売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹

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はじまりの場所

はじまりの場所(4)

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 ふいにラインハルトが立ち上がり、ユリウスの前に片膝をついた。
 跪いた王弟殿下に見上げられる形になってしまう。

「で……殿下?」
「以前のようにライニと呼んでくれ」
「ライニ様、腰を上げてください!」

 わけがわからずユリウスは慌てて柵から腰を上げたものの、真剣な眼差しに射抜かれたように体が固まり、身動きが取れなくなった。

「あのとき……、エイギルの結婚式で、お前が人の輪から外れて、庭の片隅に行ったとき……、気になって、こっそり追いかけたんだ。泣いているお前を見て、ほうっておけなかった。たぶんあのときから……、俺に気づきもしないお前に、俺のことを見てほしいという気持ちがあったんだと思う」

 夕焼けが濃い陰影を落とした顔は、必死さの中に焦りや不安も滲ませている。
 ふいに、既視感のような懐かしさが、胸に広がった。その不器用さを、ずっと前から知っていた気がする。従僕として仕えるよりも、ずっと前だ。

「その後も、弟に剣の稽古をつける約束をしていたからと言い訳して、長期休暇のたびにイェーガー家に足を運んでいたが、お前に避けられていることは明らかだった。だから、俺でなくても、お前が誰か好きな相手と結婚して、幸せになってくれるのなら、それでよかったんだ……。だが、都でお前と暮らし始めてからは……、嫌われてはいないことがなんとなくわかって、欲が出てきた」

 ……なにを……言っているのだろう……。

 理解が追い付かないのに、心臓だけが急に加速していく。

 言葉が途切れ、再び覗き込んできた眼差しに、吸い込まれるような錯覚を覚える。
 距離の近さがおかしい。今すぐ離れないと、と思うのに、足元がふわふわしておぼつかない。

「ユーリが好きだ。今までも、今も、これから先も、ずっと。俺にはユーリだけだ。ユーリを愛している」

 夢を、見ているのだと思った。
 随分と自分に都合のいい夢だ。
 けれど、かろうじて動かせた手をそろそろと上げ、頬を思いっきり抓ってみたら、めちゃくちゃ痛かった。

「ばか! 何やってるんだ!」

 ラインハルトが慌てて腰を上げ、ひりひりと痛む頬を優しく撫でてくれる。

 痛いけど。夢じゃなさそうだけど。
 でもやっぱり、いま目の前で何が起こっているのかはわからない。
 わからないのに。張りつめていたものがゆるみ、最初の一粒が零れ落ちたら、次に次に新たな涙が溢れてきた。
 溢れて、溢れて。

 自分でも説明できない感情が濁流みたいに押し寄せてきて、胸がいっぱいになった。
 こんなに自分に都合のいいことが起きていいのだろうか……。
 いや、起きるはずがない。
 ライニ様のような人が、優秀な王弟殿下が。こんな見た目もいまいちで、何のとりえもない、平民のオメガを好きだなんて……。

「ユーリ……。抱きしめてもいいか?」

 涙でぼやけた視界で、ラインハルトが不安げに視線を揺らした。

 いいのだろうか……。わからない。でも――……。
 抱きしめて、ほしかった。

 頷くと同時に、体があたたかな腕に包まれる。
 汗の匂いの混じった大好きな香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。

 好きだ……。
 ライニ様のことが、好き。大好き。

 僕も――……。

「……好きです…………ライニ様のことが…………」

 ずっと言えずにいたはずの言葉が、気づいたときには舌から零れ落ちていた。どうして今まで言えずにいたのか不思議に思うほど、気負いなく、するりと。
 好きです。大好きです。今までも、今も、これから先も、ずっと。
 僕にも、ライニ様だけなんです。
 そう何度も繰り返し言いたかったけど。
 喉に何かが詰まったみたいに上手く呼吸ができなくて、たくましい胸に顔をうずめて嗚咽を堪えることしかできなかった。

 後ろ髪を擽られ、あやすように背中を上下に撫でられて。
 耳に、吐息の熱が触れる。

「ユーリ……、キスをしてもいいか?」
「そういうことは……、いちいち訊かないでください」

 顔が赤くなるのがわかる。

「すまない。従僕だったときのくせで……」

 笑った吐息をつむじに感じた。
 少し体を離し、顔を上向かせられる。
 初めてのキスは、頭を撫でるときの彼の手と同じで、どこかぎこちなく、でも、触れ合う場所からじんわりとあたたかさが広がっていった。

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