ある新緑の日に。

立樹

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 会計を済ませて、店を出た。
 夜風が、肉を食べてほてった体にはちょうどいい涼しさだった。まだ、夜の八時を過ぎとあって、まだ店も人で活気付いている。
 
 数分歩けば最寄り駅があるが、このまま別れてしまうと、次会うのは一年後だろう。

 それを思うと、彼女の話が出ようが出まいが、別れがたい。
 家に帰れば、またいつもの日常があるだけだ。帰りを待つ人もいない。動物でも飼えば淋しさを紛らわせでくれるだろうか。もう少しだけ、『今』に身を置いておきたかった。

「腹ごなしに一駅歩かないか」
 そう提案した。

「運動もしないとな」
 瑛は食べてふくれた腹をなでつつ言った。

 髪が短くなった分、ほほのラインがシャープに見えるため、そう変化はないけれど、学生のころと比べて、瑛は少しだけ肉づきがよくなった気がした。
「太った?」
「うっせ」
 にらまれても、怖くはなく、「うそうそ」と、瑛の肩に腕を回し、その手で彼の腕をたたいた。回した腕をどかされ、黙々と歩く。

 まだ煌々と明るい繁華街を抜け、ひっそりした暗さがあった。街路樹や人のいないビルは影絵のように黒く、等間隔にたっている街灯の明かりが夜道を照らしている。人気もまばらになってきた。

 次の駅が近くなれば、人通りも多くなるだろう。
もう別れなくちゃならないのかと思ったときだった。
「社員旅行でさ」
 瑛がぼそっと話始めた。
「登山に行ってきたんだ」

「社員旅行だろ? 普通、温泉的なイメージだけど」
「慰安旅行的な?」
「そうそう。社内に登山が好きな人がいてさ。有志をつのって行ったんだ」
 楽しかったのか、話口調が軽い。暗くいけれど、瑛の顔も穏やかだ。

 そこで、はっとした。
「今日、キャンプの道具を見てたのって」
「まあね」
 胸の奥が、しぼられるような感覚がする。これ以上聞きたくないと、耳を防ぎたくなるのをぐっと我慢した。
 けど、『彼女と』とは、ぜったいに聞きたくなかった。

「頂上に立ったとき、はると行きたいって思ったんだ」

「……? オレ? 彼、女は?」

「……。別れたって言わなかったっけ?」

 意外そうな顔を向けられて、クエッションマークが浮かぶ。
 首をふると、「そっか」と、ため息交じりに、肩を落としていた。

 嬉しがるところだけど、瑛の落胆ぶりをみると、そう思えなかった。

「なんかあった?」
「……はるだから言うけど、おれってやっぱりダメなんだよ」

「はっ、あきを誰がダメんなて言うんだ。そんな奴がいたら、オレの前に連れてこい」

 自然に声のトーンが下がる。

 はるのどこがダメなのか。常に人のことを気にして立ち回っていて、その上、かわいいのに、自分で気づいていなくて、もっと自信を持ってアピールしてもいいと思っているぐらいなのに、誰がどこを見てそう言うのか。

「はる、違うって。おれがそう思ってるだけで、誰もダメだって言ってないから」
「けど……」
 モヤっと晴れない気持ちだ。

「何人かの女の人と付き合ったんだ」
 遠くを見ながら言う瑛に、ズキッと胸の奥が痛んだ晴臣は「おう」とだけ相づちをうった。

「でも、最後は彼女の方から別れを切り出されてしまう。それっておれに問題があるってことだろ」

「そうとも限らないと思うけどな」

「別れるとき言われたんだ『気もないのにつき合わないで』って。一人になってよく考えてみれば、付き合って、と言われたのも、デートの時だって、彼女からだったんだ。相手からすれば、もっと表現してほしかったってことなんだろうけど。表現してたつもりだったんだ。好きだったはずだったんだ。でも、伝わってなかった。それって、おれが悪い」

 悲しそうな目で瑛は晴臣を見た。
 痛々しそうな顔。傷ついた顔をしてほしくなくて

「そんな風に思うのは偽善じゃないのか。もっと、相手を悪く言えよ」

 瑛は首を横に振った。
「偽善でいい」
 そう言った苦しさのある顔に晴臣は、なんとなく瑛の気持ちがわかった。
「好きだったんだな」
 うなずいた。
「心から好きだって相手に伝わってなかったんだなって思うわけ」

 落ちた肩はさびしそうで、そんな瑛を一人にしておきたくなくて、抱き寄せた。辺りは暗く、人通りもないが、いやがるかと思ったけれど、身じろぎもせず胸の内に抱かれていた。

「いいね、そんなに思ってくれる相手に、嫉妬する」

「はるが、嫉妬?」
 瑛の声が少し硬くなった。驚いたような、意外だと言うように。

「オレも、あきに想ってもらいたい。なあ、あき。おれでいいじゃん。たぶん、この世界で一番あきのことを好きなのって、オレだ」
 
 瑛の耳元でささやくように言った。
 声がかすれなかっただろうか。
 瑛の首筋からは、焼肉屋でついた煙たい匂いと、彼の肌の匂いがした。
 
「本気? 冗談?」
 瑛は動かないまま、静かに問うた。
 彼は今、何を感じて思っでいるのだろう。
 不安と緊張に負けて、『冗談』だと言いたくはなかった。だからといって、『本気』だと言ったとしても、瑛は、そう取らないはずだと、なぐさめるための冗談だと、瑛に受け取るのではないかと晴臣は思っていた。

 誰か一人でも彼のことを本気で好きでいることが伝わればいいと、緊張しているのがバレないように、自然に聞こえるように

「本気」

と言った。

 瑛が悪くて、彼女たちが離れていったわけじゃない。ただ、彼女たちの意思で離れていってしまったと思ってほしかった。
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