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ツツジ(燃え上がる想い)
①ライラック(別れと芽生。お母さん)⑥
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それからも、レイには不思議な光景が続いていた。
(楽しい。ずっとこのままでいられたらいいのにな。
お母さん。私ね、なぜかすごく楽しいの。どうしてだろう?)
ジンとの生活も、
花子や麗華にとっては、幸せに満ち足りた最高の時間だった。
彼との時間が終わった後の、悲しみや焦燥感や絶望も忘れていないし、
あの時間を取り戻したいという気持ちも残っている。
しかし、あの飢えて渇いていた時間と比べると、
今はとても穏やかで、まるで天国のような時間が過ぎていた。
全てを忘れて、このまま「レイ」という女の時間がずっと続けばいい、
このまま、大人にならなければいいとさえ彼女は思っていた。
。
他愛のない話し、診察は夜からと決まっているが、
日差しのある暖かい時間にも、彼女の幸福な時間が増えていた。
「レイちゃん、これ食べて。」「おじさん、ありがとう。ちゅっ。」
このような他愛のない会話や、人々の優しさを素直に受入れて、
その優しい心に包まれる心地よさをレイは感じていた。
「レイちゃん、着てる?」「ペラ。ちょっと、スースーするよぉ?」
「じゃあ、今度はこれを着て。」「じゃあ、こんどぉ。」
「ええぇ、いまぁ。今すぐに着てよぉお。レイちゃぁあん。」
この男にとって、この服や下着はプレゼントなのだろう。
麗華として生活していた時には、
この行為をされても、違和感や仕事の一部としか感じていなかった。
しかし、レイに生まれ変わってからは、
同じように顔見知りの男からプレゼントを贈られているのに、
今では心が温かくなるのを感じていた。
「はっ。恥ずかしい。から。。おっ。。お医者さんの時にぃ。」
「じゃあ、今から先生の僕がレイちゃんを診察するね?」
「おじさん、エッチぃ。もぉ、エッチなのはダメって言ったよぉ。」
これも他愛のない会話だが、これを嫌悪感しか感じない人もいるだろう。
けれど、昔のことを考えると、あるいは生まれ変わったせいなのか、
こうして声をかけられるだけで、心が嬉しさで満たされていくのだった。
そうやって、知り合いだけの相手をすればよかった時期は終わり、
沢山の顔見知りが増えたというより、レイの反応が大人に近づくと、
周りを囲んでいく男達も増えていった。
。
夜の診察時間も、少しずつ変わっていった。
「ひゃあぁあん。また、また出ちゃう。おじさん。いやぁあん。」
「また出ちゃったら、お薬が無くなっちゃうよぉおお。」
「あっ。あぁあん。その、ああ。ほらぁ、またでちゃってるぅう。」
お医者さんが、薬を一番奥深くまで届け終わると、
注射器が徐々に萎んでしまい、栓が抜けてしまっていた。
それを感じた先生も慌てたらしく、
薬が届いたのかを、指先で患部を広げて確認していると、
何故かレイが顔を真赤にして、腰を震わせていた。
「ひゃあぁあん。また、真っ白に。真っ白になっちゃう。またぁあ。」
レイは、恥ずかしくて、恥ずかしくて、逃げたいほどの気持ちなのに、
患部を広げられると、何か別の感情が膨らんでいた。
もちろん、薬が処方されるたびに心が軽くなっていくし、
この感情が膨らんでいくほどに大人に近づき、
あの何も無い静寂の世界に引きずり込まれそうになる事も減っていた。
「ほらぁあ、レイちゃん。とっても可愛い顔をしちゃってるよぉお。」
「おじさん。こ、怖いぃ。まっ、また消えちゃうのぉお。ワタシィイ。」
「ほら。もぉおっと、可愛くなったぁあ。アハハハハ。」
「ヒャァアアアん。ひっちゃう。ヒヤァ。ビジャ、びじゃじゃあ。」
その感情に流されるまま、
全身の力を抜いて目を閉じていると、とても心地良い時間が流れ、
