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四章
虚日5
「弥次郎殿!」
俺は、はっとして、弾かれたように己の手を離した。
いつの間にか戻っていた泰蔵が、宗十郎と俺の間に割って入る。
宗十郎が、激しく咳き込み、俺を睨む。その目を見た瞬間、俺はぞっとする。
それはおよそ、正常な人間の目ではない。ぎらぎらとした、憎悪と悪意に満ちた瞳だった。
泰蔵は、ぼそりと呟く。
「ああ、また、拾っちゃったんですね」
――拾った?
俺が泰蔵に訊くよりも先に、宗十郎が動いた。
懐から短剣を取り出すと、大声で震えながら、叫ぶ。
「人殺し! 人殺し! 人殺し!」
まるで、狂った犬が、吠えたてるような、あんばいだった。宗十郎は、目を赤く充血させ、唾を飛ばす。
「最近、俺は何度も、危ない目に合ってる。誰かに押されて、川に落ちそうになったり、何日も、ひどく腹が痛んだり――兄貴たちが、俺を、殺そうとしてる! だから、この腹痛も――兄貴と――お前らの仕業に決まっている。お前らも、俺を殺そうとしてるんだ!」
俺は面食らった。そんなことを、考えていたのか、と。
だが、宗十郎の剣幕に、俺は何と言っていいのか分からない。宗十郎は頭を掻きむしりながら言う。
「――くそ! 卑怯者! 俺は聞いたんだ! 母上の葬式の時、兄さまたちが別室で言っていたことを。俺のことを、早く死なないかなと言って、笑って――」
宗十郎の叫び声が、急に歪んだ。狂気に満ちた目に、涙が滲み、零れた。
「そう、そうだ。俺が死んだって、誰も、何も、思わないんだ――……」
嗚咽が聞こえた。それは今までの姿とは打って変わって、酷く頼りなげで、切ない声だった。
しかし、その慟哭も、ぴたりと止む。宗十郎は、己の喉元に短刀を向けると、酷く無感情な声で言う。
「――お望み通り、死んでやる」
その時、俺の横にいた泰蔵が、ふいに動いた。
「――宗十郎様」
「近寄るな!」
宗十郎が叫んだ。しかし、泰蔵は、それを聞かず、宗十郎にゆっくりと歩み寄る。
「大丈夫です。……宗十郎様」
そう言うと、泰蔵はついと宗十郎の右手に触れた。
俺はひやりとした。宗十郎は短刀を持ったままだ。
泰蔵はもう片方の手を伸ばし、左手も握った。ちょうど、泰蔵が、宗十郎の両の手首を、握るような形になる。
泰蔵が、静かに微笑みながら、言った。
「俺には――宗十郎様だけです。俺が命に代えても、あなたを護る」
泰蔵は、ゆっくり、噛んで含めるように、宗十郎に向かって言葉をかけていく。
「泰――」
宗十郎が、もどかし気に何かを言おうとした。しかし泰蔵は、両の手を優しく握り返すことで、宗十郎の言葉を、やんわりと制す。
「もちろん、私のことを信じられなくとも、大丈夫です。でも……考えてもごらんなさい。私にはもう、身寄りはありません。友人や、恋人の類もおりません。ですから、お兄様たちも、俺を抱き込むことは、できないんですよ。――ついでに言うと、この方のことも信頼して大丈夫です。――でしょう? 三郎殿」
泰蔵は急に、こちらを振り向いて言った。急に水を向けられ、俺はたじろぐ」
「お、おう。そうだ。さっきは悪かった。あれは俺の——本位じゃない」
宗十郎の目の中で、信頼と、怯えと、猜疑の炎が揺れる。
しかし結局、宗十郎はぎろりと俺を睨んで、言った。
「……こいつはだめだ。俺はもう、こいつを信用できない」
「そうですか。それは残念ですが、仕方ありませんね。では――」
泰蔵は頷くと、宗十郎の短刀をするりと取った。宗十郎が不安そうに泰蔵を見やる。
「泰蔵――?」
「はい。では――三郎殿は、俺が殺しましょう」
俺と宗十郎が、ぎょっとして目を見開く。
俺が言葉を放つ前に、泰蔵は短刀をすらりと抜くと、振りかぶる。
「おい、たい――」
「――いきますよ」
泰蔵が短刀を振り下ろす瞬間、俺は反射的に、その手を掴み、捩じりあげようと構えた。
その時だった。
泰蔵の体が、短刀を振り上げたまま、ピタリと止まった。
理由はすぐに分かった。後ろで、宗十郎が、泰蔵の身体を羽交い絞めにし、止めていた。
泰蔵の背後から、宗十郎の嗚咽と、くぐもった声が聞こえる。
「――ごめんなさい。ごめん――……俺が悪いんだ、俺が――」
俺は構えを解き、一つ息を吐く。怒涛のような芝居の一幕が、やっと終わったような気がした。
泣きじゃくる宗十郎の背中に優しく手を置き、泰蔵は俺に背を向ける。その前に、泰蔵は一瞬だけ俺に目くばせし、短刀を渡した。
「さ、少し横になりましょう、宗十郎様」
泰蔵は、何事もなかったように、宗十郎を寝かせにかかる。 泰蔵はそのまま、宗十郎をうまく誘導し、本当にすぐに、横にしてしまった。泰蔵は、宗十郎の横に座り、その手を握っていた。
「――俺、薪を集めてくる」
俺は何となく、そこから離れた方がいい気がして言った。
「ええ。頼みます」
泰蔵の声には、何の含みもなかった。それがまた、少しばつが悪くて、俺は逃げるようにその場を離れた。
俺は、はっとして、弾かれたように己の手を離した。
いつの間にか戻っていた泰蔵が、宗十郎と俺の間に割って入る。
宗十郎が、激しく咳き込み、俺を睨む。その目を見た瞬間、俺はぞっとする。
それはおよそ、正常な人間の目ではない。ぎらぎらとした、憎悪と悪意に満ちた瞳だった。
泰蔵は、ぼそりと呟く。
「ああ、また、拾っちゃったんですね」
――拾った?
