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◆ 1 ◆
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逢った瞬間、失恋が確定した。
太陽のように輝くブロンドの髪を複雑に結い上げ、彼女の瞳の色と同じ翡翠色のドレスは飾り気の少ないシンプルなものながら、光の当たり方で表情を変える生地は一級品だと分かる。
デビュタントのドレスに規則はない。
淡い色のドレスが多い中で、彼女のドレスは異色だった。
またピアスや髪飾りは東方諸島から輸入される真珠が使われている。
帝国では希少なものだ。
ユゼフは帝都の警邏をしていたことがあり、犯罪者が盗んだ物を取り扱うこともあった。
宝石類に興味がなくても、仕事の知識として知っている。
所作は優雅で、とてもデビュタントしたばかりのご令嬢とは思えない。
凛として、堂々として。
他の令嬢のようなぎこちなさは全く無い。
ずっと彼女を目で追っていたのが分かったのだろう。
傍に居たシグルドが「バーレ公爵家のご令嬢だ」と教えてくれる。
ユゼフの優秀な右腕は、これまた公爵家出身だと思い出す。
「マジかぁ」
「クリスティーナ嬢には婚約者もいたはずだ。諦めろ」
上司になんて口を利くんだよ、とユゼフは行儀悪く舌打ちをした。
シグルドは表情を変えずに離れていった。
相手が公爵家となれば平民出身のユゼフには手の届かない高嶺の花だ。
令嬢に目を向けたことは一度もなかった。
共通の会話もないし、着飾った令嬢を見ても綺麗だと感じたことがなかったから。
ユゼフは軽く頭を振って警備へと戻る。
軍でも真ん中辺りの階級で後ろ盾もない。
シグルドの様に嫡男でなくとも貴族出身であれば少しは可能性もあったかもしれない。
ユゼフはデビュタント会場の警備長をしていた。
シグルドと手分けして、部下が配置に付いているか、不審者がいないか会場周辺を移動し確認していく。
しばらく見回って会場横にある中庭へ出たユゼフは、照明は設置されているが薄暗い空間に人の気配を感じて剣の柄へ手をかけた。
微かに聞こえてきたのは女性のすすり泣く声だった。
警戒は解かないまま、聞き耳を立てる。
「っ、うっ、クリスさまぁ」
「貴女は何も悪い事をしていないわ。泣く必要はないの」
「でも、ふっ、うっ」
「理不尽な事をしてくる相手に、遠慮することなどないわ。毅然とした態度を失っては駄目よ」
「っ、はい」
「今日はわたくしが一緒に居るわ。でもいつも一緒ではないのだから、強くなりなさい」
少し背の高い方の令嬢が、泣いている令嬢の肩に手を置く。
「やられたらやり返しなさい。心の中でね」
「心の中?」
「ええ、相手と同じ事をしては程度が同じという事。嫌いな相手と同じになってしまうわよ。笑顔を崩さないまま、心の中でやり返してしまえばいいの」
ユゼフは彼女たちに気付かれないよう、足音を忍ばせて近づく。
会場の明かりで、二人の顔が見えた。
慰めている方がクリスティーナだった。
ただ着飾っているだけではない。
彼女からは滲み出る気高さを感じた。
イイ女だな、と素直にそう思った。
二人が会場へ戻っていくのを確認して、ユゼフは見回りへと戻った。
※
クリスティーナとの恋を始めることすら出来なかったユゼフは、しばらく荒れた。
娼館で自らの欲望を吐き出す頻度が多くなった。
無意識に金色の髪と翡翠色の瞳を持つ女性を選んでは抱き潰す。
金払いは良かったので、娼館側は太客だと喜んでいたらしい。
らしい、というのは、馴染みの娼妓から寝物語に聞いたからだ。
女は鋭い。
ユゼフが娼妓を通じて誰かを見ていることなどお見通しだった。
「アンタの姫様は、お貴族様なんだろ?私らにそれを重ねられても困るんだよ」
クリスティーナに良く似た色彩を持つ娼妓からそう言われたが、ユゼフにはどうにも出来なかった。
瞼の裏に映るのはクリスティーナだけだった。
あの凛とした彼女を啼かせたい。
ベッドの上で、蕩けさせたい。
叶わぬ願いに身を焦がし、行く当てのない劣情に身を落とした。
ユゼフは結婚もせず、そんな爛れた生活を続けた。
それに終止符を打ったのは、クリスティーナに出逢って二年後のことだった。
彼女が夫から離縁されたからだ。
子供ができないという貴族らしい理由に、ユゼフは憤慨した。
子供が出来ないのは、何も女性側にだけ原因がある訳ではない。
最近は男性側の原因の場合もあると分かっていた。
余りにも一方的な理由だった。
元の夫は侯爵家の嫡男だったが、クリスティーナの父親が手を回して、国外の女性へ婿入りすることになった。
クリスティーナが離縁されて一ヶ月経たない時の事だ。
嫡男のいなくなった侯爵家は残った娘に婿を宛がわなくてはならない。
だが、娘の婚約者はその器が無かった。
いずれ没落するだろうと、貴族の間で囁かれている。
実家へ戻ったと聞いたユゼフは、先触れなしでクリスティーナの父親であるバーレ公爵へ会いに行った。
「どうかクリスティーナ嬢と結婚させて下さい」
ストレートに伝えたら、屋敷から摘まみ出された。
それからというもの、取り次いで貰えないどころか、門の中へ入ることも許されなかった。
