ただの雑兵が、年上武士に溺愛された結果。

みどりのおおかみ

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四章

虚日7 乗り換え

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 俺が兔を携えて戻ってくると、泰蔵が一人で、火の番をしていた。
「あ、三郎殿。おかえりなさい」
 泰蔵が、何もなかったように微笑みを浮かべて言う。身体を少しずらし、隣に座る場所を作る。
「お疲れ様です。あ、兔ですね。捌きます」
「いや、俺がやる」
 俺は、泰蔵のはす向かいに腰を下ろした。俺は暫く、黙って兔を処理する。泰蔵は火を絶やさないよう、火を吹いたり、薪の木を新しく入れたりしている。
 俺は、兔を枝に刺しながら、訊いた。
「――宗十郎は、大丈夫そうか」
「ええ。よくあることです。あの方は、若干つかれやすいですから」
「つかれやすい?」
「悪いものに、取り憑かれやすいってことです。お不動さんのお札も持ってきていたので、大丈夫かなと思ったのですが、やっぱり山はだめですね。――ですがまあ、なんとかなってよかった」
「なんとかなった――か」
 泰蔵はさらりと言う。
「三郎殿は、よく耐えた方だと思いますよ。俺、一部始終を見ていましたから」
 俺は目を眇め、抗議の意を込めて泰蔵をじっと見た。
 あの時、泰蔵が、近くに来ていたのは、なんとなく分かっていた。だがその上で自分を止められなかったのは俺なので、文句は言えなかった。
「お前も難儀だな」
 俺はわざと含みのある言葉を選んだつもりだったが、泰蔵は軽く笑ってそれをいなす。
「いえ。宗十郎様の傍にいることは、別に苦ではないです。あ、肉が焼けたみたいですよ。これも、いかがです?」
 泰蔵は自分の荷物から、竹の水筒を取り出すと、持ち上げて見せた。言われるがままに碗に中身を受けると、ふわりと酒の匂いがして、俺の頬が思わず緩む。
「お前、こんなもん持ってたのか」
「羽を伸ばせる、せっかくの機会ですからね。三郎殿にも、共犯になっていただけると助かります」
 俺は少し呆れた。と同時に、先程のことで、多少張りつめていた俺の気持ちが、次第に和らいでいくのを感じた。
 俺たちは、しばらく黙って肉をほおばり、酒に舌鼓を打った。俺は静かに聞いた。
「お前、さっきも俺の事、弥次郎って呼んだよな。あれは何故だ?」 
「他意はありません。有事には、本当の名を読んだ方がよいと判断しただけです。前に、貴方が、あの名に、反応しているのを見たことがありましたから」
 俺は黙って火を見つめる。
 最初こそ、自分の出自がばれないよう、俺は細心の注意を払って人と関わってきた。だが、件の戦から十年余りの歳月が経った今、落ち武者の行方を気にするものなど、誰もいなくなった。
 火の方を見ていた泰蔵が、くるりと俺に顔を向け、言った。
「今日のこと、孫六様には、秘密にしときますよ」
「宗十郎が言うだろ」
「俺が、言わないように言い含めれば、大丈夫です」
 俺は酒を地面に置き、泰蔵を横目でちらりと見る。
「――俺に貸しを作る気か?」
 泰蔵は静かに首を振った。
「俺は、三郎殿に――協力してほしいのですよ。宗十郎様の言うとおり、兄上たちは、宗十郎様を邪魔に思っています――事故に見せかけて、殺したいくらいに」
 泰蔵は微笑む。くっきりした鼻梁の影が炎で揺れた。
「父上の孫六様が目を光らせてるうちはいいでしょう。でも、いつなにがあるかは、分かりません。三郎殿も、安定した食い扶持を確保したいのであれば、どちらにつくか、よくお考えになっておいたほうが、宜しいかと」
 俺は、つと泰蔵から眼をそらす。
「宗十郎は、お前を信頼しきっているように見えたがな」
「――そうなるように、しむけていますからね」
「ああそうかい。だが、内輪揉めなら勝手にしな。俺は、宗十郎を守るぜ」
「折角、安住の地を手に入れたのに、手放すのですか?」
「主の乗り換えは、性に合わねえ」
 俺は頭の後ろを掻くと、一つ息を吐いた。
「――俺はお前も、そういう人間だと、思ったんだがな」
 俺はそう言って、真っ直ぐ泰蔵を見返すと、泰蔵が、真一文字の眉を、ピクリと動かした。
「酒ごちそうさん。うまかったよ」
 俺はひとつ伸びをする。そのへんを軽く片付けると、すぐに横になった。
「……貴方は、本当に、変わった人ですねえ」
 火の爆ぜる音がして、焚火が崩れた。
「……そんなことねえよ」
 俺はふと、この声を、どこかで聞いた事がある気がした。しかしその考えは、闇の中にふわりと溶けていった。
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