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1巻

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『運が悪い』では、言葉が軽すぎる。
『貧乏くじを引きがち』では、さすがに説明がつかない。もとより、その箱には当たりなど入っていないということでもなければ。
 中二病的というか、やや言葉を飾って『不幸体質』と表現してみるも――しかしそれはそれで違うなと思ってしまう。僕が僕の人生において、不幸せを感じているかというと、必ずしもそうではないからだ。
 では、なんと言えばいいのか。『不憫属性』とでも? 確かに、これが一番近い気がする。
 けれど、僕を紹介する上でその言葉を使ってよいものか、それは判断に悩むところだ。
 なぜなら僕のそれは、決して笑えないし、だからこそ話のネタにはならない。常識や良識をしっかり持っていらっしゃる世間一般のみなさまにとっては嘘か虚言か妄想かと、僕の頭や神経や性格などを疑うしかないような――同情するなんて次元を軽く通り越して、もはや困惑するしかないレベルだからだ。
 電化製品は、必ずハズレを引く。購入一週間以内に交換・修理をしなかったことがない。やることなすこと、ほぼ間違いなく裏目に出るし、営業していることを電話で確認しないで店に行くと、七割八割の確率で臨時休業にぶち当たる。年中無休のコンビニですら、だ。
 そして就職ともなれば、入社式直前にその会社自体がつぶれるというありさま。
 ちょっとした『不幸』や『不憫』は、美男美女の魅力を増す効果があったりするものだけれど、もちろん僕に関してはそんなことはあり得ない。
 現実問題、僕が美男子でないということはひとまず置いておいて、仮に僕がかの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが生涯をかけて愛し、キャンバスに描き続けたほどの絶世の美男子であったとしても、このレベルの『不憫』がその両肩に載っかっていたら、現実の僕と同じく年齢=彼女いない歴をひたすら更新していたはずだ。
 そんな、『不憫』を『不憫』で煮詰につめた『不憫』とともに生きてきたのが、この僕だ。
 しかし――その二十余年の不憫な人生など鼻で笑えてしまうほど、高原に吹くそよ風のように、ちょっと悪戯いたずらで、だけどさわやかで、優しく、温かくて、心地よいものだったのだと思えてしまうほどの『不憫』。


 それは――一枚の書面の形で、やってきた。





第一話  神様こちら 手の鳴るほうへ





         1


 その男は、黒く、黒々しく――まるで不幸を運ぶ死神のようだった。


「お待たせいたしました。吉祥きちじょう真備まきびさん」

 およそ、不動産屋の営業マンには見えなかった。
 モデルか俳優と言われても、一ミリも疑わなかったであろう美貌。たたずまいもまた美しく、お辞儀じぎ一つでも目をみはるほど、所作は優雅で折り目正しい。
 けれど、気になったのはそんなことではなく。

「……はじめまして。お世話になります」

 僕は男に向き直ると、ペコッと頭を下げた。

「こちらこそ。わざわざお運びいただきまして。山陽さんようリビングの鴨方かもがたと申します」

 男がさわやかな笑みを浮かべて、名刺を差し出す。
 それでも――なぜだろう? その黒く、黒々しい雰囲気ふんいき微塵みじんやわらぐことはなく。
 からす濡羽色ぬればいろの髪に、黒漆くろうるしのような瞳。見事なスタイルを引き立てる、ブラックスーツ姿。おまけに黒縁眼鏡、手には黒革のアタッシェケースと――確かにその男は全身真っ黒だったけれど、しかしその身にまとう闇よりも深そうな漆黒しっこくの雰囲気は、外見からくるものではないように思えた。
 性格が暗そう――というのとも、また違う。その笑顔は、まぶしささえ感じるほど明るく、爽やかだ。いや、一見するとそう見えるのだけれど――なんだろう? どこか、目は笑っていないような気もして。
 なんというか――なんとなく、そこはかとなく、胡散うさん臭い。
 それが、男の第一印象。

「では、早速参りましょうか」

 岡山県浅口市おかやまけんあさくちし鴨方町――JR西日本山陽本線、鴨方駅前。
 地名と同じ『鴨方』と名乗った男は、その小さなロータリーに停めてあった車を手で示す。僕は「では、よろしくお願いします」と再度頭を下げ、後部座席に乗り込んだ。