それでもユゼフは諦めなかった。
未だ右腕であるシグルドがキレる寸前まで、軍を抜け出しては彼女の父親へ会いに行った。
「公爵は手強い。娘のことを溺愛してるからな」
と言ったのはシグルドだ。
貴族のことは貴族である彼の方が詳しい。
離縁された後、クリスティーナは社交界へ舞い戻ることはなかった。
気心の知れた友人との小規模なお茶会や、身内との観劇ぐらいしか外へ出ることはなかった。
クリスティーナに瑕疵が無いとはいえ、離縁は醜聞である。
しばらくは人前に顔を出さないだろう。
偶然を装って出会うことすら出来ない。
「くそ、どこ行きゃ会えるんだ?」
「そこまでいくと執念だな」
「彼女を手に入れるためなら、なりふり構ってられねぇんだよ」
シグルドは溜息を付いた。
軍の同期であるユゼフは、いつもシグルドの一歩前を歩いていた。
ユゼフはとにかく強かった。
魔力はシグルドの方が上だったが、ユゼフは勝つためなら手段を選ばないタイプで、綺麗な勝ち方に拘らない。
シグルドは一度も勝てたことがないし、ユゼフが負けた所を見た事がなかった。
人間相手でも容赦をしない彼が、魔物を討伐する姿を見た者が「双剣の狂狼」と名付けるぐらい、苛烈ない戦い方をした。
しかも口調は荒いが人心掌握も上手かった。
部下の名前だけでなく、仕事で関わり合う人間の顔と名前を全て覚えている。
誰にでも声を掛け、他愛のない会話をするだけだが、階級が上がれば上がる程その効果はあった。
愛想笑いも難しいシグルドにはとても真似できなかった。
階級が上がるのはいつもユゼフが先で、シグルドは彼から引き離されないようにするのが精一杯だった。
そんな、自分が認めている男が、ひとりの女に振り回されているのを複雑な思いで見ていた。
帝国は一世代前ほど身分差に厳しくない。
ユゼフは中将にまで昇進しており、そういう点でバーレ公爵が反対することはない。
ただ、ユゼフの品行方正とは言い難い生活を調べているから拒絶されている。
そのことをシグルドは知っていたので、ユゼフには正直に伝えていた。
彼は見事に撃沈した。
そんなユゼフを見過ごせず、シグルドはつい助け舟を出す。
「今度ウチで兄嫁が茶会を開く。それにクリスティーナ嬢を呼んだと聞いている」
「……なん、だと?」
「彼女を遠目で見るぐらいは出来るが、来「行く」」
食い気味の答えに、聞くだけ無駄だったとシグルドは眉を上げた。
帝都にある公爵家の屋敷へシグルドの同僚――正確には上司である――ユゼフが行くには何ら問題はない。
ユゼフが指折り数えていた日はあっという間に訪れた。
ファーレンハイトの屋敷は城から程近い一等地にある。
何度も来たことがある場所ではあったがユゼフは過去一番、緊張していた。
シグルドの兄嫁の茶会は中庭で開かれると聞いているが、ユゼフが直接そこへ足を運ぶことはない。
彼は中庭の良く見えるサロンへと案内された。
部屋の中へは珈琲の香りが漂っており、まさに使用人が淹れているところだった。
「俺の好物、覚えてたのか」
「まぁな」
珈琲は輸入品で、幾ら給金の高い軍人でもおいそれと買えるものではない。
しかも限定されたルートでしか購入できないということもあり、個人で手に入れるのは難しい。
筆頭公爵家のファーレンハイトだからこそ取引が出来る物だ。
「この席なら庭からこちらは見えないはずだ。だが座ったらあまり動くなよ」
「もう、始まってるんだな」
「ああ。兄嫁へ協力して貰った。多少距離はあるがきちんとクリスティーナ嬢の顔が見えるだろう」
ユゼフは大人しく指定された席へと座った。
シグルドが言う通り、太陽のように輝く髪が目に入る。
彼女が結婚している間は夜会に出ることもあったから、遠目に眺めることはあった。
クリスティーナが独り身になった今でも、その距離は変わらない。
それが悔しく、情けなかった。
一日でも早くクリスティーナの父親に婚約の許可を貰わなければ、彼女は他の男の所へ行ってしまう。
その焦燥感がずっと消えない。
彼女との接点は何ひとつないのだ。
あるのは、クリスティーナに対するユゼフの想いだけ。
ユゼフは届かないと分かっていながら伸ばしかけた腕を戻す。
好きな珈琲に手を付けず、クリスティーナを食い入るように見つめるユゼフに、シグルドは茶会が終わるまで声を掛けなかった。
※
クリスティーナが初めて彼に逢ったのは、父親と一緒に観劇へ行った時のことだった。
あまり社交的ではない――とはいっても先代の宰相なので顔は広い――父親が自分から相手へ声を掛けたので、クリスティーナは驚いた。
しかも黒い詰襟の軍服を着た相手だ。
いくら顔が広いとはいえ、父親から軍関係者の名前を聞いたことはない。
文官は城、軍人は軍本部と働く場所が違う。
仕事上で顔を合わせる場所は少ないはずだ。
この出逢いはもちろん偶然ではない。
バーレ公爵とユゼフが事前に示し合わせてのものだった。
「クリス、こちらはユゼフ・ミュラー中将だ」
「初めまして、ミュラー中将。わたくしはクリスティーナ・バーレと申します」
本来、平民出身のユゼフに姓はなかったが、階級が上がると名前だけでは不便になる。