俺が泰蔵に訊くよりも先に、宗十郎が動いた。
懐から短剣を取り出すと、大声で震えながら、叫ぶ。
「人殺し! 人殺し! 人殺し!」
まるで、狂った犬が、吠えたてるような、あんばいだった。宗十郎は、目を赤く充血させ、唾を飛ばす。
「最近、俺は何度も、危ない目に合ってる。誰かに押されて、川に落ちそうになったり、何日も、ひどく腹が痛んだり――兄貴たちが、俺を、殺そうとしてる! だから、この腹痛も――兄貴と――お前らの仕業に決まっている。お前らも、俺を殺そうとしてるんだ!」
俺は面食らった。そんなことを、考えていたのか、と。
だが、宗十郎の剣幕に、俺は何と言っていいのか分からない。宗十郎は頭を掻きむしりながら言う。
「――くそ! 卑怯者! 俺は聞いたんだ! 母上の葬式の時、兄さまたちが別室で言っていたことを。俺のことを、早く死なないかなと言って、笑って――」
宗十郎の叫び声が、急に歪んだ。狂気に満ちた目に、涙が滲み、零れた。
「そう、そうだ。俺が死んだって、誰も、何も、思わないんだ――……」
嗚咽が聞こえた。それは今までの姿とは打って変わって、酷く頼りなげで、切ない声だった。
しかし、その慟哭も、ぴたりと止む。宗十郎は、己の喉元に短刀を向けると、酷く無感情な声で言う。
「――お望み通り、死んでやる」
その時、俺の横にいた泰蔵が、ふいに動いた。
「――宗十郎様」
「近寄るな!」
宗十郎が叫んだ。しかし、泰蔵は、それを聞かず、宗十郎にゆっくりと歩み寄る。
「大丈夫です。……宗十郎様」
そう言うと、泰蔵はついと宗十郎の右手に触れた。
俺はひやりとした。宗十郎は短刀を持ったままだ。
泰蔵はもう片方の手を伸ばし、左手も握った。ちょうど、泰蔵が、宗十郎の両の手首を、握るような形になる。
泰蔵が、静かに微笑みながら、言った。
「俺には――宗十郎様だけです。俺が命に代えても、あなたを護る」
泰蔵は、ゆっくり、噛んで含めるように、宗十郎に向かって言葉をかけていく。
「泰――」
宗十郎が、もどかし気に何かを言おうとした。しかし泰蔵は、両の手を優しく握り返すことで、宗十郎の言葉を、やんわりと制す。
「もちろん、私のことを信じられなくとも、大丈夫です。でも……考えてもごらんなさい。私にはもう、身寄りはありません。友人や、恋人の類もおりません。ですから、お兄様たちも、俺を抱き込むことは、できないんですよ。――ついでに言うと、この方のことも信頼して大丈夫です。――でしょう? 三郎殿」
泰蔵は急に、こちらを振り向いて言った。急に水を向けられ、俺はたじろぐ」
「お、おう。そうだ。さっきは悪かった。あれは俺の——本位じゃない」
宗十郎の目の中で、信頼と、怯えと、猜疑の炎が揺れる。
しかし結局、宗十郎はぎろりと俺を睨んで、言った。
「……こいつはだめだ。俺はもう、こいつを信用できない」
「そうですか。それは残念ですが、仕方ありませんね。では――」
泰蔵は頷くと、宗十郎の短刀をするりと取った。宗十郎が不安そうに泰蔵を見やる。
「泰蔵――?」
「はい。では――三郎殿は、俺が殺しましょう」
俺と宗十郎が、ぎょっとして目を見開く。
俺が言葉を放つ前に、泰蔵は短刀をすらりと抜くと、振りかぶる。
「おい、たい――」
「――いきますよ」
泰蔵が短刀を振り下ろす瞬間、俺は反射的に、その手を掴み、捩じりあげようと構えた。
その時だった。
泰蔵の体が、短刀を振り上げたまま、ピタリと止まった。
理由はすぐに分かった。後ろで、宗十郎が、泰蔵の身体を羽交い絞めにし、止めていた。
泰蔵の背後から、宗十郎の嗚咽と、くぐもった声が聞こえる。
「――ごめんなさい。ごめん――……俺が悪いんだ、俺が――」
俺は構えを解き、一つ息を吐く。怒涛のような芝居の一幕が、やっと終わったような気がした。
泣きじゃくる宗十郎の背中に優しく手を置き、泰蔵は俺に背を向ける。その前に、泰蔵は一瞬だけ俺に目くばせし、短刀を渡した。
「さ、少し横になりましょう、宗十郎様」
泰蔵は、何事もなかったように、宗十郎を寝かせにかかる。 泰蔵はそのまま、宗十郎をうまく誘導し、本当にすぐに、横にしてしまった。泰蔵は、宗十郎の横に座り、その手を握っていた。
「――俺、薪を集めてくる」
俺は何となく、そこから離れた方がいい気がして言った。
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