また新しい先生の診察時間が始まり、レイはまた治療を受けていた。
。
麗華がゆっくりと休むことを、まるで世界が呪っているのか、
あるいは別の場所に行ったことを恨んでいるのか、
幸せな時間は瞬く間に終わり、
昔の暗く陰鬱な日々の足音が彼女に近づいてきた。
「外人ぽいぞ。」「スッゴイ美人だってよぉ。」「全部ありだって!」
「反応は薄いらしいが、最高の女だって。」「これ、この子だよ!」
ネットでの誹謗中傷は日常茶飯事で、一瞬で過ぎ去ったことさえも、
一生消えない傷として情報の中に刻まれていた。
そんな世界にレイ(花子)の情報が掲載されていた。
「会いに行こうぜ。」「函館かあ?でも、これって似ていないか?」
「金髪だぞ?」「ここ、黒くしてみろよ。」「おい、これって!」
レイが相手をする人が増えるほど、情報が広まるのも一瞬だった。
常連客が隠そうとしても、それ以外の男たちが、
周りへの自慢なのだろうか、次々と情報をネットに流していった。
もちろん、ただ美しい容姿や全裸の写真だけなら、
今の情報過多な世界では、大きな話題になどならなかっただろうが、
ショッキングな事件と、その情報が結びついてしまえば、
優しい気持ちなど無視され、瞬く間に拡散され燃え上がっていた。
。
お母さんと優しい先生が訪れていたスナックに、
何台ものカメラと、多くの野次馬が群がってきた。
「ガンガン。いませんかぁぁ?山田さーん。ガツガツ。」「。」
「山田さーん?ガンガン、ガツガツ。いますよねぇえ。」「。」
古い建物なのに壊れてしまう事など考えていないのだろう、
スーツ姿でキッチリと髪型を決めた男が、
片手にマイクを持ち、激しく扉を叩いていた。
その男は正義感や使命感を言い訳にしながらも、他人を人間ではなく、
ただの情報のパラメーターとしか見ていないらしく、
大人になりそうな彼女にまとわりついてきた。
もちろん、そういう人でなしな彼らにとって、
彼女はただの、金儲けが出来る新鮮な情報の一つに過ぎなかった。
「メーターが回ってるよね。ガツガツ。山田さーーん。
山田花子さぁあん、いませんかぁぁ?いますよねぇえ、ガンガン」
その男意外にも、大勢の人が押し寄せ、
少しでも情報を集めようとしたり、
わずかでも利益を得ようとするクズ達が店を取り囲み、
何も無い情報を、彼らは自分たちの責任を他人に押し付けながら、
次々と着色して拡散していった。
そうやって膨らんでいく情報のほとんどが虚構となり、
その結果、彼女の平穏な生活は壊され、
すべてが押し潰され、流されてしまいそうになっていた。
「お母さん。お母さん、怖いよぉ。こわいよぉ。お母さん。」
「レイ、大丈夫だよ。お母さんが守ってあげるから、安心してな。」
「お母さん。私、何か悪いことをしたの?私が、何かしたの?」
最近、レイは少しずつ会話ができるようになり、
外で騒ぐ人々が自分を求めていることや、
「山田花子」という名前が、自分を指していることを理解していた。
そんな子供に、悪意を持った人達の声が襲いかかってきて、
欲望と虚飾が混じった音が、店の中に響いていた。
「お前たち、絶対に声を出しちゃダメだよ。レイも分かったね?
お母さんが戻ってくるまで、おとなしくしているんだよ!」
「おう。」「おお。わかった。」「ああ。」「お。。おかあさぁあん。」
最近は色々と物騒になってきたのもあるが、
レイの周りを、変な人がうろつく事も多くなっていたので、
今では家族のようになった三人の男達が彼女を守っていた。
「レイ、ちょっと待っててね。すぐに帰ってくるから。」
やっと手に入れた娘との時間は、あっという間に過ぎていき、
レイが大人になると気づいた時には、終わりを迎えようとしていた。
(ごめんね。結局、私は何も守れなかった。本当にごめんね。レイ。
でも、愛している。こんなお母さんでも、愛してくれるかい?)
