異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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19 / 279
2巻

2-2

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『仮にも伝説の黒狼王こくろうおうに対して、この態度。渚センパイって度胸ありますよね……?』
「ん? 何か言った?」
『いいえ~? あ、右手五十メートル先にフォレストボアのペアがいますけど、どうします?』
「速やかに確保!」
『了解!』

 ぴょん、と少女の腕から飛び下りた仔狼は大きな黒狼へと姿を変えて、木々の間を駆けていった。


 スライムを三十匹、フォレストボア二頭を討伐したところで昼休憩を取ることにした。
 湿気の多い沼地は落ち着かないので、場所を移動する。少し歩くと、まとめて木を伐採した跡があり、そこを休憩場に決めた。
 いつもならキャンプ気分でテーブルセットを取り出すナギだが、ちょうど良い大きさの切り株がいくつもあったので、それらを椅子代わりに使うことにする。

「今日のランチはお弁当スタイルだから、ちょうど良いわ」
『お弁当? いいなぁ、俺も食べたい……』
「たくさん作ってきたから、アキラも食べる?」
『食べたいです!』
「良いお返事ね」

 くすりと笑って、ナギは収納から昼食用に持ってきたお弁当を取り出した。大判のハンカチに包んだお弁当の中身はおにぎりだ。おにぎりはバナナの葉で丁寧に巻いてある。
 鼻の良い仔狼はもう中身に気付いたようで、せわしなく尻尾を振っている。

「じゃーん! コッコ鳥の炭火焼きを具にした、焼きおにぎり弁当です!」
『焼きおにぎりだーっ!』

 わっふわふ、と興奮した様子で周囲を駆け回る仔狼に「待てステイ!」と命じて、ナギは切り株の上でそっとハンカチを広げた。
 今朝、誰よりも早く起きて、宿のキッチンで用意した力作だ。
 焼きおにぎりは作り立てを収納したので、まだ温かい。なんとも魅惑的な香りを漂わせている。

「うん、美味しそう。お米も崩れていないわね。成功したようで何よりだわ」
『どうやったの、センパイ? こっちのお米はパラパラだから、おにぎりは難しいって言ってなかった?』
「ん、後で説明するね。まずは温かいうちに食べちゃおう?」

 狼の姿をしている彼に人間の食べ物は毒ではないかと心配だったが、獣人と同じで問題ないと一蹴された。特にアキラは毒耐性のスキルがあるため、玉ねぎもニンニクも美味しく食べられるのだと豪語していた。異世界のスキルは、つくづく謎だ。
 一人で食べるのは寂しかったので、同じ食事を楽しめることは素直に嬉しく思うが。

(まぁ、何かあれば、すぐさま【治癒魔法】をぶっ放せば平気よね?)

 バナナの葉を広げてやると、仔狼は夢中で焼きおにぎりにかぶりついた。

『んっ、美味しい! 焼きおにぎりだ! 醤油味で、ちょっと焦げたところが美味しい。中の焼き鳥も香ばしくて、すごく美味しい……っ!』

 器用にも、食べながら【念話】で感想を伝えてくれている。
 焼きおにぎりはあっという間に食べ尽くされた。大きめに握っておいたのだが、アキラにとっては前菜と変わらなかったようだ。物足りなそうに、こちらをちらちらと見上げてくる。

「もう、仕方ないなぁ。エドの分もあるんだから、お腹に余裕を持たせておいてよ?」

 人格はふたつでも、胃袋はひとつなのだから。
 作り置いていた焼きおにぎりと、ついでに甘い玉子焼きとソーセージを小皿に載せてやる。

『さすがセンパイ! よく分かってる!』
「調子いいんだから」

 とは言ったものの、おにぎりに玉子焼きとソーセージの組み合わせは最強だと、ナギもこっそり思っている。ここに唐揚げとお漬物をプラスしたら、きっとアキラは感涙するに違いない。

「さて、私も食べようっと」

 切り株に座り、膝の上でお弁当を広げると、ナギは手掴みで焼きおにぎりを頬張った。
 具の焼き鳥は甘辛いタレに漬けて炭火でじっくりと焼いてある。炊き立てのご飯に刻んだ焼き鳥を混ぜ込み、焼きおにぎりにした。もちろん、おにぎりも炭火で焼き上げている。

