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〈冒険者編〉
273. パン屋さんです 2
パン屋の売り子はナギを含めて五人。
レジでの会計係が三人、一人が工房で焼けたパンの補充担当だ。
そんな中で、なぜかナギは店先で試食コーナーを担当することになった。
試食用のブースは店の前に用意されている。長方形のテーブルで、作業スペースもきちんとあった。
リリアーヌ嬢が準備を手伝ってくれると言うので素直に頼ることにした。
「パンだけを売ればいいんですよね? たとえば、ジャムやクリームなども販売するんですか?」
ナギの問いに、リリアーヌがきょとんとする。不思議そうに首を傾げた。
「ここはパン屋なので、パンだけを販売します。ジャムやクリームは置いていませんわ」
「そうなんですね。試食用のパンには使っても良いですか?」
「もちろんですわ。あ、ちゃんと使った品物の費用は後で請求してくださいね。ジャムやクリーム。……っ、ジャムとクリーム!」
「わっ! ビックリした。リリアーヌさん、どうしました?」
カッ、と瞳を見開いて唐突に叫んだリリアーヌにナギはギョッとした。
「私としたことが、呆けておりましたわ。そう。そうですわね……パン屋にジャムやクリームがあれば、パンと一緒に買って行く方もきっとたくさんいますわね?」
「ついで買いですね。私もよくやります」
うんうんと相槌を打ちながら、ナギは手早く試食用のパンをカットしていく。
一口サイズで食べやすく。大きい方が見栄え良く、喜ばれるとは思うけれど。
試食品はもうちょっと食べたい、と熱望するサイズが一番効果的だとナギは思っている。
(もっと食べたくて、つい買い込んじゃうのよねー)
不思議と、小さいサイズの物の方が美味しく感じるのだ。
「……ちなみにナギさんがパン屋で、ついで買いするお品って他に何がありますか?」
そっと近寄ってきたリリアーヌ嬢に囁かれ、そうですね、と思案する。
「色んな種類のジャムが置いてあると嬉しくなっちゃいますね。通うたびに一瓶ずつ買いそうです。バターにクリーム、チーズ。蜂蜜もいいですね。個人的にはレバーパテがあると嬉しいです!」
「なるほど。勉強になりましたわ。どれも明日には揃えておきます」
「え、全部? さすがリリアーヌさん、有能ですね」
そういえば、何度か覗いて見たことのあるパン屋ではパンのお供的な物は置いていなかったように思う。
朝一番にお手伝いの子供たちや奥さん方がカゴいっぱいに仕入れて家へ持ち帰るスタイルが殆どだったので、あまり選ぶ楽しさはないのかもしれない。
「パン屋さんで何を買おうか迷うのも、楽しい時間なのに。もったいない」
単体でそのまま食べられるパンがあまり無いことも理由のひとつかもしれないが。
(エドがお惣菜パンやクリームパンなんかのレシピを渡したら、そのうちイートインスペースもできたりして)
焼き立てのパンを美味しそうに食べる客は、きっと店の良い宣伝にもなると思う。
(まぁ、このパンの香りがいちばんの宣伝かもしれないけど)
香ばしい小麦の香りが周囲に漂い、さっそく開店前の店に人が集まってきた。
良い流れだ。このまま試食会を始めてお客の胃袋を掴んでしまおう。
あまり試食の種類が多すぎても混乱を招きそうだったので、今回の試食は店の目玉商品とする予定のバゲットとフォカッチャ、イングリッシュマフィンだ。
テーブルの上に三種類のトレイを置き、一口サイズにしたパンを載せていく。
前世日本では試食品には楊枝やピックを用いていたが、ここは異世界。
ゴミが増えるのも困るので、そのまま摘んでもらうことにした。
開店の十五分前。店の前にはパンの香りに釣られた五人ほどの客がいる。
ちょうど良いタイミングだ。さっそく『おしごと』を始めよう。
口角を上げて笑顔を作ると、ナギは開店を待つ人たちに声を掛けた。
「パンの試食はいかがですか?」
◆◇◆
新人冒険者のピーターはギルドに向かう道筋で、ふと足を止めた。
香ばしくて、良い匂いがする。
何だろうと思って、そちらに足を向けると、何人かが店の前で落ち着かなげに佇んでいた。
ああ、パン屋か。木製の看板を見て、納得する。つい先日まで、ここは空き店舗だったが、新しくパン屋が開店するらしい。
朝食はいつも屋台で買っていたが、せっかくなので、ここで買ってみようかと考えた。
良い匂いがするし、ガラス窓越しに職人がせっせとパンを焼く様子が見えたのだ。
焼き立てが食べられるのは嬉しい。
(別に、店の前にいる女の子が可愛いからじゃないし?)