私は、レイとの別れが近いのは気付いていたが、
こんな酷い終わりなど、絶対に認めないと心に誓っていた。
しかし、これから自分がする事を考えてしまうと、
全身が震えだし、どうしてもあと一歩が進めなかった。
「お母さん。私が、悪いの?私が?」「レイは、何も悪くないよ。」
そうやって泣くレイの姿が心をエグッたのか、
さっきまで迷っていた彼女の顔が引き締まり、
何かを決心したような表情に変わっていた。
「お母さん。いやぁ。いかないでぇえ。
おかぁあさん。お母さん。おかぁあさん、ダメェええ。」
お母さんの言葉や態度で、レイは何かに気づいたらしく、
突然叫び出して止めようとしたが、
お父さん達が必死に彼女を押さえつけていた。
「お前達、たのむよ。」「ああ。」「。。」「。」
必死に私を止めようとする娘を笑顔で見送り、
彼らに愛しい娘を預けると、服を脱ぎ捨てて店の外へ飛び出した。
「ガチャン。うるさいねぇ。あんた達、近所迷惑って知らないのかい?
何が悪いんだよ、コラ写真で私達が遊んでるだけだろうがぁ。
ハアァ、マスゴミまで出てくるって、本当に暇なんだねぇ。」
もちろん、センセーショナルな事件が大好きなマスコミは、
この古臭いスナックを生中継していたし、
見出しをデカデカと付けて、第一報を自分達がと興奮していた。
「変死体?黒焦げの女?が、風俗店で発見。警察に密着取材。
田舎の有名観光地で起こった怪事件。
その女がなんと、違法風俗営業をしていたァアア。密着取材敢行!」
発火現象が目撃されているが、遺体は何も残っていなかった。
携帯動画には映像が残っているが、それが本物かどうかも分からないし、
稚拙な情報が、脚色されてネットに流れているだけで、
何が本当かは、もう誰にも解らなくなっていた。
この見出しが間違っていることは、少し調べれば分かるが、
正義感に駆られた人々に向けて気持ちの良い情報を、
マスコミが次々と脚本家を使い、
視聴者が喜ぶ色を綺麗に着けて流していたので、
その事を自分で調べようとする人は、最初から見ていなかった。
「うおぉ。キタァアア。」「すげぇぇ。いたぁぁ。」「来た。来たぁぁ。」
もちろん、同時中継している個人もいるので、
ネットでも多くの人々が、花子が出て来たと興奮していた。
「で。出てきました。山田さんでしょうか? 山田さんです。
山田花子さんが、現れましたぁ。今、店か。。らんっ。ンンン?」
テレビで何度も放送された美女の写真と同じく、
長い黒髪を金色に染めた元モデルが出てくると期待し、
視聴者もコメンテーターも画面に集中していた。
「聞こえてるかい? あんたたち、うるさいよ。本当に近所迷惑だねぇ。
コラ写真で釣って、お金もらって皆で楽しんで何が悪いんだよ! 」
「花子さんが、何かを。。。?」
「ああん? あんただって、ちんぽ汁をマンこに入れてできたんだろうが!
この身体で、いいって客もいるんだよ!
お前たち、本っ当に商売の邪魔なんだよ!!サッサとキエチマエ。」
確かに、彼女の言い分は間違ってはいないし、
こんな小さなスナックを全国に生中継するマスコミも悪いが、
まずは米寿に届きそうな全裸の女が、
金髪のウィッグを被っている姿を全国に晒していた。
画面の向こうには、数十人以上、いや何千人? 何万人? 拡散されれば、
数え切れないほどの人々に、お母さんの裸が晒されていた。
もちろん、店の中では生中継されたその映像を見ていた。
「ブブウウゥウ。」「レイ!」「やめとけえ。」「お母さんの気持ちを。」
「ドン。ブブう。ぶぶううううぅう。ブブブぅウゥう。ドン。ドンドン。」
(イヤぁアァアア。オカアアサァアアん。おかあさんがぁああ。)
こんな姿を、レイが画面越しでも見てしまえば、
すぐに駆け出して自分が花子だと、写真は自分だと駆け寄りたかったが、
周りを囲んでいた男達が必死に彼女を押さえつけていた。
そんな気持ちが繋がったのか、男がお母さんのそばに駆けつけてきた。
「あっ。。公然わいせつ罪、売春防止法違反。確保ぉお。
放送は中止してください。すみません。皆さん、撮影は違法ですよ。
さあ、止めてください。ダメですからね。撮影を続けていると、
後で事情聴取をしますよぉおお。いいですかぁ?拡散もですからねぇ。」
日本の公共機関らしく、迅速に対応しつつも、
民間企業に対しては、正義感を振りかざすことなく冷静に対処していた。
この警官も、美人の失踪事件には多少興味を持っていたが、
マスコミの興味が、色々と暴走していることに頭を抱えていた。
もちろんこの状況なら、ある程度対応できそうでホッっとしていた。
花子の事件は、ただのよくある失踪事件だし、誰かが死んだわけでも、
殺されたわけでも、多少木々が燃えたが、何かが壊れたわけでもない。
肉親から探してほしいと言われていないため、
事件としては扱われなかった。
今回は、違法風俗店の確認に来ただけだったが、
本人が営業していたと大声で叫べば、連れて行くしかなかった。
「(無茶するなよ、頼むから。バサッ、ホラ着ろって、ばあさん。)」
「(あんたも、客に来るかい?)アハハハハ。」
(レイ。ごめんね。こんな事しか出来ない、お母さんを許して。)
「(クソッ)サッサとドケェエ。お前たちが邪魔なんだよぉお!
