ただの雑兵が、年上武士に溺愛された結果。

みどりのおおかみ

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三章

狩り

 緑が照り輝くように萌え、風が新緑の薫りを含んで強く木々の間を吹き渡る。
 弥生の下旬。俺は忠頼とともに、田舎道を、馬でのんびりと進んでいた。
 俺は空を見上げる。今朝も、雲一つない、からりとした陽気に恵まれていた。俺は首元の汗を手拭で拭いながら、馬を繰る。三つほど道を曲がりくねったところで、忠頼が馬廻に頼み、馬を止めた。
 そこは登山道の入り口だった。忠頼は、馬廻に、馬を連れて、近くの農家で休んでいるように命じた。
 忠頼と俺は二人だけで、登山道の入り口に残される。
 忠頼をちらと見た。忠頼は竹の水筒を外し、水を飲んでいる。
「本当に――よかったのか?」
「ああ。この先の道は細いし険しい。馬では進むのが困難だ」
「違う。俺と二人だけで、いいのかってことだよ。お前に何かあったら……」
 忠頼が、俺を狩りに誘ったのは、五日ほど前――忠頼の身体の調子が戻りかけた頃だった。
 狩りなら、俺も何度か、忠頼の一行に付いて行ったことはあった。だが、忠頼が、『今回は弥次郎と二人だけで行く』と、側近の者に言った時、俺は嬉しい反面、少し不安に思った。日吉郡の主である忠頼の身に、何かあったら大変だ、と、とっさに思ったのだ。実際、側近の者も、最初は反対していた。
 忠頼が少し眉を上げ、俺に問う。
「なんだ、不服か?」
「お前は殿様だろう、伴をつけるべきじゃないのか」
 忠頼は、日吉郡の主だ。勿論、それは会った時から知っていた。しかし、俺はここに来てから、それをより深く、実感として感じるようになった。
 忠頼は、お飾りの殿様ではなく、地を治める治政者だった。忠頼は、争いごとが起らぬよう、様々な決まりごとを作ってきたそうだ。また、その決まりごとを守りつつ、様々に便宜を図る柔軟性もあった。治政がうまくいくように様々な調整をしていたと、忠頼の側近は話してくれた。
 今は中央に出向くことが多く、側近たちに仕事を任せてはいるが、帰ってくれば、できるだけ留守中の情報を調べ、不正が起こらぬよう目を配っているそうだ。
 だから、一緒にいられる時間は、そう多くない。今日だって、嬉しいことは嬉しいのだが――どこか落ち着かない。
 忠頼がふっと笑みを漏らす。
「お前がいるだろう。お前は強いから、大丈夫だ」
「あのな、誤魔化すな」
 俺がぼそぼそと言っている間に、忠頼は山道をさっさと進んでいく。俺は仕方なく、忠頼の後を追いかける。
 山道と言っても、藪は取り払われ、足場は半間ほどはあって、歩きやすい。誰か手入れをしている道なのだろう。
 木漏れ日の中、キビタキが枝から枝へ移るのが見えた。黄と黒の体は、森の中でも鮮やかに映え、遠目でもすぐに、それと分かる。キビタキは、移った枝先で、軽やかな囀りを披露する。
 やわらかい下草を踏みながら、俺はふと、ずっと思っていたことを聞いてみた。
「……お前は、なぜ中央に行くんだ?」
「寂しいのか?」
 忠頼が少し此方を振り返り、悪戯っぽく微笑む。忠頼は、故郷に帰ってきてから、よく笑うようになったと思う。
「真面目に聞いてんだ。揶揄うな」
 俺は目を伏せて、あえて、ぶっきらぼうに言う。
「……そうだな。何故かと言われれば……南波殿が行くから、だな」
「それは何故だ? 義理か? お前には、これだけの領地がある。お前はもう手を引いたっていいじゃないか」
 孝太郎と話したあの日から、俺の中の不安な気持ちは、募っていくばかりだ。それは、どんなに明るい場所を歩いている時でも、影のように纏わりつき、離れない。それどころか、幸せを感じるような時にこそ、影はよりいっそう濃くなる。
 俺たちは、木々に取り囲まれるような山道の中、静かに歩を進める。俺たちの足音だけがあたりに聞こえていた。汗が、冷え、風が冷たく感じた。
 俺は一つ息を着くと、ずっと思っていたことを、思い切って訊いた。
「お前も、中央で偉くなりてえのか?」
 忠頼は、ちらりとこちらを見てから、またすぐに視線を前方へ戻す。
「それほど、簡単なことではないのだ。力関係、と言えばいいか」
 俺は忠頼の言うことが分からず、目を眇める。
「どういうことだ?」
「つまり――戦に身を投じるのは、一種の賭けだ。戦が始まれば、常にどちらかが負け、どちらかが勝つ。だから、今の領地を安定して統治できるのならば、戦に参加する必要はない、と言える。だが……見かけ上は、うまく行っているように見えても、水面下ではそうではないことは、ままあることだ。お前は今年の米の石高を知っているか?」
 俺は村人が話していた数字を、なんとか思い出す。
「ええと、六百石だろ? 十分多いと思うがな」
「他所と比べての、多寡の問題ではない。村の需要を賄うに、足りるかどうかだ。そう考えると、この石高では、日吉郡の人口に対して、ぎりぎりだ。そもそも、日吉郡の土の質は、上質とは言えぬ。地を掘れば、土より砂が多く出てくる地質だ」
「でも――俺の村より、は豊かに見えるぞ。皆、身に着けているもんが小ぎれいだ」
「では、それは何故だと思う」
 俺は再び、村の様子を思い出すよう努めた
「うーん……商売か? 杉を、よく川から村の外に運んでいるよな」
「半分当たりで、半分は外れているな。一つはお前の言った通り、杉の商売だ。ちなみに、杉を一番多く買ってくれる得意先は、南波殿だ。杉は船の材料になる。そしてもう一つは、宿場町としての役割だ。南波殿の領地は、海に面しているだろう。港は漁場であり、交通の要地でもある。ここ、日吉郡は、南波様の領地と、都の間に位置している。だから、物資を都に運ぶ際に、商人が必ずここを通る。商人は、ここで飯と宿を得、俺たちは物品や金を得る。この地が、割りに潤って見えるのは、そういう理由がある」
 俺は軽く頷く。忠頼の説明は平易だ。忠頼は淡々と続ける。
「加えて、先にお前が言ったように、義理もある。南波様の父上と俺の父上は、懇意にしていた。その縁もあり、今も、日吉郡は、商いの条件では特別に、優遇してもらっている……俺が、力関係のためだ、というのが、分かったか?」
「つまり――南波様が倒れたら。俺たちも共倒れってわけか」
「それは、あり得るが……商いの流れ事体は、止まることはないだろう。民の生活は若干苦しくなるかもしれぬが――皆殺しに遭うことはないだろう」
――民は。
――じゃあ、お前は?
 その時、忠頼が俺の前方に手を出し、身を低くする。俺も、咄嗟にそれに倣う。
 忠頼が目で示す方を注意深く見る。と、大きな椎の木の根元に、茶色の小さな生き物が見えた。
 兔た。
 忠頼が、さっと俺に目配せした。俺はその時、唐突に、背中にしょっていた弓矢を思い出した。
 ああ、そうだ、俺は今日、狩りに来たのだった。
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