「香ばしくて美味しい……」

 我ながら、なかなかの出来栄えだと思う。
 刷毛はけで醤油を塗って炭火で焼いたのだが、本当は味噌で焼きたかった。けれど残念ながら、まだこの世界では味噌を発見できていないので、しばらくは醤油味で我慢だ。

「ごま油を塗って焼いたおにぎりも美味しいのよね。どこかに売ってないのかしら」

 大森林で見つけたシオの実──醤油は、おかげさまで重宝している。
 醤油を手に入れてから、焼き物、煮物に揚げ物と、料理の味は飛躍的に美味しくなった。

「ソースや漬けダレも醤油をベースに作れたし。本当に、シオの実には感謝しかないわ」

 味噌とごま油も頑張って探せば、手に入れることができるかもしれない。美味しい食生活を楽しむためにも、このふたつは是非とも手に入れておきたかった。
 はむ、と焼きおにぎり弁当の最後の一口も咀嚼そしゃくし、ナギはマグカップに入れたスープを味わいながら飲み干した。すまし汁も嫌いではないけれど、やはりお味噌汁が飲みたい。

『センパイ、おかわりが欲しいですっ!』
「エドの分がなくなるから、これで最後ね?」

 キャンキャン訴えるポメラニアン、もとい仔狼の前に追加のおかわりを出してやり、その横にスープ皿も置いてやる。お水のほうが良かったかな? と思ったが、幸せそうにスープを飲む姿に安堵した。

「おにぎりの具を変えたら、お弁当にも飽きが来なくて良さそう」

 サンドイッチとバーガーもどきばかりのランチはさすがに少し飽きていたのだ。
 出先では手軽に食べられるのが一番なので色々と工夫を凝らして作っていたが、肝心のナギ自身がパン食に飽きてしまった。
 米を手に入れてからは、ランチに炒飯チャーハンやピラフを作ってみたが、手軽に食べられるものとは言えず。
 試行錯誤を繰り返した結果の、今日の焼きおにぎりだった。

『そういえば、あのパラパラのお米でどうやっておにぎりを作ったんですか?』

 お腹が満ち足りたら、途端に疑問が再燃したようだ。

「お米をいつもより長くでて、柔らかめに炊いたのよ。そのご飯が温かいうちに片栗粉を少し混ぜるの。あとは普通におにぎりの形に握って、オリーブオイルとお醤油を塗って焼いてみました」

 意外と簡単だった、と胸を張るナギを、アキラは大仰に褒め称えてくれた。
 そのくらい、この懐かしい味にえていたのだろう。ナギも、成功を悟った時には大喜びでおにぎりを頬張ったので、気持ちはよく分かる。

「普通におにぎりを握っただけだと、やっぱり崩れやすいのよね。だから、焼き固められる焼きおにぎりにしてみたの。これが正解!」
『じゃあ、これからもお昼はおにぎり弁当にするんですか?』
「んー。毎日だと飽きない? 基本はおにぎり弁当のつもりだけど、たまにパン系かな?  でも、気分によってはパスタになります。なぜなら、私が食べたいから!」
『うぐぐ、センパイの気まぐれランチってことですか、ずるいです。けど、料理人の特権だから仕方ないですよね。俺も毎日おにぎりが食べたい……っ!』

 ころころと地面を転がってもだえている。駄々をねているようだが、可愛いだけだ。
 ナギは微笑みながらローリング仔狼を見守った。

『俺、牛肉のしぐれ煮入りのおにぎりが大好物だったんですよ。もちろん定番のシャケ、ツナマヨ、昆布も好きですけども!』
「ここは海が近いみたいだから、ツナマヨも焼き鮭も作れると思う。昆布はあるのかな? 明太子やたらこ味のおにぎりも作ってみたいよね」

