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第106話 衣替え
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玉緒が去ってからの桜は打って変わって上機嫌だった。
日が改まってもその調子は続き、いつにも増してやけに機嫌がよさげだった。普段以上に人、と言うより女子に話しかけ、いつも以上に絡んでいた。まだ朝にも関わらず。
そしてそれは、楓に対しても変わりなかった。
「おっはよう楓たん! 向日葵たん!」
ニッコニコの笑顔を浮かべ、楓の前に現れた桜は、鼻歌まで歌っていた。さらに、態度や口調だけでなく、高めの声のトーンからも機嫌のよさはうかがい知れた。
「おはよう」
と楓と向日葵が返事をするも、
「元気ない?」
と桜はのぞき見るような態度で言った。
「そんなことないけど。ねえ?」
「うん。桜ちゃんがいつもよりテンション高いだけじゃない?」
「そうかな?」
あたかも自覚がないように首をかしげるも、その場で体を見せつけるようにクルクルと回ってみせる姿は、どう考えてもテンションが高かった。
楓が思わず苦笑いを浮かべていると、パチンパチンと二度指を鳴らして楓と向日葵の二人を指さした。
「楓たんも向日葵たんも冬服似合ってるね」
やっと桜の高いテンションの理由がわかり、楓は手を打った。服装を変え、周りの服装が変わったことで浮かれているのだ。
納得した楓は、
「ありがとう」
と笑顔で答え、
「やっぱり誰に言われても嬉しいね」
と向日葵は答えた。
「あたしはどう?」
きっと本題はこっちなのだろう。やけに見せつけるような態度だったのはそのためだったのだ。普通、などと答えては今まで順調に高められてきただろう桜のテンションは一気に急降下してしまう。事故でなってしまうのは仕方ないが、意図的にするのは趣味ではない。
「似合ってると思うよ」
「うん。私もかわいいと思う」
楓はすでに、向日葵との間で衣替えイベントを終えたつもりだった。桜ではないが、いつもより気分は晴れやかだった。だが、他の人に対して気を遣うことをすっかり忘れていた。
髪型や私服だけでなく、変化を指摘してもらえるのは思っていたよりも嬉しく、何も反応はないのは思っていたよりも寂しい。それを思うと、桜と言えど似合ってると言われれば悪い気はしなかった。
桜もそれがほしくて人に話しかけている節もあるのだろう。なにより、目の前の桜は確かにかわいい。いつもと違う冬服姿も似合っている。
「やっぱりあたしは露出が多い方が好きだけど、長袖もいいよね」
長袖を強調するように、袖の中に手を半分ほど引っ込めながら桜は言った。
制服の色味も落ち着いた色に変わったが、桜の調子へは何も影響しなかったらしい。
「そうだね」
という楓の返事にも、やはり桜は不満そうにしていた。
楓が桜のテンションに合わせられないのは、なにも向日葵とのやり取りで満足したからだけではなかった。問題は桜の変わり身の早さだった。
「体育祭のことはもういいの?」
楓は指摘するように言うと、桜は首を横に振った。だが、気分やテンションが変わるほどのことではなかった。
「よくないけど、前に楓たんも言ってたじゃん。たまには休息も大切だって。それに毎日必死になってたら疲れちゃうよ」
後ろの椿にも視線を送りながら、桜は言った。
確かに言った。椿に言った。誰もそこに異論はなかった。楓も一応は頷いたが、すぐに口を開いた。
「まあ、わかるけどさ。でも、僕の記憶が確かなら、桜がやったことって玉緒くんを睨んでたことくらいじゃない?」
「失礼な。あたしだって色々やってるんだよ」
「そうなの?」
考えていなかったが、楓の知っているのは桜の表面だけだ。裏で何をしているかまでは把握していない。もうすでに、誰にも知られずトレーニングを重ねているのかもしれない。そう考えると、気分転換は大事かもしれない。
「衣替えという一大イベントを見逃すわけにはいかないでしょ。そのために色々と計画を練ってたんだから」
てっきり体育祭のことだと思っていた楓はあっけに取られた。
「ほら、暑がりの人と寒がりの人がいるでしょ? まだあったかい日があれば、脱いだり着たりの人もいるだろうし、どんどん寒くなってきたら、マフラーをしたり、手袋をしたりっていう変化が楽しめる。それに備えるんだよ。どう? 考えただけでもワクワクするでしょ?」
言ってやった、という表情で桜は決めポーズのように、腰に手を当て動きを止めた。
