夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

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第弐章 - 闇より深い影は -

008話「夜行性の友人」

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第08話「夜行性の友人」


 食事を終えたカスミはゆっくりと湯船に腰を降ろし、息を漏らす。

「ふぅー……」
 一日の学業の疲れも癒え、生き返るようである。

 一人暮らしは決して夢の生活ではない。誰も居ない時は掃除・洗濯・料理はもちろん、風呂を沸かしたり風呂釜を掃除したりも自分でしなければならないから実にくたびれる。しかし今日は叔母が居て、料理の傍らに予め風呂を沸かしていてくれた。実に助かる、なんと気が利く叔母だろうか。


 カスミはリンスを肩まである黒髪の毛先まで塗り、シャワーでしっかりと洗い流す。雨と湿気の多く、気温も上がって汗も増えて来る初夏の季節、入浴はしっかり行っておくことは女子のたしなみと言えよう。

 シャワーを浴びたドライヤーで髪を乾かすと、部屋着姿で洗面台を後にする。喉の渇きを癒すために冷蔵庫に向かうと、その途中で自身の荷を整理している最中の叔母の姿を見た。

「あれ? おばさん泊まっていかないの?」
「あ、カスミちゃん、そうなのよ、これからちょっと友達に会いにいこうと思って」
 京子が答えた。家事の手際の良いもので、食事に使った食器はとっくに食器乾燥機で綺麗になっており、中華料理に用いたフライパンもぴかぴかに磨かれて、コンロの近くにぶら下がっていた。

「もう夜になっちゃうよ」
「そうなんだけど私の友達、夜行性の動物が多くてね……っと、それじゃあ、また来るから、私」
「うん」
 京子はアメ横で買えそうな緑のリュックサックを背負い、家の外に向かう。

「ね、おばさん、次はいつ来てくれるの?」
 カスミが、スニーカーを履いてる最中の京子に後ろから問いかける。

 そうね、また日曜日には一度顔を出すつもりよ。と京子が答えた。
「わかった。帰り、気を付けてね」
「はあい。カスミちゃんも戸締りはしっかりしておきなさいよ、近頃物騒だからねえ」
「はーい」




 ◆



 広瀬家を後にした京子は最寄りの駅まで歩くと、帰宅ラッシュの満員電車の中に紛れ込み、サラリーマンたちと共に寿司詰めとなる。

 都会を走る電車の扉からそびえ立つ摩天楼が見えたりはしない。地上の電車に乗っていればそうしたものが夕闇に妖しく映えて美しい時間帯だろうが、半蔵門線メトロの車両からでは無理だ。

 小伝馬町で電車を降り、地上へと上がった京子は西の方角にそびえ立つ三越ビルを遥か背にして歩く。


 小伝馬町駅から徒歩5分ほどの所に一棟のビルがある。はてさて、表通りではないとはいえ、都心のこの道を一日に何台の車と、何人の人々が通り過ぎてゆくのだろう。――――であったとして、それらの人々にとってこの建物は背景の一部に過ぎないであろうが、彼女はここにこそ用事がある。

 歴史をさかのぼっていけば平成の初期からその建物は存在しており、一見して普通のオフィスビルに見える。だが見る人が見れば、ただのオフィスビルしては警備が妙なほどしっかりとしている事に気づく……しっかりしすぎていた。


 来客……あるいは侵入者を出迎えるようにして、警備員が立哨している。皆一様に黒い制服を着こんではいるが、中には警備制服を着用せず、紺色のシャツにノータイという出で立ちの者も混じっている、警備員としての服務規程の遵守に疑問の残る格好だ。

 彼らは警棒を装備のうえ、「浅草支社」と文字の書かれた水色テープの張られた黒いライオットヘルメット、それにこの季節には見るからに暑苦しそうな分厚い紺色のベストを着用していた。しかも、ただのファッショナブルなベストというわけではない、これは明らかに戦闘用のベストだ。その外観は、警察官がよく身に着けている青い防刃ベストよりも高度な防御力の存在を匂わせている。


