機械の森

連鎖

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暇つぶし

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 予約を伝え宿帳への記載が終わった麗華が、
 ホームページよりも若く見える女将に案内されて部屋に向かう。

(こういうのも、歴史ってのかな…でも、高級ホテルみたいね)

 古い旅館の廊下は、背の高い麗華が歩くと顔が当たりそうになるし、
 しかも廊下の板を踏むたびに、わずかに沈むような感じがしている。

「ギッギィイイイ」

 もちろん、そんな廊下を麗華が歩いていれば、
 定期的に静まり返った旅館に、大きな破裂音をさせていた。

「設備が古くてすみません…お客様。そこ…頭にお気をつけください」
「ああ、あはは。イイですよ。慣れているので…ギッギイィ。あはは」

 そう注意された低い場所以外にも、
 気を抜けば、普通の場所でも麗華の頭が当たりそうになってしまう。

「あと荷物は、重くありませんか? お持ちしますよ」
「あはは…中身は軽いので、自分で持ちます。すみません。大丈夫です」

 もちろん古い板張りの廊下の上を、キャスターバックで引きずる訳にも、
 相手の顔が鳩尾辺りなのに、これを抱えて運べとも言いたくは無い。

「すみません。色々と古くて、
 お客様には、ご迷惑をおかけして申し訳御座いません」

 その事に気づいた女将が、申し訳なさそうに謝ってきた。

「大丈夫…大丈夫ですよ。
 こういう場所だと知って泊まりに来ていますから。アハッ。あはは」

 壁には年月を経た黄色みがかった壁紙、
 清掃は行き渡っていそうだが、古い建物の独得な匂いがしている。

(一泊…一泊だけだし、温泉…温泉だから…)

 巨大生物を見に行く暇つぶしの麗華が、長い歴史の一端を味わっていく。

「それでは、お客様。ごゆっくりお寛ぎください」

 麗華が部屋に入ると、女将は優雅に頭を下げ、
 少し早い時間に訪れた客に対しても、丁寧に挨拶をしていた。

 そうやって案内されたのは、階段からは遠い二階の角部屋で、
 家族向けなのか、一人で泊まるにしては明らかに大きい部屋。

 部屋に入れば、磨かれた床の間に色あせた掛け軸に姿見があり、
 窓の前には広縁があって、テーブルと椅子が二脚置いてあった。

(ゆっくり時間が流れている…こういうのも…)

 その椅子に座って、麗華が外を眺めていると、
 谷の緑が広がっていく姿と、近くを流れる川の音が静かに聞こえる。

「休暇…お休み…今日は、お休みなのよ…」

 畳敷きの部屋に視線を送ると、低い座卓と座布団に姿見と押入れ。

 やっと落ち着いた麗華は、
 玄関に置いてあったキャスターバックを畳の上に広げていく。

 ――山や温泉の匂い……そして、何かの気配……あはは、ウソよ、ウソ。

 この部屋に入ってから感じ続けいる、何かの違和感を感じながらも、
 彼女の口元には笑みが浮かんでいった。

(今日は休暇…休暇ったら休暇…何も無い…何もいません…絶対に絶対)

 荷物を確認していると、視線の端で揺れる掛け軸の影が見えた気がして、
 麗華は心の中で警戒していた。

 しかし、ここまで寝ずに運転してきた疲れが出たのか、
 そのままの格好で眠りについてしまう。

 やがて、部屋の扉を叩く音で目を覚ました麗華は、
 今朝予約したのに、夕食が部屋まで運ばれてきたことに困惑した。

 川魚の塩焼き、山菜の天ぷら、見慣れない肉が入った鍋。
 香ばしい匂いと、山の風味が混ざり、舌が期待を覚える。

(豪華よね……んっ……こんなに、一人で食べるの?)

 配膳した女が「ゆっくりしていってください」と笑って帰っていく。

 その皺だらけの手には、細く黒い痣や傷が見え、
 麗華の視線はどうしても、そこに吸い寄せられてしまう。

(気の所為…あり得ない…仕事のしすぎ…気の所為よ。あり得ない)

 少しざわつく気持ちを胸の奥にしまい、
 直後に作り笑いを浮かべ、美味しそうな食事に箸を運んだ。

「いただきます」

 食事の味は、素朴で美味しい。

 しかし、舌の奥にかすかに感じる獣臭さに、麗華は眉をひそめ、
 身体は癒される感覚に包まれるが、心のどこかで不安がくすぶっていく。

 食事の後には浴衣に着替え、有名な温泉へ向かった。

 ホームページで見ていたお風呂は、この旅館にしては大きすぎて、
 洗い場と、十人程度が入る内風呂だけでも驚いていた。

 しかも小川に向かって広がる露天風呂は、
 それ以上に圧倒的な存在感と絶景を麗華に見せていた。

 そういう露天風呂に早く行こうと、洗い場で体を洗っている間も、
 内風呂で寛いでいる時にだって、美しい麗華に話しかける人はいる。

「今晩は…ええ…一人旅で…慣れているので…ええ…そうですね
 いやぁ~…そうですか?…いいですよ…んっ…別に気にしていないので」

 年季の入った脱衣所には、
 古い籐籠や洗面台が並んで、窓からは温泉の湯気が流れ込む。

 絶景の露天風呂は一段と開放感に溢れ、周りは荒い竹の柵で囲まれ、
 湯面は、橙色の照明と月光が差し込んでいる。

(ここ、色々と丸見えよね……はぁ、でも気持ちいいから…仕方ないか~)

「気持ちいいですね…ええ…秘湯巡りが趣味ですから…最高です。
 別にいいですよ…一人ですって…あはは…近すぎません?」

 麗華が白濁した温泉に肩まで浸かっていると、
 何かが湯面の下から近づいてきて、気持ちを探るように触れてくる。

 そんな時でも初夏の夜風が頬を撫で、遠くで虫や動物の声が混ざる。

 その合間にも、あの感情に流されていく気がして、
 麗華は湯の中で瞼を細め、息を止めて周りの欲望に応えていった。

「アッ。ふぅう。うっ。うぅウン。イヤッ。ダメっ。ふぅ~。ハァあん」

 いつの間にか、麗華に近づいて来た人達の見えない想いが、
 ここに潜む獣達の意思まで伴って襲いかかってくる。

「ハアっ…いっくぅう…また…そこっ…バシャン…ヒッ…そ…ひやっあ」

 麗華は、そんな獣達に取り囲まれているのに、
 その場所から逃げ出す事も、その行為を拒絶する事さえ出来ない。

 唯一出来るのは、獣達の純粋な想いに全身で応え、
 心地いい刺激に流されて、心を開放する事だけだった。


 獣
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