邪魔だと言ってるだろぉおお。ドケロォオオオ。」
特に大きな権力もない女が出来ることなど少なかったらしく、
笑って送り出せなかった事は心残りだが、
これで、少しでも彼女の救いになれたらいいと、
笑いながら涙を流していた。
連れている男も、彼女の姿に何かを感じたのか、
声を荒げて周りに怒鳴り散らしていた。
「お母さん。お母さん。お母さん、こわいよぉ。おかあさん。」
部屋でうずくまっているレイも、テレビの映像と外の音を聞き、
男たちに見守られながら、全身を震わせて泣いていた。
そうやって、ネットでばら撒かれた老人の無修正映像が、
花子の金髪ピンボケコラージュ画像を塗りつぶし、
すぐに新しくて愉しい虚偽情報の中に埋もれていった。
。
お母さんは、夜になっても帰ってこなかった。
マスコミは警察署に張りついたままだし、
野次馬もちらほら残っていたため、
彼女をそのまま、家に帰すことが出来なかった。
「皆さん、もう離してもらって大丈夫です。本当にありがとう。」
「レイ?」「レイちゃん」「。」
「ごめんなさい。本当にありがとうございました。
お母さんには、また挨拶に来ると伝えてください。
本当にすみませんでした。今まで、本当にありがとうございました。」
悪魔がさっきから何度も彼女を誘惑していた。
「別にここにいてもいいんだよ。お母さんに会ってからにしたら?
寂しいよねぇ。アハハハ。今回も大丈夫だったよね。まだいけるって。」
悪魔の声は愉快そうで、その声を聞くたびに怒りを感じるが、
「ああわかった。考えておくよ。」
そんな抵抗などできない相手に向ける感情など一つしかなかった。
「レイちゃん?」「どうした、レイ?」「何があった?」
「ここにいても迷惑をかけるだけなので、仕事に戻ろうと思います。」
180のモデル体型の女性が、露出過多の服を堂々と着ていた。
その姿を近くで見上げている男達にも、子供のようだった彼女が、
大人へ変わってしまったと、何処かふしぎな感情で納得していた。
「おかあ。」
「皆さんが、私のためにしていただいたことに、感謝しかありません。」
「ああ。。」「おおう。。」
「ウフフ。もう休暇は終わったそうです。
これからまた仕事を始めろと言われているので、これでお別れです。」
「仕事?」「?」「レイちゃん?」
「すみません、記憶が戻ったので、
仕事に戻らないといけなくなっちゃいましたアァ。。アハハハ。
ごめんね。ごめんなさい。本当に、ありがとうございました。」
「。。」「。。」「。。」
「きっちゃん。。みっちゃん。。たかさん。
ぎゅっ。ぎゅっ。ぎゅっぎゅ。」
別れが永遠のものではないのに、
まるでどこか遠くへ旅立つかのような真剣な顔で、
男たちを強く抱きしめてから、麗華は涙を流していた。
「おとうちゃん、ありがとう。それじゃあね。バイバイ。」
涙をこらえて立ち上がり、レイが彼らの前から突然消えると、
胸元を飾っていたライラックの花と一緒に、
彼女が着ていた物が全て床に落ちていた。
窓の外には、
彼女を彩っていた小さな紫色のライラックが風に揺れていた。
①ライラック(別れと芽生。お母さん)⑥
(楽しい。ずっとこのままでいられたらいいのにな。
お母さん。私ね、なぜかすごく楽しいの。どうしてだろう?)
