嫌われオメガは死に戻った世界でベータに擬態する

灰鷹

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完結後番外編

【書籍刊行記念SS第五弾】 番になりました③




 布団に横になっている僕を取り囲むように並べられた三間の服。しかもアンダーシャツは寝たときのまま僕の手の中にある。
 質問の意味を理解し、顔がカアッと熱くなる。

「え? ……い、いやいやいや! 巣作りなんて、そんな大層なものでは!」

 僕は慌てて体を起こし、アンダーシャツを握りしめた手をぶんぶんと横に振った。
 事実、『巣作り』というオメガの習性によるものだと自分に言い訳して、三間の服を持ち込んだわけだが。本人に指摘されるのは猛烈に恥ずかしい。
 視線を彷徨わせ、寝起きの頭を必死に働かせて、何でこうなっているんだっけと状況を整理する。
 三間は今日、ドラマの顔合わせに出かけていた。ならば帰る前に連絡をくれているはずだ。

「……というか、晴さん、連絡くれました?」

 もしかして三間からの電話やメールを聞き逃して寝こけていたのかと、慌てて枕元のスマホを拾い上げた。そうなると、悪いのは100パーセント僕だ。

 スマホに表示された時間はまだ19時を過ぎたばかりだった。着信やメールの通知もない。
 巣作りを誤魔化すはずが、今度は別の方向に混乱する。

「え? い、いや、何でもう帰って来てるんですか? 顔合わせのあと親睦会でしたよね?」
「飲み会は断った。昨日からお前がぼーっとしてただろ。どこにも寄らずに早く帰りたかったから、連絡もしなかったんだよ」

 悪びれる様子はなく、むしろドヤ顔の三間に、僕はわかったようなわからないような顔で「はぁ」と相槌を打った。感謝すべきところだろうが、本心は「何で今日に限って連絡しないんだよ!」という気持ちだった。こっちは帰る前に連絡が来ると信じていたから、寝室に服を持ち込んでいたのだ。

「それより、体調悪いんじゃないなら、とりあえず写真撮っていい?」
「写真? こうちゃんのですか?」

 光希の写真を撮るのに僕に許可を取ろうとする理由がわからず、尋ねると、三間がぷっと小さく噴き出した。

「なつの写真に決まってるだろ。初めての巣作りなんだから記念写真だよ」
「い、いや、だから、そんな大層なものじゃないって……」

 三間が構えるスマホへと手を伸ばしたが、彼は後ろに一歩下がり、そんな僕ごとパシャとシャッターを切った。
 見られてしまったものは仕方ない。そう開き直れば、珍しくはしゃぐ三間の姿に、まぁいっか、という気分になる。僕は苦笑交じりの溜め息を吐き、視線を部屋の隅へと移した。

「そう言えば、こうちゃんが昨日からずっと寝てるんです。今日はミルクも途中で飲むのをやめたりして。熱はないですが、早めに病院に行ったほうがいいでしょうか……」

 ベッドを降り、三間と二人で向かい合わせにベビーベッドを覗きこむ。光希は変わらず穏やかな表情で、規則正しく胸を上下させている。

「俺も気になってたから調べてみたけど、多分お前のフェロモンの影響じゃないかな」
「僕の?」

 僕は視線を三間へと上げ、首を傾げた。

「オメガのヒートフェロモンは、我が子をリラックスさせる効果があるんだって。母親のヒート中、赤ん坊がずっと寝ていたり、子供がぐずらなかったりするのはよくあることらしい」
「そうだったんですか……。すみません。フェロモンの影響までは思いつかなくて」

 自分でも、すやすやと寝ている以外、光希に何か大きな問題がありそうには思えなかったから、三間の話ですぐに不安がやわらいだ。

「じゃあ、しばらく様子を見てもよさそうですね」
「光希は大丈夫だろう。――お前は? どうする?」

 窺う眼差しの奥に熱っぽさを感じ取り、質問の真意を瞬時に理解する。
 発情期ヒートをどうやり過ごすのかを聞かれているのだろう。抑制剤を飲むのか、あるいは……。

 こういうとき、三間は毎回僕の意志を確認してくれる。ありがたいが、未だに「したいです」と言うことには抵抗がある。

「えっと……。晴さんは、明日は仕事は……」

 それだけで僕の気持ちを察したのだろう。
 三間が満足気に口の端を上げた。

「明日は何もない。その後もずらせる仕事だから、マネージャーに言って一週間ヒート休暇にしてもらう」
「え? い、いや、そんなには……。出産して最初の発情期ヒートなので、二、三日で十分かと……」

 最後のほうはごにょごにょと、口の中で語尾が尻すぼみになった。
 三間がふいに上半身を傾け、肩口に顔を寄せて来る。
 
「出産して最初の発情期ヒートなんだから、今までで一番丁寧にしないとだろ?」

 劣情を孕んだ声に全身が粟立つ。
 子宮に響く声――彼が女性ファンからそんなふうに言われていたことを思い出した。

 今は委縮しているはずのそこが急に存在感を主張しはじめ、落ち着いていた熱がふたたび下腹の奥で疼き始める。フェロモンの甘い香りも、急に濃くなった気がした。

 三間が僕の手を引き、ベッドへと連れて行こうとする。僕は動かず、逆に三間の手を引いた。

「あ、あの……。ここでは……。こうちゃんがいるので……。リビングなら、ベビーモニターもあるので……」

 切れ長の目が軽く瞠目し、直後、からかいを滲ませた。

「まさかなつから、リビングエッチのお誘いをされる日が来るなんてな」
「こうちゃんを起こしたら後が大変だからです!」

 頬をニヤつかせる男をキッと睨みつけたが、それすらも彼を喜ばせただけのようだった。
 三間がベビーベッドを回り込み、僕の腰を引き寄せる。その腕に身を預けるようにして歩き出し、寝室を出た。

