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〈冒険者編〉
281. パン職人? 2
「無理だ。その手ではパンを作れない」
パンを作りたいと訴える猫を、真顔のエドが優しく諭している。
ナギはそっとコテツの手──前脚を見やった。ふっくらとした、チョコレートパンのような前脚。ふかふかで、とても愛らしい。
魅力的ではあるが、エドの言う通り、この手ではパン生地を捏ねるくらいしかできそうにない。
だが、当のコテツは諦めがつかなかったようで「つくれるもん!」と譲らなかった。
「でも、コテツくんじゃ、キッチンでの作業も大変でしょう?」
ナギもエドの援護射撃にまわる。
可哀想だが、諦めは肝心だ。人間用のキッチンは猫には使いにくい。
それに、どうしても衛生的に気になった。
(前世ならビニール手袋があったけど、ここにはビニールがないから……)
猫の手で生地を捏ねる姿を想像すると、とんでもなく可愛らしいが、やはり抜け毛が気になる。
『それなら大丈夫にゃっ!』
たが、ナギが丁寧に説明してあげると、ぱっと顔を輝かせた。
身軽くダイニングテーブルから飛び降りると、コテツは何やらニャムニャムと呟き始める。
なんだなんだ、と子猫たちが寄ってきた。
皆が注目する中、コテツの輪郭が揺らぎ始める。淡い緑色の光を放つと、キジトラ柄の猫はその姿を変えた。
「ええっ……⁉︎ まさか、獣人……?」
現れたのは、身長120センチほどの二足歩行の猫だった。
同じキジトラ柄の毛皮、翡翠色の瞳をしているが、大きさが違いすぎる。
「いや、人は混じっていないから、獣人ではない」
驚いてはいるが、意外と冷静だったのはエドだ。ナギは驚愕に目を瞠り、立ち尽くしてしまっていると言うのに。
『変化にゃ。長く生きたケットシーは大きくなれる』
えっへんと胸を張る姿は、等身大サイズのリアルな着ぐるみにしか見えない。
文句なしに可愛らしかった。
「……む、その身長なら、テーブルでの作業は可能だな」
「エド? エドさん?」
「ああ、そうだな。食べ物に猫毛が混じるのは困るから、やはり──」
やんわりと断ろうと口を開いたエドを、コテツの大きくなった前脚が遮った。
弾力のある肉球に口を塞がれてしまったエドはそのままの姿勢で硬直している。
『それも大丈夫。こうすれば、ヘイキ』
「え……? それは、まさか──魔力の膜……っ?」
ナギが驚いたのも無理はない。
二本足で器用に立つ巨大な猫の前脚が魔力で覆われていたのだ。
転生特典で、とんでもない魔力量を誇り、エルフの師匠から魔法の英才教育を受けているナギだからこそ、視ることができたそれに絶句する。
(体内に魔力を巡らせる方法とも違う。どちらかと言えば、【身体強化】に近い魔力の使い方だわ……)
身体の表面に魔力を纏い、直接対象に触れないようにしているのだろう。
「……たしかに、その方法なら猫毛がパン生地に紛れ込むことはなさそうね」
ここまでしてパン作りに情熱を感じるのならばと、ナギは説得を諦めた。
衛生状況が気になるなら、浄化魔法をこまめに使えばいい。
この多才な猫の妖精は生活魔法に長けているので、そのくらい余裕でこなせるだろう。
そんなわけで、エドはコテツのパン作りの師匠となった。
◆◇◆
パン作りに向いているのは、強力粉だ。
同じ小麦粉でも薄力粉はクッキーやケーキ、天ぷら作りに向いている。
ナギは前世の記憶があったので、これを知っていた。
そのため、市場で購入する際に、念入りに【鑑定】をして小麦粉を購入している。
(強力粉は硬質小麦からできている。薄力粉は軟質小麦。どちらもよく使うから、たっぷり仕入れているけれど)
エイダン商会のパン工房は、ちゃんと上質の強力粉を使っていた。
おそらくは商会に【鑑定】スキル持ちがいるのだと思う。
おかげで、美味しいパンが食べられるので嬉しいかぎりだ。
ともあれ、今はその強力粉を使って、エドのパン教室が開催されている。
受講者は猫とナギのふたりだけ。
猫の妖精のコテツには、ナギが十歳の頃に愛用していたエプロンをプレゼントした。
フリル付きの白のエプロン姿の二足歩行の猫は、どこぞの遊園地にいる着ぐるみのマスコットキャラにしか見えない。
真剣な表情で、パン生地を捏ねている。