どう反応したものかと楓は言葉に詰まった。楓とて桜の楽しみを否定するつもりはさらさらなかったが、人様に堂々と話すようなことでもないような気がしてならなかった。
「えーと、よかったね」
とりあえずにこやかに笑って済ます道を選んだ。
だが、桜の気持ちにはそえなかったようで、表情はすぐに曇った。
不快というほどではなかったが、明らかに物足りなさや期待していた反応ではなかった時のガッカリ感がダダ漏れだった。
「楓たんは向日葵たんが装いを変えた時のことを考えても楽しくならないの?」
「え、向日葵が?」
楓は今朝のことを含め、アゴに手を当て少し考えてみることにした。
今朝。
ドアを開くと、澄み渡る快晴。雲一つない晴れ。陽気という言葉で表されそうな気候で、衣替えしたばかりというのに暖かく、少し動くとすぐに熱くなりそうだった。
汗をかくのは嫌だなと思いながらも楓は外に出た。
すぐに向日葵を見つけ、
「おはよう」
とあいさつを交わし、いつものように学校に向かって歩き始めた。事前に変わることを知ってはいたが、向日葵の姿がいつもと違うことを楓が指摘するよりも早く、
「どこが変わったでしょう!」
と楽しげに、そして、両手を広げて楓にわかりやすいように、向日葵がポーズを取って立ち止まったのを見て、楓はすぐにニヤリとしてしまっていた。
「冬服でしょ?」
「せいかーい!」
楽しそうにキャッキャと笑い、向日葵は跳ねるように体を回して見せた。
「どう?」
「もちろん似合ってるよ」
「嬉しい」
それから向日葵は、急に楓の目の前で立ち止まり、楓の頬を指で突いて、
「楓もね」
と付け加えた。
予想外の行動にドキドキしながら、学校へ向けて歩を進めた。
そう。向日葵の服装が少し変わっただけで気持ちはたかぶり、心躍る心地になる。理由はいまいちわかっていないが、何故だか楽しい。
確かに、今よりも寒くなれば向日葵も今より厚着をするだろう。桜が言うように、露出は減るかもしれないが、また新たな一面を見ることができる。
そう言われると、桜のワクワクしてくる気持ちもわからないでもない。
「ほら、楓たんだってニヤニヤして楽しそうじゃん。その気持ちだよ。わかるでしょ?」
なんとか説得しようという様子で、桜はこれでもかと動きながら言った。
「ま、まあ、わかるけど、これは個人的な楽しみで、胸の内にしまっておくようなものじゃないの?」
楓はニヤニヤしているという口元をこすって戻しながら言った。
らちが明かないと思ったのか、桜は楓からぷいと首をそらし横にいる向日葵の方へと向いた。
「向日葵たんならわかってくれるでしょ?」
もうどこかすがるように向日葵に対して桜は言った。
どう反応するか楓が見守っていると、向日葵はコクコクと首を縦に振ったのだった。
「私も楓がいろんな格好をするなら、どれも見ておきたいし、いろんな人に見せつけたい気持ちはあるよ」
あくまで淡々と向日葵は口にした。
「そ、そうなの?」
「うん。でも、私にとっては楓だけがそうだし、見せつけたい気持ちよりも、私だけが楽しみたいって気持ちの方が強いかな」
最後に楓に対するウインクまで付け加えて向日葵は言った。
他の子を見ないでほしい。私と練習して上達させたい。そんな言葉に表されているような、向日葵の独占欲に楓は目を白黒させた。
どうしたものかと思っていると、今度はニヤニヤ笑いを浮かべたまま桜が口を開いた。
「ラブラブだねぇ」
楓が咄嗟に小突くよりも速く桜は、さささとその場を去った。
嬉しさにより表情が緩むような、緊張により固くなるような、同時に矛盾するような二つの感情の板挟みに合いながら、楓は目線を動かした。
誰かに見られたと言うよりも、ただただ動揺が強かった。もうバレバレの関係性を隠すつもりなどさらさらなかったが、やはり桜の言葉で自分が何を言って、向日葵が何を言ったのかよくわからなくなってしまった。少なくとも、お互い好きという意思表示だったのだろう。
「大丈夫だよ。私は朝顔みたいなことはしないから」
明らかに挙動不審な楓に、向日葵は耳元で吐息を吐くかのようにささやきかけた。
向日葵からの突然の追撃に、楓は身震いしながら顔を見つめ、首を横に振った。
「してほしかった?」
「そうじゃなくて、心配はしてないってことだよ」
楓の言葉にふふふと向日葵は笑った。
人との関わりが少なかったせいか、パッと言葉が出てこなかった。どこかへ行ってしまったため、今の感情を桜にぶつけることもできず、向日葵に対してもうまく言葉にできず、楓は頭を抱えた。
同時にいつの間にか、桜とほとんど変わらないような人間になっていたことに気づかされ、衝撃を受けてもいた。
