推しの恋を応援したかっただけなのに。

灰鷹

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吉と出るか凶と出るか

泣いている暇はない

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 震える指先で血に濡れた布を捲れば、深く裂けた傷口が見える。
 ふっと血の気が引き、目の前が暗くなる感覚に襲われ、膝から崩れ落ちた。背中を冷や汗が伝い、胸がきしむほどに心臓が激しく脈打つ。

「カイン、死ぬな! お前が死んだら、誰がセレナを守るのだ!?」

 皆の前では従者のふりをして「カイン様」と呼んでいたことも忘れて、すっかり取り乱していると、地面と頭上から同時に声がした。

「勝手に殺すな」
「そのままでは生きられる命も生かせなくなりますよ」

 苦しげな声はカインのもの。頭上の冷ややかな声は、セルペンスのものだった。
 セルペンスは俺を押しのけるようにして跪くと、顔色ひとつ変えずに、カインの傷を負ったほうの騎士服の袖を短剣で切り取り、それを使って手際よく傷口を縛った。

「かすり傷だ。大したことはない」

 傷を縛られた瞬間は低く呻いたカインも、肩で息をしながらそう言葉を絞り出す。
 かすり傷というには、その顔は完全に青褪め、こめかみには大量の汗が滲んでいる。

「縫合用の針と糸は持参しておりますが、できれば場所を変えたほうがよいでしょう。日が暮れれば、血の匂いを嗅ぎつけて獣が寄ってきます」

 普段と変わらぬ冷静さを見せるセルペンスの姿に、俺も多少は落ち着きを取り戻した。

「確かにそうだな」

 森の中にいるため太陽の位置はわからないが、木々の葉の隙間から覗く空は、すでに夕焼け色に染まり始めている。
 前に進んでも引き返しても、日暮れまでに森を抜けることは難しそうだ。こんな深い森だから、狼の群れや熊がいても不思議ではない。
 見回す限り、騎士たちは皆、地面に寝ているか座り込んでおり、動けそうなのは俺と〈影〉の兵くらいだった。獣に襲われたら、更に犠牲者が増えるだろう。


「えーっと、さっきの……。あっ、君!」

 俺は倒れている賊の間を動き回り、先ほど戦闘の中でアキレス腱を切った男を見つけ、駆け寄った。

「君たちのねぐらはここから近いのか?」

 男が上半身を起こすも、俺を睨みつけるのみで返事はない。
 あのときは背後から切りつけたため顔までは見なかったが、よく見るとその顔はまだ幼く、俺とそう変わらない年頃に見える。

「もし、近くにねぐらがあって、穴を掘る道具があるなら、貸してくれないか? このままでは亡くなった者たちは獣の餌食になってしまう。それから、できれば今夜は俺たちも、そのねぐらに泊めてほしい」

 青年は少しだけ迷うような表情を見せた。

「君もすぐには歩けないだろうし、このままでは獣の餌食だぞ」

 返事がないことに苛立ち、つい脅すような言い方をしてしまった。
 青年は、「はっ」と鼻で笑う。

「さっき俺を殺さなかったのは、そのためか? ねぐらに案内したとして、どうせ俺はその場で殺されるのだろう? 獣に襲われるのも、同じことだ」

 あからさまに憎悪を向けられたのは、初めてだった。眼差しの暗さに一瞬怯んだが、懇切丁寧に説得している時間はない。

 俺は懐から通行証を取り出すと、青年にそれを差し出した。
 
「これは旅をするための通行証だ。これがなければ俺は都に帰れない。これを預けておくから、もし、誰かが君に危害を加えるようなことがあれば、これを破り捨てればよい。『盾』と言えるほどの効果はないが、お守りくらいにはなるだろう?」

「お守り?」

「えーっと……。そうだな。魔除けのようなものだ」

 それでも自分からは手を伸ばさず、懐疑的な表情を崩さない青年の手を取り、無理やりそれを握らせた。

「レオと、それから、フォルナクス――」

 〈影〉の中で、最も力のありそうな大柄な二人に声をかける。

「この者を連れてねぐらに行き、穴を掘る道具を借りてきてくれるか? これだけの人数を埋めねばならない。なるべく道具は多いほうがよい」

 俺が行ってもよかったが、道具を運ぶのなら、力のある者のほうが適している。

「我々は、殿下のお傍を離れるわけにいきません」

 二人のうち年長のレオが返事をする。

「王子の命令だ。『否』は許さぬ」

 今まで使ったことのない強い口調で言うと、二人は顔を見合わせ、「御意」と一礼した。

 俺は青年の前に、片膝をついた。
 会話から俺が王子だと気づいたのか、わずかに毒気を抜かれた顔になっている。

「君の仲間たちの亡骸も埋めるには、時間がない。頼む。協力してくれ」

 返事を待たずに、レオが細身の体を軽々と担ぎ上げた。

「いっ、いたたた! おいっ、俺は足を切られてるんだぞ!」

 顔を顰める青年に、レオが冷たく言い放つ。

「その足を切り落とされたくなかったら、さっさとねぐらに案内しろ」

 レオは青年を馬に跨らせ、続けて自らもその後ろに飛び乗った。フォルナクスは無言で空いていた馬に跨り、二頭の馬は駆け出していった。


「動ける者は、負傷者の手当てをしてくれ。賊の中にも助かりそうな者がいたら、手当てをしてやってくれ」

 全員に呼びかけてカインの元に戻ると、セルペンスは近くの枯れ枝を集めて焚き火を起こしていた。

「その傷では馬に乗ることも難しい。ねぐらは馬車で行けるような場所ではないだろうから、ここで傷を縫ってもらったほうがよい……と思ったのだが……」

「そう仰ると思って、準備をしておりました」

 セルペンスは変わらぬ冷めた口調で返し、焚き火の火に短剣を翳す。

「何か俺にできることはあるか?」

「傷を焼いて止血し、縫合します。相当な痛みを伴いますので、人を集めて、カイン様が暴れぬよう押さえつけてください」

 話を聞いただけで、俺なら耐えられそうにないと思った。
 けれど、「わかった」と言う前に、カインの声がそれを遮る。

「押さえつける必要はない。その程度の痛み、一人で耐えられる。だから、急ぎ、他の者の手当てを頼む」

 一瞬、視線が交わる。
 カインは青褪めた顔で、痛みを堪えるように、眉間に深い皺を寄せている。それでも俺を安心させるように、ほんのわずか目元を和らげてみせた。

 視界が滲みそうになり、俺は慌てて視線を逸らせた。
 今は泣いている暇はない。

「わかった。では俺も、負傷者の手当てに回る。手が要るときはいつでも声をかけてくれ」

 俺と〈影〉の兵を除き、ほとんどの者が傷を負い、深手の者も少なくなかった。残りの〈影〉の兵であるノクスとコルヴス、それに軽症の騎士にやり方を教わりながら、俺も傷の手当てをして回った。
 あちらこちらで呻き声があがっていたせいで、カインの苦痛を堪える声に胸を痛めずにすんだのは、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。




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