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逸脱

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今夜の空は雲が流れ、幽霊船の霧の中に入る前から、満月は姿を現さなかった。
最近は昔馴染みたちの出迎えも無い。それが無いだけでも随分ましと、ゼオは小さく息をついた。

船長室に近づいて、ゼオは聞こえてくる水音と人の声に気付いた。

あからさまな情事のそれに眉を寄せる。
あの男にはこういった悪癖があった。女のいる処にわざわざ呼び出して見せつける。
「アア、イイヨオ、もっとォ!」
カッと頭に血が上り、次いでザッと血の気が引いた。
聞こえてきた声高く放たれた嬌声は、キーは高いが確かに少年のものだった。
奇妙におぼつかない足を無理やり動かして踵を返す。
_あの男は男を抱かない。自分以外は。
一刻も早くその音の聞こえない場所へ行きたかった。

海の匂いが強くなり、甲板柵にぶつかるようにして足を止めた。
堪えていた何かがプツンと切れて、ずるずるとその場に蹲る。視界に入った指先は細かに震えていた。震え続ける手で口元を覆う。見開いた目には何も映っていない。




どれほど蹲っていたのだろう?

目に飛び込んできた、ふいの光。
驚いて顔を上げれば、束の間、霧を抜けて満月が見えた。
その明るさ、雄大さ。

急に、何もかもがどうでも良くなった。
当然のようにお前の命を寄こせと言ってくる他人のことも。
必死で見ないふりをしていた愛が、壊れてしまったことも。
何もかも、全て。

満月はすぐにまた霧に隠された。
時計で確認すればそこまで時間はたっておらず、短時間で随分固まってしまった体をようよう起こした。
すっかり予定が変わってしまった。急いで動かなくては。

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