少将へ昇進した時に、国からミュラーという姓を与えられていた。
「クリスティーナ嬢」
まるで噛み締めるように名前を呼ばれ、自分よりも頭ひとつ分は高い所にあるユゼフの顔へ視線を合わす。
薄い唇や切れ長の目はやや冷たく見え、琥珀色の瞳も硬質な印象なのに、クリスティーナはその瞳の奥から何故か燃えるような熱を感じた。
ダークブロンドの髪はきっちりと後ろへ流しており、彼の整った顔が曝け出されている。
貴族令息とは違う、厚みのある身体は軍服の上からでも分かった。
クリスティーナの周りにはいない部類の男性だ。
「翡翠姫へお会い出来て光栄です」
「随分、昔の呼び名ですわね」
「デビュタントから貴女の美しさは変わりませんよ」
「え?」
「ようやく貴女の声を聞く事が出来た」
「中将、悪いが今日は時間がない。そちらも勤務中だろう?」
公爵から半ば強引に話を遮られ、ユゼフは何かを堪えるように瞼の下へ瞳を隠した。
「近い内にうちの屋敷へ遊びに来い。丁度薔薇が見頃でな。クリスに庭を案内させよう」
「ええ、是非。ご招待頂けるのを楽しみにしております」
公爵へ余所行きの笑顔を向けながら、しっかりとクリスティーナの姿を目に焼き付ける。
華やかな顔立ちなので薄化粧でも映える。
いや化粧などなくても、彼女は美しい。
スクエアカットのドレスで、綺麗な鎖骨が見え、白い肌がユゼフの劣情を煽った。
そんなことはおくびにも出さないが。
「今日はこれで失礼する」
去っていく二人の背中を見て、ユゼフは唇を噛み締める。
寂しさとは反面、言葉を交わすところまで来たのだという喜びもあった。
屋敷へ入れて貰えるまで半年、クリスティーナへ会わせて貰う――彼女へ婚約の申し込みをするための許可――まで約一年の辛抱をした。
彼女の前で、次の約束も貰った。
「野外訓練、入れんなよ」
気配を消して近付いてきたシグルドへ釘を刺す。
「早めに予定が分かってたらな」
「は、お前なら何とでも出来るだろ」
「善処はする」
「しろ。ようやく彼女を紹介して貰ったんだ。ぜってぇ逃がさねぇ」
「あんな顔や言葉遣いが出来るなんて知らなかった。今は極悪人だが」
「うっせぇよ。高位貴族のお嬢様だぞ。普段の話し方じゃ相手して貰えねぇだろ」
口の減らないシグルドを、ユゼフは軽くあしらう。
公爵が味方をしたなら、後はユゼフがクリスティーナを口説き落とすのを頑張るだけだ。
そんなユゼフの心情など知らないクリスティーナは、父親と観劇を楽しんだ。
帰りにふと劇場には似合わない格好をしたユゼフのことを思い出す。
「お父様はミュラー中将とは懇意にされているのですか?」
微かに揺れる馬車の中、彼女は訊ねた。
「ここ一年ぐらいの付き合いだ」
「軍の方なんて珍しいですわね」
「色々あってなぁ……これから長い付き合いになりそうで、どうしたものかと考えているよ」
仕方ないといった風な父親の様子に、クリスティーナは首を傾げる。
彼は仕事だと割り切って付き合うタイプだ。
「悪いが、彼を屋敷へ呼んだ時は相手をしてやってくれ」
「まぁ、お父様ったら。わたくしで良ければお力になりますわ。何せ居候ですもの」
冗談めかしてクリスティーナは答えた。
いつまでも居候でいて欲しい、という父親の本音をバーレ公爵は飲み込んだ。
ユゼフのしつこさは身を持って知っている。
可愛い娘は、すぐにまた嫁に行くだろう。
ユゼフがクリスティーナへの婚約を望んでいると聞いてから、公爵はすぐに彼の事を調べ上げた。
軍人としては優秀だが、娼館通いが日常だと分かった時に、クリスティーナには会わせないと心に決めていた。
ところが彼が贔屓にしている娼妓は、揃いも揃って娘と同じ髪と瞳の色を持っていた。
それに気が付いた時に公爵は腹を括った。
この男はどんな手を使ってでも、クリスティーナを自分のものにする、と。
いつから娘に目を付けていたのか恐ろしくて確認していない。
公爵は大きな溜め息を零した。
※
二度目の出会いは、公爵家の屋敷だった。
約束どおりバーレ公爵から屋敷へ招待されたユゼフは――シグルドの力を借りて揃えた――正装で挑んだ。
糊の効いた白シャツにベストなど、人生で着たことはない。
クラバットの結び方が分からず、シグルドには無言で呆れられた。
招待はされたがバーレ公爵は急用だと出掛けており、クリスティーナがユゼフを出迎えた。
観劇の時と違い、首や肩がレースに覆われたデイドレスだ。
ライトグリーンから翡翠色へ、上半身から裾に向かって濃くなっていく生地に、同色の刺繍が施されている。
耳にはシンプルな真珠のピアスがあり、ユゼフは彼女のデビュタントを思い出した。
あの時は手の届かない場所にいたクリスティーナだったが、今はユゼフのエスコートで隣を歩いている。
香水とは違う甘い匂いがユゼフの鼻を擽った。
ファーレンハイトの屋敷には及ばないが、バーレ家もさすが公爵家だと思わせる広さだった。
彼の屋敷より華やかな内装で、ユゼフは不躾にならないよう周辺へ目を配る。
いつかクリスティーナと住む場所の参考になればと、かなり先走った事を考えていた。
「父が不在で申し訳ありません。何でも急に旧友の方が帝都に出て来られたとかで」
「公爵はお忙しい方ですから」