ジンとの生活も、
花子や麗華にとっては、幸せに満ち足りた最高の時間だった。
彼との時間が終わった後の、悲しみや焦燥感や絶望も忘れていないし、
あの時間を取り戻したいという気持ちも残っている。
しかし、あの飢えて渇いていた時間と比べると、
今はとても穏やかで、まるで天国のような時間が過ぎていた。
全てを忘れて、このまま「レイ」という女の時間がずっと続けばいい、
このまま、大人にならなければいいとさえ彼女は思っていた。
。
他愛のない話し、診察は夜からと決まっているが、
日差しのある暖かい時間にも、彼女の幸福な時間が増えていた。
「レイちゃん、これ食べて。」「おじさん、ありがとう。ちゅっ。」
このような他愛のない会話や、人々の優しさを素直に受入れて、
その優しい心に包まれる心地よさをレイは感じていた。
「レイちゃん、着てる?」「ペラ。ちょっと、スースーするよぉ?」
「じゃあ、今度はこれを着て。」「じゃあ、こんどぉ。」
「ええぇ、いまぁ。今すぐに着てよぉお。レイちゃぁあん。」
この男にとって、この服や下着はプレゼントなのだろう。
麗華として生活していた時には、
この行為をされても、違和感や仕事の一部としか感じていなかった。
しかし、レイに生まれ変わってからは、
同じように顔見知りの男からプレゼントを贈られているのに、
今では心が温かくなるのを感じていた。
「はっ。恥ずかしい。から。。おっ。。お医者さんの時にぃ。」
「じゃあ、今から先生の僕がレイちゃんを診察するね?」
「おじさん、エッチぃ。もぉ、エッチなのはダメって言ったよぉ。」
これも他愛のない会話だが、これを嫌悪感しか感じない人もいるだろう。
けれど、昔のことを考えると、あるいは生まれ変わったせいなのか、
こうして声をかけられるだけで、心が嬉しさで満たされていくのだった。
そうやって、知り合いだけの相手をすればよかった時期は終わり、
沢山の顔見知りが増えたというより、レイの反応が大人に近づくと、
周りを囲んでいく男達も増えていった。
。
夜の診察時間も、少しずつ変わっていった。
「ひゃあぁあん。また、また出ちゃう。おじさん。いやぁあん。」
「また出ちゃったら、お薬が無くなっちゃうよぉおお。」
「あっ。あぁあん。その、ああ。ほらぁ、またでちゃってるぅう。」
お医者さんが、薬を一番奥深くまで届け終わると、
注射器が徐々に萎んでしまい、栓が抜けてしまっていた。
それを感じた先生も慌てたらしく、
薬が届いたのかを、指先で患部を広げて確認していると、
何故かレイが顔を真赤にして、腰を震わせていた。
「ひゃあぁあん。また、真っ白に。真っ白になっちゃう。またぁあ。」
レイは、恥ずかしくて、恥ずかしくて、逃げたいほどの気持ちなのに、
患部を広げられると、何か別の感情が膨らんでいた。
もちろん、薬が処方されるたびに心が軽くなっていくし、
この感情が膨らんでいくほどに大人に近づき、
あの何も無い静寂の世界に引きずり込まれそうになる事も減っていた。
「ほらぁあ、レイちゃん。とっても可愛い顔をしちゃってるよぉお。」
「おじさん。こ、怖いぃ。まっ、また消えちゃうのぉお。ワタシィイ。」
「ほら。もぉおっと、可愛くなったぁあ。アハハハハ。」
「ヒャァアアアん。ひっちゃう。ヒヤァ。ビジャ、びじゃじゃあ。」
その感情に流されるまま、
全身の力を抜いて目を閉じていると、とても心地良い時間が流れ、
また新しい先生の診察時間が始まり、レイはまた治療を受けていた。
。
麗華がゆっくりと休むことを、まるで世界が呪っているのか、
あるいは別の場所に行ったことを恨んでいるのか、
幸せな時間は瞬く間に終わり、
