146 / 308
〈冒険者編〉
212. ギルドマスターの憂鬱
しおりを挟むダンジョン都市、東の冒険者ギルドのマスター、ベルクは書類を前に頭を抱えていた。
五年前に金級冒険者を引退し、ギルドマスターに就いたベルクはトラの獣人だ。
短く刈り上げた濃い金髪と黄金色に煌めくタイガーアイの持ち主で、その立派な体格と強面の容貌のおかげで荒くれ者の多い冒険者ギルドを巧く纏めていると評判だった。
元高位冒険者であったため、判断を下すのが早く、勘が鋭い。
書類仕事はあまり得意ではなかったが、そこはサブマスターのフェローが上手く補佐してくれている。
ダンジョン都市に出回る肉の殆どを供出している、東のダンジョン。
そのギルドマスターとして、ベルクは日々剛腕を奮っていたのだが。
「厄介な事になっちまったな……」
「おや。貴方としたことが随分と弱気な発言ですね、ギルドマスター」
「弱気とは聞き捨てならねぇな、フェロー。単にちっとばかし困っているだけだ」
「似たようなものでは?」
「違う! それより、お前のお気に入りの二人はなかなか面白そうな奴らみたいだな」
ガシガシと頭を掻きながら、ベルクはフェローを一瞥する。
フェローは器用に片眉を上げて見せた。
「面白そう、とは?」
「ギルド職員や顔見知りの冒険者たちに聞いて回ったが、相当可愛がられているようだ。特に職員連中は軒並み、餌付けされていたようだが……」
「ああ、ナギの料理の腕前は素晴らしいですからね。焼き菓子もたまに差し入れで頂けるんですが、ギルド内でも取り合いになるくらいに人気なんですよ」
「……俺は食ったことないが」
「おや、そうでしたか」
「ずるいぞ、フェロー!」
「ふふふ。顔見知りになったんですから、親しくしていれば、その内おこぼれが貰えますよ、きっと」
しれっと肩を竦めるサブマスターをベルクは恨めしそうに睨みつけるが、暖簾に腕押し。
この、ほっそりとした体格の紳士然とした男に口で敵うはずはなかった。
諦めて、再び書類に目を落とす。
「ハイペリオンダンジョンのドロップアイテムの査定結果ですか。何か、問題でも?」
「問題な。あると言えばあるし、無いと言えば無い」
「どういうことですか?」
「判断が難しい。面白いのはダントツだが、儲けを出せるかは賭けになるな」
無造作に差し出された書類を受け取り、フェローは視線を落とした。
「未知の食材や調味料に関しては査定不能。まぁ、妥当でしょう。商業ギルドで連携しつつの値付けになるかと。黄金林檎や水蜜桃は良い価格になっていますね。ここでは手に入りにくい果実ですから納得です」
高価な果実なため、取り扱う商会は限られるだろう。恐らくはエイダン商会の百貨店の扱いになると思われた。
「琥珀糖、メープルシロップに蜂蜜。どれも評価は高いですね。魔獣肉より稼ぎは良いのでは?」
「だが、何せ場所が問題だ。大森林内のダンジョンだと? せめて森の入り口辺りならまだしも……」
「周辺の開発をどうするか、ですよね。問題は」
ダンジョンを発見した。冒険者は攻略せよ。──なんて、簡単な話ではないのだ。
ランク決めから始まり、ダンジョンアタックのための拠点作りが大仕事。
冒険者ギルドは冒険者を守るために存在している。
命を賭けてダンジョンに挑戦する彼らのためにサポートをするのがギルドの使命なのだ。
「ただでさえ僻地で危険な大森林の中にあるダンジョンなんだ。珍しい食材や調味料がドロップするとは言え、満足できる収益が手に入るとは限らない」
「周辺の開発にも資金が必要ですからね。すぐに判断できないのも納得です」
大森林の中に拠点は築けない。ダンジョンまでの道作りがまずは必要になる。
収益が見込めそうなら、冒険者ギルドの出張所を置くことになるだろう。
ギルド周辺に宿や店も必要だ。食事ができる店、雑貨屋、武器屋。気晴らしに酒を飲める場所もある方が良い。
小さな店とは言え、僻地での出店はこちらも一世一代の賭けとなるだろう。
誘致にも苦労するのは目に見えていた。
「あー…。せめてなぁ、街道の途中の平原で発見してくれたなら、ここまで悩まなくても済むんだが」
「こればかりは仕方ありませんよ。ダンジョンは創造神からの贈り物なんですから」
「分かっちゃいるがな……。これでドロップアイテムの価値が低かったら、まだすぐに判断が下せるんだが」
「バラエティに富んでますからねぇ」
これには、フェローも苦笑するしかない。
珍しい調味料や希少な果実、初めて目にする野菜など。
個人的にはとても興味を惹かれる品々ではあるが、通常のダンジョンと比べてもそれらの儲けは多くないだろう。
だが、このニホンシュという初めて見る酒はオークションに出品すれば、かなりの高値で売れそうだと思う。
特にショウチュウはドワーフ達が目の色を変えそうだ。
「これまで、酒の類がダンジョンからドロップするなんて聞いたことがあるか?」
「ありませんね。百年ほど前にハイエルフが特級ダンジョンの最下層で、神の庭の酒と呼ばれる薬酒を手に入れたことがあるという夢物語なら聞いたことはありますが」
「あー…。だが、現物は出回ってないからなぁ。眉唾モノだろうよ」
「酒もそうですが、調味料の類がこれほどドロップされることが、何というか、さすがナギですね、としか……」
希少なスパイス類が別のダンジョンで宝箱から見つかったことはあるが、あれは薬として使われている物であったので、そう珍しくはなかった。
だが、今回のスパイスはナギ曰く「美味しい料理に使うもの」だと断言していた。
琥珀糖やメープルシロップ、蜂蜜も上質の甘味だった。
食材ダンジョンとは、言い得て妙だ。