「もっと母と一緒に過ごしたいからと早々に宰相も辞めてしまったのに、結局は忙しいみたいですわ」
クリスティーナはくすりと笑う。
両親のことを屈託なく話せる彼女を見て、良い家庭で育ったんだと分かる。
彼女の人生と自分の人生の違いに、少しだけユゼフは怯んだ。
ユゼフには彼女へ話せるような両親や身内はいない。
「母自慢の庭ですのよ」
二人でゆっくりと広い庭を散歩する。
こういう時、普通は公爵家の侍女か護衛が近くで控えているものだが、誰も付いてくる気配がなかった。
バーレ公爵の計らいなのだろう。
怯んだ心を押し込んで、ユゼフは足を止めた。
「クリスティーナ嬢、お伝えしたいことがあります」
華やかな薔薇が咲き誇る景色の中でさえ、彼女の美しさが霞むことはない。
まるで夢のような空間だと、ユゼフはどこか他人事のように思う。
「今日は初めから貴女へ会うつもりでした。もちろんバーレ公爵もご存じです」
「え?」
「遠回しな言い方は出来ないのでご容赦を。俺はクリスティーナ嬢のことが欲しい。どうか結婚を前提に付き合っては頂けないだろうか?」
シグルドから貴族的な言い回しを教えて貰っていたが、それは自分の言葉ではないと思った。
ユゼフはじっとクリスティーナの瞳を見る。
そこには少し強張った自分の顔が映っていた。
「まだお会いしたのは二度目ですのに?」
「一目惚れです」
「わたくし離縁されたことがありますの」
「知っています。俺は平民出身です。お嫌ですか?」
「身分によって負わなければならない責務は違います。そういう意味での差はあるでしょう。ですが、それだけですわ」
平民出身だと聞いてもクリスティーナのユゼフを見る目は変わらなかった。
「いずれ身分などなくなり、ミュラー中将のような優秀な人間が国を治めていくのだと。城仕えはまだ身分を重視しているけれど、軍はすでに能力主義だと父が申しておりました」
「……」
「身分など関係なく、ミュラー中将は帝国の為にきちんと働かれていらっしゃいます。ご立派な方ですわ」
ここまでユゼフを見つめていたクリスティーナは、視線を下げた。
「責務の果たせないわたくしの方が、ミュラー中将にご迷惑をお掛けするでしょう。わたくしは後継ぎを産むことが出来ませんの」
言わせたくないことを口にさせたと、ユゼフは奥歯を噛み締めた。
結婚を考えていれば、いずれは避けて通れない話題だ。
それでも、もう少し互いのことが分かってからでも良かった。
「貴女の価値は子供が産めるかどうかで決まるものではない。クリスティーナ嬢に俺の傍へ居て欲しい、それだけだ」
感情が昂り、言葉遣いが乱れているとこにユゼフは気付いていない。
「むしろ子供がいなきゃ、ずっと恋人でいられる……これを」
ユゼフは上着の内ポケットから小さな箱を取り出した。
その箱をそっとクリスティーナの掌へ置く。
箱を開けるよう促され、彼女が目にした物はシンプルな指輪だった。
ユゼフの瞳と同じ、ともすれば金色にも見える琥珀があしらってある。
シグルドから自分の色を贈るよう言われたユゼフが、慣れない宝飾品の店で選んだものだった。
「ピアスやネックレスだと服によって合わせ難い。指輪ならそういう心配もないと聞いた。もし俺を受け入れてくれるなら、ずっと付けていて欲しい。俺の魔力を込めている」
ユゼフは箱の中から指輪を取り出す。
サイズはバーレ公爵へ確認して貰っていた。
クリスティーナの右手を取って、何も言わない彼女の薬指へ嵌める。
「貴女が俺に会ったのは二度目かもしれない。だが俺はデビュタントの時からクリスティーナ嬢のことを知っている。出逢ったときには婚約者がいて、声を掛けることは出来なかった」
「そんなに前から?」
「貴女は俺の初恋だ」
幼い時から婚約者がいたクリスティーナは、恋を知らない。
ただ宛がわれた婚約者とこのまま結婚するのだと受け入れた。
ユゼフに初恋と言われ、初めて彼のことを男性として意識した。
「わたくしは、恋を知りません、ミュラー中将」
「ユゼフと、呼んで頂けますか?」
「ユゼフ、さま」
「貴女のことは、ティナと。ご家族からはクリスと呼ばれているでしょう?俺だけの呼び名がいい」
クリスティーナは一度ユゼフの方を見たが、彼の瞳に捕らわれてしまいそうになり身体ごと反対へ向けた。
そんな彼女を背後からユゼフは抱き締めた。
「な、ゆぜ、さま」
「それいい。ユゼと呼んで」
「あ、え?」
「ティナだけに、そう呼ばれたい。俺は貴女が欲しい」
「は、離して」
「ユゼと呼んでくれたら」
「っ、ユゼさまっ」
顔を真っ赤にしてクリスティーナは叫んだ。
ユゼフはそんな彼女から躊躇いながらも腕を解く。
クリスティーナはユゼフから距離を取った。
「離縁されてから父はわたくしに誰も会わせようとはしませんでした。もう無理に嫁ぐことはないと、はっきり口にしたのです。その父がユゼ様とわたくしを引き合わせたのなら、逃げたりしませんわ」
羞恥で涙目になりながら、それでも自分の言葉を紡ぐ。
「わたくしに恋を教えてくださいませ」
ユゼフはそんな彼女との距離を詰め、今度は正面から抱き締める。
頬を染めたクリスティーナを、他の男の視線が届かない場所へ今すぐ閉じ込めたい。
そんな物騒な想いまで溢れてくる。