変化というものは人に刺激を与えるのだなと思った楓だった。
日が改まってもその調子は続き、いつにも増してやけに機嫌がよさげだった。普段以上に人、と言うより女子に話しかけ、いつも以上に絡んでいた。まだ朝にも関わらず。
そしてそれは、楓に対しても変わりなかった。
「おっはよう楓たん! 向日葵たん!」
ニッコニコの笑顔を浮かべ、楓の前に現れた桜は、鼻歌まで歌っていた。さらに、態度や口調だけでなく、高めの声のトーンからも機嫌のよさはうかがい知れた。
「おはよう」
と楓と向日葵が返事をするも、
「元気ない?」
と桜はのぞき見るような態度で言った。
「そんなことないけど。ねえ?」
「うん。桜ちゃんがいつもよりテンション高いだけじゃない?」
「そうかな?」
あたかも自覚がないように首をかしげるも、その場で体を見せつけるようにクルクルと回ってみせる姿は、どう考えてもテンションが高かった。
楓が思わず苦笑いを浮かべていると、パチンパチンと二度指を鳴らして楓と向日葵の二人を指さした。
「楓たんも向日葵たんも冬服似合ってるね」
やっと桜の高いテンションの理由がわかり、楓は手を打った。服装を変え、周りの服装が変わったことで浮かれているのだ。
納得した楓は、
「ありがとう」
と笑顔で答え、
「やっぱり誰に言われても嬉しいね」
と向日葵は答えた。
「あたしはどう?」
きっと本題はこっちなのだろう。やけに見せつけるような態度だったのはそのためだったのだ。普通、などと答えては今まで順調に高められてきただろう桜のテンションは一気に急降下してしまう。事故でなってしまうのは仕方ないが、意図的にするのは趣味ではない。
「似合ってると思うよ」
「うん。私もかわいいと思う」
楓はすでに、向日葵との間で衣替えイベントを終えたつもりだった。桜ではないが、いつもより気分は晴れやかだった。だが、他の人に対して気を遣うことをすっかり忘れていた。
髪型や私服だけでなく、変化を指摘してもらえるのは思っていたよりも嬉しく、何も反応はないのは思っていたよりも寂しい。それを思うと、桜と言えど似合ってると言われれば悪い気はしなかった。
桜もそれがほしくて人に話しかけている節もあるのだろう。なにより、目の前の桜は確かにかわいい。いつもと違う冬服姿も似合っている。
「やっぱりあたしは露出が多い方が好きだけど、長袖もいいよね」
長袖を強調するように、袖の中に手を半分ほど引っ込めながら桜は言った。
制服の色味も落ち着いた色に変わったが、桜の調子へは何も影響しなかったらしい。
「そうだね」
という楓の返事にも、やはり桜は不満そうにしていた。
楓が桜のテンションに合わせられないのは、なにも向日葵とのやり取りで満足したからだけではなかった。問題は桜の変わり身の早さだった。
「体育祭のことはもういいの?」
楓は指摘するように言うと、桜は首を横に振った。だが、気分やテンションが変わるほどのことではなかった。
「よくないけど、前に楓たんも言ってたじゃん。たまには休息も大切だって。それに毎日必死になってたら疲れちゃうよ」
後ろの椿にも視線を送りながら、桜は言った。
確かに言った。椿に言った。誰もそこに異論はなかった。楓も一応は頷いたが、すぐに口を開いた。
「まあ、わかるけどさ。でも、僕の記憶が確かなら、桜がやったことって玉緒くんを睨んでたことくらいじゃない?」
「失礼な。あたしだって色々やってるんだよ」
「そうなの?」
考えていなかったが、楓の知っているのは桜の表面だけだ。裏で何をしているかまでは把握していない。もうすでに、誰にも知られずトレーニングを重ねているのかもしれない。そう考えると、気分転換は大事かもしれない。
「衣替えという一大イベントを見逃すわけにはいかないでしょ。そのために色々と計画を練ってたんだから」
てっきり体育祭のことだと思っていた楓はあっけに取られた。
「ほら、暑がりの人と寒がりの人がいるでしょ? まだあったかい日があれば、脱いだり着たりの人もいるだろうし、どんどん寒くなってきたら、マフラーをしたり、手袋をしたりっていう変化が楽しめる。それに備えるんだよ。どう? 考えただけでもワクワクするでしょ?」
言ってやった、という表情で桜は決めポーズのように、腰に手を当て動きを止めた。
どう反応したものかと楓は言葉に詰まった。楓とて桜の楽しみを否定するつもりはさらさらなかったが、人様に堂々と話すようなことでもないような気がしてならなかった。
「えーと、よかったね」
とりあえずにこやかに笑って済ます道を選んだ。