「ええと、その……阿部山あべさんまではどれぐらいかかるんですか?」
「二十分といったところでしょうか」
「二十分……。結構距離があるんですね」
「それほどではないのですが……駅前や山のふもとは道が入り組んでいますし、山道は悪路とは言わないまでも、かなり細くて……」

 阿部山――そこが、これから向かう目的地。浅口市と矢掛町やかげちょうとの境にある、標高が四百メートル弱の山だ。
 阿部山という名は、平安時代に、かの有名な安倍あべの晴明せいめいが天体観測をしたことに由来するとされている。現在でも、所縁ゆかりの神社や屋敷跡なんかがあるらしい。
 それならなぜ、ではないのかが気になるところではあるけれど。

「…………」

 ゆるやかに、車が走り出す。
 駅裏は、とても昭和な街並みだった。古ぼけた家々がまるで肩を寄せるように建ち並ぶ。
 その間をう、入り組んだ細い道。東京生まれとはいえ下町育ちの僕からしたら、どこか懐かしい、ホッとする風景だ。
 人の目をさえぎるように、コンクリートのブロック塀が続く。その向こうから伸びる、桜の枝。黒光りする瓦屋根とんだ青空――風に揺れる薄紅の対比がとても綺麗きれいだった。
 うっかりセンチメンタルにつかまりそうになってしまい、僕は慌てて口を開いた。

「それで……その……例の土地は……」
「山の頂上近くになりますね。キャンプ場や阿部神社あべじんじゃがあるあたりになります」
「そういったものがあるんですか……」

 どうやら、人里から遠く離れた山奥というわけではないらしい。ああ、よかった。

「車はキャンプ場の駐車場に停めて、実際の場所までは少々山道を歩くことになりますが、大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫ですけど……」

 むしろ、あなたが大丈夫なのかと問いたい。きっちりスーツに革靴だけど。
 ああ……いや、逆か。裏を返せば、そんな格好でも大丈夫なぐらいの軽い山道ってことだよな。きっと。
 それは本当にありがたい。がっつり山登りは遠慮したかったから。

「――しかし、大変ですね」

 を持て余すように、鴨方さんが前を見つめたまま、指でトントンとハンドルをたたく。

「吉祥さんは大学を卒業した直後とうかがっておりますが、新生活の準備で忙しいこの時期に、こんなところまで……」
「……! ああ、ええと……それは……」
「お祖父さまの遺産、でしたか」

 続くその言葉に、口をつぐむ。
 そう――。それが、僕が岡山まで来た目的だった。

「……はい……」
「私も登記簿を見て、驚きました。一体、何を思ってのこされたんでしょうね? あなたのお祖父さま……いえ、ご先祖さまは」

 窓の外には、緑豊かなのどかな風景が広がっている。僕はそっと息をついた。
 そんなのは、僕が聞きたい。

一坪ひとつぼの土地、なんて」


         2


 それは、一週間前のこと――。
 失意のどん底にいた僕のもとに、一人の男が訪ねてきた。

「え……? 遺産……ですか?」

 彼が口にしたのは、思いがけない――けれど、今この時に相応ふさわしいものではあった。
 差し出した名刺には、『会計事務所COZY 公認会計士・税理士 並木耕治なみきこうじ』とあった。
 僕は物心つく前に両親を亡くし、ずっと祖父と二人暮らしだった。その祖父が亡くなったのだ。そりゃあ、そういう話が出てもおかしくないけれど。
 思わず、背後を振り返る。
 築五十二年。ポツンと一軒だけ残る、切り離された長屋。二人暮らしでも手狭な、平屋の2DK。居間として使っているが、そう呼ぶのが恥ずかしくなってしまうほど、狭い和室。これでもかというほど年季の入った畳は、最近足にチクチクと刺さる。
 ここ――玄関を入ってすぐのダイニングキッチンも、横文字がまるで似合わないタイプのそれだった。相応しい呼び名はなんだろう? 台所と食卓、だろうか。
 今では、もう逆に珍しくなってしまった。それほど――遅れているどころの話ではない、時代に周回遅れといった風情の家。
 貧乏というほどではなかったが、それでも祖父の年金が中心のつましい暮らしだった。
 なのに――遺産?

