嫌われオメガは死に戻った世界でベータに擬態する

灰鷹

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完結後番外編

【書籍刊行記念SS第五弾】 番になりました②

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 ベビーベッドの光希は、変わらず健やかな寝息を立てていた。
 頬や首に触れ、熱がないことを再度確認してから、ベッドの上に三間の服をドーナツ型に並べる。ドーナツの真ん中に体を横たえ、アンダーシャツを顔へと引き寄せた。

 直接肌に身につけるものだからか、上品なトワレの香りに混じり、大好きな匂いをより濃く感じ取れる。それは以前に嗅いだ、発情期ヒートに煽られたアルファの匂いとも全然違う。
 いつも抱きしめられたときに三間からふわりと立ち上がるのと同じ匂いで、もしかして幸せフェロモンというか、幸せを感じたときにだけ放たれるたぐいのものならいいなと秘かに思っていた。
 
 発情期ヒートの情欲は自分の奥でくすぶっているが、まだ予兆程度で気を逸らせば耐えられる。三間の匂いに意識を集中させ、彼を送り出したときにハグをされたことを思い出していると、やがて睡魔が襲ってきた。
 うつらうつらとしながらも、光希のことが気になる気持ちが眠気に抗おうとする。
 どろりとした暗闇に包まれ、なけなしの意識が必死にもがいているような感覚には覚えがあった。
 遠い昔にも、長い間、そんなくらく澱んだ泥沼にいた気がする。

 ……そうだ。あれは確か…………。



 必死に目を開けようとするのに、くっついた瞼をどうしても動かせない。瞼だけでなく、手や足までもが、石のように固まって微動だにしない。途方に暮れていると、暗闇のどこからか声が聞こえてきた。声色は二つ。近くで二人の男性が会話しているようだ。

『……咄嗟にお腹をかばったようです。頭をかばっていれば、脳内の出血は免れたかもしれません』

『お腹の子は無事だったんですか?』

『今のところ心音は正常で、胎児に明らかな異常は見つかっていません。ただ、胎児が大きくなるにつれ、母体への影響も大きくなります。柿谷さんが無事に妊娠の満期を迎えることは、かなりの確率で難しいでしょう。母体の延命を考えるなら、妊娠中絶が望ましいですが……、薬で中絶できる時期は過ぎていて、方法は手術しかありません。ですが……、唯一の近親者である叔父さんが同意されていないので、現状それも難しいです』

『何故、叔父さんは同意されないのですか?』

『それは……』

 答えが返ってくるまでに、わずかに間が空いた。

『その……、自然の経過を望んでおられるようです』

 話の内容からして、苦しげな声の主は医者なのだろう。
 『自然の経過』と言われたら聞こえはいいが、要は妊娠による影響が増し、母体が耐えられなければ、母子ともにそこで終わりでいいだろうということだ。『自然の経過』より、『自然な死』と言ったほうが正しいように思える。
 そんなふうに考える意識が、いつのものなのかは自分でもわからない。会話を聞いている僕の中にあるようで、もっと先の未来で、記憶を掘り起こしているようでもあった。
 ただ一つわかることは、その会話が僕自身に関する話だということだけだ。

『……ですが、胎児も一人の人間として尊重するなら、このまま母子ともに容体が悪化していくのを待つのは、人道に反するのではないかという意見も医療者側にはあります。母体がこれ以上回復することは難しいですが、胎児は、生まれて来る時期によっては、予後も期待できます。……目安となるのは、22週です』

『22週?』

『妊娠週数22週を越えると、法律上、中絶はできません。妊娠の継続が母体に重篤な悪影響を及ぼすと判断した場合、中絶ではなく出産を選択する必要があります』

 22週――その言葉だけは、何故か鮮明に覚えていた。
 でも、ここではない、もっと別の場所で聞いた気もする。

 沈鬱な声が、言葉を続ける。

『当院では、患者の生命に関わる場合、同意なしでも処置や手術を行う方針としていて、それについては叔父さんも了承されています。院内で倫理委員会を開き、もし、母体が妊娠22週以降まで耐えられるようなら、帝王切開での出産を検討したいと考えています。最低22週、できることなら24週まで頑張ってくれたら、そういう選択肢もあります……。ただ……、それはそれで、生まれてきた子を誰が育てるかという社会的問題も発生しますが……』