 指折り数えていると、いつの間にか仔狼がナギの膝の上によじ登っていた。そして、きらきらと期待に満ちた目で見上げてくる。その口の端から、たらりと……

「アキラ、よだれ……」
『はっ、失礼! ごめんなさい、渚センパイ。なんでもするので、おにぎりプリーズっ!』

 可愛らしく鼻を鳴らしながら擦り寄られると、陥落しそうになる。だが、ここは要交渉だ。

「うーん、そうだね。アキラが毎晩ブラッシングさせてくれて、時々その後頭部とか、ふかふかのお腹を吸わせてくれるなら……?」
『喜んで!』
「はやっ。あんなに嫌がってたのに、恐るべしおにぎりの魅力……!」

 呆れるナギをよそに、仔狼は嬉しそうだ。
 そろそろエドと交代してあげなさいね、とたしなめると「キャン!」と良い返事をして木立の向こうに消えていった。木陰で元の姿に戻るのだろう。気を遣わせて申し訳ないが、目の前でエドに着替えられては落ち着かないので、そっと視線をらして彼が戻ってくるのを待った。
 人型に戻りかっちり服を着込んだエドがナギの向かいの切り株に腰を下ろすと、ナギは新たな包みを取り出して渡す。

「これが、おにぎり。旨いな」
「口に合ったようで良かったわ。シンプルな塩にぎりも好きなんだけど、他にも色々試してみるね。この身体になってからは具だくさんで濃いめの味付けが恋しくって」

 これが若さというものなのか。
 とりあえず、明日のおにぎりはアキラのリクエスト、しぐれ煮を作ってみよう。

「具を変えるのか?」
「そう。前世ではお米に合うものならなんでも入れていたなー。懐かしい」

 時間に余裕がある平日の朝は、渚はお弁当を作っていた。基本はおにぎりで、具は昨夜の残り物を適当に詰める。甘い玉子焼きやウインナー、角煮や唐揚げは当たりの日。何もなければ、ふりかけ味。ヒジキの煮物やほぐした焼きサンマなんかも、意外と美味しかったのを覚えている。
 炊き込みご飯や炒飯チャーハン、赤飯の余りをそのまま握って行ったこともあった。

「サンドイッチ以上にふところが広い食べ物なのよね。おにぎりは」
「奥深いな、おにぎり……」

 よく分からないなりに、エドは神妙な表情でうなずいている。美味しければなんでもいい、と思っているのは明白だったが、同意見なナギも重々しくうなずいてみせた。

「私たち元日本人のソウルフードだからね」
「アキラが言っていた、シグレニ? 俺も楽しみだ」
「うん。……とはいえ牛肉の在庫はないから、鹿肉でもいいかな? 赤身のお肉だから合うと思うんだけど」
「ブラックブル……」
「残念ながら、もう食べ尽くしていて在庫は皆無です」

 エドは悲痛な顔で肩を落とした。その切なさは、とてもよく分かる。ブラックブルの肉は、特選黒毛和牛ブランド並みに美味しいお肉だったのだから。
 二人がこの高級魔獣肉に味を占めたのは、ナギが辺境伯邸の食糧庫からこっそり持ち出した、とっておきのお肉を口にしてからだ。
 食糧庫の、更に奥の隠し部屋に吊るされていた綺麗な赤身肉を見逃すナギではなかった。
 とろけるような柔らかい肉の美味しさは格別で、二人は何かと「記念日」を見つけては、ブラックブル肉に舌鼓を打ったものだった。
 ブラックブル肉のステーキ、ローストビーフ。すき焼きにしても美味しかった。
 塊肉はあっという間に食べ尽くしてしまい、二人はしばらく悲嘆に暮れて過ごしたものだ。
 ブラックブルはB級魔獣で、広大な平原やダンジョンの下層に生息している。売りに出されるのもまれで、ギルドに卸されたとしても、すぐに買い手が付くらしい。
 つまり、二人がブラックブル肉を手に入れるには、ダンジョンに潜るしかないのだ。