 警備員は勤務中にも関わらずガムを噛んでいたり、椅子に座りながら警戒にあたってる者もおり、お世辞にも警備態度が良いとは言えない。しかし警備員の眼光は鋭く、荒くれ者の雰囲気を感じさせる。
 警備員特有の白手は無く、素手、もしくは代わりに黒いタクティカルグローブを手に嵌めている。訪れる者が施設に対して害意を示そうものならば、彼らは施設防衛のために拳、いや、もっと暴力的な凶器を振るう事を一切躊躇しないだろう。ここを始めて訪れる者は、皆そのような印象を抱く。


 また、警備詰所とおぼしき扉の前には牛の頭さえ砕けそうなスレッジハンマーまで立て掛けられてあるが、あんなものを何のためにそこに置いているのか――――それは関係者以外には誰にもわからない事だった。


「お仕事ごくろうさま」
 顔なじみの京子が「日々谷」と会社ロゴのついた警備服の男性らと挨拶を交わすと、カードキーを認証させ、ビルの中へと足を踏み入れる。

 エレベーターに乗り込み、最上階となる8階まで上がった京子は、エレベーターを出てすぐの扉をノックする。
「有澤先生、いらっしゃいますか。京子です」
「京子さんかい? 入ってくれ」
 男性の声が返ってきた。


「入りますよー」
 京子は扉を開ける。正面のパソコンが設置されたデスクにはそこそこ歳のいった男性が座っていた。50半ばぐらい、オフィスワークのためか眼鏡を着用しており、白髪の多いグレーの髪に、口髭を生やしている。
 シャワー上がりなのか首にはタオルを巻いており、格好もジャージのズボンに焦茶色のタンクトップ。しかしその体躯やなかなかのもので無駄な贅肉というものが見当たらず、細身ではあるものの腕と背中の筋肉はしっかりとアスリート並にはついており、鍛錬の行き届いている事が伺える。


「よく来たね、麦茶でいいかい」
「はい、どうもすみません」
 京子をソファーに座らせた有澤はオフィス内に置かれた冷蔵庫まで向かうと、カエルの鳥獣戯画が描かれたコミカルで可愛らしい緑のコップに麦茶を注いだ。

「お仕事中でしたか?」
「いんや、報告書をちょっと読んでただけだ、君も関わってる件だよ」

 と言いますと? と京子が尋ねてみれば、男性は紙の一枚をペラペラとあおいでみせてから、勿体ぶる事も無くこう答える。

「行方不明になった身内の捜索だ。ちなみにこれは「三虎ミトラ」の分、”彼”が報告書を置いていった」

「それで、どうでしたか」
 京子が尋ねると、男性は首を横に振る。京子は見るからに落胆の様子を見せた。
「……そうですか」
「やはり死体は見つからない、”彼”が「三虎」の知人、友人、親戚をあたって回ったが……なしのつぶて、というやつさ」

 男性は額にしわを寄せ、軽い溜息をつくと呟いた。
「今年に入ってから行方不明の門下生は関東全体で6人、良い兆候とはいえないね」
 そして、先日死んだ「水葉」もその一人だ。


「……最近”彼”を見ませんでしたが、どこまで行かせてたんですか?」
「土産を持ってきてくれたよ、京子さんもどうだい」
 男性はまだ少量残った和菓子の箱を差し出す。なんとそれは、餡子作りでは日本一と云われる京都「宗賀東谷あずまや処」の生八つ橋ではないか。

「はあ。――――ありたがく頂きます。あっ、これ宗賀東谷の八つ橋……京都ですかあ、いいですねえ……」
 どうりで最近彼を見ないと……。彼女は一人納得しながら土産の八橋を口にする、あんこの甘味はまるで合法的な薬物を摂取しているかのようだ。一口ごとに脳へ活力が伝わっていくのを老女は感じる。


