「父を愛した」父を憎んだ。

ポンポコポーン

文字の大きさ
17 / 30

「引き裂いてはならない」叔母の約束。

しおりを挟む


咳が止まらない。

天井に小丸球のあかりだけが点いている。

ボクは2段ベッドの上の段で眠っていた・・・眠ることはできない・・・横になってた。
下の段には母が寝てる。・・・弟がいなくなって、母がそこで寝るようになってた。

咳が止まらない。ゼェゼェと、ヒューヒューと・・・隙間風のように肺が鳴ってる。
・・・・ときおり発作が起こる。一度咳き込むと止まらない。
激しい咳が続く。呼吸する間もないほどに咳込んだ。


・・・その時やった。
下の段から舌打ちが聞こえた。・・・・聞こえたというほどやない。・・・雰囲気・・・


もちろん、母は明日も仕事や。ボクの咳込む音がうるさいんやろう・・・・

家に病人がいるというのは、こういうことや。
最初は「看病」ができても、それが日常になれば・・・・長引けば、看病する方も苛立ちを感じるようになる・・・ふとした時に・・・ほんの些細な感情が表に顔を出す。
「舌打ち」と呼ぶには些細な感情やった・・・空気やった・・・気持ちの動きでしかなかったんやろう・・・それでも、2段ベッドの上から感じるには十分やった。

・・・・酷いと思った。
あんまりやと思った。
「小児喘息」に生まれたかったわけやない。
発作を起こしたくて起こしてるんやない。
咳込みたくて咳込んでるんやない。


・・・・・全てはボクのせいやない・・・・


幼い時・・・・喘息の発作が出ると、父が大きな病院に連れて行ってくれた。
・・・・車で・・・大好きなスカイラインで・・・・大好きだったセドリックで、大きな病院に連れて行ってくれた。
・・・・今は父がいない・・・・車がない・・・ボクは、自分で自転車に乗って、村はずれの診療所に行った。・・・・母は仕事やったからや。・・・・仕事は休んだらアカンからや・・・

学校も休んだらアカン・・・・ボクは、何日学校を休んでるんやろう・・・・今日は何曜日やったんやろう・・・・土曜日か・・・明日は日曜なんか・・・



・・・・それでもいくらかは眠ったんやろう。

窓からは朝の陽が入っていた・・・・

相変わらず、肺から隙間風が鳴っていた・・・・苦しい・・・・息をするのが苦しい・・・


男が入ってきた。
いきなりに、突然に・・・・ガラガラと乱暴に扉を開けてドカドカと入ってきた。

「どないや?」

叔父やった・・・・分家、ゴンの父親。

母が事情を説明していた。

叔父が電話をかける。

・・・・会話から相手が医者らしいことはわかった・・・・・今日は日曜日や。病院は休みや。叔父は知り合いの医者に診てもらえるように掛け合っているようやった。

しばらくして、ボクは叔父に抱えられて玄関に止めてあった車に乗せられた。

「寒ないか?」
叔父は後部座席で寝転がっているボクに、自分の上着をかけた。母が助手席に乗っている。


ゴンとボクは兄弟のように育った。
長距離トラックの運転手・・・家を空けがちやった父に代わって、叔父が、ふだんの父親代わりをやっていたといっていい。
ゴンと・・・ゴンの兄さんと一緒に海に行き、山に行った。遊園地にも連れて行ってもらった。

叔父はボクを可愛がった。
・・・・ゴンがボクに対して嫉妬するくらい、叔父はボクを可愛がった。
・・・なんだろう・・・・いろんな話をするのが・・・叔父の話を聞くのが好きやった。


叔父が乗っているのは「純白のキャデラック」やった。

「いつかはクラウン」

そうテレビCMをやっていた時代に、クラウンなど足元にも及ばない、アメリカのステータスシンボルの巨大な車やった。
巨大なドアに、巨大なタイヤ・・・・広大な・・・ベッドかと思うくらいの後部座席やった。・・・・そこに寝っ転がっていた。

分家は、叔父の一族は、いくつもの会社をやっていた。何件もの飲食店をやっていた・・・・繁華街で、この「純白のキャデラック」は有名やった。
ウチ、本家が「農業」を受け継いだが、分家は「商業」を受け継いだ・・・・それが戦後の復興時に「工業」へと発展し財を成した。・・・・製糸工場、碍子工場、木材工場・・・・
そこからサービス業へも進出し・・・・分家一族は、今や、この一帯の、押しも押されもせぬ実力者やった。権力者やった。・・・・・その当主が、この叔父やった。


行き着いたのは大学病院・・・・勿論、日曜日で病棟は閉鎖されている。

職員用通路の前にキャデラックが横付けされた。・・・・そのまま叔父に抱えられ・・・・叔父の上着を着たまま・・・・中に入っていった。
叔父の腕に抱かれていた・・・意識が朦朧としたような・・・・それでも心地よい揺れの中で天井が見えた・・・廊下は真っ暗やった。

ドカドカと力強く叔父が進んでいく・・・・母が後ろからついてきているのがわかった。真っ暗な通路に一ヵ所だけ電灯の光の洩れている部屋があった。そこに入った。

お医者さんの前に座らされた。・・・白髪・・・銀縁眼鏡・・・いかにも学者といった雰囲気・・・・お医者さんの後ろには優しそうな看護婦さんが立っていた。

お医者さんが触診をしている・・・・母が説明をしている・・・・・小児喘息で・・・・でも、ここのところ発作はなかった、と・・・・・聴診器が当てられる・・・・

「何かありましたか・・・・?例えば転校とか・・・・?」

え?という顔で、母が家庭の事情を説明しだす・・・・父のこと・・・・商売のこと・・・・引っ越したこと・・・・転校したこと・・・・

「この子の兄弟は・・・・・?」

・・・・母の言葉が止まった。母が息を飲んだのがわかった。


・・・・聴診器が冷たくなかった。
小さい時から小児喘息で入退院を繰り返した。・・・・毎日の回診で聴診器を当てられる。
・・・・聴診器の金属は冷たかった。・・・・それが、胸に当てられると息を飲むくらい冷たい時がある。