「早く冒険者に昇格してダンジョンに行くぞ、ナギ」
「あ、はい」

 今までにない迫力の少年に、気圧けおされたナギはこくこくとうなずいた。恐るべし、お肉の力。
 だが、ブラックブルの肉を大量に確保しておきたいのはナギも同じ気持ちだ。
 ブラックブル肉がたくさんあれば、しぐれ煮はもちろん、牛カツも作り放題。ミディアムレアの焼き加減でステーキにして味わうも良し、しゃぶしゃぶにしても、きっと美味しい。
 部位によっては生でも食べられると聞いたので、牛刺しやユッケでも食べてみたかった。

「早く評価を上げなくてはな。行こう、ナギ。途中に薬草の群生地を見つけておいた」
「エドがいつになく本気だ……」

 いつもクールな彼が、ブラックブルのしぐれ煮おにぎりに惑わされている。
 アキラの記憶がよほど心に残ったのだろう。

「じゃあ、採取を頑張るね」
「俺は引き続き、毒蛇を捕まえてくる」

 本気を出した狼獣人の嗅覚は凄まじく、薬草の群生地をいくつも見つけ出してくれた。
 根こそぎ取り尽くさないように気を付けながら、ナギは黙々と薬草を摘む。エドは採取の傍ら、弓で獣を狩ったり毒蛇を捕まえたりと忙しそうだ。
 レベルを上げるために、ナギも時折、魔獣を仕留めた。少し離れた場所から【水魔法】や【風魔法】で攻撃する。スライムを見つけた時だけは、短槍たんそうで攻撃した。
 そうしてせっせと頑張ったおかげで、この日ナギのレベルがひとつ上がった。


 夕刻は、冒険者ギルドが一番混雑する時間帯だ。
 ダンジョン帰りの冒険者たちが受付に長蛇の列を作るため、ナギとエドは少し早めの時間帯を狙ってギルドに戻るようにしている。人の少ないうちにと、さっそく買い取りカウンターに並んだ。
 カウンターいっぱいに、収納から取り出した薬草を並べていく。

「こっちが薬草です。ちゃんと種類別に分けています。で、これがスライムの魔石。あと、フォレストボアの毛皮と魔石。ボアの牙も買い取ってもらえますか?」
「おう。ボアの牙は錬金術の触媒になるから、買い取り対象だ。そっちの坊主は蛇の買い取りか?」
「ん、ちゃんと生きたまま捕獲してきた。八匹いる」
「おっと、ここで袋を開いてくれるなよ? 裏の倉庫で袋の中身を確認する。ナッツクッキーの坊主も、売り物全部持ってこっちに来な」
「ナッツクッキーの坊主……?」

 そういえば、素材買い取り担当のこの職員にも、残業のおびにとクッキーを差し入れしていた。ギルド職員というより冒険者と言われたほうがしっくりくる、体格の良いクマの獣人だ。
 こちらを覚えてくれていたのは嬉しいが、そのネーミングセンスは微妙だと思う。

「ナギです。こっちはエド」
「おう、そうか。俺はガルゴ。よろしくな」

 クマの獣人おじさんは迫力のある巨体だが、意外にも優しい目をしている。

「ガルゴさん。よろしくお願いします」
「よろしく」

 エドと二人で軽く頭を下げると、大きな手で頭をでられた。ナギは慌てて帽子を押さえる。

「支払いも裏でしてやろう。お前たちは、ちっと規格外な連中みたいだしな」

 大雑把そうに見えるが、気遣いもしてくれる。良い人だなと思う。【鑑定】のひとつ、人物鑑定の結果もピカピカの青――危険度やこちらへの警戒度が極めて低いことを示していた。フェロー主任、受付嬢のリアに続いて、信頼できる人と出会えたようで嬉しい。

(甘いお菓子が好きなら、次は蜂蜜たっぷりの焼き菓子でも差し入れしてみようかな)

 二人は大きな背中を追ってギルドの倉庫へ向かった。


 査定を終えて、薬草はまとめて銅貨六枚、毒蛇は一匹が銅貨三枚、合計で銅貨二十四枚分の報酬となった。
 それから、フォレストボアの毛皮と牙、魔石、スライムの魔石が、合わせて銀貨一枚と銅貨五枚だ。毛皮はその鮮やかな色彩が上流階級に人気らしく、傷もない良品だと査定された。
 銅貨十枚で銀貨一枚なので、総合計、銀貨四枚と銅貨五枚がその日の二人の報酬だ。
 早めにギルドを撤収したため、今日は時間に余裕がある。二人は市場を冷やかしながら、宿への道をのんびり歩いていた。
 目についた新鮮な野菜を買いつつ、ナギは本日の報酬について思案する。

