神楽

立樹

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 二限目の授業はサボった。
 授業に集中できないだろうし、なによりも神楽に聞きたいことがあったから。

「大学から出ていいか?」

 次の授業へと向かおうとする神楽に尋ねると、「もちろん。うちにおいでよ」と返ってきた。
 そして、今、神楽の部屋にお邪魔している。
 1DKの白を基調としたシンプルな部屋。

「お邪魔します」

 と、玄関を入った時に、目に入った写真立ての多さにびっくりしたけれど、キッチンや部屋の中には一枚も置かれていなかった。

「ここ、座って。あ、荷物預かるね」

 神楽が伸ばしてきた手に、リュックを渡した。

「サンキュ」

 引き出された椅子に座り、神楽の後姿を見る。
 電話以外の時にも、声が聞きたいと思っていた。でも、この状況とは違う。
 声に集中できない。神楽の存在が気になって仕方がなかった。
 あの告白は本気か?と。

「あきは、コーヒーとコーラ。それともココア、どれが好き?」

 冷蔵庫に手をかけた神楽が聞いてきた。

「ミルク多めで甘いコーヒーで」

「りょ」

 神楽は、牛乳を取り出した。陶器のすれる音に、袋を開ける音がする。

「今日は、ごめんな」

 カップにお湯を注ぎ入れている神楽が謝ってきた。

「え、なんで?」

「急にびっくりしただろ?」

「告白?」

「ああ。あ、これ、甘めのミルクコーヒーね」

 大き目のカップに並々入っている。

「ありがと」

「これもどうぞ」

 小袋に入ったクッキーが大袋ごと置かれた。
 封は開いていたので、一つ取って小袋を破き、口に放りこんだ。
 甘さで少しだけ、心のうちのざわつきが治まった。

「あのさ、あの告白は、神楽の機転なんだろ。みんながメッセのやり取りをしたくて聞きだされるのを防ぐためなんだろ?」

 そうに決まっている。
 じゃないと、オレを好む理由なんてない気がする。
 肯定する返事を待っても、返ってこない。
 目線をあげると、神楽と目が合った。
 と、柔らかい笑みを浮かべている。
 抱きこまれるような眼差しに、戸惑った。

「あれ、ほ、本気だったりして?」

「やっぱり、似てるよね。うちのジョンに」

「ジョン?」

 答えはもらえず、疑問が増えた。

「俺、ジョンがいないとダメなんだよ」

 このフレーズ、どこかで……。

「ああっ! 神楽、オレと家電で出会ったときに言ってた。あれって、『ジョン』っていう奴のことだったんだ」

 神楽は、うなずいた。

「だったら、オレに告白していいわけ? そのジョンは?」

「実家ではジョンだったんだけど、今はそのポジションはあきだから」

「……ん?」

 意味が分からん。

 ジョンのポジションがオレ?

 つまりは、さっき神楽が言ったことをジョンからオレに変換すると、

「オレがいないとダメ」みたいな?

 腕を組んで首をかしげていると、急に神楽がくすくすと笑いだした。

「その表情、やっぱ、ジョンに似てる」

 そして、席を立ち玄関へ向かった。
 戻ってきた手には、写真立てが握られていた。

「これがジョン」

「い、い、犬?」

 ぱっと顔をあげて神楽を見れば、満足そうにうなずいている。

「オレ、犬かよ」

「あきは犬じゃないよ。でも、よく見てよ。似てるから」

 写真には、大きな耳をぴんと立て、黒にまばらの白色が混じる犬が舌を出して写っている。それが笑っているようにも見えた。

「これ、コーギー犬で、ジョンっていうの。小さいころから一緒でさ。朝、いっつも起こしに来てくれたんだ。それに、落ち込んだ時も、悲しいときも、嬉しいときだって一緒にいてくれた。俺の相棒」

 写真を見る神楽の表情が、いつももイケメンだが、もっと輝いて見えた。
 声がより甘く、耳の奥がこそばゆい。

「オレはジョンの代わりってことか」

 言葉にすると、それはそれでモヤっとしてしまった。

「それは違う。ジョンはジョン。あきはあき。でも、気を許しちゃうよね」

「そっか」

 ちゃんと神楽は別々にみてくれていたという嬉しさに、オレはジョンのように少し舌を出して、目をくりっとさせてみた。
 とたんに、「ぷっ」と、おなかを抱えて爆笑した。
 しばらく笑ったあと、すっきりした顔で
「ごめん、やっぱり一緒かもしんない」
 と言った。それから、

「きっと、明日からあきは注目されちゃうだろ。でも、俺からの告白を断ってくれれば、いつかは興味は薄れるはずだ。だから――」

 真顔になった神楽は、「断ってもほしい」と言った。

「やっぱ、視線をそらすために言った提案だったんだな」

「ダメ?」

 ここで「わかった」なんて言ったら、明日からモーニングコールはできない。つまりは、神楽の声を聴けないということだ。
 オレは、神楽の声と、他人の視線とを自分の天秤にかけようとしていることに気付いて、頭を振った。

