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風邪を引いてしまいました
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「げほっ、ごほっ」
頭が熱い。身体も熱い。ついでに痛い。
私は目の前が歪んで見える中、必死に荒い息遣いをしていた。
「風邪ですね」
いつも来てくれているお医者様のエリック様が淡々と言う。
「まぁ……!」
「やはり、あの雨の中帰ってきたのがいけなかったのだろうか……」
そうなのだ。
あの街での散策時に雨に降られてから翌日。私の体調は突然悪くなり、倒れてしまったのである。
慌ててララがご当主夫妻を呼びに行き、お二人がエリック様を呼び。今この場になっているというわけだ。
ちなみに、ウィルフレッド様やヴィオラ様は元気らしい。なぜか。何故に私だけ風邪を引いたし。
おまけにウィルフレッド様は様子を見にすら来ないし。
「まぁ、ただの風邪なので……、安静にしていれば治ると思いますよ」
「エリックくん、来てくれてありがとう。我が息子の番に何かあっては大変だからな」
「ええ、本当にそうね……」
「げほっ、ゲホッ!」
「あらあら、セルマちゃん。大丈夫?」
夫人が肩を撫でてくれる。「だいじょうぶです……」と死んだような声しか出せないのが心苦しい。
(早く熱が下がらないかしら……)
まぁ、今お薬を飲んだところだから、すぐに治るわけないのだけれどね。
「今日は安静にしてなさいね。無理に動いちゃだめよ」
「はい……」
「よしよし、偉い子ね」
ちょっと恥ずかしい。小さい子にするみたいで。……でも嬉しいな。
「さて、我々はそろそろ失礼するかな。あまり大人数で押しかけていてもセルマさんが困ってしまう」
「はい。セルマちゃん、何かあったらすぐに知らせてね。私たち、今日一日はお屋敷に居ますから」
「はい……、ありがとう、ございます」
掠れた声でお礼を言うと、優しい微笑みを浮かべながら「お大事にね」と言われる。まるで本当の両親みたいで、温かい人たちだなと心から思った。
お二人が部屋から出ていき、私とエリック様だけが残される。
「さて、俺も失礼しますかね。俺が居ちゃセルマ様も落ち着いて寝られないでしょう」
「えっ……」
そう言って立ち上がろうとした、エリック様の服の裾を掴んでしまったのは、殆ど無意識下でのことだった。
突然掴まれたエリック様はきょとん、とした顔で私を見る。
「セルマ様? どうされました」
「あ、あの、えーっと……」
私は何と言っていいものかわからず、口を噤んでしまった。
別に変な意味はない。ない、のだけれど……。
苦しい中、ここに一人取り残されるのは、なんだか……、とても寂しいことのように思えてしまったのだ。
「……あ、の。エリック様」
「はい」
「ひじょうに、申し訳、ないのですが……」
「はい?」
「もう少しだけでいいので、ここに、いてくださいませんか……」
……この相手がウィルフレッド様なら。こんなお願いは、絶対にしないだろう。
エリック様だからこんな甘えが出てしまうのだ。こんな、幼い子供じみたお願いを。
昨日、優しい笑顔で私と街を歩いてくれた、彼なら──と。
「……ええ、大丈夫ですよ」
ドキドキしながら答えを待っていた私の耳に聞こえてきたのは、昨日聞いたような優しいそれだった。
思わずバッと彼を見上げると、ふ、と笑みを携えながら私を見ている。
「一人で寝るのが寂しいなんて、セルマ様はかわいいですね」
「かッ、かわい……?!」
初めて言われた言葉にぼひゅーっ!! と顔が噴火しそうなくらい熱くなるのが分かった。今ただでさえ体熱いのに!!
「わ、私、かわいくなんて……」
「何を仰いますやら。俺から見たセルマ様は、いつでも穏やかで可愛らしい方ですよ」
「~~~~ッ……!!」
分かっている。これはお世辞だ。自他ともに認める黒髪黒目の地味っこが、かわいいなんてあるわけない。
でも……。
(うれしい……)
他でもなく、エリック様に。こう言われたのが、なんだかとても嬉しい気がした。
まずまず体が熱くなって、目の前がくらくらしそうだ。
「さて、俺は黙ってここに居ればいいんでしょうか。それとも、少し話でも?」
エリック様が笑って尋ねる。
私は「じゃあ、お話を……」と言った。しんどいはしんどいけど、それよりも彼と話をしたい。
「じゃあ、お話しましょう。でも、眠くなったら俺のことは気にせず、必ず寝ること。いいですね?」
「はあい……、先生」
「ふふ、いい心がけです。さて、何のお話をしましょうか……。昨日の街歩きの話でもしますか?」
「あ……、昨日は、エリック様には、本当に助けられました……。ありがとうございます……」
「いえいえ。昨日のセルマ様は特に可愛らしい恰好をされていましたから、護衛のようなものができてよかったですよ」
……また可愛らしいって言われちゃった。恥ずかしいけど嬉しい複雑な気持ち……!