「普通に匂うから、別に弱くはないんじゃないか?」

 横髪を声と吐息で擽られる。匂うというのはフェロモンのことだろうが、夕方シャワーを浴びておいてよかったと秘かに思う。

「さっきまでは大したことなかったんです」

 フェロモンが濃くなっているのは、三間と触れ合っているからだ。

 リビングのドアの前で足を止める。三間はドアノブには手を伸ばさず、腕の力を緩め、密着していた体をわずかに離した。顔を覗き込まれる気配に、僕も上目遣いに視線を上げた。

「前に俺が言ったこと、覚えてる? 次の発情期ヒートでお前をつがいにしたいから、それまでに答えを考えておいてってやつ。答え、出た?」

 忘れていたわけじゃない。ただ、このタイミングで言われるとは思っておらず、一瞬思考が止まった。

 返事をできないでいることを迷いと取ったのか、三間の表情がわずかに陰る。

 つがいになるということは、結婚という法的な拘束だけでなく、身体的にも相手を自分に縛りつけるということだ。今が幸せ過ぎるからこそ、それ以上を望むことへの躊躇はある。
 それに、紙切れ一枚の結婚と違って、つがいの場合は一度つがえば解消することができない。アルファは新たなつがいを作ることができるが、それができないオメガにとっては一生を左右する決断だ。三間が「考えておいて」と言って時間をくれたのも、それが理由だろう。

 急ぐ必要はない。でも、万が一、またどこかでイレギュラーな発情期ヒートがきて、三間以外の誰かにつがいにされてしまったらと考えるとぞっとする。その苦しみに比べたら、つがいになっていつか別れることになったとしても、一人で発情期ヒートを過ごす苦しみのほうが遥かにマシだ。

「一生のことだから、決心がつかないうちは無理強いはしないが……。俺がつがいにしたいのは、後にも先にもなつだけだから」

 喋り終えると、三間はリビングのドアを開けて僕を先に通した。
 暖房をつけたままだった部屋は暖かかった。

 三間に腰を抱かれたまま、揃ってソファに腰を下ろす。照明の光を落とした黒曜の瞳が、少し不安げに僕を見つめる。
 先ほどのドラマの中の、迷いのない、頼もしい表情とは異なる。今目の前にいるのは、ときに迷うことも、自信を無くすこともある、等身大の三隅晴仁だ。
 
 答えは一つしかないのに、喉に重石がつかえたみたいになかなか口にできない理由は、自分でもわからない。もしかしたらそれは、オメガの本能によるものかもしれない。いくら恋焦がれている相手でも、その人に無防備なうなじを差し出し、気持ちだけでなく身体までも支配されてしまうことに、オメガは無意識に恐怖するようにできているのかも。

 ふと、先ほど見た夢が脳裏をよぎり、僕は三間の左手を取り、自身の両手で包み込んだ。一度目の人生で、見舞いにきてくれた彼が、いつもそうしてくれていたように。

『なつ……、お前はどうしたい?』

 夢のおかげで、病院で眠っている間、そう何度も尋ねられていたことを思い出した。触れられた手のぬくもりも、体が覚えている。
  今ならもう、思い出しても大丈夫――あの頃の夢を見たのは、脳がそう判断したからかもしれない。これだけ幸せなのだから、辛い記憶を思い出しても、もう大丈夫だと。

 時間が巻き戻って以降、僕を殺す動機のある人間は三間しかいないと考えながらも、彼のことを信じたい気持ちも捨てきれなかった。きっと、忘れていても、あの頃の記憶が自分の深いところに刻み込まれていたからだろう。

 あのときは、何度尋ねられても、一緒に悩むことも、気持ちを伝えることもできなかった。でも、今は――。

 僕は一度細く息を吸って呼吸を整え、三間の目を真っすぐに見つめ返した。

「僕を、晴さんのつがいにしてください。僕も、後にも先にも、晴さんだけですから」

 声が震えたのは恐怖からではない。一生に一度の、取り返しのつかない言葉を告げているという自覚が、胸にずしりとのしかかってきたからだ。

 三間の不安げだった眼差しが、やわらかくほどけていく。言葉よりも雄弁な、愛おしさに満ちた眼差しで、僕も胸がいっぱいになって泣きそうになった。
 繋いでいないほうの手で頬や耳を撫でられ、抱き寄せられる。
 甘いオメガのフェロモンとは異なる、陽だまりの中にいるような、心地よい香りがふわりと立ち上がる。僕が秘かに『幸せフェロモン』と呼んでいる、大好きな三間の匂いだ。

「なつ、ありがとう」
「晴さんも、ありがとうございます」

 耳元で囁き合い、互いにふふっ、と照れ気味の笑みをこぼした。




 
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