 人のうわさや、人の視線じゃない。
 そうだ、神楽の本当の気持ちを知らない。
 それに、自分のも。
 オレはどうしたい。神楽は……。

「神楽は、ほんとにそれでいいのかよ」

「いいよ。前に戻るだけだから」

 人と距離を置いた笑み。さっきとは全く違う。
 神楽は、オレと距離を置こうとしている。よそよそしい笑みは、大学で見慣れているはずなのに、胸が締め付けられて苦しい。

 オレは、ジョンじゃない。
 でも、今、神楽の隣にいるのはオレだ。

 今日受けた人の視線。神楽の一挙手一投足に注目が集まる。
 なら、オレがいることで分散されるなら、それでもいいと思えた。

「オレを通してジョンを見ていていいから、そんな風に笑うな」

「……」

 神楽は目をぱちくりさせたあと、ぎゅっと抱きついてきた。

「うわっ、だから急に抱きついてくんな」

「だって、さっきあきをジョンとして見ていていいって言った」

「そんなこと言うなら、オレはオレだって言ったくせに」

「あきはあきだ。ジョンじゃないけど、ジョンと同じぐらい好きだ」

 耳元で囁くように言われて、ぞくりと旋律が走り、鼓膜を震わせる神楽の声に、身震いしてしまった。

「……あき?」

 まずいっ。

 がばっと、抱きついている神楽を引き離し、椅子から立ち上がった。

 耳が熱い。手で耳を押さえた。
 神楽の方を見られない。
 とっさに手で耳を押さえてしまったから、感じたことがバレたかも。
 顔まで火照ってきた。

 一歩近づく神楽に、一歩さがる。
 それを繰り返し、掃き出し窓に背中がつかえる。
 行き止まりだ。

「あきの弱点って、耳?」

 神楽の手が伸びてきた。
 その手から逃れようと「違う」と言った。

「でも、耳押さえてるじゃん」

 神楽を見ると、少し面白がっている。
 また、抱きついてこられては敵わないと焦った……、のが間違いだった。

「耳じゃない。声だ……あっ」

 自分から白状してどうするんだ。
 誤魔化すこともできたのに。オレは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「へー、声ね。誰でもいいの?」

 耳元でささやかれ、耳をふさいだ。

「か、帰る!」

 近くのソファの上に置かれていたオレのリュックを手にした。

「待って」

 行こうとするオレの腕を神楽がつかんだ。

「なんだよ。どうせ、からかうんだろ。変だろオレ」

 手を振りほどこうと力を入れたが、がっちりとつかまれていて、ほどけない。

「誰でもいいわけない。神楽だけだから。もういいだろ。放せって」

「いやだ。じゃあ、今までずっと電話していたのは、そういう訳があったってことだね」

「……だから、全てが善意じゃない。そんなにいい人でもない」

「なんだそういうこと。君にも断らない要素があったってわけだ」

 いつもより低い声だ。

「そうだ」

「じゃあ、遠慮はいらないな。明日から、よろしくね。あき」

 よろしく?って、なにを……。

「俺の彼氏ってことで」

「オレでいいの?」

 そう問うと、はぁ、とため息をつかれた。

「わかってる? 俺の提案を受けるってことは、女子とつきあえないってことだけど。彼女欲しかったりしないの?」

 指を胸につきつけられた。

「それなら、神楽だって同じだろ。女子の声で朝、起こされたいだろ?」

「俺、女子ではたたないから」

「……へっ。じゃあ、ゲイ?」

「ゲイでもないけど、いろいろあって恐怖心しかない」

 神楽が言った。
 そして、念を押すようにもう一度、「いいのか」と聞いてきた。

「ああ。神楽こそ、よろしくって言っときながら、彼女がどうのこうのって……。断ってほしいのか、そうじゃないのかどっちだよ?」

「もちろん後者」

 神楽は座り込んだオレに手を差し出した。
 オレはその手を握った。引っ張られ立ち上がったところへ、抱き寄せられた。

「これからいつでも、聞かせてあげるよ」

「ひゃっ」

 耳元でささやかれ、変な声が出た。
 油断していた。握手だと思っていたがそうでもなかったみたいだ。
 腕から逃れようともがくと、放してくれた。

「いいじゃないか。俺としてはこれからは大学でも一緒にいられるし、あきだって俺の声を好きな時に聴けるだろ」

 熱くなった顔を仰ぎつつ、悔しいがその通りだとうなずいた。

「ただし、オレで遊ぶな」

「うーん。そのお願いは聞いてあげられないかな」

「なんで」

「俺だけが知る君の弱点だから」

「なんだそりゃ」

 よくわからない言い訳だ。でも、そんなに悪い気はしないのは、声にほだされているからかもしれない。
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