「それに、見るからにお金持ちのお嬢様って感じが出てましたから……、一人でお歩きになっていたら、危なかったかと」
「え……、わたし、平民になりすませてませんでした……?」
「いえ、全く」
全くとまで言われてしまった。確かにララには綺麗にしてもらったけど、ドレスを着ていたわけでなし。
別に貴族令嬢には見えなかったと思うんだけどなぁ……。
「昨日は楽しかったですか」
エリック様の問いに、私は元気よく「はい!」と答えた。その拍子に咳が出ちゃって、「無理をしないでください」と言われてしまったけれど。
「昨日は……、エリック様おすすめの、ケーキ店がとてもおいしくて」
「気に入っていただけたならよかったです。あそこは俺もよく行くんですよ。また季節ごとに異なったケーキが出ますから、よければ一緒に行きましょう」
「……一緒にいってくださるのですか……?」
「ええ。セルマ様さえよければ」
「うれしいです、ありがとう、っげほ、ございます……!」
「セルマ様、もうお休みになられた方が……」
エリック様が気遣うように言ってくれる。でも、まだ眠たくない。
……もう少し話していたい。
「大丈夫です……っ。……それより……」
「どうしましたか?」
「私と、またお出かけしたいと言ってくださったことが、嬉しいのです。ウィルフレッド様とあんなことがあったにも関わらず……」
「ああ」とエリック様が思い出したように言う。
本当にあの時は大変だった。二人の喧嘩のようなものを、黙ってみていることしかできなかったから。
……ああいう時に「もうやめて!」と飛び出していけるのが、ヒロインの特性なのかもしれない。そう考えると、ヴィオラ様はまさに物語のヒロインだ。華やかで、愛嬌があって。
……私とは大違い。
「大丈夫ですよ。元々、俺がウィルフレッド様を煽ったようなものですし。怒られて当然です」
「そんな……」
「……けど、ウィルフレッド様の、あなたに対する扱いに思うところがあるのは、本当ですよ」
「え……」
エリック様が私を見つめた。
そのまっすぐな金の瞳から目が離せなくなる。
「セルマ様。前にも言いましたけど……、何かあった時は、俺を頼ってくださいね」
「え……ええ。そう仰っていただきました、けれど……、……あの、どうして……?」
「……それは……」
エリック様が悲しそうに目を伏せる。
その悲しみに触れてみたい──そう思った時。激しい咳が私を襲った。
「けほっ、ごほっ、! ……止めてしまってごめんなさい、続きを……」
気を取り直して……と思ったが、エリック様は「いえ」と返す。
「セルマ様の体調がお悪い時に話すことでもありません。この話は、またの機会に」
「でも……」
「それよりも、セルマ様? 咳がひどくなってきていますよ。もう限界でしょう、さぁ、お眠りになって」
布団を掛けなおされ、ぽんぽんと体を優しく叩かれる。
私は「大丈夫です」と言おうとしたが……、一定のリズムで叩かれるそれに、どんどんと眠気が増してきて──。
「おやすみなさい、セルマ様」
気が付けば、私の意識は夢の中へと落ちていた。
*
──カチャン、と音がする。
「……ん……」
何かの音がしたのは分かったが、つい今ほどまで眠っていた私はまだ眠りから完全覚醒しておらず、目が上手く開かなかった。
──だれか、いる?
確かめたくても、風邪で疲れ切った体は言うことを聞いてくれず。目を閉じたまま、何となくの音だけを聞いている形になる。
誰かが部屋の中に居て、私の傍に居る。それだけは、わかる。
(……あれ……?)
すると──私の額に、その誰かがそっと触れたのだ。
さらりと優しい指先が私を撫でていく。
ほんの少しの時間。
だけど、確かに。その人は私の頭を撫でたのだ。
(……エリック様かな……?)