昔の暗く陰鬱な日々の足音が彼女に近づいてきた。
「外人ぽいぞ。」「スッゴイ美人だってよぉ。」「全部ありだって!」
「反応は薄いらしいが、最高の女だって。」「これ、この子だよ!」
ネットでの誹謗中傷は日常茶飯事で、一瞬で過ぎ去ったことさえも、
一生消えない傷として情報の中に刻まれていた。
そんな世界にレイ(花子)の情報が掲載されていた。
「会いに行こうぜ。」「函館かあ?でも、これって似ていないか?」
「金髪だぞ?」「ここ、黒くしてみろよ。」「おい、これって!」
レイが相手をする人が増えるほど、情報が広まるのも一瞬だった。
常連客が隠そうとしても、それ以外の男たちが、
周りへの自慢なのだろうか、次々と情報をネットに流していった。
もちろん、ただ美しい容姿や全裸の写真だけなら、
今の情報過多な世界では、大きな話題になどならなかっただろうが、
ショッキングな事件と、その情報が結びついてしまえば、
優しい気持ちなど無視され、瞬く間に拡散され燃え上がっていた。
。
お母さんと優しい先生が訪れていたスナックに、
何台ものカメラと、多くの野次馬が群がってきた。
「ガンガン。いませんかぁぁ?山田さーん。ガツガツ。」「。」
「山田さーん?ガンガン、ガツガツ。いますよねぇえ。」「。」
古い建物なのに壊れてしまう事など考えていないのだろう、
スーツ姿でキッチリと髪型を決めた男が、
片手にマイクを持ち、激しく扉を叩いていた。
その男は正義感や使命感を言い訳にしながらも、他人を人間ではなく、
ただの情報のパラメーターとしか見ていないらしく、
大人になりそうな彼女にまとわりついてきた。
もちろん、そういう人でなしな彼らにとって、
彼女はただの、金儲けが出来る新鮮な情報の一つに過ぎなかった。
「メーターが回ってるよね。ガツガツ。山田さーーん。
山田花子さぁあん、いませんかぁぁ?いますよねぇえ、ガンガン」
その男意外にも、大勢の人が押し寄せ、
少しでも情報を集めようとしたり、
わずかでも利益を得ようとするクズ達が店を取り囲み、
何も無い情報を、彼らは自分たちの責任を他人に押し付けながら、
次々と着色して拡散していった。
そうやって膨らんでいく情報のほとんどが虚構となり、
その結果、彼女の平穏な生活は壊され、
すべてが押し潰され、流されてしまいそうになっていた。
「お母さん。お母さん、怖いよぉ。こわいよぉ。お母さん。」
「レイ、大丈夫だよ。お母さんが守ってあげるから、安心してな。」
「お母さん。私、何か悪いことをしたの?私が、何かしたの?」
最近、レイは少しずつ会話ができるようになり、
外で騒ぐ人々が自分を求めていることや、
「山田花子」という名前が、自分を指していることを理解していた。
そんな子供に、悪意を持った人達の声が襲いかかってきて、
欲望と虚飾が混じった音が、店の中に響いていた。
「お前たち、絶対に声を出しちゃダメだよ。レイも分かったね?
お母さんが戻ってくるまで、おとなしくしているんだよ!」
「おう。」「おお。わかった。」「ああ。」「お。。おかあさぁあん。」
最近は色々と物騒になってきたのもあるが、
レイの周りを、変な人がうろつく事も多くなっていたので、
今では家族のようになった三人の男達が彼女を守っていた。
「レイ、ちょっと待っててね。すぐに帰ってくるから。」
やっと手に入れた娘との時間は、あっという間に過ぎていき、
レイが大人になると気づいた時には、終わりを迎えようとしていた。
(ごめんね。結局、私は何も守れなかった。本当にごめんね。レイ。
でも、愛している。こんなお母さんでも、愛してくれるかい?)
