ただの雑兵が、年上武士に溺愛された結果。

みどりのおおかみ

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三章

戦の影

  あちこちで芽が芽吹き、花が開き、ホトトギスの囀りが聞こえるようになった。土も緩み、柔らかく湿っている。
 弥生の夕暮れ時、俺と五郎兵衛の杖が打ち合わせられる、激しい音が、道場の脇の広場に、響いていた 
  今日は剣技の稽古の日だった。日吉郡の兵たちが集められ、上位の武士が指導をする。稽古の日は月に二三度あった。その後にも、稽古を続けるものは自分で続けてよいことになっている。
 俺は五郎兵衛の鋭い突きを、半身分だけ避けた。そのまま肩を狙って、俺は杖を振り下ろす。
――これで、一本だ。
 俺がそう思ったその時、五郎兵衛が、俺の杖を、下から思い切り跳ね上げた。その瞬間。
 俺の杖は、ぼきりと音を立てて折れた。杖の先が、回転しながら地に落ちた。
 いつのまにか、俺たちは二人だけになっていた。杖の先を、草の間に捜そうとして、俺は陽が沈みかけていることに、漸く気が付いた。
 俺は、肩で息をしながら、言った。
「くそぉ、一本取れると思ったのに。何で折れるんだ」
「知らん」
 五郎兵衛はふっと笑った。五郎兵衛は身体も大きいし、力も強い。最近ますます強くなった気がする。
鍛錬を積み、俺も強くなったかもしれない、と思っても、五郎兵衛も同じように稽古を積んでいるから、結局、その差は、埋まらない。
「あー、何でさっさと強くならねえんだろ」
「お前も十分、強いだろう」
「まだまだ、これじゃ伴にもさせてもらえねえ」
「伴? 左衛門殿の、か?」
 五郎兵衛は、他人のことに、自分から口を出すことはないが、人が話すことは、ちゃんと聞く奴だ。つまり、人に安心感を与える男だった。
 俺は一瞬言葉に詰まった。だが、すぐに、五郎兵衛にならいいか、と判断した。
 しゃがみながら、俺は折れた杖を拾い上げる。
「強くなれば、あいつが行く場所について行く事もできるだろ」
「小姓なら、ついていけるんじゃないのか」
「俺は小姓じゃねえもん。身分が違う」
 俺は折れた木を放り投げ、くるくる回す。五郎兵衛はしばらく考えてから言う。
「武士身分なら、養子にしてもらうとか、金で買うとか、方法はあるだろう」
「まあな。だけど、弱くちゃ駄目だと思う。あいつが急に技をかけてくる時、対処できねえもん」
「忠頼様は武士だろう。幼いころから武芸に親しんでいたのなら、勝つのは難しいだろう」
 俺は折れた杖を握って立ち上がり、五郎兵衛を振り向く。
「そうなんだよ。だけど俺だって役に立ちたい。守ることが無理でも、庇うくらいなら俺だってできる」
 五郎兵衛は少し微笑みながら、ううむ、と唸った。
「それは、忠頼様が望まぬだろう」
「でも――」
 俺は再び言葉に詰まる。五郎兵衛は、その大きな手を、俺の肩に置く。
「焦るな。大丈夫だ――少なくとも、今はな」
 五郎兵衛は、俺が握っていた折れた杖を、俺の手から抜き取る。
「明日の朝、師匠に謝っておく」
「俺も謝る」
 もうすっかり、辺りは暗くなっていた。五郎兵衛が暗がりの中で、手を少し上げたのが、見えた。



