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三章
どうしようもなく求めるもの
俺は、忠頼に覆いかぶさった姿勢のまま、目下の忠頼を呆然と見つめていた。本当に、どうしていいのかわからなかった。
『俺を殺していけ』という声の響きは、痛切に俺の胸をえぐった。
そのとき、俺はやっと、忠頼が見ている景色を見た気がした。
野原に転がる物言わぬ屍。川に流され、岸に引っかかって、悪習を放つ亡骸。敵の、仲間の、罪もない村人の、血と泥にまみれた身体、身体、身体。
数えきれないほどの瞳が、虚空を見つめる。怒声と、嘆願。呻き声と、すすり泣き。闇が凝ったような、粘り濁った悲しみと苦しみの、戦の気配。
戸の隙間から風が通り抜け、忠頼の紙が、ぱらりとと舞う。頬を、冷たい風が撫でた。
忠頼はすっと胸を起こす。俺は身を引きながら、恐る恐る、俯きがちな忠頼の顔を見た。忠頼の目じりは、少し濡れて光っていた。俺はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして目をそらす。
忠頼は、俺の真正面に一歩近づくと、俺の右手首を優しく掴んだ。
俺は、一瞬、顔を顰める。指に、ぬるりとした感触と、攣れるような痛み。俺は今更、自分がつけた指の傷に気が付いた。
忠頼は、俺の傷口を懐紙で押さえると、俺の手を、両の手で包み込む。
そのまま祈るように、忠頼は目を瞑った。
「……傷をつけて、悪かった」
俺は苦笑した。
――大袈裟だ。
俺たちは、戦場で数えきれないほど人を傷付け、殺し、己も傷付いている。それなのに、忠頼がこんな小さい傷を気にするのはおかしい。
だがその時、俺はふと、子供時代を思い出した。
転んで怪我をした時に、誰かが、まじないをかけてくれた。傷が早く治りますように、と。忠頼の手の温かさは、その時の暖かさと同じだった。
――どうにかなりそうだ。
俺はくらりとした。胸が詰まり、あまりの苦しさに俯く。
重く激しい、痛みと苦しみの汚泥。それは、進撃が決まってからずっと、途切れることなく、俺の中を流れている。
死への恐怖。二人で過ごした時間への懐古。ほんの僅かな、希望。
ふと気が付くと、俺はいつの間にか滅茶苦茶な感情の渦に溺れ、正気を保つのさえ、難しくなっている。
俺は叫びだしてしまいそうになる自分を、なんとかして抑え込み、ぎゅうと目を瞑った。
本当は、今という時が過ぎてしまうことさえ、心底恐ろしくて、吐きそうだった。
ふいに、向き合った忠頼の両手が、俺の手を離した。そしてそのまま、忠頼は、俺の頬に手を伸ばす。
忠頼と目が合う。
その瞬間、忠頼の、押し殺された、暗い呻き声のように絶望が、俺の中に沁み込んでくるのがわかった。
ふいに、心の中の嵐が、少しだけ鎮まった気がして、俺は、小さく息を着く。
不思議だった。
忠頼の指先から、暖かい肌から、その気配から――全ての感覚から、己と同じ痛みを感じる。しかしそれは、なぜか、逆に、俺を落ち着かせてくれた。
――ああ。これは、今ここにある、命の、温かさだ。
節くれだった、皮の固い、忠頼の手が、俺の頬を撫でる。俺はその手に、すがるように手を重ね、頬を押し付けた。忠頼の親指が、俺の唇をなぞる。
「だだより」
俺の口から、しどけない声が漏れた。忠頼は俺を抱き寄せると、そのまま口づけた。
まるで、溺れた獣が、息継ぎをするかのようだった。
口づけは何度も降ってきた。湿った、熱い唇が、何度も重なり合い、互いの舌が絡み合う。まるで、そうすることでだけ、息ができる、というふうに。
「……弥次郎」
忠頼の大きな手が、俺の髪を、背を、何度も何度も撫でる。その優しい温かさに、枯れたはずの涙がまた滲む。
言葉ではもう何を言っても無意味だと、俺は分かった。