だが、桜の気持ちにはそえなかったようで、表情はすぐに曇った。
不快というほどではなかったが、明らかに物足りなさや期待していた反応ではなかった時のガッカリ感がダダ漏れだった。
「楓たんは向日葵たんが装いを変えた時のことを考えても楽しくならないの?」
「え、向日葵が?」
楓は今朝のことを含め、アゴに手を当て少し考えてみることにした。
今朝。
ドアを開くと、澄み渡る快晴。雲一つない晴れ。陽気という言葉で表されそうな気候で、衣替えしたばかりというのに暖かく、少し動くとすぐに熱くなりそうだった。
汗をかくのは嫌だなと思いながらも楓は外に出た。
すぐに向日葵を見つけ、
「おはよう」
とあいさつを交わし、いつものように学校に向かって歩き始めた。事前に変わることを知ってはいたが、向日葵の姿がいつもと違うことを楓が指摘するよりも早く、
「どこが変わったでしょう!」
と楽しげに、そして、両手を広げて楓にわかりやすいように、向日葵がポーズを取って立ち止まったのを見て、楓はすぐにニヤリとしてしまっていた。
「冬服でしょ?」
「せいかーい!」
楽しそうにキャッキャと笑い、向日葵は跳ねるように体を回して見せた。
「どう?」
「もちろん似合ってるよ」
「嬉しい」
それから向日葵は、急に楓の目の前で立ち止まり、楓の頬を指で突いて、
「楓もね」
と付け加えた。
予想外の行動にドキドキしながら、学校へ向けて歩を進めた。
そう。向日葵の服装が少し変わっただけで気持ちはたかぶり、心躍る心地になる。理由はいまいちわかっていないが、何故だか楽しい。
確かに、今よりも寒くなれば向日葵も今より厚着をするだろう。桜が言うように、露出は減るかもしれないが、また新たな一面を見ることができる。
そう言われると、桜のワクワクしてくる気持ちもわからないでもない。
「ほら、楓たんだってニヤニヤして楽しそうじゃん。その気持ちだよ。わかるでしょ?」
なんとか説得しようという様子で、桜はこれでもかと動きながら言った。
「ま、まあ、わかるけど、これは個人的な楽しみで、胸の内にしまっておくようなものじゃないの?」
楓はニヤニヤしているという口元をこすって戻しながら言った。
らちが明かないと思ったのか、桜は楓からぷいと首をそらし横にいる向日葵の方へと向いた。
「向日葵たんならわかってくれるでしょ?」
もうどこかすがるように向日葵に対して桜は言った。
どう反応するか楓が見守っていると、向日葵はコクコクと首を縦に振ったのだった。
「私も楓がいろんな格好をするなら、どれも見ておきたいし、いろんな人に見せつけたい気持ちはあるよ」
あくまで淡々と向日葵は口にした。
「そ、そうなの?」
「うん。でも、私にとっては楓だけがそうだし、見せつけたい気持ちよりも、私だけが楽しみたいって気持ちの方が強いかな」
最後に楓に対するウインクまで付け加えて向日葵は言った。
他の子を見ないでほしい。私と練習して上達させたい。そんな言葉に表されているような、向日葵の独占欲に楓は目を白黒させた。
どうしたものかと思っていると、今度はニヤニヤ笑いを浮かべたまま桜が口を開いた。
「ラブラブだねぇ」
楓が咄嗟に小突くよりも速く桜は、さささとその場を去った。
嬉しさにより表情が緩むような、緊張により固くなるような、同時に矛盾するような二つの感情の板挟みに合いながら、楓は目線を動かした。
誰かに見られたと言うよりも、ただただ動揺が強かった。もうバレバレの関係性を隠すつもりなどさらさらなかったが、やはり桜の言葉で自分が何を言って、向日葵が何を言ったのかよくわからなくなってしまった。少なくとも、お互い好きという意思表示だったのだろう。
「大丈夫だよ。私は朝顔みたいなことはしないから」
明らかに挙動不審な楓に、向日葵は耳元で吐息を吐くかのようにささやきかけた。
向日葵からの突然の追撃に、楓は身震いしながら顔を見つめ、首を横に振った。
「してほしかった?」
「そうじゃなくて、心配はしてないってことだよ」
楓の言葉にふふふと向日葵は笑った。
人との関わりが少なかったせいか、パッと言葉が出てこなかった。どこかへ行ってしまったため、今の感情を桜にぶつけることもできず、向日葵に対してもうまく言葉にできず、楓は頭を抱えた。
同時にいつの間にか、桜とほとんど変わらないような人間になっていたことに気づかされ、衝撃を受けてもいた。
変化というものは人に刺激を与えるのだなと思った楓だった。
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