「薬草採取だけだと、やっぱり厳しいわね。毒蛇の捕獲は稼げそうだけど、エドにばかり負担が掛かっちゃう」
「薬草採取を基本にして、合間に獲物を狩れば、それなりに稼げそうだが」

 討伐依頼はまだけられないが、狩った獲物の素材はギルドに引き取ってもらえる。肉は自分たち用に確保しておくつもりだが、他の素材や魔石の買い取り額は悪くなかったように思う。

「宿代の銅貨五枚を差し引いても、充分生活できそうね」

 薬草採取だけではその日の宿代の支払いが精一杯だが、魔獣を倒せば食糧が手に入り、プラスで素材が売れる。見習い期間はとりあえず、そんな風にして稼ぐのが得策に思えた。

「だけど、街中の奉仕依頼もある程度こなしてポイントを稼がないと、冒険者とポーターに昇格できないのよね。こっちは安全だけど、依頼料がかなり少ないのが痛いわ」
「街中の仕事と採取を交互にけるか」
「それが良いかな。毎日森に通うのは疲れるし、街中依頼で体力を温存しよう」

 そんな訳で、街中と街外の仕事を一日ずつ交互にけることが決まった。
 街中仕事は旨味は少ないが、地理を覚えられる。狭い路地の奥にあるもの珍しい雑貨屋や美味しい屋台を見つけることができるし、街の人とも親しくなれるので、悪いことばかりではない。

(もしかして、ずっと探しているスパイスのお店が見つかるかもしれないし!)

 ファンタジー世界ならではの、わくわくするような素敵なお店との出会いも期待できるのだ。

「どうせなら、お仕事も楽しまないとね」
「楽しく、は分からないが。旨い屋台を見つけられるのは、確かに嬉しい」

 揺るぎないエドの発言にナギは小さく噴き出した。
 そういえば、もうすぐ夕食の時間だ。たくさん働いたので、お腹が空いている。

「エドは晩ご飯、何が食べたい?」
「今日狩ったフォレストボアが食べたい」
「ボアか。角煮はちょっと面倒だから、ボアしゃぶはどう?」

 サシ入りのお肉からナギが連想したのは、しゃぶしゃぶだ。
 ここしばらく揚げ物や焼き肉が続いていたので、今日はさっぱりしたものが食べたい。

「なんとなく記憶はあるが……味の想像がつかないな」
「そうだよね……。えっと、作るのは冷しゃぶかな。もう少し涼しくなったら普通のしゃぶしゃぶも食べたいけど、ここは南国だし。さっぱりして食べやすいから、夏のメニューには最適だと思うの。タレのポン酢は醤油とレモンで作れるし。うん、今夜はボア肉の冷しゃぶにしましょう!」
「レモン……さっぱり……?」

 もの悲しそうな琥珀こはく色の瞳に気付いて、ナギは笑ってしまう。肉食男子にさっぱり系は、切なくなるか。さっぱりしている分、ついつい食べすぎてしまうほどに美味しいのが冷しゃぶなんだけれど。

「エドにはこってり系のお肉も必要かな? 他にも肉料理を用意するから、楽しみにしてね」
「分かった。俺はナギを信じている」
「うん、ありがたいけど、ちょっと重いかなー?」

 軽口を叩きながら歩いているうちに、宿に到着した。
 庭で水やりをしていたミーシャが二人に気付き、ほんのりと口角を上げる。

「おかえりなさい」
「ただいま、ミーシャさん」

 煉瓦の壁につたを這わすアイビーは美しいが、世話は大変そうだ。庭にはプランターも置かれており、可愛らしい花が咲いている。
 日陰に繁っているのはハーブの一種で、緑の中心に立つミーシャの姿は神秘的なエルフそのものだ。ナギはついうっとりと見惚みとれてしまう。
 ミーシャのほっそりとした指先がハーブを摘む。そして淡い紫色の花が咲いたそれをナギに手渡してくれた。鎮静作用があるのか、とても良い匂いがする。