自分は焼き立てのパンを買いに来ただけだ、という顔をしてそっと列の最後尾についた。
それにしても、本当に可愛い子だな、とこっそり横目で眺めながら思う。
濃紺色のワンピースとフリルがついた白いエプロン姿の店員だ。
蜂蜜色の髪は三つ編みにしており、白いフリルのヘッドドレスも愛らしい。
ほっそりとした華奢な体格で、自分たちの周りにいるガサツな女性冒険者と同じ生き物だとは到底思えない。
白い頬は滑らかで、くるりと巻かれた金色の長い睫毛が印象的だった。
瞳は澄んだ空の色で、まるで妖精みたいな女の子だ。
こっそりと見惚れていたら、ぱっと顔を上げた。視線が合う。と、少女はにっこりとピーターに向けて可憐な笑みを浮かべた。
「パンの試食はいかがですか?」
どうやら、もうすぐ開店する店のパンを味見させてくれるらしい。
「え、いいの……?」
「もちろん! ちゃんと味見をした方が、好みのパンを買えて幸せでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
市場でたまに果実を味見させてくれることはあるが、まさかパンをタダで食わせてくれるとは。さすがエイダン商会のパン屋だが。
「味見のパンだけ食って買わない奴が多いと思うよ? 絶対に損するから、配らない方がいいんじゃないか」
可愛いらしい少女が食い逃げされて傷付いたら気の毒だと、思わず助言してしまったが。
「大丈夫ですよ。気に入ったら、きっと皆さん買ってくれると思います!」
にっこり笑顔で、トレイを差し出された。
美味しそうなパンだ。かなり小さくカットされているが、味見には充分な大きさだろう。
「これはガーリックバターを塗ったバゲットです。バターなしで、スープと一緒に食べても美味しいんですよ」
ガーリックの香りと少女の笑顔に釣られて、ピーターはおずおずとパンを手にした。他の客たちも寄ってきて、嬉しそうに頬張っている。
「ん! なんだこれ、パンが硬くない……!」
「しかも美味い!」
見た目は硬そうなのに、口に含むと意外と柔らかだ。焼き立てなのか、ほんのり温かく、熱で溶けて染み込んだガーリックバターが良く合っている。
「冒険者さんですか? 野営の際に少し火で炙るだけで、食べやすくなりますよ」
「うん。これはいい。バゲット、だっけ?」
「はい! あ、こっちも試食をどうぞ。これはフォカッチャです」
差し出されたのは、少し平たいパンだ。塩のような物と液体がかかっている。
「これは?」
「塩とオリーブオイルです。フォカッチャだけでも美味しく食べられるんですけど、オリーブオイルで食べると、とっても美味しいんですよ!」
「お、おう。分かった」
力説されてしまい、気圧されながら、その平パンを手にする。オイルの香りが食欲を引き立てており、こくりと唾を飲み込んだ。
口に放り込んで噛み締めると、先ほどのバゲットよりも柔らかく、もっちりとした食感に驚いた。
パンの味自体はシンプルで、素朴な風味だが、オリーブオイルと塩のおかげで美味しく食べられる。
「いいな、これ。ワインと一緒に食いたくなる」
「肉との相性も良さそうだ」
試食した客たちにも好評だった。
こんなに美味いパンなのだから、それも納得だ。いつも食べている硬くて酸っぱいパンは何だったのだろう。
ピーターは夢中でフォカッチャを咀嚼し、飲み込んだ。口の中にオリーブオイルの後味が残り、途端に物足りなさが襲ってくる。
それは目の前の中年の男もそうだったようで。
「嬢ちゃん、もう一個……」
「ダメですよー。試食は一人、一個ずつです! そのかわり、もう一品こちらをどうぞ」
「おお……! まだあるのか」
「俺も欲しいぞ」
「私も食べてみたいわ」
気が付けば、少女の周囲には大勢の人だかりができていた。
慌てて、勧められたパンを口に放り込む。
「ん! なんだ、これ。うまっ!」
思わず叫んでしまった。それほどに美味かったのだ。
パンは先ほど食べたフォカッチャとやらと似た平パンだったが、食感が全く違う。
もちもちしたフォカッチャと違い、このパンは少しパサパサした生地だった。だが、不味くはない。
表面を炙っているのか、独特のカリカリっとした香ばしさがピーターの好みだった。
しかも、贅沢なことにクリームが塗られていたのだ!
「ふふ。気に入りました? これはイングリッシュマフィンといいます。バタークリームとバナナのサンドイッチにしてみました」
「バタークリーム……」
「美味しいですよね、バタークリーム。甘いクリームだけじゃなく、ハムや卵をサンドしても合いますよ」
陽だまりの下の花のように微笑む少女に見惚れてしまう。
買います、と気付けば口ずさんでいた。
試食コーナーにわらわらと人が寄ってきたところで、きゃっと少女が小さく悲鳴を上げた。慌てて彼女を庇おうと手を伸ばして──
「大丈夫か、ナギ」
「あ、エド……。私は平気。急にお客さんが寄ってきたから驚いただけ」
黒髪の狼獣人らしき男が、彼女を庇っていた。男がギッ、と周囲を睥睨すると、試食パンに群がってきていた連中が慌てて離れていく。
パン、と手を打ち鳴らして黒髪縦ロールの美女が声を張り上げた。
「試食コーナーにはきちんと並んでくださいませ。まだ数は充分ありますので、落ち着いてどうぞ。……さぁ、エイダン商会直営のパン屋の開店です!」
わっ、と歓声が響く。
まずは売り切れる前にと店へ向かう者、試食に並ぶ者と分かれていく。
すごい人気だが、それも頷ける。
彼女が自信満々に試食を促した理由も。
「こんなに美味しいパン、試食じゃ全然足りないもんな。買ってくるよ」
ピーターがそう言うと、少女が胸を張って笑う。かわいい。これはもう声を掛けるべきだろう。名前を聞いて、休みの日を聞き出して──などとニヤニヤしていると、少女の背後に立つ男から無言で睨み付けられた。
ヒュッ、と息を呑む。こわすぎだろ。
ピーターはそのまま視線を逸らし、慌てて店内に逃げ込んでパンを買った。試食した三品をひとつずつ。
(可愛いあの子には地獄の番犬がいる……)
それはそれとして、パンは美味しかったので、また行こうと思う。
◆◆◆
後半、モブ視点でした!
コメント頂いた、エドが荒れるネタが楽しくて書いちゃいました。笑
ありがとうございます!
掌編・番外編に『ヒスミレ病とクッキー』を書いております。
お茶請けにどうぞ🫖
◆◆◆
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