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はち
しおりを挟む玉座の間に響き渡るクリフの泣き声。これでは陛下の声が聞こえない。
「……あーもう!……泣かないでっ!しーってば!」
「ほんぎゃあー、ほんぎゃあー、」
カサンドラ様があやすとクリフの泣き声は増々大きくなる。
「もー、今は泣かないのっ。しーっ、しーっ」
そんな事を言って赤ちゃんに通じるわけがない。
陛下や貴族たちの前だから、カサンドラ様はクリフをあやそうと必死だった。けれどその手つきはぎこちない。
カサンドラ様はクリフがぐずると直ぐに他の乳母に任せてしまい機嫌の良い時しか相手をしなかったと聞いていた。だから彼女がクリフを泣きやませることが出来ないのは当然だと思う。
陛下が目配せすると、騎士がカサンドラ様に近づいてクリフを受け取った。あまりの大泣きに困っていた彼女はすんなりとクリフを手放しほっとした様子をみせた。
騎士は泣き続けるクリフを抱っこしたまま私の方に来て、クリフをそっと渡してくれた。
「妃殿下、クリスフォード様をよろしくお願いいたします」
私の腕に漸くクリフが戻ってきたことにほっとする。
小さな身体は大声で泣き続けたせいかしっとりと汗ばんでいた。
私が抱っこするとクリフは不思議なくらいすうーっと泣き止んだ。真っ赤だった顔が元の肌色に戻っていく。
「やはり母親が良いのだろうな」
優しい声。
顔を上げて陛下を見ると優しく目尻を下げ微笑んでいた。孫を見つめる祖父そのものだ。
クリフは胸の辺りに口を近づけおっぱいを探るようにしながら、気持ちよさそうにうとうとしだした。
こんな場所で胸を探られるのは恥ずかしいけれど、この子の母親だと誇らしく思う気持ちもあった。
むにゃむにゃと口元を動かしながら眠りにつく我が子を幸せな気持ちで見ていた。
「さて……」
陛下はさっきまでの優しい表情から一変。ヒューバート殿下とカサンドラ様には厳しい表情を向けた。
いつも泰然としていて穏やかな陛下のこんな表情は珍しい。
「ヒューバート、お前は何故に別れた恋人を息子の乳母に選んだのだ?母親であるイーリスの心情を考えれば、随分と酷い人選に見えるが?」
「はっ、父上。カサンドラは子供好きで優しい性格です。ですから息子の乳母にふさわしいと考えました」
「乳母は子育ての経験のある者、または母乳の出る者を選ぶのが通例だ。ましてやクリスフォードは王族。もっとふさわしい者が居ると思うが彼女を登用する理由は何かね?」
「……っ」
「今、彼女は乳母としての無能を儂の前で曝け出した。とてもじゃないが、相応しい人選とは思えん。お前の私情が入ってないとは言い切れぬだろう……?」
「今はクリスフォードが機嫌が悪く……たまたま……」
「そうか?儂にはそうは見えんが?」
「はい。それよりも陛下。イーリスは流行り病。陛下やクリフに病を移す恐れがあります。直ぐに離宮に隔離を……」
ヒューバート殿下は自分の不貞に話が及ばないように話を逸らせた。まるで陛下やクリフを心配しているかのような口ぶり。
「ヒューバートよ。お前の宮殿にいる侍医のケネスは本当に流行り病の事に詳しいのか?」
「はっ、ケネスの医師としての腕に間違いはございません。」
「そうか?アースウェル公爵が連れてきたこの医師であるエメットは、イーリスは流行り病でないと断言したぞ?」
「その者は流行り病を診察したことはあるのですか?」
「ああ、そのようだな」
「間違い無く、妃殿下は流行り病ではありません」
いつの間にか騎士に連れられて入って来た男性は、陛下に向かって膝を折ると、はっきりと断言した。この人がエメット医師。実は先程すでに診察を受けていた。
「ええい!黙れ!お前の方がケネスより流行り病に詳しいという証拠でもあるのか?誤診すればイーリスの命だけでなく、陛下の御身にも関わるのだぞ!いい加減なことは喋るな!」
エメット医師に向かってヒューバート殿下は怒鳴った。威圧して黙らせようとしているみたい。
すると、今まで黙って様子を見ていた父公爵が口を開いた。
「殿下、証明なら用意してありますよ。私が北の地ヘレナまで赴いて調査して参りました。エメットが今まで診察した流行り病の患者の診察記録を陛下に提出してあります。そこには流行り病の症状も経過も詳しく書いてあります。全てエメットの筆跡であることは確認してございます。古い診察記録は十年以上前のもので、紙もインクも焼けていますので偽装出来るような物ではございません。」
陛下の背後にある大量に積み上げられた証拠は診察記録だったのか……。お父様……これを全部ヘレナから運んできたの……?
「私の知る限り、咳や胸の痛みの無い患者はおりませんでした。ですから妃殿下も流行り病では無いと診断いたします!」
「で、ですが陛下!ケネスも医師の資格を持ちます」
「ケネスをここへ……」
陛下がそう言うと、今度はケネス医師が騎士に連れられて入って来た。
「ケネスよ。本当にイーリスは流行り病なのか?その診断結果が間違いだと、ここに居るエメットは申しておるが?」
「はい。私はそう診断いたしましたが誤診だったのかもしれません。」
「誤診?」
「はい」
誤診を裁く法律はこの国には無い。せいぜい医師の資格を失うくらいだろう。
きっとケネスはその事を知っていて誤診だと主張しているのだ。
「何故……誤診を?」
「以前……流行り病を診察した時に妃殿下と同じような症状の患者がいたので、間違った判断をくだしてしまいました。今はありませんが当時は胸の雑音がございました。」
「儂の元にアースウェル公爵が提出した膨大な診察記録がある。全てお主が今まで診察した患者の記録だ。全てこちらで見聞したが、どこにも流行り病の患者の診察記録など無いが?」
「……。」
ケネスは暫く考えて、自らの言葉を訂正した。
「申し訳ありませんでした。記憶に間違いがございました。医学書で読んだのです」
「流行り病についての記述がある医学書にも、イーリスが流行り病だと診断する根拠となる症状については書いてないそうだ。これについてもアースウェル公爵からの資料の提出があった。もう言い逃れは出来ないぞ、ケネス。流行り病の診察をしたことも無く、医学書にも記載が無いのに、お主は何故、イーリスを流行り病だと診断したのだ?」
「……。」
我が国には拷問で得た証言は証拠として採用されないという法律がある。だから、お父様は言い逃れが出来ないほどの膨大な証拠を準備してくれたのだろう。
「何故だ?」
「……ヒューバート殿下に……そう指示されました」
観念したのかケネス医師は項垂れて、そう証言した。その瞬間、玉座の間にいた人々の視線が一斉に殿下へと集まった。
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