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一章
間抜けは、どいつだ
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最後に、採取した草花が載った荷台が、門の中に吸い込まれた。俺たち番士は、ほっとして、記録帳や矢立てを片付け始める。閉門の準備だ。
太陽が山の向こうに完全に沈んでいくのを、じっと見詰めながら、俺は暮れ六つを告げる鐘の音を、待っていた。暮れ六つになれば、不寝番の者と交代となる。そうすれば、今日の務めからは開放される。
しかし、今か今かと待ちかまえている時分には、時は余計に長く感じる。俺はぼんやりと、今日の夕飯の献立について、考え始めた。今日は鮴が食いたいと朝から思っていた。
刺身にするか、焼き魚にするか、はたまた煮付にするかは、まだ決めていない。本当は刺身が一番好きなのだが、鮮度の問題があった。魚の振り売りは、金持ちの多い町から魚を売り歩き始め、それから貧しい者の多い町へとやってくる。そのころには、魚もだいぶ張りを失っている。やはり煮つけか――。
そんな風に考えながら、扉を半分ほど閉じにかかっていた俺は、門の隙間から急に飛び出してきた白い腕に、ハッとして手を止めた。
門の内から表へ、するりと細身の身体を滑り込ませてきたのは、先ほど副商館長ブロンホフと喋っていた通詞の藤馬だった。
藤馬は俺に話し書けようとしたが、刹那、言葉を詰まらせる。その目が、俺の左目あたりを注視していることに、俺は気が付いていた。俺の左目から額にかけては、肌の色が抜けたような、白い斑がある。
しかし、藤馬はすぐに相好を崩し、俺に尋ねた。
「帰り際に悪いな。少し、尋ねたい。今日、俺たちが外出中、遊女が一人、門外に出なかったか」
「いや。そのようなことは、なかったと思うが」
藤馬は五十平から、記録帳を受け取ると、ぱらぱらと頁を捲る。藤馬の真面目な目に、俺は厭な予感がした。
「何か、あったのか?」
五十平がおずおずと問うた。
「出島で留守居をしていた、周防という遊女の姿が見えないのです――誰か、出島のほうから出てくる女に対応した者は、おりませんか?」
五十平は、刹那、顔を歪める。皆の表情がさっと険しくなり、俺たちは互いに顔を見合わせた。しかし誰一人として、名乗り出る者はなかった。
藤馬が五十平とともに、記録帳を持って、出島の内へ戻ろうとした時だった。
門の奥から、帯刀した者が三人、此方に向かってきた。
真ん中を歩いている、細身だが腹だけが出た男は、乙名の宮田織之助だ。肩を聳やかせ、早足で歩いて来る。もう二人は、常に織之助と共にいる男で、背の低い男と、顔の丸い男だった。
番士たちは、各々、怯えた面持ちで体勢を正す。
織之助の評判はすこぶる悪い。機嫌が悪いと、何にでも難癖をつけ、不満を言う。
俺は、織之助たちを見た刹那、今日の晩飯の鮴が、自分の手の中から、するりと逃げていったような気がした。
織之助は、深く頭を下げていた五十平から、記録帳を奪うと、ぱらぱらと捲る。
「昼間に腹を下して厠にいたという間抜けは、どいつだ――石灰町の新太。前に出ろ」
「ははっ」
新太は強張った声で応えると、織之助の前に歩み出でた。
「乙名殿、その者が何か……?」
五十平が遠慮がちに聞くと、織之助は、顎を上げ、いかにも億劫そうに新太を見下した。
「副商館長(ヘトル)付(つき)の遊女がいなくなった。この間抜けが、厠に行く振りをし、出島から逃がしたのだろう!」
俺はハッとして、昼間にあった出来事を思い返す。
太陽が山の向こうに完全に沈んでいくのを、じっと見詰めながら、俺は暮れ六つを告げる鐘の音を、待っていた。暮れ六つになれば、不寝番の者と交代となる。そうすれば、今日の務めからは開放される。
しかし、今か今かと待ちかまえている時分には、時は余計に長く感じる。俺はぼんやりと、今日の夕飯の献立について、考え始めた。今日は鮴が食いたいと朝から思っていた。
刺身にするか、焼き魚にするか、はたまた煮付にするかは、まだ決めていない。本当は刺身が一番好きなのだが、鮮度の問題があった。魚の振り売りは、金持ちの多い町から魚を売り歩き始め、それから貧しい者の多い町へとやってくる。そのころには、魚もだいぶ張りを失っている。やはり煮つけか――。
そんな風に考えながら、扉を半分ほど閉じにかかっていた俺は、門の隙間から急に飛び出してきた白い腕に、ハッとして手を止めた。
門の内から表へ、するりと細身の身体を滑り込ませてきたのは、先ほど副商館長ブロンホフと喋っていた通詞の藤馬だった。
藤馬は俺に話し書けようとしたが、刹那、言葉を詰まらせる。その目が、俺の左目あたりを注視していることに、俺は気が付いていた。俺の左目から額にかけては、肌の色が抜けたような、白い斑がある。
しかし、藤馬はすぐに相好を崩し、俺に尋ねた。
「帰り際に悪いな。少し、尋ねたい。今日、俺たちが外出中、遊女が一人、門外に出なかったか」
「いや。そのようなことは、なかったと思うが」
藤馬は五十平から、記録帳を受け取ると、ぱらぱらと頁を捲る。藤馬の真面目な目に、俺は厭な予感がした。
「何か、あったのか?」
五十平がおずおずと問うた。
「出島で留守居をしていた、周防という遊女の姿が見えないのです――誰か、出島のほうから出てくる女に対応した者は、おりませんか?」
五十平は、刹那、顔を歪める。皆の表情がさっと険しくなり、俺たちは互いに顔を見合わせた。しかし誰一人として、名乗り出る者はなかった。
藤馬が五十平とともに、記録帳を持って、出島の内へ戻ろうとした時だった。
門の奥から、帯刀した者が三人、此方に向かってきた。
真ん中を歩いている、細身だが腹だけが出た男は、乙名の宮田織之助だ。肩を聳やかせ、早足で歩いて来る。もう二人は、常に織之助と共にいる男で、背の低い男と、顔の丸い男だった。
番士たちは、各々、怯えた面持ちで体勢を正す。
織之助の評判はすこぶる悪い。機嫌が悪いと、何にでも難癖をつけ、不満を言う。
俺は、織之助たちを見た刹那、今日の晩飯の鮴が、自分の手の中から、するりと逃げていったような気がした。
織之助は、深く頭を下げていた五十平から、記録帳を奪うと、ぱらぱらと捲る。
「昼間に腹を下して厠にいたという間抜けは、どいつだ――石灰町の新太。前に出ろ」
「ははっ」
新太は強張った声で応えると、織之助の前に歩み出でた。
「乙名殿、その者が何か……?」
五十平が遠慮がちに聞くと、織之助は、顎を上げ、いかにも億劫そうに新太を見下した。
「副商館長(ヘトル)付(つき)の遊女がいなくなった。この間抜けが、厠に行く振りをし、出島から逃がしたのだろう!」
俺はハッとして、昼間にあった出来事を思い返す。
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