だって、こんなにも優しい手つきで触れてくるのだもの。穏やかで優しい彼かもしれない。
だけど、答えを知る術は今の私には無くて。
やがてその人が部屋を黙って出て行ったと同時に、私はまた意識を本格的に眠りの世界へと落としていくのだった。
頭が熱い。身体も熱い。ついでに痛い。
私は目の前が歪んで見える中、必死に荒い息遣いをしていた。
「風邪ですね」
いつも来てくれているお医者様のエリック様が淡々と言う。
「まぁ……!」
「やはり、あの雨の中帰ってきたのがいけなかったのだろうか……」
そうなのだ。
あの街での散策時に雨に降られてから翌日。私の体調は突然悪くなり、倒れてしまったのである。
慌ててララがご当主夫妻を呼びに行き、お二人がエリック様を呼び。今この場になっているというわけだ。
ちなみに、ウィルフレッド様やヴィオラ様は元気らしい。なぜか。何故に私だけ風邪を引いたし。
おまけにウィルフレッド様は様子を見にすら来ないし。
「まぁ、ただの風邪なので……、安静にしていれば治ると思いますよ」
「エリックくん、来てくれてありがとう。我が息子の番に何かあっては大変だからな」
「ええ、本当にそうね……」
「げほっ、ゲホッ!」
「あらあら、セルマちゃん。大丈夫?」
夫人が肩を撫でてくれる。「だいじょうぶです……」と死んだような声しか出せないのが心苦しい。
(早く熱が下がらないかしら……)
まぁ、今お薬を飲んだところだから、すぐに治るわけないのだけれどね。
「今日は安静にしてなさいね。無理に動いちゃだめよ」
「はい……」
「よしよし、偉い子ね」
ちょっと恥ずかしい。小さい子にするみたいで。……でも嬉しいな。
「さて、我々はそろそろ失礼するかな。あまり大人数で押しかけていてもセルマさんが困ってしまう」
「はい。セルマちゃん、何かあったらすぐに知らせてね。私たち、今日一日はお屋敷に居ますから」
「はい……、ありがとう、ございます」
掠れた声でお礼を言うと、優しい微笑みを浮かべながら「お大事にね」と言われる。まるで本当の両親みたいで、温かい人たちだなと心から思った。
お二人が部屋から出ていき、私とエリック様だけが残される。
「さて、俺も失礼しますかね。俺が居ちゃセルマ様も落ち着いて寝られないでしょう」
「えっ……」
そう言って立ち上がろうとした、エリック様の服の裾を掴んでしまったのは、殆ど無意識下でのことだった。
突然掴まれたエリック様はきょとん、とした顔で私を見る。
「セルマ様? どうされました」
「あ、あの、えーっと……」
私は何と言っていいものかわからず、口を噤んでしまった。
別に変な意味はない。ない、のだけれど……。
苦しい中、ここに一人取り残されるのは、なんだか……、とても寂しいことのように思えてしまったのだ。
「……あ、の。エリック様」
「はい」
「ひじょうに、申し訳、ないのですが……」
「はい?」
「もう少しだけでいいので、ここに、いてくださいませんか……」
……この相手がウィルフレッド様なら。こんなお願いは、絶対にしないだろう。
エリック様だからこんな甘えが出てしまうのだ。こんな、幼い子供じみたお願いを。
昨日、優しい笑顔で私と街を歩いてくれた、彼なら──と。
「……ええ、大丈夫ですよ」
ドキドキしながら答えを待っていた私の耳に聞こえてきたのは、昨日聞いたような優しいそれだった。
思わずバッと彼を見上げると、ふ、と笑みを携えながら私を見ている。
「一人で寝るのが寂しいなんて、セルマ様はかわいいですね」
「かッ、かわい……?!」
初めて言われた言葉にぼひゅーっ!! と顔が噴火しそうなくらい熱くなるのが分かった。今ただでさえ体熱いのに!!
「わ、私、かわいくなんて……」
「何を仰いますやら。俺から見たセルマ様は、いつでも穏やかで可愛らしい方ですよ」
「~~~~ッ……!!」
分かっている。これはお世辞だ。自他ともに認める黒髪黒目の地味っこが、かわいいなんてあるわけない。
でも……。
(うれしい……)
他でもなく、エリック様に。こう言われたのが、なんだかとても嬉しい気がした。
まずまず体が熱くなって、目の前がくらくらしそうだ。
「さて、俺は黙ってここに居ればいいんでしょうか。それとも、少し話でも?」
エリック様が笑って尋ねる。
私は「じゃあ、お話を……」と言った。しんどいはしんどいけど、それよりも彼と話をしたい。
「じゃあ、お話しましょう。でも、眠くなったら俺のことは気にせず、必ず寝ること。いいですね?」
「はあい……、先生」
「ふふ、いい心がけです。さて、何のお話をしましょうか……。昨日の街歩きの話でもしますか?」
「あ……、昨日は、エリック様には、本当に助けられました……。ありがとうございます……」
「いえいえ。昨日のセルマ様は特に可愛らしい恰好をされていましたから、護衛のようなものができてよかったですよ」
……また可愛らしいって言われちゃった。恥ずかしいけど嬉しい複雑な気持ち……!