「そうだ。巧いぞ。ダマがなくなるまで丁寧に混ぜるんだ」
「ニャッ」
もみもみ、こねこね。
器用に両前脚を使って、丁寧にパン生地を捏ねる姿は職人にしか見えない。
思わず「パン職人の朝は早い……」とナレーションを入れたくなるほどに、その姿は堂に入っている。
前世のようにビニール手袋がないため、コテツは自力で編み出した方法で前脚を包み込んでパン生地に触れていた。
ナギの目には淡く光って見える、魔力の膜だ。
「すごーく便利な技よね。私もマスターしたい……」
極めれば、魔力の盾なども作れそうだし、何よりビニール手袋代わりになるのが、とても素晴らしいと思う。
そんなわけで、エドのパン教室に参加しつつ、ナギはこっそり魔力膜を張る練習をしているのだが。
「む、むずかしすぎる……」
魔力を巡らせようとしたら、なぜか【身体強化】スキルが発動してしまうのだ。
これは今まで以上に微細な魔力操作が必要になる技だと気付く。
「今日のところは諦めて、普通にパンを作るわ……」
せっかくなので、【身体強化】スキルを発動させて、パン生地を捏ねる。パン作りには腕力が必要なので、ちょうど良い。
濡れた布巾をかぶせて、発酵させている間に、ナギはお惣菜パン用の具材を用意することにした。
ちなみに今回はシンプルなテーブルパンのレシピをコテツに教えている。
「ツナマヨ、マヨコーン、ベーコンとチーズ入りのパンはマストよね」
小腹が空いた時はもちろん、ダンジョンでのランチでも大歓迎されるお惣菜パンだ。
「蜂蜜チーズ入りのパンも美味しそう……」
野菜と肉を細切れにしてパンで包んで焼き上げるのも良いかもしれない。おやき風のパン。栄養バランスも良さそうだ。
もちろんソーセージも忘れていない。
串に刺したオーク肉ソーセージにパン生地を巻き付けて焼いたら、絶対に美味しいと思う。
口元を緩めながら、せっせと具材を用意していると、どうやら発酵が完了したようだった。
台の上で膨らんだパン生地を軽く押し、ガス抜きをしたら、分割して丸めていく。
ふかふかのニャンコの前脚で器用に丸める様はまるでファンタジーな絵本のよう。
オーブンの天板に丸めたパン生地を並べていき、ここで二次発酵。
濡れた布巾をめくって、ひとまわり大きく育っていたら発酵完了だ。
「あとは、予熱しておいたオーブンで焼くだけだ」
「ニャ」
こくん、と頷くエプロン姿のニャンコ。
いそいそと天板をオーブンにセットして、魔道具を発動させる。
よほど楽しみなのか、オーブンの前に陣取って離れようとしなかった。
尻尾が楽しげに揺られている様を微笑ましげに見守りながら、ナギはエドと二人でお惣菜パンを仕込んでいく。
ツナマヨパンにコーンマヨパンは多めに仕込んだ。これは皆大好きなパンなので、差し入れ用に。
ベーコンチーズパンはエドの好物。
オーク肉のソーセージパンはとっておき。いくつか仕込んでおけば、冒険者仲間への賄賂にちょうど良い。
(賄賂って言うと、人聞きが悪いわね。散らつかせて「お願い」すれば、大体皆協力してくれる魔法のアイテムかしら)
今回はそのソーセージパンに更にチーズも添えた豪華版を焼くことにした。
これがあれば、ミーシャやラヴィルにも「お願い」をねだることができるだろう。
せっせと様々な種類のパンを仕込んだところで、第一弾のテーブルパンが焼き上がった。
こんがりと美味しそうな、きつね色のパンだ。焼き立て特有のほんのり甘い、香ばしい香りに皆の喉が鳴る。
「……せっかくだし、皆で味見しちゃおうか?」
「賛成」
『あじみ!』
焼き立てのパンをそっと指先で摘み上げる。熱々だ。半分に割って、かぶりつく。
「美味しい! ふわっふわの焼き上がりね」
「ああ、初めてでこの出来なら、才能がある」
表面はパリッとしており、香ばしい。焼き立ては驚くほど柔らかかった。冷えると硬まるので、焼き立てのうちに収納する。
コテツは瞳を細めて、初めて焼いたパンを幸せそうに頬張っていた。
「じゃあ、どんどん焼いていくわよ」
仕込んだお惣菜パンは大量にあるのだ。
焼き立てのパンにすっかりハマったらしいコテツが手伝ってくれたおかげで、【無限収納EX】にはたくさんのパンを保管できている。
その日から、我が家のパン職人が増えた。
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