「今日の夕食は何を作るの?」

 翡翠ひすい色の瞳の奥に抑えきれない好奇心を見て取って、ナギはくすりと笑った。

「今夜はエドが狩ってくれたフォレストボアを調理する予定です」
「フォレストボア。甘くて柔らかいお肉の……?」
「えっと、はい。普通のボアよりも柔らかい肉質らしいですね」
「そう。とても柔らかい。臆病だから、なかなか狩れない子のはず。彼は優秀な狩人ですね」
「エドの腕前はすごいんですよ! 大きなクマの魔獣だって弓で倒せるんですから」
「ナギ、もういいから」

 頬をほんのりと赤らめたエドに止められて、ナギは渋々彼の武勇伝を語るのを諦めた。
 そんな二人の様子に、ミーシャは楽しそうに瞳を細めている。

「仲が良いのは素晴らしいこと。今日も怪我なく、二人が帰ってきてくれて嬉しいです」
「ミーシャさん……」

 白い繊手が頬を優しくでてくれる。草花のかぐわしい香りが鼻腔びこうをくすぐった。
 エドの頭もふわりとでて、ミーシャは軽やかな足取りで宿の裏口に向かう。
 警戒心のかたまりの、狼獣人の頭をでるとは。
 ナギがそっと横目で見ると、エドは呆然と立ち尽くしていた。悪意も下心もなく、まるで柔らかな風のようなエルフには、さしものエドも不意を突かれてしまったのか。

(私は綺麗な女の人に優しくでられて、嬉しかったけれど)

 あんな風にナギが優しく誰かに触れてもらえたのは、母が生きていた頃だけだ。
 母と乳母、侍女の三人。彼女たちに優しく頭や頬をでられた、アリアの記憶がある。慈しいつくむように温かな指先に触れられて、良い匂いに包まれた少女は幸せそうに笑っていた。

(エドも嫌な気分ではなさそうだけど、戸惑いのほうが大きいのかな?)

 物心がつく前に母を亡くし、ずっと父親と二人きりで暮らしていたという彼には、初めての感触だったのかもしれない。

「エド、部屋に戻る?」
「ああ」
「ミーシャさん、いい匂いがしたね?」
「…………」

 ほんのりと頬を染めた不本意そうなエドと部屋に戻り、楽な服に着替える。汗や汚れは【浄化魔法】で綺麗にしてある。
 色違いで作ったおそろいのエプロンをそれぞれ装着して、二人は宿のキッチンに向かった。
 肉を切るのはエドに任せ、しゃぶしゃぶ用に薄切りにしたものの他にもいくつか小さなブロックに分けてもらう。
 エドに頼み込まれたので、結局、フォレストボアの角煮も作ることにしていた。角煮は時間が掛かるので最初に仕込む。急いで下拵したごしらえを済ませ、大鍋ごとまきストーブの上で煮込み始める。
 煮込む間に別の作業を進めたいが、冷しゃぶはさっと湯がいて冷やすだけだから、これは後回し。
 大皿いっぱいに、今日の市場で仕入れたレタスを敷いて、トマトで彩る。
 スープは豚汁風のボア汁にした。根菜類をたっぷりと投入し、ボアの端切れ肉を使う。味噌がないので、醤油味。仕上げにバターをひと欠片かけら、隠し味にする。
 この寸胴鍋いっぱいのボア汁にうどんを入れて、今夜の主食にするつもりだ。

「あとは、肉巻きポテト。バターと照り焼きの風味が最高の相性なのよね」

 前世で使っていたのは豚の薄切り肉だが、レシピは同じでいいだろう。
 細く拍子木切りにしたじゃがいもをフォレストボアのバラ肉で巻き、たっぷりのバターで焼く。あとは、少し甘めの照り焼きソースを加えて仕上げるだけの、簡単なレシピだ。
 味が濃いため、ビールのツマミにはもちろん、翌日のお弁当にも最適メニュー。
 これはランチ用にしようと、大量に作って大皿に取り分けておく。