「それに、見るからにお金持ちのお嬢様って感じが出てましたから……、一人でお歩きになっていたら、危なかったかと」
「え……、わたし、平民になりすませてませんでした……?」
「いえ、全く」
全くとまで言われてしまった。確かにララには綺麗にしてもらったけど、ドレスを着ていたわけでなし。
別に貴族令嬢には見えなかったと思うんだけどなぁ……。
「昨日は楽しかったですか」
エリック様の問いに、私は元気よく「はい!」と答えた。その拍子に咳が出ちゃって、「無理をしないでください」と言われてしまったけれど。
「昨日は……、エリック様おすすめの、ケーキ店がとてもおいしくて」
「気に入っていただけたならよかったです。あそこは俺もよく行くんですよ。また季節ごとに異なったケーキが出ますから、よければ一緒に行きましょう」
「……一緒にいってくださるのですか……?」
「ええ。セルマ様さえよければ」
「うれしいです、ありがとう、っげほ、ございます……!」
「セルマ様、もうお休みになられた方が……」
エリック様が気遣うように言ってくれる。でも、まだ眠たくない。
……もう少し話していたい。
「大丈夫です……っ。……それより……」
「どうしましたか?」
「私と、またお出かけしたいと言ってくださったことが、嬉しいのです。ウィルフレッド様とあんなことがあったにも関わらず……」
「ああ」とエリック様が思い出したように言う。
本当にあの時は大変だった。二人の喧嘩のようなものを、黙ってみていることしかできなかったから。
……ああいう時に「もうやめて!」と飛び出していけるのが、ヒロインの特性なのかもしれない。そう考えると、ヴィオラ様はまさに物語のヒロインだ。華やかで、愛嬌があって。
……私とは大違い。
「大丈夫ですよ。元々、俺がウィルフレッド様を煽ったようなものですし。怒られて当然です」
「そんな……」
「……けど、ウィルフレッド様の、あなたに対する扱いに思うところがあるのは、本当ですよ」
「え……」
エリック様が私を見つめた。
そのまっすぐな金の瞳から目が離せなくなる。
「セルマ様。前にも言いましたけど……、何かあった時は、俺を頼ってくださいね」
「え……ええ。そう仰っていただきました、けれど……、……あの、どうして……?」
「……それは……」
エリック様が悲しそうに目を伏せる。
その悲しみに触れてみたい──そう思った時。激しい咳が私を襲った。
「けほっ、ごほっ、! ……止めてしまってごめんなさい、続きを……」
気を取り直して……と思ったが、エリック様は「いえ」と返す。
「セルマ様の体調がお悪い時に話すことでもありません。この話は、またの機会に」
「でも……」
「それよりも、セルマ様? 咳がひどくなってきていますよ。もう限界でしょう、さぁ、お眠りになって」
布団を掛けなおされ、ぽんぽんと体を優しく叩かれる。
私は「大丈夫です」と言おうとしたが……、一定のリズムで叩かれるそれに、どんどんと眠気が増してきて──。
「おやすみなさい、セルマ様」
気が付けば、私の意識は夢の中へと落ちていた。
*
──カチャン、と音がする。
「……ん……」
何かの音がしたのは分かったが、つい今ほどまで眠っていた私はまだ眠りから完全覚醒しておらず、目が上手く開かなかった。
──だれか、いる?
確かめたくても、風邪で疲れ切った体は言うことを聞いてくれず。目を閉じたまま、何となくの音だけを聞いている形になる。
誰かが部屋の中に居て、私の傍に居る。それだけは、わかる。
(……あれ……?)
すると──私の額に、その誰かがそっと触れたのだ。
さらりと優しい指先が私を撫でていく。
ほんの少しの時間。
だけど、確かに。その人は私の頭を撫でたのだ。
(……エリック様かな……?)
だって、こんなにも優しい手つきで触れてくるのだもの。穏やかで優しい彼かもしれない。
だけど、答えを知る術は今の私には無くて。
やがてその人が部屋を黙って出て行ったと同時に、私はまた意識を本格的に眠りの世界へと落としていくのだった。
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