「だが、ハイペリオンダンジョンは食材以外もドロップしている。宝石、黄金の粒などは価値も高く、買取額も良い。何より驚いたのが、これだ」
ベルクはため息まじりに、それに触れてみた。信じられないほどに柔らかく、軽くて、美しい布──シルクだ。
アラクネからドロップしたそうで、巷ではアラクネシルクと呼ばれて重宝されている。
シルクはこれまでグランド王国が独占して流通させていた贅沢品だ。
ダンジョンが少なく、恵みが限られている北国において、グランド王国は養蚕産業を育て上げ、グランドシルクのブランドを作り上げた。
その極上の布は諸国の王侯貴族をあっという間に虜にしたと言われている。
「グランドシルクと比べて、アラクネシルクは光沢が少なく、手触りは柔らかい。華やかさでは劣るかもしれないが、着心地はこちらが良さそうだ」
アラクネはまだダンジョン内では未発見だった魔蟲だ。
大森林に棲んでおり、その腹に抱える糸を採取し、加工したものがアラクネシルクと呼ばれている。
数が少ない分、グランドシルクよりも高値がつく場合があるほどで。
「そのアラクネシルクが布の状態でドロップするとなれば、価値は高くなるのでは?」
「……だな。しかも、一巻で十メートルほどある。金貨何枚の値がつくかな」
「少なくともオークションに出すなら、金貨五枚から開始されるでしょうね」
「しかも終了時には幾らになっていることやら」
ナギが耳にすると目を剥きそうな会話をギルドマスターとサブマスターが交わす。
アラクネシルクも現状では査定不能のリストに付け加えられている。
「まぁ、ドロップアイテムがたくさん出回るようになれば、シルクの値も自然と落ち着いてくれるでしょう」
「そうだな。しばらくは騒がれそうだが、このシルクと酒があれば、ダンジョン周辺の開発資金は用意できそうか……」
「問題は、大森林の中にあるダンジョンに誰が挑戦してくれるか、ですね」
顔を見合わせて同時にため息を吐く。
ダンジョン都市から馬車で片道一週間の大森林へ、冒険してくれる物好きはどれほどいるだろうか。
再びベルクが頭を抱えそうになった、その時。ドアがノックされる音が響いた。
「おい、今は誰も通すなと言っておいただろうが! いったい、どこのどいつが──」
「あら、ティガー坊や。随分と偉そうな口を叩くようになったのですね?」
勝手に開かれたドアから顔を覗かせたのは、美しい銀髪の女性。
翡翠色の瞳が面白そうにベルクを射抜く。さらりと流れた銀糸からは尖った耳が見えた。
美しくも凶悪な、馴染みのエルフの姿にギルドマスターは悲鳴にも似た叫びを上げる。
「お前…ッ、ミーシャか⁉︎」
1,370
あなたにおすすめの小説
義弟の婚約者が私の婚約者の番でした
五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」
金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。
自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。
視界の先には
私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。
ねえ、今どんな気持ち?
かぜかおる
ファンタジー
アンナという1人の少女によって、私は第三王子の婚約者という地位も聖女の称号も奪われた
彼女はこの世界がゲームの世界と知っていて、裏ルートの攻略のために第三王子とその側近達を落としたみたい。
でも、あなたは真実を知らないみたいね
ふんわり設定、口調迷子は許してください・・・
心が折れた日に神の声を聞く
木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。
どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。
何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。
絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。
没ネタ供養、第二弾の短編です。
断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!
柊
ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」
ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。
「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」
そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。
(やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。
※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
転生者だからって無条件に幸せになれると思うな。巻き込まれるこっちは迷惑なんだ、他所でやれ!!
柊
ファンタジー
「ソフィア・グラビーナ!」
卒業パーティの最中、突如響き渡る声に周りは騒めいた。
よくある断罪劇が始まる……筈が。
※小説家になろう、カクヨム、pixivにも同じものを投稿しております。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。