ユゼフはクリスティーナが我に返って抵抗するまで、そうしていた。
太陽のように輝くブロンドの髪を複雑に結い上げ、彼女の瞳の色と同じ翡翠色のドレスは飾り気の少ないシンプルなものながら、光の当たり方で表情を変える生地は一級品だと分かる。
デビュタントのドレスに規則はない。
淡い色のドレスが多い中で、彼女のドレスは異色だった。
またピアスや髪飾りは東方諸島から輸入される真珠が使われている。
帝国では希少なものだ。
ユゼフは帝都の警邏をしていたことがあり、犯罪者が盗んだ物を取り扱うこともあった。
宝石類に興味がなくても、仕事の知識として知っている。
所作は優雅で、とてもデビュタントしたばかりのご令嬢とは思えない。
凛として、堂々として。
他の令嬢のようなぎこちなさは全く無い。
ずっと彼女を目で追っていたのが分かったのだろう。
傍に居たシグルドが「バーレ公爵家のご令嬢だ」と教えてくれる。
ユゼフの優秀な右腕は、これまた公爵家出身だと思い出す。
「マジかぁ」
「クリスティーナ嬢には婚約者もいたはずだ。諦めろ」
上司になんて口を利くんだよ、とユゼフは行儀悪く舌打ちをした。
シグルドは表情を変えずに離れていった。
相手が公爵家となれば平民出身のユゼフには手の届かない高嶺の花だ。
令嬢に目を向けたことは一度もなかった。
共通の会話もないし、着飾った令嬢を見ても綺麗だと感じたことがなかったから。
ユゼフは軽く頭を振って警備へと戻る。
軍でも真ん中辺りの階級で後ろ盾もない。
シグルドの様に嫡男でなくとも貴族出身であれば少しは可能性もあったかもしれない。
ユゼフはデビュタント会場の警備長をしていた。
シグルドと手分けして、部下が配置に付いているか、不審者がいないか会場周辺を移動し確認していく。
しばらく見回って会場横にある中庭へ出たユゼフは、照明は設置されているが薄暗い空間に人の気配を感じて剣の柄へ手をかけた。
微かに聞こえてきたのは女性のすすり泣く声だった。
警戒は解かないまま、聞き耳を立てる。
「っ、うっ、クリスさまぁ」
「貴女は何も悪い事をしていないわ。泣く必要はないの」
「でも、ふっ、うっ」
「理不尽な事をしてくる相手に、遠慮することなどないわ。毅然とした態度を失っては駄目よ」
「っ、はい」
「今日はわたくしが一緒に居るわ。でもいつも一緒ではないのだから、強くなりなさい」
少し背の高い方の令嬢が、泣いている令嬢の肩に手を置く。
「やられたらやり返しなさい。心の中でね」
「心の中?」
「ええ、相手と同じ事をしては程度が同じという事。嫌いな相手と同じになってしまうわよ。笑顔を崩さないまま、心の中でやり返してしまえばいいの」
ユゼフは彼女たちに気付かれないよう、足音を忍ばせて近づく。
会場の明かりで、二人の顔が見えた。
慰めている方がクリスティーナだった。
ただ着飾っているだけではない。
彼女からは滲み出る気高さを感じた。
イイ女だな、と素直にそう思った。
二人が会場へ戻っていくのを確認して、ユゼフは見回りへと戻った。
※
クリスティーナとの恋を始めることすら出来なかったユゼフは、しばらく荒れた。
娼館で自らの欲望を吐き出す頻度が多くなった。
無意識に金色の髪と翡翠色の瞳を持つ女性を選んでは抱き潰す。
金払いは良かったので、娼館側は太客だと喜んでいたらしい。
らしい、というのは、馴染みの娼妓から寝物語に聞いたからだ。
女は鋭い。
ユゼフが娼妓を通じて誰かを見ていることなどお見通しだった。
「アンタの姫様は、お貴族様なんだろ?私らにそれを重ねられても困るんだよ」
クリスティーナに良く似た色彩を持つ娼妓からそう言われたが、ユゼフにはどうにも出来なかった。
瞼の裏に映るのはクリスティーナだけだった。
あの凛とした彼女を啼かせたい。
ベッドの上で、蕩けさせたい。
叶わぬ願いに身を焦がし、行く当てのない劣情に身を落とした。
ユゼフは結婚もせず、そんな爛れた生活を続けた。
それに終止符を打ったのは、クリスティーナに出逢って二年後のことだった。
彼女が夫から離縁されたからだ。
子供ができないという貴族らしい理由に、ユゼフは憤慨した。
子供が出来ないのは、何も女性側にだけ原因がある訳ではない。
最近は男性側の原因の場合もあると分かっていた。
余りにも一方的な理由だった。
元の夫は侯爵家の嫡男だったが、クリスティーナの父親が手を回して、国外の女性へ婿入りすることになった。
クリスティーナが離縁されて一ヶ月経たない時の事だ。
嫡男のいなくなった侯爵家は残った娘に婿を宛がわなくてはならない。
だが、娘の婚約者はその器が無かった。
いずれ没落するだろうと、貴族の間で囁かれている。
実家へ戻ったと聞いたユゼフは、先触れなしでクリスティーナの父親であるバーレ公爵へ会いに行った。
「どうかクリスティーナ嬢と結婚させて下さい」
ストレートに伝えたら、屋敷から摘まみ出された。
それからというもの、取り次いで貰えないどころか、門の中へ入ることも許されなかった。
それでもユゼフは諦めなかった。
未だ右腕であるシグルドがキレる寸前まで、軍を抜け出しては彼女の父親へ会いに行った。
「公爵は手強い。娘のことを溺愛してるからな」