「ところで有澤先生は――――」
「んー?」
「今日も稽古でいらっしゃったんですか?」

「ああ、そうだよ、門倉くんと一緒にね」
「頑張りすぎではありませんか?」
 京子が茶化すように微笑んだ。

「最近また新しい者が増えたからね。指導者の穴が一人空いた分は、私が埋めなければ」

 彼の名は有澤アリサワ 幸弘ユキヒロ 役職上「師範」とも呼ばれている。その日も有澤は、訓練課程にある新人の教育を下の階の訓練エリアで行ったばかりだった。

「広瀬先生の件は……」
「”火術は原則使用禁止”だ。理由は――――」
 有澤は気難しい表情をしながら反対のソファーに腰かけ、麦茶を京子に差し出す。


「「銃器犯罪の抑止の都合」……ですよね。流石に知ってますよお」
 何年ここでやってると思ってるんですかと京子が言ったので、有澤も「そりゃそうだね」と苦笑いする。

「広瀬先生はその銃器使用中に現行犯逮捕されたと聞く。せめて、現行犯でなければ誤魔化しがもっと聞いたんだがなあ……参ったよ」
「警察は基本、私達の事知りませんからねえ……」
「そういう事だ。”現行犯逮捕”されるのはとにかく困る。めんどくさいもん」
「原則は原則、例外事項もあります。戦闘中に武装解除し奪った銃器の緊急使用までをも制限するものではありません」
 また、有澤師範もその見解を否定しない。

「その通り、流派の禁を破った訳ではない。ただ……釈放要求がなかなか通らない理由の一つが銃器使用それと現行犯逮捕の”併せ一本”だ。もちろん、それだけでもない。警察側が意地になってるのか、それとも例の団体と”お友達”の一派が我々の思っている以上に多いのか……、何か我々の手回しとは別の力が働いている、それも確かだ」


 有澤はソファーにもたれに寄りかかって、鼻息を漏らす。
「死傷者数は二人で30人越えたって?」

「やったのはほぼ全員広瀬先生ですよ。……はっ! まさか死刑なんて事は……!」
 京子がハっとなって急に顔を青くすると、有澤は軽く笑って片手で否定のジェスチャーを取る。
「いやいやいや、それは流石に無い。いずれは何とかなるだろう。……だが、今回は拘留期間だけでは終わらないかもね」
「ううーん……困りましたね……」

「ところで。京子さん、広瀬さんに直接会って来たんだろう」
「はい、行ってきました」
 有澤が次の話題を持ちだすと、京子は肯定した。
「それで、どうだった」
「概ね有澤先生の見立て通りです。広瀬先生も警察内の一派に「リーヴァーズ」の非合法な賄賂が流れているのではないかとおっしゃってました。それと……」
 京子は眉間に皺を寄せ、難しい表情をしてこう言った。

「先生は「表・頭落とし」が盗まれていると言ってました。まだ不完全なようですが……」
「だとしたら、「水葉スイバ」……いや、葉山くんがやられたのも納得は行くな」
 有澤がポツリと口にした。その瞬間、京子の脳裏に若き青年の最期の姿がフラッシュバックする。


 京子は言葉を失うと、瞳を涙で潤ませ俯いてしまった。沈黙が流れたが、有澤はエンドテーブルの上にあるティッシュケースを差し出し、立ち上がると京子の後ろに回り、彼女の肩を優しくほぐしてやった。
「よく、彼を連れ帰ってくれたね」
 有澤が優しく言葉をかけると、京子は嗚咽した。
「うっ……わたし、私はあの子を、無事に連れ帰る事が出来ませんでした……。もっと早く彼を助け出していれば……。私の力不足です……」