私は、レイとの別れが近いのは気付いていたが、
こんな酷い終わりなど、絶対に認めないと心に誓っていた。
しかし、これから自分がする事を考えてしまうと、
全身が震えだし、どうしてもあと一歩が進めなかった。
「お母さん。私が、悪いの?私が?」「レイは、何も悪くないよ。」
そうやって泣くレイの姿が心をエグッたのか、
さっきまで迷っていた彼女の顔が引き締まり、
何かを決心したような表情に変わっていた。
「お母さん。いやぁ。いかないでぇえ。
おかぁあさん。お母さん。おかぁあさん、ダメェええ。」
お母さんの言葉や態度で、レイは何かに気づいたらしく、
突然叫び出して止めようとしたが、
お父さん達が必死に彼女を押さえつけていた。
「お前達、たのむよ。」「ああ。」「。。」「。」
必死に私を止めようとする娘を笑顔で見送り、
彼らに愛しい娘を預けると、服を脱ぎ捨てて店の外へ飛び出した。
「ガチャン。うるさいねぇ。あんた達、近所迷惑って知らないのかい?
何が悪いんだよ、コラ写真で私達が遊んでるだけだろうがぁ。
ハアァ、マスゴミまで出てくるって、本当に暇なんだねぇ。」
もちろん、センセーショナルな事件が大好きなマスコミは、
この古臭いスナックを生中継していたし、
見出しをデカデカと付けて、第一報を自分達がと興奮していた。
「変死体?黒焦げの女?が、風俗店で発見。警察に密着取材。
田舎の有名観光地で起こった怪事件。
その女がなんと、違法風俗営業をしていたァアア。密着取材敢行!」
発火現象が目撃されているが、遺体は何も残っていなかった。
携帯動画には映像が残っているが、それが本物かどうかも分からないし、
稚拙な情報が、脚色されてネットに流れているだけで、
何が本当かは、もう誰にも解らなくなっていた。
この見出しが間違っていることは、少し調べれば分かるが、
正義感に駆られた人々に向けて気持ちの良い情報を、
マスコミが次々と脚本家を使い、
視聴者が喜ぶ色を綺麗に着けて流していたので、
その事を自分で調べようとする人は、最初から見ていなかった。
「うおぉ。キタァアア。」「すげぇぇ。いたぁぁ。」「来た。来たぁぁ。」
もちろん、同時中継している個人もいるので、
ネットでも多くの人々が、花子が出て来たと興奮していた。
「で。出てきました。山田さんでしょうか? 山田さんです。
山田花子さんが、現れましたぁ。今、店か。。らんっ。ンンン?」
テレビで何度も放送された美女の写真と同じく、
長い黒髪を金色に染めた元モデルが出てくると期待し、
視聴者もコメンテーターも画面に集中していた。
「聞こえてるかい? あんたたち、うるさいよ。本当に近所迷惑だねぇ。
コラ写真で釣って、お金もらって皆で楽しんで何が悪いんだよ! 」
「花子さんが、何かを。。。?」
「ああん? あんただって、ちんぽ汁をマンこに入れてできたんだろうが!
この身体で、いいって客もいるんだよ!
お前たち、本っ当に商売の邪魔なんだよ!!サッサとキエチマエ。」
確かに、彼女の言い分は間違ってはいないし、
こんな小さなスナックを全国に生中継するマスコミも悪いが、
まずは米寿に届きそうな全裸の女が、
金髪のウィッグを被っている姿を全国に晒していた。
画面の向こうには、数十人以上、いや何千人? 何万人? 拡散されれば、
数え切れないほどの人々に、お母さんの裸が晒されていた。
もちろん、店の中では生中継されたその映像を見ていた。
「ブブウウゥウ。」「レイ!」「やめとけえ。」「お母さんの気持ちを。」
「ドン。ブブう。ぶぶううううぅう。ブブブぅウゥう。ドン。ドンドン。」
(イヤぁアァアア。オカアアサァアアん。おかあさんがぁああ。)
こんな姿を、レイが画面越しでも見てしまえば、
すぐに駆け出して自分が花子だと、写真は自分だと駆け寄りたかったが、
周りを囲んでいた男達が必死に彼女を押さえつけていた。
そんな気持ちが繋がったのか、男がお母さんのそばに駆けつけてきた。
「あっ。。公然わいせつ罪、売春防止法違反。確保ぉお。
放送は中止してください。すみません。皆さん、撮影は違法ですよ。
さあ、止めてください。ダメですからね。撮影を続けていると、
後で事情聴取をしますよぉおお。いいですかぁ?拡散もですからねぇ。」
日本の公共機関らしく、迅速に対応しつつも、
民間企業に対しては、正義感を振りかざすことなく冷静に対処していた。
この警官も、美人の失踪事件には多少興味を持っていたが、
マスコミの興味が、色々と暴走していることに頭を抱えていた。
もちろんこの状況なら、ある程度対応できそうでホッっとしていた。
花子の事件は、ただのよくある失踪事件だし、誰かが死んだわけでも、
殺されたわけでも、多少木々が燃えたが、何かが壊れたわけでもない。
肉親から探してほしいと言われていないため、
事件としては扱われなかった。
今回は、違法風俗店の確認に来ただけだったが、
本人が営業していたと大声で叫べば、連れて行くしかなかった。
「(無茶するなよ、頼むから。バサッ、ホラ着ろって、ばあさん。)」
「(あんたも、客に来るかい?)アハハハハ。」
(レイ。ごめんね。こんな事しか出来ない、お母さんを許して。)
「(クソッ)サッサとドケェエ。お前たちが邪魔なんだよぉお!