と言ったのはシグルドだ。
貴族のことは貴族である彼の方が詳しい。
離縁された後、クリスティーナは社交界へ舞い戻ることはなかった。
気心の知れた友人との小規模なお茶会や、身内との観劇ぐらいしか外へ出ることはなかった。
クリスティーナに瑕疵が無いとはいえ、離縁は醜聞である。
しばらくは人前に顔を出さないだろう。
偶然を装って出会うことすら出来ない。
「くそ、どこ行きゃ会えるんだ?」
「そこまでいくと執念だな」
「彼女を手に入れるためなら、なりふり構ってられねぇんだよ」
シグルドは溜息を付いた。
軍の同期であるユゼフは、いつもシグルドの一歩前を歩いていた。
ユゼフはとにかく強かった。
魔力はシグルドの方が上だったが、ユゼフは勝つためなら手段を選ばないタイプで、綺麗な勝ち方に拘らない。
シグルドは一度も勝てたことがないし、ユゼフが負けた所を見た事がなかった。
人間相手でも容赦をしない彼が、魔物を討伐する姿を見た者が「双剣の狂狼」と名付けるぐらい、苛烈ない戦い方をした。
しかも口調は荒いが人心掌握も上手かった。
部下の名前だけでなく、仕事で関わり合う人間の顔と名前を全て覚えている。
誰にでも声を掛け、他愛のない会話をするだけだが、階級が上がれば上がる程その効果はあった。
愛想笑いも難しいシグルドにはとても真似できなかった。
階級が上がるのはいつもユゼフが先で、シグルドは彼から引き離されないようにするのが精一杯だった。
そんな、自分が認めている男が、ひとりの女に振り回されているのを複雑な思いで見ていた。
帝国は一世代前ほど身分差に厳しくない。
ユゼフは中将にまで昇進しており、そういう点でバーレ公爵が反対することはない。
ただ、ユゼフの品行方正とは言い難い生活を調べているから拒絶されている。
そのことをシグルドは知っていたので、ユゼフには正直に伝えていた。
彼は見事に撃沈した。
そんなユゼフを見過ごせず、シグルドはつい助け舟を出す。
「今度ウチで兄嫁が茶会を開く。それにクリスティーナ嬢を呼んだと聞いている」
「……なん、だと?」
「彼女を遠目で見るぐらいは出来るが、来「行く」」
食い気味の答えに、聞くだけ無駄だったとシグルドは眉を上げた。
帝都にある公爵家の屋敷へシグルドの同僚――正確には上司である――ユゼフが行くには何ら問題はない。
ユゼフが指折り数えていた日はあっという間に訪れた。
ファーレンハイトの屋敷は城から程近い一等地にある。
何度も来たことがある場所ではあったがユゼフは過去一番、緊張していた。
シグルドの兄嫁の茶会は中庭で開かれると聞いているが、ユゼフが直接そこへ足を運ぶことはない。
彼は中庭の良く見えるサロンへと案内された。
部屋の中へは珈琲の香りが漂っており、まさに使用人が淹れているところだった。
「俺の好物、覚えてたのか」
「まぁな」
珈琲は輸入品で、幾ら給金の高い軍人でもおいそれと買えるものではない。
しかも限定されたルートでしか購入できないということもあり、個人で手に入れるのは難しい。
筆頭公爵家のファーレンハイトだからこそ取引が出来る物だ。
「この席なら庭からこちらは見えないはずだ。だが座ったらあまり動くなよ」
「もう、始まってるんだな」
「ああ。兄嫁へ協力して貰った。多少距離はあるがきちんとクリスティーナ嬢の顔が見えるだろう」
ユゼフは大人しく指定された席へと座った。
シグルドが言う通り、太陽のように輝く髪が目に入る。
彼女が結婚している間は夜会に出ることもあったから、遠目に眺めることはあった。
クリスティーナが独り身になった今でも、その距離は変わらない。
それが悔しく、情けなかった。
一日でも早くクリスティーナの父親に婚約の許可を貰わなければ、彼女は他の男の所へ行ってしまう。
その焦燥感がずっと消えない。
彼女との接点は何ひとつないのだ。
あるのは、クリスティーナに対するユゼフの想いだけ。
ユゼフは届かないと分かっていながら伸ばしかけた腕を戻す。
好きな珈琲に手を付けず、クリスティーナを食い入るように見つめるユゼフに、シグルドは茶会が終わるまで声を掛けなかった。
※
クリスティーナが初めて彼に逢ったのは、父親と一緒に観劇へ行った時のことだった。
あまり社交的ではない――とはいっても先代の宰相なので顔は広い――父親が自分から相手へ声を掛けたので、クリスティーナは驚いた。
しかも黒い詰襟の軍服を着た相手だ。
いくら顔が広いとはいえ、父親から軍関係者の名前を聞いたことはない。
文官は城、軍人は軍本部と働く場所が違う。
仕事上で顔を合わせる場所は少ないはずだ。
この出逢いはもちろん偶然ではない。
バーレ公爵とユゼフが事前に示し合わせてのものだった。
「クリス、こちらはユゼフ・ミュラー中将だ」
「初めまして、ミュラー中将。わたくしはクリスティーナ・バーレと申します」
本来、平民出身のユゼフに姓はなかったが、階級が上がると名前だけでは不便になる。
少将へ昇進した時に、国からミュラーという姓を与えられていた。
「クリスティーナ嬢」
まるで噛み締めるように名前を呼ばれ、自分よりも頭ひとつ分は高い所にあるユゼフの顔へ視線を合わす。