 本当の苗字を葉山、仲間内では水葉スイバという号でも呼ばれていた青年だった。
 仲間の中から死者が出ること自体は珍しい事ではない。しかし京子はそれに慣れた事などかつて一度もないし、もっと辛いのは、あれほどまでに惨酷な殺され方をした仲間はほとんど例を見ない程であったからだ。


「自分を責めてはいけない。二人とも困難な仕事をよく果たしてくれた、巌山ガンザン先生、そして銀蘭ギンラン、君も」
 はい。と小さな声で返事した京子はティッシュで鼻をかみ、ゆっくりと呼吸を整える。
 泣き止んだ京子は、失った水分を補うように麦茶を飲むと、

「有澤先生、先生は……この事をどう考えますか」
 と、その瞳と顔を充血させて赤くしたままに、一つ有澤に見解を尋ねた。このような内容だった。

「葉山くんが敗れ……殺されたという事、それは我々の戦闘技術が盗まれ、対策を取られているという事でしょうか」
「対策の有無に関わらず、例え格下相手であっても敗れる時は敗れる。多人数に囲まれても同様に敗れる事がある。また、偶然によって命を落とす事もある。戦いの世界に必勝などというものは無く、ただ……」

「私のお聞きしたいのは、そういったことではなく……」

「私からもまだはっきりした事は言えないよ。「表・頭落としに見えた技」は、単に似た流派の技かもしれない。柔術と剣術はどこも似た技があるものですからね」

 有澤は「しかし」と前置きして、大きく息をつくと、こう言った。
「京子さんや広瀬先生の危惧する事態である可能性は十分にあると思います。本来、”裏”の支部か、SASとかCIA、あとアメリカの特殊部隊の…………まあ、とにかく特殊な人間にしか教えていない”殺人用”の技が持ちだされている……。それは極めて危険な事だ。だから京子さんも用心しなさい。私や、あなたが残った若い人たちを守らなければならないのですからね」
 京子は頷く。第二の水葉を出してはならなかった。


「ところで……広瀬先生の娘さんは、どうしている?」
 有澤が話題を変えると、京子も感情を切り替えて、もう一度鼻をかむ。そして答えた。

「はい、元気です。今日も一緒に夕食を」
「そうか。父上の事は」


「何も、海外出張と言いました」
 京子は首を振って答える。カスミは何も知らない、そう、何も。
「そうか……。しかし、危険だな」
「問題が?」
「広瀬先生は警察の手で拘留中だ。報道こそは止まっているが、警察の持ってる彼の情報が連中の手に流れた場合……」
「……あっ」

 後は皆まで言う必要のない事だった。もしも彼に家族がいる事がわかれば、確実に報復の対象となるだろう。「直接の利害関係に無いから」、「そもそも犯罪行為だから」そんな理性的な話の通じる連中ではない。


「君一人だけでは手に余る、追加の専属護衛をつけて潜伏させよう」
「賛成です。でも誰を付けましょう? ”ここの警備の方”にでも頼みます?」

「まだ本部から”火術ピストル”の使用許可通知が降りない。対し、敵は銃を持っている。そして、万一にも彼女の身体に危害が及ぶことは許されない。――――これは極めて不利で、厳しい条件だ、対抗するためには相応の人材をぶつけなければならない。オマケに、お上と身内の事情が絡み合った、複雑な事情と来ている。お上のご機嫌取りも必要になってくるかもね……」
「無茶振りですねえ」

「その無茶をクリアできるぐらいの超人となると……まあ、やっぱりあれかな……」


 その上で、有澤はこのように判断を下す。
「……よし、「無間ムゲン」君を身辺警護につけよう。ようやくこっちに帰って来てくれた事だしね」
「彼、遠征から帰ってきたばかりでしょう」

「とはいえ、そんな事を言ってられるほど状況でもないからね。支部のナンバー3は遊ばせておけないよ」


 それから、有澤はこう言った。
「まあ、”彼”にとっては良い気分転換にもなるさ……学園生活、楽しんで貰おうじゃないか」
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