「こんなものかな? 角煮はもう少し時間が掛かりそうだし、先に冷しゃぶを作っちゃおう」

 食堂にお皿を運ぶのはエドに任せて、ナギは大量の薄切り肉をたっぷりのお湯で湯がいていく。あいにく昆布はないので、乾燥キノコで取った出汁だしを使った。
 さっと湯がいた肉を氷水で冷やして大皿のレタスの上に盛り、作業の合間に作った、ポン酢風のタレをたっぷりと回しかけた。大森林産レモンと醤油、オリーブオイルを合わせた、美味しいドレッシングだ。

(良い匂い。ごまが見つかったら、ごまドレッシングも作りたいな)

 大皿五枚分の冷しゃぶを【無限収納インベントリEX】に収納してテーブルに向かう。二人で一皿ずつ食べて、残りは念のためのおかわり用だ。余れば作り置きにするつもりで、たくさん作っておいた。
 食堂の空いていたテーブルの隅っこに夕食の皿を並べ、互いの大皿がぶつからないよう斜向かいに座る。
 メインの冷しゃぶ大皿、ボア汁に肉巻きポテト。角煮はまだストーブ上で煮込み中だ。

「じゃあ、食べようか」
「いただきます」

 待ちかねた様子のエドがフォークに突き刺した肉を口に放り込む。脂の多いらしいフォレストボアだが、しゃぶしゃぶならさっぱりと食べられるはず。
 ナギも肉とレタスをフォークに刺して口に入れた。二人きりならお箸を使うのだが、あいにくこの世界ではまだお箸を見かけたことがないため、人前ではフォークを使っている。
 お手製ポン酢はまろやかな味に仕上がっており、ボア肉によく馴染んでいた。

「美味しい! いくらでも食べられそう」
「旨い。さっぱりしているが、手が止まらなくなるな、コレは」

 無言で冷しゃぶに向かっていたエドの大皿はもうからに近い。ナギは慌ててお代わりを取り出す。

「食欲が落ちる夏でもペロッと完食できるのが、冷しゃぶの醍醐味ね」
「食欲は落ちていないが、これが旨いのは分かる。酸っぱい味付けの肉などとんでもないと思っていたが、レモン塩といい、あなどれないな」

 フォークで冷しゃぶは食べにくいはずだが、エドはものすごい勢いで大皿の中身をやっつけている。

「エド、エド。気に入ってくれたのは嬉しいけど、こっちもどうぞ?」

 肉巻きポテトをそっと差し出してみる。
 肉を断ることは決してしない少年は、ナギの声掛けに軽くうなずくと、綺麗な焼き色がついた肉巻きポテトにフォークを突き刺した。あぐり、と大きな口を開けて噛み付く。
 ちらりと覗いた鋭い犬歯が肉を裂き、咀嚼そしゃくしていく様は圧巻だ。口の端に垂れたソースを舌でめ取り、大きめの肉巻きポテトをあっという間に嚥下えんげする。

「これも旨い! 冷しゃぶとは全く違う食感で面白いな」
「でしょ? 味が濃くてこってりしているけど、ポテトと一緒に食べると美味しいんだよね」

 お気に入りのレシピで作った料理なので褒められると嬉しい。
 これはフォークでも食べやすいので、エドも一口ずつ味わいながら平らげた。
 締めはボア汁うどんだ。具はじゃがいも、ニンジン、玉ねぎを入れてある。ゴボウは残念ながら未発見。里芋と共に、見つけたら絶対に確保したい食材だ。
 温かくて優しい味わいのスープは、じんわりとみ入るように美味しい。じゃがいもはほっくり、ニンジンと玉ねぎはしゃくしゃく、うどんがもっちりとして食感を楽しめる。
 綺麗に飲み干して、ふあっと息を吐き出す。満ち足りた気分でスープ皿から顔を上げたナギは、いつの間にか目の前の席に誰かが座っていることに気が付いた。
 綺麗な翡翠ひすい色の瞳と視線が合う。


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