・・・・このお医者さんの聴診器は冷たくなかった。
慎重に、肺の音を、心音を聞いている・・・・おざなりやなかった・・・真剣やった・・・・真剣に些細な異常すら聞き逃さない・・・なんだか、ひどく安心できた・・・・村のジイチャン先生とはえらい違いや・・・・

「喘息は、精神的なことが影響するとも言われています・・・・とくに子供なら、なおさらです・・・・気をつけてあげてください・・・・」

お医者さんの、温かい手が、首・・・胸・・・背中へと触れていった・・・・気持ちいいと思った・・・・温かい手が気持ちいいと思った・・・・

ボクは、太い注射をされ、大学病院を後にした。
すぐに発作は治った。そして、熱も下がっていった・・・・・



松山。叔母の家。

弟は今日もバス停にいた。
松山の家からは、その角、大通りに面したところにバス停がある。
弟は毎日バス停にいた。バス停で日がな一日、道路を走る車を見ていた。

松山の家では、当たり前で皆が弟を可愛がっていた。
叔母夫婦。そしてお爺ちゃんにお婆ちゃん、曾婆ちゃんもいた。
皆が、やっとできた未来の跡取りを、将来の希望の子供を、それこそ目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。

・・・・しかし、気がかりなことがあった。
弟は、日に日に食が細くなっていった・・・・ご飯を食べなくなっていった。


弟は今日もバス停にいた。
どんなオモチャを与えても、家の中で遊び続けることはない。
気がつけば、弟はバス停にいた。

「やっぱり、お父さんが運転手やったからかねぇ・・・・車が好きなんやろうねぇ・・・・」

松山の家ではそう話していた。
しかし、毎日毎日バス停に、雨の日には傘までさして日参するその姿に、叔母は何か別のものを感じていた。


・・・・・・そして、気付いた。


叔母は、弟を連れて来たときのことを思い出していた。

「カァくんも後からくるんやよ・・・・」

そう言って、叔母は弟を連れてきていた・・・・

この子はカズアキを待っているんやなかろうか・・・・・

「帰りたい・・・」とは一言も言わなかった。幼いながらに自分の立場をわきまえているんやろう・・・・しかし・・・・

「カァくんも後からくるんやで・・・・」

この言葉だけは信じているんやなかろうか・・・・その遅れてくるはずのカズアキを、毎日、バス停で待っているんやないか・・・雨の日には傘をさして・・・・・

毎日毎日・・・・毎日毎日・・・・毎日毎日・・・・

徳島で、一人きりの部屋でカズアキを待っていた。・・・同じように、一人で、一人きりで、毎日、バス停で待っているんやないのか・・・・

・・・・日に日に、ご飯を食べない弟・・・・



・・・・この兄弟は、引き裂いたらアカン・・・・・



弟が帰ってくる!

その日、ボクと母は駅へと迎えにいった。

改札の前で待っていた。

改札を叔母に手を引かれ出てくる弟。・・・・見つけた。母を見つけた。
叔母の手を振り切って走り出した。駆けてくる。まっすぐこっちに駆けてくる。

「お母さーん!」

母に抱き着いた。・・・・隣にボクがいる。

「カァくーん!」

ボクは膝をついて、弟を抱きしめた。



10歳やった。3歳やった。

「観覧車で別れた」



・・・・駅ビルの中。オモチャ売り場にふたりでいた。・・・・離れたところで母と叔母が見ていた。

手を繋いで、ふたりでオモチャを見て回った。

なんでも、好きなやつを買ってやる。


桜が咲いていた。
6年生になる。クラスが変わる。弟の幼稚園も始まる。



真っ暗な部屋。
小さな4本のろうそくの灯がともる。
弟が一気に吹き消した。

ボクは、立ち上がって電気をつけた。

テーブルの真ん中に小さなホールケーキ。
「HAPPY BIRTHDAY!」のチョコレートのプレート。

今日は、弟の誕生日やった。
ボク、弟、母でケーキを食べた。
弟が、3匹のコブタのフォークでケーキを食べている。
片手には、超合金のロボット・・・ボクが買った誕生日プレゼントや。弟と一緒に選んだ。


テレビからナイターが流れている。・・・・もちろん阪神戦や。
テーブルの真ん中に母の餃子が並んでいた。・・・・台所で母が焼いていた。

母の餃子が大好きやった。・・・・いくらでも食べられた。・・・1人で30個食べたこともある。
隣で、弟も餃子をフォークで食べていた。


「観覧車で別れた」

ボクの誕生日に、弟と別れた。


弟は誕生日に帰ってきた。

大人たちは断念した。弟の養子生活は終わった。・・・・弟は上膳据膳の、老舗料亭の御曹司に成りそびれた・笑。


弟が、口の周りをベタベタにして餃子を食べている。
・・・・隣で、弟を見ていた。

上膳据膳より、餃子のほうがええやろ。
箸より3匹のコブタのフォークのほうがええやろ。

・・・・老舗料亭の御曹司より、ボクの弟のほうがええやろ。

ボクらは、この世でふたりっきりの兄弟じゃ!

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...