 会話が途切れたのか、しばらくの間、無音が続いた。
 眠りが深くなっただけかもしれない。

 重くどろりとしたものがねっとりと体に纏わりつき、ずぶずぶと泥沼の底に引きずり込まれていく。
 苦しくはなかった。ただ、意識がぼんやりとかすんでいくのを感じる。

 ……22週……。
 この子を一人ぼっちで残していくくらいなら、いっそのこと、それを待たずに二人で逝ったほうがよいのだろうか……。
 
 薄れゆく意識で、そんなことを思ったとき――手の甲に、あたたかなものが触れた。
 それが人の手のぬくもりであることは、肌が覚えていた。
 乾いた肌を優しくさすられ、指と指の間をきゅっと軽く握られる。

『なつ……、お前はどうしたい?』

 先ほどよりもずっと近くで、声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。
 いつも耳にしている。ついさっきも耳にした。子宮に響く声だと、そんなことを思った記憶がある。それなのに、何故か無性に懐かしくもあった。
 
 ――会いたい。
 今すぐ彼の顔を見たい。そうすれば、すぐに安心できることはわかっているのに。重い瞼はピクリとも動かない。 

 もしかしたら僕は一生、このまま彼の顔を見られず、彼と話をすることもできないのだろうか……。
 そう思ったら、心にぽっかりと大きな穴が開いたような、とてつもなく寂しい気持ちに襲われた。

 もう一度だけ、最後に会って、お別れを言いたい。
 そう願ったのは、いつのことだったか……。

『俺は……、どうしたらいいんだろうな。自分がどうしたいのか、自分でもわからないんだ。だから、もう少しだけ時間をくれないか? 早まらずに、もう少しだけ、待ってほしい』

 待つ? ……って、いったい何を待ったらいいのだろう。
 待てば、何かが変わるのだろうか……。

『仕事を受けることにしたからすぐには無理だが、また休みの日には会いに来る。これからのことは二人で一緒に考えよう』

 最後にもう一度優しく手の甲を撫で、ぬくもりが離れていく。

 ……どうしよう。どうしたらいいのだろう……。

 生きることも死ぬことも、自分の意志ではどうすることもできないことはわかっている。でも、「考えても仕方のないこと」とは思えなかった。
 『お前はどうしたい?』というあの問いには、真摯に向き合わないといけない気がする。

 最低22週、できることなら24週。

 医者が言うように、そこまで頑張ったら、この子はちゃんと生まれて来るのだろうか……。一人ぼっちで寂しくても、いつかは幸せになれるのだろうか……。

 すぐには答えを出せそうになかった。
 ただ、一つだけ、自分の中にはっきりと芽生えた気持ちがある。

 あのあたたかな掌に、もう一度触れてほしかった。
 低くて甘いあの声で、『なつ』と呼んでほしい。

 だから、次にあの人が来るまでは、できれば生きていたい。

 あの人…………晴さんが、来るまでは――――。


 生きたい…………。




 ――――なつ…………。なつ…………。

 再び無音の暗闇に沈み込んでいた意識が、自身を呼ぶ声を捉えた。
 あの人の声だ。また会いにきてくれた。

 手の甲に、掌のぬくもりを感じる。

 ――……なつ。


『――なつ』


 何度目かの呼びかけで、重い瞼を薄っすらと開く。
 あれほど、くっついたまま離れることのなかった瞼を、今はどうにか気力で持ち上げることができた。

 光が目に飛び込んでくる。それを遮るようにして、こちらを覗き込む顔があった。

「なつ。布団もかけずに寝て、風邪引いたらどうするんだ?」

 声には咎める響きがある。

「晴さん……」

 考える間もなく、その人の名前がするりと出てきたことを不思議に思った。何故か今は声も出せる。


「……来ましたか? 22週……。あ、できれば24週でしたよね……。もう……、大丈夫ですか……?」

 その言葉が口をついて出たのは、まだ夢の中にいるようで、頭がぼんやりしていたせいだった。

 目の前の切れ長の目が大きく見開かれ、その顔を見てようやく、現実感が押し寄せて来る。

「あ……。す、すみません。寝ぼけてました……」

 不安げな面持ちで、三間が僕の額に手を伸ばしてくる。

「少し顔が赤いが熱はなさそうだな。……匂いがするから、発情期ヒートか?」

 彼はホッと表情をやわらげ、僕の周りへと視線を移す。その顔が、何かに気づいたかのように固まった。

「なつ……、これってもしかして……、巣作りってやつ?」

 そこでようやく、寝る前に自分が何をしていたかを思い出した。



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