哭するタイプライター

沢木忍

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アイドルになりたくても

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 平成二十三年の八月、再び、池袋。件のスナックのママに会う。

 ・・・確か、午後の二時半過ぎよね? ちょうどその時は、店に私しかいなくて。溜まってた伝票の整理なんかをしていたんだけど、最初、なんていうか、小刻みな揺れを感じて、もしかしてすぐ近くで工事かなんか始まったのかなって。このあたりは古いビルが多いし、しょっちゅう改装したりしてるのを見てるから。

 でも、そうじゃなかった。

 そのあとすぐに尋常じゃない揺れがきて、まともにイスに座ってられなくなったの。そのうち、揺れ自体は収まってきたんだけど、グラスとかが並んでた棚のなかが、無茶苦茶な状態になってた。観葉植物の鉢とかも倒れたりして。まあ、開店前でお客さんもいなかったから、それだけはよかったかなって。

 しばらくは呆然としてたんだけど、そうだ、テレビをみようと思ってスイッチ入れたら、あの津波でしょ。本当に信じられない映像だった。不謹慎な言い方かもしれないけど、パニック映画を見ているような、現実におきてることだとはとても思えなかった。

 周辺の同業の店のなかには、その日もいつもどおり店を開けたところもけっこうあったみたいだけど、ウチは休んだわ。店の中の片付けもしないといけなかったし。

 それから三日後かな、店を再開したのは。でも、しばらくは閑古鳥。そりゃ、そうよね。常連さんは随分心配してくれて、顔をみせてくれたけどね。でも、しょうがないよね。銀座も、池袋も、繁華街はどこも一緒。日本がこんな状態なのに、水商売が賑わってたら、あたしはむしろ世の中おかしいと思うし。

 そういえば、覚えてる? 去年店に来てくれたときに紹介した子。 アイドル目指して、頑張ってるっていった子。

 あの子、宮城県の出身でね。三月のはじめから二週間くらい休暇をとって、実家に帰ってたの。お父さんの持病が悪化しちゃったって。あの子は、しばらくこっちに残って様子を見る、大丈夫っていってたんだけど、あたしがすぐに帰ってやりなさいって、半分強制的に帰省させたの。これは店の他の子には秘密だし、店の経営者としてはあんまりいいことではないんだろうけど、あの子には、なんだかいろいろ面倒見てあげたくなっちゃってね。戻ってきてからの生活もあるだろうから、休暇とってる間の給料というか、最低限の保障だけはしてあげるからっていったら、多少安心して宮城に帰ったわ。

 三月の十日だった。はっきり覚えてる。あの子から携帯に連絡がきて、十二日に東京に戻りますって。

 で、なんか「戻ったらママに報告がある」っていうの。
 
 「良いこと?」ってきいたら、「うん」て。

 電話越しに聞こえる弾むような声から、すごくうれしそうなのが伝わってきた。

 でもその次の日、あの震災。

 店の片づけの合間をみて、何度もあの子の携帯にかけたけど、全然つながらない。何日経っても、一ヶ月以上しても、繋がらなかった。

 心配でたまらなかったけど、何もできなくてね。店も、少しずつだけど客足も戻ってきて、バタバタしはじめて。でも、いつもあの子のことは忘れず、心にあった。

 五月の終わり頃だったかな。宮城にいるあの子のお母さんから突然、電話があったの。

 あの子ね、津波に飲まれて亡くなったって。

 悲しいとかかわいそうとか、もちろんそれもあるんだけど、そういう感情よりも、なんていうか・・・うまくいえないんだよね、そのときの気持ちは。ただ、まだ沢山の人が行方不明だって聞いてたし、それを思えば、決して早くはないけど遺体も見つかって、きちんと供養できたことだけは、それだけは本当に良かったなって。

 でもね、お母さんから、あの子がどんな状態で発見されたか、全身泥まみれだったっていうのを聞いた途端、急に涙が止まらなくなっちゃって。

 だってさ、あんなに透き通るように色が白くて可愛かった子が、泥にまみれてる姿なんて絶対に想像できない。

 お母さんが言うには、あの子、あたしのこと、すごく自分に良くしてくれて、一番お世話になってる人だって話してくれてたみたいで。

 いつもね、店を閉めてから、あの子に自由にカラオケを使わせてあげてたの。思う存分、歌の練習ができるように。

 オーディションを受ける前の日なんかは、店を休ませてあげた。普段からお酒飲んだりして、喉にいいことなんてしてないから、少しでもいいコンディションで臨めるように。そんな細かいことまでいろいろ親に話していたみたい。大したことじゃないのにね。何より、あたしがあの子のことを応援してあげたかったんだから。

 きっとね、昔のあたしにあの子を重ねてたと思う。

 しかも、昔のあたしなんかよりずっと、外見も、歌も、そのほかのいろんなことで段違いの才能があるってことがわかってたから。

 お母さんの話はもっと続いてさ。

 彼女、二月に受けたある芸能事務所のオーディションの結果を、実家に送られるようにしていたみたいで。たぶんね、合格したっていう通知を病床のお父さんに見せたかったんじゃないかなって思うの。たぶん、あの子、今回は、それだけ自信ていうか、手ごたえもあったんだと思う。

 それで、その通知が届いたのが十日。二次予選の合格通知と、最終予選参加の知らせ。

 それを聞いたとき、あの子があのとき電話であたしに報告してくれようとしたことはこれだったんだって。

 なんかさ、なんていうか、ほんと、理不尽っていうのかな。

 もしも、十日にあの子が東京に戻ってきてたら、きっと無事だったんだよね。

 でもその日にオーディションの結果が実家に届くんだから、あの子は当然戻ってこない。

 そして、震災。

 ついこの前、あたしの知り合いの芸能関係の人が店にきてね、あの子はどうしたのって聞くの。実は、前から気になってて、今度プロダクションを紹介してみようかと考えてくれてたらしいの。震災で亡くなったっていったら、すごい残念がってた。

 あたしがいうのもなんだけど、あの子、たぶん、芸能界に入れたと思う。

 入った後にどう活躍できるかは、努力とか運とか、いろんな要素で変わるだろうけど、でも、少なくともあたしがずっと夢見た世界の住人には、なれたはず。

 そう思わない?

 最近、あの子の事を思い出すと、つくづく考える。ああいう災害で大勢の人が亡くなるってことは、単に大勢の人の命が失われるだけじゃなくて、大勢の人の「可能性」も消しちゃうんだなって。

 きっとその中には、すごい才能を持った人だって、たくさんいたはず。

 そしてあの子だって・・・


 ママの店では、東日本大震災のあと常時、店内に募金箱を置き、ある程度貯まると、その都度、日本赤十字社を通して被災地に義援金として送っているという。

 「こんなことしかできないから」

  そう笑うママは、どこか寂しそうだった。


  生きてきた時代も背景も違えど、アイドルになりたくてもなれなかった二人の女性─

 その絆は、震災で突然断ち切られた。


 今夜、店では、あの子を偲んで、ささやかな慰霊の会を催すという。ママらしく、優しさと温もりを感じさせる雰囲気になるだろう。

 あの子も、きっと天国で喜ぶはずである。

 生前、決して楽な仕事ではないだろうに、ママの店を「唯一自分が安心できる場所」だと、親しい人たちにいつも話してたそうだ。

 もちろん今日、僕も、その場所を訪れるつもりだ。

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