ただの雑兵が、年上武士に溺愛された結果。

みどりのおおかみ

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三章

最後の夜

 五郎兵衛と話してから三日と経たたずに、忠頼は帰ってきた。
 久々に帰ってきた忠頼の顔には、憔悴の色が濃く浮かんでいた。
 その理由は明白だった。あと一月も経てば、戦が始まる。
  ――――次の戦は、多分最後の戦になる。
五十四人の、忠頼の直属の武士や足軽たちを前にして、忠頼がそう言ったとき、俺たちは、さほど驚かなかった。
 こちらの分が悪いこと。そして、自分たちが、いつまでも、こうして持ちこたえられるわけではないことも、一番わかっていたのは、前線で戦っていた俺たちだ。
 それでも、忠頼自身が、部下に対し、そう明言したことは、兵たちに衝撃と動揺を与えるのに十分だった。残されたもののための恩賞や、家や田畑について、少し話があったあとは、それぞれが様々な態度を示した。
 心の内を隠すように、静かにその場から退く者。自分は最後まで戦う、と周りに訴える者。目に涙を浮かべ、おろおろするもの。
 俺は泣きもせず、怒りもせず、ただ砂を噛み締めるような思いで、日々を過ごしていた。忠頼に会って、話したかった。だが、忠頼はずっと、忙しそうだった。
 仲間たちと戦の作戦や計画を練りながら、人に会い、話し合い、実際に用意すべきものを作り、手紙を書き、証書に目を通した。
 俺は忠頼が隣の部屋に戻ってくる気配がしたとしても、、こちらから声を掛けることはしなかった。
 忠頼が帰ってきて、五日が立った時。ようやく俺は、忠頼に呼ばれた。

 *

 半月の夜。ほぼ真っ暗な廊下に座り、襖の前で、俺はひとつ息を吐いた。
 しばらく会えなかった時、再び忠頼と会う際にはいつも、俺は緊張する。 忠頼が自分を求めてくれているなど、何かの間違いだったのではないか、という気が、ふいに頭をもたげるのを止めることができない。
「――弥次郎です」
 声に緊張が混じらないよう、つとめて静かに俺は言った。
「入れ」
 俺は襖をすらりと開ける。
 蝋燭の灯のもと、忠頼の背中が見える。忠頼は小机に向かいながら、弓の手入れをしていた。
 その姿を目にした途端、心臓が苦しいくらいに鳴り、息が詰まった。俺はできるだけそれを顔に出さないようにしながら、忠頼から一間半(三m)ほどの左に離れた所に座る。
 忠頼は小袖に袴、それに肩当と言う楽な格好をしていた。戦場では布など直ぐに汚れてしまうものだが、出発前の今はその明るい萌黄色は際立って見えた。
 俺はちらと辺りを見る。忠頼の部屋は十六畳ほどの大きさで、とても広いが、今はそこに様々な文書や巻物が重なり合い、部屋を占領していた。
 忠頼はその中で、無心に、矢筒の紐の綻びを見直したり、弓のたわみや傷を手で触って確かめておた。矢の一本一本を手にし、強度は十分か、まっすぐになっているかを見ていく。
 忠頼の武具を管理する職人や、世話係は、ちゃんといる。だが、それでも忠頼は、戦の前は特に、己の武具を、自ら手入れすることを好んだ。
 それは、自分の感覚を馴染ませるためでもあり、自分を落ち着かせるためでもあると、前に忠頼は言っていた。
 俺は何も言わず、忠頼の背中を見ていた。本心では、抱きしめたい衝動と、忠頼を待つべきだという気持ちで、身が捩れるようだ。
  暫くすると、忠頼は手を止めた。弓矢をしまい、部屋の隅に置く。俺はその仕草を見て、きっと忠頼は、この数日間、この動作を何百回としたに違いないと、直感的に思う。
「弥次郎」
「はい」
 急に声を掛けられ、俺は思わず背筋を伸ばして答える。忠頼がゆっくり此方を振り向くと、俺に体を向け、両の手を広げた。
「――おいで」
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