  俺は五郎兵衛と別れ、忠頼のいない邸宅へと戻っていく。
 しかし、途中でふと、手拭を道場に落として来た事に気が付いた。取りに戻ろうと、民家の間の小路を歩いていた時、ふいに誰かの気配を感じ、俺は身をひそめた。
 やけにそそくさと、身を隠しながら歩いていく人間に、俺は目を凝らす。
 清之介だった。俺はなんとなく気になって、静かに、その姿を追った。
 清之介は、領地の外れの林へと向かっていた。
 俺はこっそりと跡をつけていたが、辺りは暗く、木の影の中で、清之介を見失ってしまった。
 その時、ふいに声が聞こえた。
 だれかがいる。俺はさらに草の間に身を沈めた。その声に、聞き覚えがあるような気がして、俺は身を乗り出した。
「なんだって? 密使を?」
「ああ。なんでも――飯沼はずっと再起を狙っていたらしい」
「それにしても……」
 しかし、その後の言葉は、風の向きのせいか、すぐに何も聞こえなくなってしまった。  俺はしばらく、辺りに気を配りながら移動してみたが、やはり木々のざわめきしか聞こえない。諦めて、林から出、村へ向かって歩き出す。
 歩きながら、さっきの会話の意味を、俺は考えていた。
――飯沼だと?
  飯沼は、旧中央政府の残党の一人で、公家だ。都を追われ、郊外に逃げたと聞いていたが――。
 そのとき、ふいに気配がし、俺は振り向いた。
 振り向きざま、俺はとっさに相手の手を掴む。そのまま捻りあげようとして、すんでのところで止めた。白い肌。大きな目。
 後ろに立っていたのは、孝太郎だった。
 孝太郎は、俺に掴まれた手を、反対側に捻りながら言った。
「弥次郎。お前、なにしてんだ」
「お前こそ。俺は、清之助を追ってきた」
 孝太郎の目が、弥次郎を一瞬捉える。しばらく、二人の間に互いを伺うような沈黙があった。
 沈黙を破ったのは、孝太郎の方だった。孝太郎は長く息を吐くと、あごを掻く。
「落ち着けよ。俺は確かにおまえより情報を持ってるが、それは日吉郡の内部で集めた情報だ。出所は言えないが、それは真実だ」
 俺は孝太郎の言葉に、少し、ほっとする。孝太郎は根が正直だから、嘘が下手だということを、俺は知っている。
「飯沼って山路郡を収めてる公家だったよな。失脚したはずの」
「まあそうだな」
 俺は懐から銭を二枚を出した。
「聞かせてくれ」
「俺から聞いたと、忠頼に言うなよ――まあ、すぐ広まるだろうから、いいがな」
  孝太郎は銭を袖の内に落としながら、話を続ける。
「中央政府の残党の公家や武士が、郊外に身を隠しながら、再起を測ろうとしているのは知っているな。ついでに、東の武将どもが、その後ろに控えていることも。その内の一人、公家の飯沼が、旧中央政府の重役だった白瀬義成に密使を送ったらしい」
 戦の気配に、俺の身体がぞくりと粟立つ。
――戦は、まだ終わっていないのだ。
「でも、それは前から分かっていたことだろ。新政が敷かれても、暫くは諍いが絶えないだろうと、南波殿も言っていた」
 俺がそう言うと、孝太郎は、厳しい顔つきのまま、頭を振った。
「俺だって、残党武士の一人や一人の事なんか、気にしちゃいない。でも、その動きや、繋がりは、見ておく必要がある。小物でも、その人数と、動き方によっては、虎や龍が起きるかもしれない」
「なんだって?」
 俺は眉を寄せた。孝太郎は、淡々とした口調で、俺に問いかける。
「なあ弥次郎。今、一番力を持っている連中は、どんな奴らだと思う」
「そりゃ、南波殿と――」
 孝太郎はすぐに掌を前に出すと、首を横に振る。
「西国――というか、ここら周辺では、そうかもしれない。だがな、今まで政治の表舞台で権力を牛耳り、金をたらふく貯めこんできたのは、どういう奴らだ?」
「それは――東国の公家や、有力国司たちだ」
 孝太郎は頷く。
「そうだ。それはけして、西国の者たちではない。一つの政府が倒れたとしても、それは変わらない。それをよく覚えとけ」
  孝太郎は地に眼を落したまま、静かに話し続ける。
「つまりな、南波殿が、どんなに、新政府から優遇されてたとしても――奴らにとっては、たかが田舎武士でしかない」
「んな言い方――」
「でも事実だろ。で、そっから考えろ。今一番怖いのは、誰だ」
 そんなこと、わからねえよ、と、そう言いかけたとたん、俺の脳裏に、一人の武将の顔が過る。
――加々尾雪輪守親景。
 その男は、代々続く東国武士の名家であり、先年の冬の戦で、華々しく先の政府を都から退けた武士の一人でもある。
「加賀尾――か。だが、一緒に戦った仲間だろ」
「あれは戦略上そうなっただ」
 孝太郎は冷淡に思えるほど、あっさりと言った。
「その証拠に、あいつは新政府に代わってから。自分の国に引っ込んじまって、全くこっちに協力しようとしない。あいつがちゃんと、こっちに協力してくれれば、残党がウロチョロすることもないだろうに」
「それでも……反抗しているわけじゃねえだろ」
 少しづつ声が小さくなるのが、自分でも分かった。
 孝太郎はそんな俺を、大きな目で覗き込む。
「そうだ。それなんだ、弥次郎。あいつは機運を見ている。あいつが求める者は、他の武士のように、ただ私腹をこやすことじゃない。あの目は、もっと大きなものを見ている目だ。だからきっと――南波殿も、あいつが恐ろしいんだ」
 その男――――親景とは、一度だけ、最初の戦で、敵としてあいまみえた。俺たちの城は、すぐに落ちたため、俺が親景を見たのは、ほんの刹那だった。
 しかし、その時に感じたことを、俺はうまく言葉に言い表せない。なんとも奇妙な感覚だった。
 瞳の佇まいが、違うのだ。それは南波殿にも感じることがあったが、とにかく、異質だった。天命を受けた人間の目だ、という直感さえ感じた。
「あいつが、動き出したら――――その時は、すべてが変わるだろうな」
 孝太郎が、ぽつりと呟く。その言葉に、自分の今立っている地面が、ぐにゃりと歪むような心地がした。
 その時、誰かの足音が聞こえた。孝太郎はそちらを見、それじゃあな、と歩き出す。 
「確かにお前の言うとおり、この先、何が起こるかは、誰にもわからない。でもだからこそ、お前もこれからのことを、良く考えた方がいい」
 そう言って、孝太郎は夜の闇の中へ、走り去っていく。
 ホトトギスが鳴き、冷たい風が山の方から吹き下ろしてくる。
 家はただの黒い影となり、偶に聞こえる、犬と赤子の鳴き声だけが、そこを家だと示している。
 俺は自分の立っている足元を、確かめるように、一歩一歩歩いた。その足は、あたりの闇を引きずっているかのように重く、冷たく感じられた。
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