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〈冒険者編〉
274. パン屋さんです 3
しおりを挟む「ふ、ふふふふ……っ」
笑いが止まらない。
肩を震わせるリリアーヌに、エイダン商会の番頭が呆れたような視線を向ける。
「リリィお嬢さま? 気持ち悪いですよ」
「失礼ね。だって、こんなにたくさん売れているんですもの。笑いも止まらなくなるわよ」
「それはまぁ、理解できます。商人としては心弾む光景ですからね」
それには同意だと、番頭が頷く。
柔らかな物腰の壮年の男性である彼は、優しそうな外見をしているが、大店の番頭らしくシビアな性格をしている。
お金儲けが大好きなところは、商会長の秘蔵っ子であるリリアーヌと良く似ていた。
なので、ナギとエドから齎されたレシピを用いたパン屋が大盛況の今、二人とも上機嫌で客の流れを観察しているのだ。
「パンを焼く匂いで人を寄せ、試食で胃袋を掴む。良い案ですね」
「さすがにホテルやレストランでは通用しない方法だけど。ダンジョンから得た新食材の試食会を開催するのはどうかしら?」
「良いですね。ダンジョン都市内の主だった飲食業のオーナーを集めましょう」
「新食材の扱いにはナギさんが一番詳しいわ。良いレシピを教えてもらわないと」
気軽に調理法を教えてくれようとする少女を説得し、きちんと販売用のレシピを用意させたのはリリアーヌだ。
物には対価がある。安売りをしてはいけないのだと、どうにか説得することができた。
(普通は逆よね? 売り付ける方が高値を付けるものでしょうに……)
なぜか、買い取る側のリリアーヌの方が適正金額を弾き出していた。
もっとも、それだけの金額を支払っても、我が商談はそれ以上の収益が見込まれている。
開店初日である、この半日ほどの売り上げを目にすれば、きっと商会長である父も腹を抱えて笑い出すに違いない。
「ナギさんからのアイデア、パンと一緒に売る品の手配状況は?」
「問題ありません。五種類ほどの果実のジャム、ダンジョン産の蜂蜜、バターにチーズもすぐに用意できます。レバーパテはあまり数はありませんが……」
「パテはこれから、うちのレストランで作らせれば良いわ。バゲットに合う味を研究するように、料理長に伝えておいてください」
「それは楽しみですな。食事はもちろん、あれはワインの肴にも良さそうです」
ナギの側にいると、彼女の斬新な発想が聞けて、とても勉強になる。
試食を配り終えた後、行列の整理を始めた少女は何の気なしに、イートインスペースについて「あれば良いのになぁ」と呟いた。
これはお金の匂いがする! 瞬間的にそう理解したリリアーヌは速攻で飛び付いた。
それは何? としつこく聞き出したところ、「買ったパンをその場で食べれると楽しいですよね?」などと言う。
店内は狭いから、店の外にテーブル席を用意して、そこで食べて貰えば良いのではと提案された。
(焼き立てのパンと一緒にバターやチーズ、ジャムも売れそうね。ジュースなどの飲み物もついでに売れば、地味に稼げそうだわ。人が美味しそうに飲み食いしていると、釣られて客も店に入ってくるだろうし……)
レストランやカフェよりも手軽く、買いやすいパン屋ならではのイートイン。
悪くない。
今はまだ、パンを買い求めて殺到する客を捌くのに精一杯だが、落ち着いたら、テーブル席を用意してみよう。
「少年のパン作りの腕も素晴らしいが、彼女の発想は興味深いですな」
「ふふ。そうでしょう? なにせ、私の恩人ですからね」
素晴らしいアイデアの数々にはきちんとお礼を渡さなくては。
冒険者として稼いでいる彼女たちは金銭よりも他の物を喜びそうだが。
彼らが珍しい食材や香辛料などに目がないことは、既にリリアーヌは把握していた。
食いしん坊な彼女たちらしい。
もっとも、その飽くなき求道心のおかげで、美味しい物をお裾分けして貰えるので、感謝している。
店の二階、事務所から見下ろす先にはパン屋を手伝うナギの姿が良く見える。
列を整理して、パンの補充の手伝い。手間取っている販売員の代わりに素早く計算までしてくれている。
笑顔の愛らしい、くるくると良く働く少女は人目を引いており、積極的に声を掛けてくる若者も多い。
そのたび、彼女の自慢の番犬が駆け付けて追い払う姿が拝めて、面白い。
「エドさんも苦労するわね……」
男性恐怖症を乗り越えたリリアーヌは、ナギの相棒である少年とも、ちゃんと挨拶を済ませている。
必要以上に近寄ろうとしない、寡黙だが礼儀正しい少年には好感を覚えた。