互いが、どうしようもなく、互いの存在を求めていた。
『俺を殺していけ』という声の響きは、痛切に俺の胸をえぐった。
そのとき、俺はやっと、忠頼が見ている景色を見た気がした。
野原に転がる物言わぬ屍。川に流され、岸に引っかかって、悪習を放つ亡骸。敵の、仲間の、罪もない村人の、血と泥にまみれた身体、身体、身体。
数えきれないほどの瞳が、虚空を見つめる。怒声と、嘆願。呻き声と、すすり泣き。闇が凝ったような、粘り濁った悲しみと苦しみの、戦の気配。
戸の隙間から風が通り抜け、忠頼の紙が、ぱらりとと舞う。頬を、冷たい風が撫でた。
忠頼はすっと胸を起こす。俺は身を引きながら、恐る恐る、俯きがちな忠頼の顔を見た。忠頼の目じりは、少し濡れて光っていた。俺はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして目をそらす。
忠頼は、俺の真正面に一歩近づくと、俺の右手首を優しく掴んだ。
俺は、一瞬、顔を顰める。指に、ぬるりとした感触と、攣れるような痛み。俺は今更、自分がつけた指の傷に気が付いた。
忠頼は、俺の傷口を懐紙で押さえると、俺の手を、両の手で包み込む。
そのまま祈るように、忠頼は目を瞑った。
「……傷をつけて、悪かった」
俺は苦笑した。
――大袈裟だ。
俺たちは、戦場で数えきれないほど人を傷付け、殺し、己も傷付いている。それなのに、忠頼がこんな小さい傷を気にするのはおかしい。
だがその時、俺はふと、子供時代を思い出した。
転んで怪我をした時に、誰かが、まじないをかけてくれた。傷が早く治りますように、と。忠頼の手の温かさは、その時の暖かさと同じだった。
――どうにかなりそうだ。
俺はくらりとした。胸が詰まり、あまりの苦しさに俯く。
重く激しい、痛みと苦しみの汚泥。それは、進撃が決まってからずっと、途切れることなく、俺の中を流れている。
死への恐怖。二人で過ごした時間への懐古。ほんの僅かな、希望。
ふと気が付くと、俺はいつの間にか滅茶苦茶な感情の渦に溺れ、正気を保つのさえ、難しくなっている。
俺は叫びだしてしまいそうになる自分を、なんとかして抑え込み、ぎゅうと目を瞑った。
本当は、今という時が過ぎてしまうことさえ、心底恐ろしくて、吐きそうだった。
ふいに、向き合った忠頼の両手が、俺の手を離した。そしてそのまま、忠頼は、俺の頬に手を伸ばす。
忠頼と目が合う。
その瞬間、忠頼の、押し殺された、暗い呻き声のように絶望が、俺の中に沁み込んでくるのがわかった。
ふいに、心の中の嵐が、少しだけ鎮まった気がして、俺は、小さく息を着く。
不思議だった。
忠頼の指先から、暖かい肌から、その気配から――全ての感覚から、己と同じ痛みを感じる。しかしそれは、なぜか、逆に、俺を落ち着かせてくれた。
――ああ。これは、今ここにある、命の、温かさだ。
節くれだった、皮の固い、忠頼の手が、俺の頬を撫でる。俺はその手に、すがるように手を重ね、頬を押し付けた。忠頼の親指が、俺の唇をなぞる。
「だだより」
俺の口から、しどけない声が漏れた。忠頼は俺を抱き寄せると、そのまま口づけた。
まるで、溺れた獣が、息継ぎをするかのようだった。
口づけは何度も降ってきた。湿った、熱い唇が、何度も重なり合い、互いの舌が絡み合う。まるで、そうすることでだけ、息ができる、というふうに。
「……弥次郎」
忠頼の大きな手が、俺の髪を、背を、何度も何度も撫でる。その優しい温かさに、枯れたはずの涙がまた滲む。
言葉ではもう何を言っても無意味だと、俺は分かった。
互いが、どうしようもなく、互いの存在を求めていた。
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