「えっと……どうぞ」

 戸惑とまどいつつ椅子をすすめると、名刺入れをスーツの内ポケットにしまい、その男――並木さんが深々と頭を下げた。

「お祖父さまのこと、御愁傷ごしゅうしょうさまでございました」
「……どうも……」
「――失礼いたします」

 重たそうなかばんから書類ケースを取り出し、ギシリと鳴く椅子に腰かける。
 眼鏡の奥の瞳はとても優しく、その笑顔には人の良さが満面に表れていた。

「お祖父さまより、財産の整理と管理、相続の手続きについてうけたまわっております」
「……相続の……」
「はい。こちらが、遺産の目録になります」

 さっと差し出された、一枚の書面――。そこには、各銀行の預金、よくわからない株券、そして不動産が二件記されていた。
 一つは、ここ。この家と土地。そして、もう一つは――。

「……岡山県、浅口市……?」

 見慣れない住所に、思わず眉をひそめる。
 祖父は東京生まれ東京育ちのはずだ。祖父もまた、僕と同じく早くに両親を亡くしている。兄弟はおらず、学校を出るまでは孤児院暮らしだった。もちろん結婚するまでは天涯孤独の身。その子――つまり僕の父は、母とともに、僕が三つのころに亡くなった。
 母のほうも、父と結婚した時にはすでに近しい親族はいなかったとの話だった。
 事実――祖父以外の親族に会ったこともなければ、存在すると聞いたことすらない。
 岡山県浅口市。
 それは僕が知る限り、僕には――いや、祖父にも、えんも所縁もない地のはずだった。

「土地、ですか……」
「はい。こちらが登記簿謄本とうほんになります」

 並木さんがテーブルに置いたもう一枚の紙をのぞき込む。

「ええと……所在……はその土地がある場所ですよね? 地目ちもくっていうのは?」
「土地の種類ですね。宅地なのか、畑なのかという」
「じゃあ、山林ってことは、山の中って考えて大丈夫ですか?」
「はい。そうですね」
「なるほど? ええと、じゃあその横の地積は……広さであってます? 三・三〇五七平方メートルっていうと……」
「一坪ですね」
「ひ、一坪ぉ⁉」

 予想だにしていなかった言葉に、唖然とする。

「いや……えっ……⁉」

 畳二畳分⁉

「……私も驚きました。整理なさいますかとお尋ねしたのですが、あなたに遺すと」
「一坪の……土地を……?」

 どういうことなのだろう?

「……念のためにきますけど、例えば銀座の一等地みたいに、一坪が億単位って土地ではないですよね?」

 それだったら、一坪だけ所有していても別段おかしくは――いや、どちらにしたっておかしいか。
 だが、それはあっさりすっぱりと否定される。

「ありません」
「……ですよね」

 わかっていましたとも。

「失礼ながら、二束三文でも、値がつけば恩の字といったところではないかと。あくまでもデータ上の話ですが」
「データ上?」
「ええ。私はまだその土地に足を運んでおりませんので……。その一坪の土地に実際に何があるのかはわかりかねます。今後、吉祥さんの意向によって、調査に向かうことになるかと思いますが……」
「意向というと……ああ、相続するか、処分するかってことですか?」
「ええ。それによって、手続きがまったく変わってきますので」
「なるほど。まずは、僕がどうするかを決めるのが先ということですね?」
「はい。――ただ」

 並木さんが登記簿を指で示す。

「この、『権利部(甲区)の記録事項』を見ていただきたいのですが、こちらには土地の所有者に関する事項が記録されています。所有者は誰で、いつ、どんな原因で所有権を取得したかがわかります」
「原因?」
「購入したのか、相続したのかといったことですね」
「ああ、なるほど……え?」

 その欄の一番下には、現在の所有者である祖父の名前と住所が記載されていた。
 そして、その横に書かれた原因は――『相続』。

「じいちゃんも、受け継いでいた……?」
「ええ。登記されているのは三代前までですが」

 並木さんが指をずらす。所有者をさかのぼるように。僕は息をんだ。

「全員、相続……?」

 そして全員、吉祥の名だった。

「……これは……」

 思わず眉を寄せ、うなる。
 吉祥の家に代々受け継がれる、一坪の土地? 一体なんの冗談だろう?