邪魔だと言ってるだろぉおお。ドケロォオオオ。」
特に大きな権力もない女が出来ることなど少なかったらしく、
笑って送り出せなかった事は心残りだが、
これで、少しでも彼女の救いになれたらいいと、
笑いながら涙を流していた。
連れている男も、彼女の姿に何かを感じたのか、
声を荒げて周りに怒鳴り散らしていた。
「お母さん。お母さん。お母さん、こわいよぉ。おかあさん。」
部屋でうずくまっているレイも、テレビの映像と外の音を聞き、
男たちに見守られながら、全身を震わせて泣いていた。
そうやって、ネットでばら撒かれた老人の無修正映像が、
花子の金髪ピンボケコラージュ画像を塗りつぶし、
すぐに新しくて愉しい虚偽情報の中に埋もれていった。
。
お母さんは、夜になっても帰ってこなかった。
マスコミは警察署に張りついたままだし、
野次馬もちらほら残っていたため、
彼女をそのまま、家に帰すことが出来なかった。
「皆さん、もう離してもらって大丈夫です。本当にありがとう。」
「レイ?」「レイちゃん」「。」
「ごめんなさい。本当にありがとうございました。
お母さんには、また挨拶に来ると伝えてください。
本当にすみませんでした。今まで、本当にありがとうございました。」
悪魔がさっきから何度も彼女を誘惑していた。
「別にここにいてもいいんだよ。お母さんに会ってからにしたら?
寂しいよねぇ。アハハハ。今回も大丈夫だったよね。まだいけるって。」
悪魔の声は愉快そうで、その声を聞くたびに怒りを感じるが、
「ああわかった。考えておくよ。」
そんな抵抗などできない相手に向ける感情など一つしかなかった。
「レイちゃん?」「どうした、レイ?」「何があった?」
「ここにいても迷惑をかけるだけなので、仕事に戻ろうと思います。」
180のモデル体型の女性が、露出過多の服を堂々と着ていた。
その姿を近くで見上げている男達にも、子供のようだった彼女が、
大人へ変わってしまったと、何処かふしぎな感情で納得していた。
「おかあ。」
「皆さんが、私のためにしていただいたことに、感謝しかありません。」
「ああ。。」「おおう。。」
「ウフフ。もう休暇は終わったそうです。
これからまた仕事を始めろと言われているので、これでお別れです。」
「仕事?」「?」「レイちゃん?」
「すみません、記憶が戻ったので、
仕事に戻らないといけなくなっちゃいましたアァ。。アハハハ。
ごめんね。ごめんなさい。本当に、ありがとうございました。」
「。。」「。。」「。。」
「きっちゃん。。みっちゃん。。たかさん。
ぎゅっ。ぎゅっ。ぎゅっぎゅ。」
別れが永遠のものではないのに、
まるでどこか遠くへ旅立つかのような真剣な顔で、
男たちを強く抱きしめてから、麗華は涙を流していた。
「おとうちゃん、ありがとう。それじゃあね。バイバイ。」
涙をこらえて立ち上がり、レイが彼らの前から突然消えると、
胸元を飾っていたライラックの花と一緒に、
彼女が着ていた物が全て床に落ちていた。
窓の外には、
彼女を彩っていた小さな紫色のライラックが風に揺れていた。
①ライラック(別れと芽生。お母さん)⑥
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