夜食を、君と。

立樹

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 その日、一日をどうやって過ごしたか覚えていない。
 お皿を割ったことも、注文を間違えて違う品を作ったのも、これまでで最多だろう。
 頭の中には常に疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
 それは、今、小鍋で沸かしているお湯の泡のように。

「あ、しまった」

 ぼんやりとしているうちに、お湯は、半分以下になっていた。
 夕飯を作ることも手につかないのなら、お湯をわかしても無駄というもの。さっさと、火を止めて、今日は近くのコンビニで夕飯を買ってくることにした。

 家を出て、道々考えないようにしていても、考えてしまう。
 この際、とことんまで俺がどうしたいのか、藍生に対してどう感じているのか考えてみることにした。

 あの女性は誰――違う。
 俺が気になっているのは、藍生との関係だ。
 朝イチで藍生のところからでてきたんだ。

「彼女だろうな」

 ノーマルな藍生に、「好き」という感情を持って藍生に近づきたくなかったから、惹かれてしまう自分を否定してきた。
 でも、一夜を共にした女性がいるという事実をつきつけられただけで、こうも動揺して、落ち込んでしまうなんて。

 俺は、すでに藍生に落ちてしまっているのか……。

 そうか、俺は失恋したんだな。

「……いや……。……もう、……こないで……」

 ふと、今歩いている車が通りが多い本線のほうではなく、反対側の細い路地のほうからもめている声が聞こえてきた。ちらっと路地のほうを見ても姿は見えない。暗いのもあるが、建物で見えないのだろう。

 そんな声も、今は藍生の声に聞こえてしまうとは。もう藍生に心酔していたことを、認めざるを得なかった。
 認めると、彼女がいたことには胸は痛むが、もやもやは軽くなってスッキリした。

 と、路地のほうからしていた声が、大きく聞こえてきた。

「帰れよ!」という声が、あまりに藍生の声そっくりで、通りすぎた路地のほうを振り返った。

 路地から大通りの歩道へと姿をみせたのは、やっぱり藍生で間違いなかった。

「お願いだ、話を聞いてくれ」

 去ろうとしていた藍生の腕を、知らない男がつかんだ。

「離せって」

 手をふり払おうとしても、男の手から逃れられないようだった。

 あんなつらそうな、藍生を見ていられない。と思ったときには体が動いていた。

「嫌がっているじゃないですか。離してあげたらどうですか?」

 俺は藍生の前に立ち、男をにらむみながら言った。

「いや、その、話を聞いてもらおうと……」

 じっとそのままにらみ続けると、男はためらいがちに手を離した。

「また、日をあらためて会いに行くから」

 男は俺のうしろをのぞきこむようにして言う。
 藍生の返事は聞こえてこない。代わりに、背中の服が引っ張られた感触がした。

 男の姿が見えなくなってから、首だけ後ろに向け藍生に声をかけた。

「大丈夫か?」

「え、ああ。はい」

 ふいに服の重みがなくなった。藍生はつかんでいた服を離したようだ。体ごと藍生に向き直った。

 貼りつけたような、よそよそしい笑顔。それは、引越しの挨拶をしにきたときの顔と同じだった。

 藍生にとっては、さっきのやり取りを見られたくなかったのかもしれない。

 だったら、なにがあったのかと、聞くのもはばかれる。

「じゃあ、俺、行くな」

「……あ、ありがとうございました!」

 先にお礼が先だったのに、ぼーっとしていて、すみません。と言ったのが小さく聞こえた。

「いいよ」

 俺は、軽く手をふってから、近くのコンビニに入っていった。


 弁当がならぶ棚から、オムライスに手がのびた。あと、いつもなら夜には買わないデザートを、手当たり次第に買った。
 きっと、考えすぎて脳が糖分をほしがっているのかもしれない。

 朝見かけた女性と、さっきの男性……。

 藍生とは、ここ最近話始めた仲だから、知らないことがあったって当然だ。
 ただ、気になるのは藍生が困っているということだ。

 さっきみたいな顔をされると、放っておくことなんてできないじゃないか。

 どうして俺は、他の人のように異性を好きになれないんだろう。
 そうしたら、こんなに悩まなくてもいいのに。

 家へと帰るまで、そんなことを考えていた。
 アパートの扉の前で、ふと隣を見た。

 藍生は事情と言った。
 それが解決すれば、また、前のように食べに来てくれる……。
 そうあってほしいと願う自分がいた。

 ポケットからスマホをだして、藍生へメッセージを送った。

 困っていたら声かけて

 今回は書く文面に、前ほど悩まなかった。

 その数分後、藍生からありがとうございますのスタンプが送られてきた。

 この気持ちは伝えなくていい。
 自分で認められた。それだけで良しとしよう。
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