「念のためお祖父さまに確認させていただきましたが、とくに禁止事項はなく、吉祥さんの行動を制限することはしないとのことでした」
「……というと……」
「吉祥さんの判断で、手放してもよいとのことです」
「え……? そうなんですか?」
「――はい。それもまた、少々不思議ではあったのですが……」

 そりゃそうだろう。すでに三代も受け継がれているのに、僕の一存で処分していいなんて言われたら、受け継がれてきたことに意味なんてないと言っているようなものだ。
 だが、それならばなぜ。なんの意味もないのなら、なぜ今まで誰も処分しなかったのか。誰かがとうの昔にそうしていてもおかしくないのに。
 それこそ、祖父がすればよかったのだ。並木さんに相続の件で依頼をした際に。
 わざわざ、並木さんは訊いてくれていたんだろう? 『整理なさいますか』と――。

「すぐに結論を出す必要はございませんが……どうなさいますか?」
「え? えーっと……」

 どうなさいますかと言われても、寝耳に水の話だしなぁ。
 僕はたっぷり二分以上考え――「一度……自分の目で見てみたいです」とつぶやいた。

「……! 御自身で、ですか?」
「はい。一坪だっていうし、正直……どうしたらいいかわかりません。処分できるならそうしたいんですが……。でも、じいちゃんが何を思って遺したのかを確かめないまま、それをしてしまうのもどうかと思うので……」
「……確かに。では、相続のための調査も兼ねて、一緒に……」
「ああ、いえ……できれば、一人で」

 ありがたい申し出だったけれど、それには首を横に振る。

「じいちゃんの意図を、ゆっくり探ってみたいので……」
「それでは、地元の不動産屋に連絡しましょう。その土地に詳しい人に道案内を……」
「……すみません。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると、並木さんが笑顔のまま「いえいえ」と首を横に振る。

「じっくりとお考えください。大事なことです。後悔のないように」
「ありがとうございます」
「では、御都合のよい日時を伺ってもよろしいでしょうか? しばらくは、新生活の準備でお忙しいでしょうから……」
「……! ああ、いえ……その……できれば、早めに……」
「え……? ですが……」

 並木さんが不思議そうに目をしばたたかせる。僕はそっと息をついた。
 隠したって仕方がないことはわかっている。これから相続の手続きが終わるまでお世話になるのだから、隠したって無駄だ。すぐに知られてしまうだろう。
 僕が、『新社会人』になり損ねたことは。
 ――仕方ない。

「実は……かなり大きなニュースになっているのでご存知だと思うのですが、先日、内定をもらっていた会社が急に破産申請をして……。その、旅行会社なんですけど……」

 並木さんが目を丸くする。

「え……? まさか……」
「……ああ、はい。間違いなく、それです」

 就職予定だった旅行会社が、経営破たんした。
 祖父の葬儀を終えた――その二日後のことだった。
 大々的に報道される数日前にすでに、本社もすべての支社も営業を停止していたそうだ。 さらにその数日前から、航空券の発券システムが利用できなかったり、現地のホテルなどで旅行会社を通じてすでに支払っているはずの代金を請求されたり、予約していたホテルが勝手にキャンセルされていたりというトラブルが相次ぎ、苦情が押し寄せていたという。
 前兆は、確かにあった。
 けれど、それは突然だった。
 利用者と、その会社から内定をもらっていた新卒者にとっては、完全に寝耳に水の話。
 テレビの中で、社長以下会社の重役たちが目に涙を浮かべながら必死に謝っているのを、呆然と見ていることしかできなかった。
 それから、数日――。混乱は広がるばかりだ。
 今現在、航空券などが発券できずに日本に帰ることができないでいる人。
 代金は支払っているにもかかわらず航空券やホテルの手配ができておらず、旅行に行くことができなくなってしまった人。
 旅行先で、すでに支払っていたはずの代金をさらに請求されて、二重の支払いを余儀よぎなくされてしまった人。
 そして――僕と同じく、四月は目の前だというのに突然就職先を失ってしまった人。
 様々な被害者の悲鳴が、連日報道されている。

「そ、それは……なんと申し上げればよいか……」
「いえ、お気になさらず。実は僕、運の悪さについては折り紙つきなんで……。というか、今は祖父を亡くしたことが悲しすぎて、正直……そっちについては……」

 祖父を失ったショックと悲しみからすでに心が麻痺まひしてしまっているせいなのか――正直今は会社のことまで考えられない。
 僕の言葉に、並木さんが痛ましげに顔をゆがめる。

「そういうわけなので、おそらく四月になってからのほうが忙しいと思うんですよ。救済に名乗りを上げてくださった企業に面接に行くにしろ、一から就職活動をするにしろ」
「……わかりました。では、早急に」
「よろしくお願いいたします」

 そうして――僕は岡山ここに来ることとなったのだった。

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