さすが、ナギの相棒ね。そう感心した。
テーブルにはナギが考案したパンの試食メニューが置かれている。
リリアーヌはフォークを使い、まずはガーリックバター味のバゲットを口にした。
「美味しいわ。これはレストランでも出したい味ね」
「フォカッチャもホテルで出したいです。オリーブオイルで食べるとは面白い。肉料理だけでなく、魚料理とも相性が良さそうです」
「お父さまに相談してみましょう」
最後に試食するのは、イングリッシュマフィン。他の二つのパンと違い、こちらは甘いクリームとフルーツを添えてある。
主食というより、デザートに近い。
そっと口に運んで、確かめるようにじっくりと咀嚼する。
もったりとしたクリームは少し重めだが、とても美味しい。
「……素晴らしいわね」
「ええ、パンも勿論ですが……」
二人して無言で見下ろしたのは、クリームだ。ナギはバタークリームだと言っていた。
「バタークリームのレシピも買い取らないといけないわね」
「生クリームよりも長持ちすると聞きました。パンもですが、菓子にも使えそうですな」
濃厚なバタークリームの味に、二人はすっかり夢中になっていた。
「売るわよ」
「売りましょう」
二人は笑顔を交わし合い、仕事終わりにナギへ声を掛けることを決めた。
◆◇◆
エイダン商会直営のパン屋は大盛況だった。
パン工房では窯の火を絶やすことなく、ひたすらパンを焼き続けて対応していた。
試食コーナーのおかげで、興味をもった人々がパンを買ってくれた影響も大きい。
ちなみに無料のパン目当てで試食した連中も、その味に陥落して購入してくれたので、密かに心の中でガッツポーズを取ったのは内緒だ。
朝から午後三時までの営業予定だったが、午後二時を過ぎたところで完売した。
開店記念的な客入りもあったのだろうが、初日の出だしとしては上々だと思う。
店内の片付けを手伝っていると、エドが工房からやって来た。
疲労困憊といった様子だ。
「エド、大丈夫? もしかして、ずっと焼いていたとか……」
返事をするのも億劫なのか。
エドが無言で顎を引く。よく見れば、コックコートもしっとりと汗ばんでいる。
ナギはそっと浄化魔法を掛けて綺麗にしてあげた。
「すまない」
【生活魔法】は転生特典でエドも使えるのだが、使う暇もなかったのだろう。
「……もしかして、昼食も食べていないんじゃない?」
「ああ。トイレに行く暇もなかった」
思ったより過酷な現場だったようだ。
冒険者として肉体労働に慣れているエドがこの様子。そっと覗いてみた工房では、パン焼き職人が床に倒れ込むようにして爆睡していた。
「わぁ……。これ、明日は大丈夫なのかな?」
「ダメそうですわね。お父さまに連絡して、人手を増やすことにします」
心配そうに見詰めるナギの背後から、凛とした声音が降ってくる。
この頼もしい発言の主は、リリアーヌだ。
「工房もですが、店頭の売り子も増やしましょう。あと、試食コーナーもナギさんだけでは厳しそうなので、人を増やします」
「それと、入り口周辺に冒険者の護衛も置いておいた方がいい」
エドの提案に、リリアーヌも頷いた。
「そうですわね。強面の用心棒がいれば安心です。暇そうなら、行列整理をお願いすれば良いし……」
頭の回転が早く、権力のある人が現場にいると、とても心強い。
「それはそうと、ナギさん。相談があるのですが、エドさんもご一緒に軽食などいかがでしょう?」
「「喜んで!」」
昼食を食べ損ねたエドと、おやつを期待したナギの返答がかぶってしまった。
リリアーヌがくすりと笑う。
エイダン商会が経営する高級レストランの魚介料理は繊細な味わいで、とても美味しかった。ふんだんに使われたスパイスが絶妙で、ナギはその味を覚えようとしっかり味わうことに専念する。
未成年のため、ワインが飲めないのがつくづく残念だった。
(白ワインと合いそうなシーフード料理だったのにー!)
残念ながら、少年少女の前に置かれたグラスにはリンゴジュースの炭酸割りが満たされていた。タンサンの実、大活躍だ。
リリアーヌ嬢からはバタークリームのレシピをねだられ、なんと金貨五枚で買い取ってくれた。
(五十万円。バタークリームのレシピが⁉︎)
しかも、今日頑張って働いてくれた分のボーナスとして金一封と珍しい食材を譲ってくれることになった。
可愛い子猫ちゃんたちのために、しばらく冒険者活動を休む予定のナギに取っては、ありがたい話だ。
ナギは笑顔でリリアーヌと握手を交わした。
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