薄い唇や切れ長の目はやや冷たく見え、琥珀色の瞳も硬質な印象なのに、クリスティーナはその瞳の奥から何故か燃えるような熱を感じた。
ダークブロンドの髪はきっちりと後ろへ流しており、彼の整った顔が曝け出されている。
貴族令息とは違う、厚みのある身体は軍服の上からでも分かった。
クリスティーナの周りにはいない部類の男性だ。
「翡翠姫へお会い出来て光栄です」
「随分、昔の呼び名ですわね」
「デビュタントから貴女の美しさは変わりませんよ」
「え?」
「ようやく貴女の声を聞く事が出来た」
「中将、悪いが今日は時間がない。そちらも勤務中だろう?」
公爵から半ば強引に話を遮られ、ユゼフは何かを堪えるように瞼の下へ瞳を隠した。
「近い内にうちの屋敷へ遊びに来い。丁度薔薇が見頃でな。クリスに庭を案内させよう」
「ええ、是非。ご招待頂けるのを楽しみにしております」
公爵へ余所行きの笑顔を向けながら、しっかりとクリスティーナの姿を目に焼き付ける。
華やかな顔立ちなので薄化粧でも映える。
いや化粧などなくても、彼女は美しい。
スクエアカットのドレスで、綺麗な鎖骨が見え、白い肌がユゼフの劣情を煽った。
そんなことはおくびにも出さないが。
「今日はこれで失礼する」
去っていく二人の背中を見て、ユゼフは唇を噛み締める。
寂しさとは反面、言葉を交わすところまで来たのだという喜びもあった。
屋敷へ入れて貰えるまで半年、クリスティーナへ会わせて貰う――彼女へ婚約の申し込みをするための許可――まで約一年の辛抱をした。
彼女の前で、次の約束も貰った。
「野外訓練、入れんなよ」
気配を消して近付いてきたシグルドへ釘を刺す。
「早めに予定が分かってたらな」
「は、お前なら何とでも出来るだろ」
「善処はする」
「しろ。ようやく彼女を紹介して貰ったんだ。ぜってぇ逃がさねぇ」
「あんな顔や言葉遣いが出来るなんて知らなかった。今は極悪人だが」
「うっせぇよ。高位貴族のお嬢様だぞ。普段の話し方じゃ相手して貰えねぇだろ」
口の減らないシグルドを、ユゼフは軽くあしらう。
公爵が味方をしたなら、後はユゼフがクリスティーナを口説き落とすのを頑張るだけだ。
そんなユゼフの心情など知らないクリスティーナは、父親と観劇を楽しんだ。
帰りにふと劇場には似合わない格好をしたユゼフのことを思い出す。
「お父様はミュラー中将とは懇意にされているのですか?」
微かに揺れる馬車の中、彼女は訊ねた。
「ここ一年ぐらいの付き合いだ」
「軍の方なんて珍しいですわね」
「色々あってなぁ……これから長い付き合いになりそうで、どうしたものかと考えているよ」
仕方ないといった風な父親の様子に、クリスティーナは首を傾げる。
彼は仕事だと割り切って付き合うタイプだ。
「悪いが、彼を屋敷へ呼んだ時は相手をしてやってくれ」
「まぁ、お父様ったら。わたくしで良ければお力になりますわ。何せ居候ですもの」
冗談めかしてクリスティーナは答えた。
いつまでも居候でいて欲しい、という父親の本音をバーレ公爵は飲み込んだ。
ユゼフのしつこさは身を持って知っている。
可愛い娘は、すぐにまた嫁に行くだろう。
ユゼフがクリスティーナへの婚約を望んでいると聞いてから、公爵はすぐに彼の事を調べ上げた。
軍人としては優秀だが、娼館通いが日常だと分かった時に、クリスティーナには会わせないと心に決めていた。
ところが彼が贔屓にしている娼妓は、揃いも揃って娘と同じ髪と瞳の色を持っていた。
それに気が付いた時に公爵は腹を括った。
この男はどんな手を使ってでも、クリスティーナを自分のものにする、と。
いつから娘に目を付けていたのか恐ろしくて確認していない。
公爵は大きな溜め息を零した。
※
二度目の出会いは、公爵家の屋敷だった。
約束どおりバーレ公爵から屋敷へ招待されたユゼフは――シグルドの力を借りて揃えた――正装で挑んだ。
糊の効いた白シャツにベストなど、人生で着たことはない。
クラバットの結び方が分からず、シグルドには無言で呆れられた。
招待はされたがバーレ公爵は急用だと出掛けており、クリスティーナがユゼフを出迎えた。
観劇の時と違い、首や肩がレースに覆われたデイドレスだ。
ライトグリーンから翡翠色へ、上半身から裾に向かって濃くなっていく生地に、同色の刺繍が施されている。
耳にはシンプルな真珠のピアスがあり、ユゼフは彼女のデビュタントを思い出した。
あの時は手の届かない場所にいたクリスティーナだったが、今はユゼフのエスコートで隣を歩いている。
香水とは違う甘い匂いがユゼフの鼻を擽った。
ファーレンハイトの屋敷には及ばないが、バーレ家もさすが公爵家だと思わせる広さだった。
彼の屋敷より華やかな内装で、ユゼフは不躾にならないよう周辺へ目を配る。
いつかクリスティーナと住む場所の参考になればと、かなり先走った事を考えていた。
「父が不在で申し訳ありません。何でも急に旧友の方が帝都に出て来られたとかで」
「公爵はお忙しい方ですから」
「もっと母と一緒に過ごしたいからと早々に宰相も辞めてしまったのに、結局は忙しいみたいですわ」
クリスティーナはくすりと笑う。
両親のことを屈託なく話せる彼女を見て、良い家庭で育ったんだと分かる。
