」
それでも多くの人はジスランに夢中になるだろうけど。アオイは心の中で付け加えた。
「……だから、本当はこのパーティーで僕だけに注目を集めるつもりだった」
「…………」
「僕だけに注目を集めて、ジスランに凄いと思ってもらいたかったんだ」
ジスランが口を開いた。
「……でも、今は違う?」
「今は、ジスランに僕のことを知って欲しいと思ってる、かな。……目、開けて」
ジスランがそっと目を開けた。驚いたようにその瞳が見開かれる。
アオイは得意気に鼻の下を擦った。
メイクは今より綺麗な自分になるためにやるものじゃない。与える印象を、操作するためにやるものだ。今のジスランはメイクによって常より華やかに、そしてほんの少し親しみやすい雰囲気を纏っていた。
アオイは口元に微笑を浮かべた。
「ジスランが僕以外に興味が無いのは知ってるよ。でも、僕のことが好きなら――きっと世界も好きになれる」
ジスランの瞳が驚いたように見開かれた。
「アオイ……」
「別に、好きになる必要もないけどさ」
アオイはひょいと肩をすくめた。
「でも好きなものはたくさんあった方が楽しいし、それに、もしかしたら思わぬとこで――運命が見つかるかもだし?」
本当は、そんなものは見つかって欲しくないけど。
でもやっぱり、好きな人の、あんな寂しそうな笑顔はもう見たくない。
アオイは花が咲くように笑った。
「僕を通して、僕の世界も全部好きになろう」
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