彼女の人生と自分の人生の違いに、少しだけユゼフは怯んだ。
ユゼフには彼女へ話せるような両親や身内はいない。
「母自慢の庭ですのよ」
二人でゆっくりと広い庭を散歩する。
こういう時、普通は公爵家の侍女か護衛が近くで控えているものだが、誰も付いてくる気配がなかった。
バーレ公爵の計らいなのだろう。
怯んだ心を押し込んで、ユゼフは足を止めた。
「クリスティーナ嬢、お伝えしたいことがあります」
華やかな薔薇が咲き誇る景色の中でさえ、彼女の美しさが霞むことはない。
まるで夢のような空間だと、ユゼフはどこか他人事のように思う。
「今日は初めから貴女へ会うつもりでした。もちろんバーレ公爵もご存じです」
「え?」
「遠回しな言い方は出来ないのでご容赦を。俺はクリスティーナ嬢のことが欲しい。どうか結婚を前提に付き合っては頂けないだろうか?」
シグルドから貴族的な言い回しを教えて貰っていたが、それは自分の言葉ではないと思った。
ユゼフはじっとクリスティーナの瞳を見る。
そこには少し強張った自分の顔が映っていた。
「まだお会いしたのは二度目ですのに?」
「一目惚れです」
「わたくし離縁されたことがありますの」
「知っています。俺は平民出身です。お嫌ですか?」
「身分によって負わなければならない責務は違います。そういう意味での差はあるでしょう。ですが、それだけですわ」
平民出身だと聞いてもクリスティーナのユゼフを見る目は変わらなかった。
「いずれ身分などなくなり、ミュラー中将のような優秀な人間が国を治めていくのだと。城仕えはまだ身分を重視しているけれど、軍はすでに能力主義だと父が申しておりました」
「……」
「身分など関係なく、ミュラー中将は帝国の為にきちんと働かれていらっしゃいます。ご立派な方ですわ」
ここまでユゼフを見つめていたクリスティーナは、視線を下げた。
「責務の果たせないわたくしの方が、ミュラー中将にご迷惑をお掛けするでしょう。わたくしは後継ぎを産むことが出来ませんの」
言わせたくないことを口にさせたと、ユゼフは奥歯を噛み締めた。
結婚を考えていれば、いずれは避けて通れない話題だ。
それでも、もう少し互いのことが分かってからでも良かった。
「貴女の価値は子供が産めるかどうかで決まるものではない。クリスティーナ嬢に俺の傍へ居て欲しい、それだけだ」
感情が昂り、言葉遣いが乱れているとこにユゼフは気付いていない。
「むしろ子供がいなきゃ、ずっと恋人でいられる……これを」
ユゼフは上着の内ポケットから小さな箱を取り出した。
その箱をそっとクリスティーナの掌へ置く。
箱を開けるよう促され、彼女が目にした物はシンプルな指輪だった。
ユゼフの瞳と同じ、ともすれば金色にも見える琥珀があしらってある。
シグルドから自分の色を贈るよう言われたユゼフが、慣れない宝飾品の店で選んだものだった。
「ピアスやネックレスだと服によって合わせ難い。指輪ならそういう心配もないと聞いた。もし俺を受け入れてくれるなら、ずっと付けていて欲しい。俺の魔力を込めている」
ユゼフは箱の中から指輪を取り出す。
サイズはバーレ公爵へ確認して貰っていた。
クリスティーナの右手を取って、何も言わない彼女の薬指へ嵌める。
「貴女が俺に会ったのは二度目かもしれない。だが俺はデビュタントの時からクリスティーナ嬢のことを知っている。出逢ったときには婚約者がいて、声を掛けることは出来なかった」
「そんなに前から?」
「貴女は俺の初恋だ」
幼い時から婚約者がいたクリスティーナは、恋を知らない。
ただ宛がわれた婚約者とこのまま結婚するのだと受け入れた。
ユゼフに初恋と言われ、初めて彼のことを男性として意識した。
「わたくしは、恋を知りません、ミュラー中将」
「ユゼフと、呼んで頂けますか?」
「ユゼフ、さま」
「貴女のことは、ティナと。ご家族からはクリスと呼ばれているでしょう?俺だけの呼び名がいい」
クリスティーナは一度ユゼフの方を見たが、彼の瞳に捕らわれてしまいそうになり身体ごと反対へ向けた。
そんな彼女を背後からユゼフは抱き締めた。
「な、ゆぜ、さま」
「それいい。ユゼと呼んで」
「あ、え?」
「ティナだけに、そう呼ばれたい。俺は貴女が欲しい」
「は、離して」
「ユゼと呼んでくれたら」
「っ、ユゼさまっ」
顔を真っ赤にしてクリスティーナは叫んだ。
ユゼフはそんな彼女から躊躇いながらも腕を解く。
クリスティーナはユゼフから距離を取った。
「離縁されてから父はわたくしに誰も会わせようとはしませんでした。もう無理に嫁ぐことはないと、はっきり口にしたのです。その父がユゼ様とわたくしを引き合わせたのなら、逃げたりしませんわ」
羞恥で涙目になりながら、それでも自分の言葉を紡ぐ。
「わたくしに恋を教えてくださいませ」
ユゼフはそんな彼女との距離を詰め、今度は正面から抱き締める。
頬を染めたクリスティーナを、他の男の視線が届かない場所へ今すぐ閉じ込めたい。
そんな物騒な想いまで溢れてくる。
ユゼフはクリスティーナが我に返って抵抗するまで、そうしていた。
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